あさみとぱつ -四月も半ばの土曜日-
後日、無事手に入れることが出来ました。とのLINEに添付しないわけがない母親とバーナムの写真を見せなかったので、やはり貸した金は違う用途だったのだろうと、ぼくは密かに思っていた。あさみが創作する、まるで物語のような嘘には大小などなく、もちろんついたときやついた後に伴う罪悪感もまるでない。サバイブするために必要な知恵であり身に着けた後天的な才能だ。生まれ持った容姿のせいで、掛け替えなき青春の日々に費やした熱き思い出は「自分の感情を殺す」ことだったのだから。そうでもしなければ学校の階段の踊り場で半透明の少女が「恨めしがる」新しい怪談の主役を、どの子にやってもらうかと本気で選定し、本当に実行していたか、逆に自分が演じ続けなければならない事態になっていたに違いない、と以前語ったことがあった。
ところで、同じ丘の上で蘇った腕時計が「そのもの」であったのかは誰にも分からないよね、と話していたとき、母親の弟がいかにろくでなしなのかについての言及もあった。
「前に話した、ハゲおやじってさ・・・・・・そう。そいつ。あれ私の叔父だったんただよ・・・・・・そうよ、母の実の弟。どんだけ腐った町の、どんだけ腐った住民? って感じだと思わない」
根拠はないけれど、今更感を持つミニシアター的なこの話は嘘に思えなかった。あるいは常に嘘をつかれていたぼくは、それでもいくつかは存在した気もする、あさみの本当の話であって欲しいと願ったのかもしれない。腐った町の腐ったおやじと血縁関係にある、大人になったらしっかり腐っていた少女の思いで深い出来事として。
四月も半ばの土曜日、ベランダで洗濯物を干しているとき、隣のあさみ部屋の窓から見えたのは、コルクマットの上に出来た日向と日陰の境で丸くなり、触るとかなり嫌がるひげの伸びた顔を上に向けるぱつの寝姿だった。いつでも幸せそうな寝顔だったけれど、日中の陽射しはすっかり冬を脱していたので今日の寝顔は、花や鳥のように新しい季節の到来で行動するわけじゃない、人と寄り添うことで空腹を知らない家の中の動物そのものだった。意地悪で窓を叩いて起こしてやりたいほど幸せそうだ。猫も夢を見るのだろうと思った。ぼくは、気持ちのいい乾いた風に免じてそっとしておいてやった。
夕方までのルーティンを済ませ、今週も風呂屋に行ったら臨時休業だった。平日よりも混むだろう土曜日に風呂釜を休ませる理由は分からなかったけれど、隣町まで行けば違う風呂屋はある。そこには角打ちもあるじゃないか。初めて行く風呂屋と久しぶりの角打ちにむしろ気分は上がった。
隣町の風呂屋はいつもの所に比べるとずっと新しくて近代的だった。小さいけれど入浴剤でシルキーな白い湯の露天風呂があり、肩と腰に気泡を勢いよく当てるジェット風呂や尾てい骨の存在を確かめられる電気風呂があり、実に炭酸風呂まであった。据え置きのシャンプー類はボタニカル系で、洗い場のプラスチック椅子は妙に高くて座り心地が良い。もちろんサウナと水風呂も完備していたけれど、ぼくは利用しない。
サウナこそあれ昭和のまま営業しているいつもの風呂屋と同じ料金なら、こっちの方がお得感は否めない。でも一つだけ、そうそれは混んでいることだ。向こうが臨時休業だったからなおさらだ。脱衣所のロッカーに百円が必要だったのも以外だったが、使用後に返却される仕組みだった・・・・・・百円を取り忘れていたことに気が付いたのは角打ちで「ヤス」さんからセブンスター一本分の三十円を徴収しようとしたら、小銭が百円玉しかないらしく、それを徴収してやってからだった・・・・・・。




