ハーレムの終わりへ②
ハーレムの侍女たちの中には、リュカの“お手付き”を期待していた者も多い。
しかし、リュカは嫁や妾といった立場の女性には仕事として手を出すものの、そうではない女性には一切見向きもしない。
リュカのそういった態度は女性としての魅力がどうという話ではなく、リュカ本人の気質であると認識されている。
リュカは浮気をしない。
それがハーレムにおける基本的な共通認識だ。
そういった“事実”から、人は自分なりの推測をする。
例えば、「リュカが侍女たちの相手をしないのは、リュカがディアーヌ達の事を愛していて、それ以外に目を向けない」というもの。
一人の男に女性が複数で愛も何もあったものではないが、貴族であれば後継ぎ問題で複数の嫁など珍しい話ではなく、そこは誰も気にしない。
“事実”からの“推測”は、彼女たちの中にあるリュカという虚像に、勝手な尊敬を抱かせていた。
そのように本人が主張したわけでもないが、リュカの行動が虚像から逸れてしまえば、それは彼女たちの中では「裏切り」と認識される。
期待するのは勝手だが、期待外れの失望どころか、逆恨み、八つ当たりへと結び付く事もある。
そして恋愛関係は、当人たちよりも外の方が盛り上がることが多いのだ。必然的に、本人たちが気にしていない事で周囲が騒ぎ出す。
「ディアーヌ様。リュカ様はなぜ、すぐに動いて下さらなかったのでしょう?」
「記憶の書き換えは、人を殺すようなもの。リュカ様は私を殺したくなかっただけだと、あの時の私はそう思っていましたよ」
「ですが、それならば陛下の言葉に抗う気概が無かったのは何故です! 陛下のお言葉があったとはいえ、容易に変えられる意見などでディアーヌ様の治療を躊躇うなんて……」
憤りを感じさせる侍女たちに、ディアーヌらはフォローをする。
リュカは動かないが、嫁たちはちゃんと行動していた。
何もしないのは拙いと、そう分かっていたからだ。彼女たちは人の悪意を甘く見てはいない。
人間関係は、一回壊れると、そこから更に悪くなることが多い。
隔意、悪意を抱いた相手の行動を客観的に見る事ができなくなるからだ。
例えば、孤児院に寄付をした貴族がいたとする。
金銭の与え方にもよるが、その寄付で子供たちが救われる。
一般的に見て、それは善行である。
しかし悪意を持つ者は別の考えを持つ。
「寄付をして周囲の評価をあげようとしているのか。いい恰好をしたいんだろうな。浅ましい」とか「あの孤児院には寄付したのに、こっちの孤児院には寄付をしないのか。こっちの方がもっと経済的に追い詰められているというのに。何と視野の狭い奴だ」といった具合に、悪い感情が優しい見方をできなくしてしまう。
相手の粗を探し、些細な、そして穿った考えで相手の行動を悪いもののように扱うのだ。そこに正しさは求められない。
侍女たちのリュカを見る目が厳しくなる。
これまであった尊敬が失われ、行動から敬意が剥がれ落ちていく。
嫁たちのフォローも結果に結びつかない。
リュカが動こうとしないからだ。
嫁ばかりにフォローをさせる駄目な夫、そんな考え方をしてしまう。
侍女達に善意によるリュカへの見方を取り戻す。
そんな機会がないまま、しばらくは平穏な、そして徐々に心が腐り落ちるような時が過ぎていった。




