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第9話 猿の戦友

ヒメノワールの港へ、王の使者が着いた。

船から降ろされる荷を見ていたヒデヨシは、差し出された書付の封を切った。

ノレイオンの印。その下には、北方への出兵を命じる文字が並んでいた。

ヒューマニアには、かつて五つの王国があった。中央南部から南西部の港湾国家ジパング。

北西のオウミ湖を擁するビワコネーゼ。

中央北部の山岳を背にするエゾリア。北東の豊穣国家コシヒカリ。そして南東の軍事国家スルガルド。

コシヒカリはスルガルドに滅ぼされ、ヨシモーンは次に狙ったジパングで命を落とした。

残る四王国の一つが、今、内側から割れようとしている。

居館へ戻ったヒデヨシが地図を広げると、ハンベータがスルガルドの王都へ軍配の柄を置いた。

「宰相チャゲヤスが、王都の政務と軍を掌握しております。

対するヨシモーンの嫡男ウジザンネンは、コシヒカリを拠点に王都奪還を狙っています」

カンベロンの鉄扇が、北へ動く。

「ウジザンネンはシンゲルと同盟を結びました。

エゾリアの援軍が南東へ下れば、チャゲヤスは苦しくなるでしょう」

「それで上様は、チャゲヤスと手を結ばれたんだな」

ヒデヨシは書付へ目を戻した。かつて敵だった国の宰相と、今は味方になる。

誰と戦ったかよりも、これから誰と戦うのかを見なければならない。

ノレイオンはすでにナガマールと会談し、同盟軍の出兵方針を決めていた。

シンゲルがスルガルドへ向かう前にエゾリアへ兵を進め、その騎馬軍団を北方に留める。

ジパング本隊は二万。ヒメノワールへの出兵命令は三千だった。

「いよいよ鍛えた兵を、連れていく時が来たな」

ヒデヨシは顔を上げた。ケンシロンが双撃棍へ手を添える。

「隊の編成を整えます。巡回と門の警備は、残る者へ引き継がせましょう」

出立の準備が進む中、さらに王から命が届いた。

ヒデヨシはジパングの使者としてビワコネーゼへ赴け。

ナガマールと出陣日、進軍路、合流地点を詰めよ。

ヒメノワール軍の総大将はヒデナガとして出兵し直ちに合流せよ。

「俺はナガマール殿に会って、出陣の段取りを確かめる役目か」

【官兵衛… 王同士が方針を定めても、二つの軍が同じ日に同じ場所へ着くとは限りませぬ。

そこを揃える使者が必要にございます】

『わかっとる。三千を率いるつもりが、口一つで二万を動かすお役目になったわい』

〖半兵衛… 兵を動かすのはナガマール王です。私たちは、双方が実行できる協議へ整えましょう〗

ヒデヨシは弟へ王命を渡した。

「ヒデナガ、ハンベータ、カンベロン、ケンシロンと共に三千を率いて本隊へ加われ」

「ああ。兄上も、急ぐあまり無理をするなよ」

ハンベータ、カンベロンが軍略をたて兵糧と荷の手配を担う。

ケンシロンが隊列を組み、ヒデナガが全体を率いる。

町の役人へ留守の仕事を渡し、港と倉の報告を途切れさせないようにした。

ヒーミコとガラシャンは大誓堂に残る。トモとアサヒ、ティファも、町で暮らす人々を支えた。

セリーンは、ヒデヨシの前へ立った。

「ヒデヨシ殿、道中の護衛に私をお連れ下さい」

「お母上のそばを離れても、大丈夫なのか?」

「母上にも、ヒデヨシ殿をお守りするよう申しつかりました」

理知的な目が真っ直ぐにヒデヨシを見る。ヒデヨシは笑ってうなずいた。

二人が湖へ向かうころ、三千の兵はヒデナガの指揮で出立した。ジパング本隊へ加われば二万三千。

ビワコネーゼへ要請した二万と合わせ、連合軍は四万三千となる。

迎え撃つエゾリア軍は、騎馬軍団を中心とする二万。

数では勝る。だが、湖畔の兵はまだ動いていなかった。

オウミ湖は、空をもう一つ地上へ置いたようだった。

遠くの山並みを映す水面に、白い城壁が浮かんでいる。舟が岸を離れ、城へ向かう。

櫂の音の間に、湖を渡る風が頬へ触れた。

「綺麗で壮大な湖だな」

船縁に手を置いたヒデヨシの隣で、セリーンも湖へ目を向けた。

「はい、とても綺麗です。この景色を守らねばなりませんね」

城の広間で迎えたナガマールは、飾り立てた威圧とは無縁の青年だった。

ヒデヨシの名を聞くと自ら進み出て、その手を取った。

「義兄上から伺っております。オケハザードでお命を救い、ヒメノワールを蘇らせたヒデヨシ殿ですね」

「皆の力です。俺一人では、港の溝一つ片づきません」

「それを御自身の功になさらないところを、義兄上は好まれるのでしょうね」

微笑んだ青年の隣に、気品ある女性がいた。

ノレイオンの妹、王妃オーイオチャ。傾国の四美女に数えられ、絶世の美女とも称えられる人だった。

ナガマールに紹介され、ヒデヨシは王妃へ姿勢を正した。

「兄がお世話になりました。どうか、今日も夫へお力をお貸しください」

穏やかな声に、セリーンも一礼する。

王妃の傍らから、幼い娘が顔を覗かせた。母の衣を握りながらも、客人を知りたそうに目を上げている。

「私たちの娘、ルイボスです」

ナガマールが娘の肩へ優しく手を添えた。

「ルイボスと申します」

小さな礼を受け、ヒデヨシも膝を折って目の高さを合わせた。

「ヒデヨシです。会えて嬉しいよ」

娘がはにかむと、オーイオチャがその背を撫でた。王と王妃の間に立つ幼い娘の姿に、

ヒデヨシは、この湖で守られる日々の暮らしを感じた。

協議でナガマールは二万を出す支度を示したが、民の荷車を奪えば収穫物を運べないと案じた。

「軍の糧を集めるために、民の食を断つことは避けたいのです」

「荷を小分けにして、先に倉へ送れませんか。兵と荷車を出す日も分けましょう」

兵站の担当へ確かめ、出陣日と進軍路を定める。

遅れた際の伝令と合流の手順も決め、敵騎馬を数だけで追わぬことを申し合わせた。

「四万三千が揃うまで戦わない。無駄に兵を死なせる事はしない。それが大事です」

ヒデヨシの言葉へ、ナガマールがうなずいた。

「そのためにお越しくださったのですね。ヒデヨシ殿、よくわかりました」

日が傾くころ、二人は湖へ向いた回廊を歩いた。

協議の間には語らなかったことを、ナガマールがぽつりと口にした。

「義兄上は、この湖の向こうまで見ておられます」

「エゾリアの事でございますか?」

「もっと遠くにございます」

ナガマールは欄干へ手を置いた。

「ヒューマニアを、和をもって天下一統し国同士で奪い合う力を外へ向ける。

港を開き、学び合い、民を豊かにする。そうして世界の七か国を一つに結ぶ。

それが義兄上の夢なのです」

ヒデヨシの目が、水面から青年へ戻った。

「上様は、世界の七カ国まで考えていらしておられたのですね……」

「ただ旗を立てるだけでは、成したことにならぬとも仰いました。

異なる民が共に生きられなければ、また奪い合いになりますから」

ヒデヨシは、ノレイオンから預かった町を思った。

人間族も狼人族も同じ水場で水を汲み、異国の船が同じ港へ入る。

小さな町で始めたことが、王の夢の一端へつながっていた。

『上様は、そこまで先を見ておられたか』

【官兵衛… 港を開いた御館様にも、その道の難しさはおわかりでしょう。

願うだけでは、人は共に暮らせませぬ】

ナガマールの横顔へ夕日が差した。

「私の夢は、その傍らに立つことです。義兄上が進まれるなら、私は全力でその夢を支えたい」

王の言葉なのに、兄を慕う弟の響きがあった。デヨシは、自然に一歩近づいた。

「ナガマール殿が上様の夢を支えられると仰せであれば、俺は上様の夢の先陣を務めましょう」

ナガマールが振り向く。

「ヒデヨシ殿も、共にその夢を追ってくださるのですか」

「もちろんです、俺も出来る事は全力でやります。ナガマール殿、共に歩みましょう」

「私も同じ思いです。どうか、末永くお力をお貸し頂きたい、戦友として」

差し出された手を、ヒデヨシが握った。青年の掌には優しい温もりがあった。

「よろしくお願いいたします、ヒデヨシ殿」

「こちらこそ。ナガマール殿、一緒に上様をお支えしましょう」

遠くで見守っていたオーイオチャが、ふっと笑みをこぼした。

公務の間は背筋を張っていた夫が、今は戦友と肩を並べている。

その傍らで、セリーンもヒデヨシの笑顔を見つめていた。

回廊の向こう、柱の陰には別の視線があった。前王ヒサマールは、息子へ集まる賞賛を聞いていた。

湖の商いは栄え、家臣は若い王を頼る。

ノレイオンの妹を娶り、その美しい妻までもが、息子を誇らしげに見ている。

かつて同じ場所で、自分へ向けられていた眼差しだ。

『わしが築いた国だというのに』

握った指が、柱の冷たい石へ食い込んだ。シンゲルから届いた密書には、ノレイオンとの同盟を止めよ。

エゾリアへ兵を向けるな。その誘いは、息子の決定を覆す機会にも見えた。耳の奥へ、声が滑り込む。

「お前が築いたこの国を、あの息子が奪ったのだ」

振り返っても、誰もいない。誰の声なのか、ヒサマールにはわからなかった。

強大な邪気が、胸の内にある嫉妬へ食い込んでいく。

「妻も、家臣も、国すらも。あの息子は全てを手にし、お前から全てを奪った」

違う、と退けるはずの言葉が出なかった。強大な邪気が袖の内側に滲み肌にまとわりついた。

その晩、宴の席は和やかだった。

ナガマールはヒメノワールの水道に驚き、オーイオチャは大誓堂で働く人々の話へ耳を傾けた。

ヒデヨシが失敗した工事まで話すと、セリーンが横から順序を補い、また笑いが起こる。

杯を重ねたヒデヨシは、寝所へ戻る前に湖風へ当たった。セリーンが隣へ来て、水を渡す。

「飲みすぎです」

「いい戦友ができた晩だし、少しくらいいいだろ」

「明朝、馬に乗れなくなっても知りません」

水を飲み、しばらく二人で湖を眺めた。酔いの熱が引くにつれ、昼間の話が胸へ戻ってくる。

「俺も、上様の夢を共に見てみたい。港の先には、どんな人がいるのか。

争わずに暮らせる道があるのか」

「そうですね、それならその夢に私もお供させて下さい」

ためらいのない返事に、ヒデヨシは彼女を見た。

「きっと果てしなく遠い道になるぞ」

「知っています。ですがヒデヨシ殿と一緒であれば、遠くてもその夢はきっと楽しいと思いますので」

いつも整った言葉で身を律する娘が、今夜は少しだけ顔を赤くしている。

その愛らしさに胸が熱くなった。

「セリーン。今夜はもう少し、俺の傍にいてくれないか」

彼女は水の器を置いた。

「護衛として、では無くですか?」

「護衛としてでは無く一人の女性として、ただのセリーンとして傍にいて欲しい」

湖の音が二人の間を満たした。セリーンが近づき、彼の手へ自分の手を重ねた。

「私も、ヒデヨシ殿のお傍にいたいのです」

ヒデヨシはその手を握り返した。寝所へ招く前にもう一度目を合わせると、彼女は静かにうなずいた。

戸を閉じ灯が落ちた。二人は互いの温もりを確かめながら、一夜を共にした。

ヒデヨシの魂気がセリーンの体内に幾度も、幾度も流れ込み、溢れ出た愛に二人は包まれた。

翌朝、セリーンは先に身支度を済ませていた。ヒデヨシが近づくと結び目をもう一度直した。

「おはよう、セリーン」

「お、おはようございます……主様」

初めての呼びかけに、ヒデヨシは瞬いた。セリーンは頬を染めたまま、それでも今度は彼を見つめた。

「今日から、そうお呼びしたいのです。よろしいでしょうか」

「もちろん。セリーンがそう望むなら」

セリーンは目を逸らし、結び直した帯へ手を置いた。

「帯は、もう結べてるよ」

「わかっております、主様」

差し出した手を、彼女が一瞬だけ握った。

「主様。本陣へ戻られるまで、ご無事でいてください。私も、お守りいたします」

「ありがとう。俺もセリーンを守る。一緒に帰ろう」

見送りの場で、ナガマールは出陣日と合流地点を記した書付をヒデヨシへ渡した。

「約束どおり、二万を率いて参ります。ヒデヨシ殿、義兄上へそうお伝えください」

「分かりました。上様へお伝えします。俺も、お待ちしています」

ナガマールが笑い、オーイオチャが二人の無事を願った。母の隣で、ルイボスが小さな手を振っている。

ヒデヨシも手を振り返した。

舟が城を離れる。セリーンが隣に座り、今度は目が合ってもすぐには逸らさなかった。

櫂が水を切った時、ヒデヨシはふと城を見上げた。奥の窓に、こちらを見下ろす老人がいる。

「あの窓の御方は?」

「前王ヒサマール様です。ナガマール陛下のお父上にございます」

舟を操る城の船頭が答えた。ヒサマールの袖口に、薄く揺れる魂気が見えた。

だが、縁だけが黒ずみ、内側へ絡みつくように歪んでいる。

風は暖かい。それなのに、ヒデヨシの背へ冷たいものが触れた。

オケハザードでヨシモーンの刃に感じた悪寒が、一瞬だけ胸をよぎる。

『……今のは、何じゃ』

目を凝らした時には、老人は窓の奥へ退いていた。魂気の歪みも、もう見えない。

何かがおかしい。その感覚だけが残った。

ヒデヨシは玉鋼刀の柄から手を離した。友の父を、見えた一瞬だけで決めつけるわけにはいかない。

それでも、城の窓が遠ざかるまで、その方角から目を離せなかった。

湖岸へ渡った二人は馬に乗り、ジパング本陣へ帰還の途についた。

その姿を、ヒサマールは奥の窓から見下ろしていた。息子は出陣する。家臣も兵も、息子に従う。

胸の奥へ絡む強大な邪気は、夜の間にも濃くなっていた。まだ人として踏みとどまるものがある。

だが、その最後の境目までもが、正体のわからぬ強大な邪気に侵されようとしていた。

『ここはわしの国だ』

「ならば、取り戻せ」

ヒサマールは、シンゲルの密書へ手を伸ばした。

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