あさみとぱつ -心無い喪服と揉めた末-
初めてお金を貸して欲しい、と言われたのは夜の駅前で偶然あさみと会い、久しぶりに手を繋いで帰ったとき人工衛星を見つけた、そんな日から四日後の土曜日だった。
あさみは午前の弁当屋へ出かける直前「帰ってくるときお弁当を持ってくるから一緒に食べない?」と言った。この一年で初めてのことだった。何事だろう? と勘繰る、休みのぼくと、毎度明らかにぼくの時とは違う寂しげな声で鳴くぱつに見送られて出かけて行った。
自分の部屋と風呂場とトイレとキッチンを掃除して洗濯機を回し(互いの干し方が気に入らない、という理由により一緒に暮らし始めて二カ月ほどで洗濯は各自ですることになっていた)、換気扇のフィルター(換気扇の下が喫煙場所だったので、どちらも全く料理はしないけれどヤニで茶色くなっている)を交換した。ぱつのトイレ掃除はあさみだった。私がするからしてくれるな、と言われているのだ。当初の約束を一度も守ってくれていない電気代の支払いとは違い、有言実行を続けていた。
十一時過ぎに大体が終わり、掃除機の音が苦手なぱつがあさみ部屋からキッチンへ出て来て「ニァ~ニャ~」何事かを話しかけてきた。ブス顔の頭を撫でてやれば「お互い様ですよ」と笑っているような感じにゴロゴロ喉を鳴らした。
美味しいのか不味いのかすらぼくには分からない、冷蔵庫の1ℓパックのアイスコーヒーを飲みながら二本目の煙草を換気扇の下で吸い、本来の土曜日はーたとえ強い雨が降っていてもー歩いて街道沿いの回転ずしを食べに行くのだった。そして隣のネットカフェで三時間ほど時間を潰して(ぱつが来てからはあさみが不在していても、逆になんとなく部屋ではヌケなくなってしまったので)いったん戻り風呂道具を手に銭湯へ行く。そのまま外食して、最後に安い酒場で一杯二杯飲んで一日を終える。午後七時には部屋着に着替えて布団に寝転び、いいことも悪いこともない、故にありがたいとぼくは信じる、小さくて平和な、そして半ば普遍的でもある、人によっては恐ろしく寂しいだろうけれど、ただただ慎ましい土曜日に満足して、あさみが帰ってくるまで見る必要のないユーチューブを見ていると寝てしまう率が高い。ぱつはぼくの部屋へは決して入ってこなかった。(家賃を払っている)ぼくがあさみ部屋へは入れないように。
でも今週は午前の諸々を終えても出かけず、二時前にあさみが二人分の弁当を持って帰ってくるのを待った。
未開の地にもやはり時間は流れているのだろう、と想像してしまうくらい退屈しながらキッチンテーブルの椅子に座っていたぼくの膝の上のぱつが急に耳を立てた。音を立てず床へ飛び降ると、ママの帰宅直前というほどでもない辺りから、すでに甘えた声を出して玄関で待機した。
「帰ってくるのが分かるのか?」ぼくは話しかけた。
奇跡的な配色によるブス顔は振り向かず、今はまだ石のように寡黙なドアノブ付近をずっと見上げていた・・・・・・雨風に打たれて色を失くす、汚いステッカーだらけの半キャップを被ったまま、安いブーツを脱ぐ短い足に、頭や身体をなすりつけ放題のぱつへ「ただいま」と言ったあさみはちょっと油臭かった。
「かつ丼とエビフライだけどどっちがいい?」あさみはぼくに弁当の袋を渡してようやくぱつを抱き上げた。二人は野に咲く白い花の花弁にある雄しべと雌しべのような幸せに満ちたキスを繰り返した。もちろんぼくに見せつける意図などはない。
「あのさ、実はちょっとお金を貸して欲しいんだけど」あさみはキッチンテーブルに着くなり言った。まだ袋から弁当を取り出す前だったし、どっちがどっちを食べるかを決める前でもあったのだ。
「・・・・・・」ぼくは袋から弁当を出す手が止まった。
「あんたどっちにする?」
「そっちが先に選びなよ」
「ってか、ごめんね突然で」
「何の目的でいくらなのか聞いていい?」
「二十万。田舎の母に工面できないかって言われたの」
「お母さんはどうして必要なのかな?」
「そのことはちゃんと話すよ。私エビフライでいいかしら?」
「もちろんどうぞ」
あさみがまだ三つの時、母親と同じ中学を卒業した二つ上の父親は地元でトビをしていたのだったが、他所の街の現場で組んでいた足場が崩れて死んだ。三十八歳と言う働き盛りだった。そのことはすでに聞いていたのだが、それ以上は何も知らなかった・・・・・・余りに突然だったので、残された歳若い母親は、自分とは関係のない他人の家庭にしか起こらないと思っていた、完璧な不運にめげず這い上がるしかない暮らしを耐え忍び続ける、どこかにはいるのだろうな、と想像する他所の「お母さん」のような、タフな体力も心もこちらのお母さんにはなかった。もちろんそんなことは誰も責められはしない。少なくともあさみの母親だって己の人生のキャパシティーより何倍もあるとしか思えない、逃げ道のない現実に立ち向かったのだから。しかし体力と心の力が、少なくなっていた睡眠中に互いを削り合い出してしまい、ほどなく立ち上がれなくなった。止めを刺したのは夫の借金がここにきて発覚したからだった。
今さら僅かな香典と全く知らなかった証書を手にやって来た、心無い喪服と揉めた末、愛した男の死をも冒涜するこん棒のような言葉と、乞食に対するような態度がどうしても許せなく、家族を侮辱する発言を撤回しない鬼のような貴族じみた初老へ、湯が沸くほどの自棄になった体調不良の未亡人は当たり前だが正常な判断は出来なかった。相打ちして玉砕する道を選び、娘の将来の為にと考えていた労災と遺族年金諸共財産放棄してしまったのだ。怒りは原因よりも結果の方がいかに重大であるかを身を持って娘に示すこととなった。そんなわけで二人はどこかの初老に大きな驚きと損失と教訓を与え、もちろん恨まれもしながら生活は困窮してしまい、最後は生活保護を受けはするものの、国民の権利だとは思えないでいた母親は当初、手元にある諸々を質に入れながら、自らの謝った判断でブーストさせたこの人生の窮地をしのごうと努めた。しかしいよいよ娘に雑草を食べさせるくらいならお国に頼る決断をしたのだ。
運が良かったのかもしれないのだが、すっかり鉛のようになっていた重たい足を引きずり出向いた役所の担当者は実に心のある人物だった。受給審査は事もなく通り、むしろ「こういうことは国民の権利なんですから、恥ずかしがったり遠慮なんかしてはダメなんですよ」と言われるほどだった。夫の突然の死に対してさえ涙を見せなかった未亡人は、そのとき役所のカウンターで嗚咽したという。




