第7話 獣人女子
潮の匂いが、風に混じり始めた。
王都で用意した馬車を西へ進め、ヒデヨシたちは港町へ近づいていた。
ヒデナガが手綱を取り、ハンベータは別の馬で進む。
トモとアサヒは荷の少ない車内から、道の先を覗いている。
腰の無尽金瓢に触れたヒデヨシは、まだ見ぬ港へ思いを巡らせていた。
その時、丘の向こうで金属の打ち合う音が響いた。
〖半兵衛… 前方で戦闘。道を塞ぐ馬車の周囲に、武器を持った者がいます〗
「ヒデナガ、止めてくれ」
丘を越えた先に高貴な馬車があった。横倒しの荷箱に護衛の男が重なっている。
少し離れた二人も動かない。
その傍らで、女剣士が双剣を振るっていた。
踏み込むたびに力強さが伝わってくる。気迫の魂気が揺れる。
二本の刃にも乱れはない。右で斬撃を流し、左で敵の腕を払う。
背後には、気品ある女性が一人。女剣士を、盗賊たちは半円に囲んでいる。
【官兵衛… 正面へ意識を集めさせ、背後の一人が近づいております】
木陰から男が抜けた。女剣士が右手の敵を押し返すが背中へ短刀が迫った。
「伏せろ!」
ヒデヨシは走り込み、玉鋼刀で短刀を跳ね上げた。掌に痛みが走る。
それでも、相手の懐へ肩を入れ、崩れた身体へ柄頭を叩き込んだ。
女剣士が振り返る。
「君は前を。背後は俺がやる!」
一瞬目が合った。女剣士は頷き、正面へ向き直った。
ヒデナガは鉄刀を抜いて馬車へ回り、女性を扉の陰へ導いた。
「こちらへ。俺の後ろにいてください」
道の反対側では、盗賊がトモとアサヒへ走っていた。トモが妹を車内へ押し戻す。男の刃が追った。
軍配がその手首を打ち、軌道を逸らした。ハンベータは二人の前へ入り、続く一撃を半身でかわす。
刃先が袖を裂き、腕に細い血の筋を作った。
表情を変えず、軍配の柄で顎を打ち上げ、もう一人の膝を払う。
「トモ殿、扉を閉めて。アサヒ殿と中でお待ちください」
女剣士の双剣が、盗賊の頭目を追い詰めた。ヒデヨシが退路へ踏み込むと、男は斧を振り上げる。
【官兵衛… 振りかぶる時に脇が開きます。御館様、受け止めず、外へお退きください】
身をかわし、伸びた腕を斬る。女剣士の刃が胸元へ走り、頭目は崩れた。
残る盗賊も刃を向け続けたが、守る必要のなくなった双剣は速かった。そして最後の男が倒れた。
「お怪我は」
女剣士が馬車の女性へ駆け寄った。
「私は大丈夫です。セリーン、あなたこそ」
母の手が娘の頬へ触れる。その後、二人の視線は倒れた護衛へ向かった。
ヒデヨシも膝をつき、三人を確かめた。息はなかった。
「……間に合わなかったか」
セリーンが双剣を納め、唇を噛む。気品ある女性は三人の前へ跪いた。
「この者たちを弔いたいので、お手をお借りできますか」
「もちろんです。手を貸します」
道の脇に三つの墓を掘った。トモとアサヒが野の花を供え、女性が祈りを捧げる。
セリーンは最後の土をかけるまで、傍を離れなかった。祈りを終えてから、母娘は改めて頭を下げた。
「私はテンノウジの誓教主、ヒーミコと申します。この娘はセリーン。お救い下さり感謝いたします」
「俺はヒデヨシ。姉のトモ、弟のヒデナガ、妹のアサヒ。それからハンベータ殿です」
「ヒメノワールで誓教の布教を行うために向かう途中でした」
ヒーミコの目が、傾いた馬車へ移った。
〚金兵衛… 車軸の根元まで傷んでいます。御館様、ここで直すより、町で材料を揃えるほうが確実です〛
ヒデヨシは車輪を見て頷いた。
「俺たちもヒメノワールへ向かっています。よければこちらの馬車に乗ってください。荷も運びます」
必要な荷を積み替え、ヒデヨシは壊れた馬車から馬を解放し跨った。
トモはハンベータの袖へ目を留めた。
「腕を見せてください。私をかばって……」
「浅い傷です。布を巻けば差し支えありません」
「浅くても、血が出ています」
差し出した布を青年が受け取る。トモは結び目を確かめ、ようやく小さく息を吐いた。
車内のセリーンは、窓の外のヒデヨシを目で追っていた。
戦いの最中、初めて背後を任せた相手。その温もりの意味は、まだ分からなかった。
「疲れたか? 町までもう少しだよ」
「いえ。大丈夫です」
答えた先に、ヒメノワールの港が見えた。港に船がいる。
だが、町の門は片側が傾き、水路には屑が詰まり、岸壁に繋がれた綱は擦り切れていた。
酒に酔った傭兵が道を塞ぎ、ゴロツキが露店から金銭を取る。
娼婦が客の袖を引く隣を、鎖で繋がれた人々が歩かされていた。
「これが、海の玄関か」
ヒデヨシは声を落とした。
【官兵衛… 御館様、書付だけでは見えなかった傷みです。まず民と町を確かめましょう】
『聞くのと見るのでは違うのぉ』
中央の広場に人が集まっていた。台の上で奴隷商人が手を叩く。
「さあ、ご覧あれ! こちらの娘は、そうそうお目にかかれぬ上物だ!」
紫に銀の筋が交じる髪を三つ編みにした女性が引き出された。鎖に繋がれても、背筋は折れていない。
美しい顔を持ち上げ、群衆を静かに見返す。その姿に男たちが身を乗り出した。
「ガラシャンだ。今は亡きコシヒカリ王国の王女。そして傾国の四美女の一人だぞ」
ヒデヨシの隣で、ハンベータの目が細くなった。
「オーイオチャ、ガラシャン、イナリヒメ、カイロヒメ。
ヒューマニアで、その美しさを称えられる四人です」
値が次々と上がる。仕立てのよい服を腹いっぱいに張らせた肥満の貴族が、
最後に高値を叫んだ。商人の槌が鳴る。
「落札!」
私兵が女性を台から引きずり下ろした。次に押し出されたのは、白銀の髪の女性だった。
髪の間から狼の耳が覗く。獣人族の娘は、鎖を握ったまま唇を結んでいた。
「こちらは獣人! 若く、身体も丈夫だ!」
「待て」
広場の声が途切れた。ヒデヨシは台の前へ進む。
「営業の許可証と、この人たちを売る根拠の書付を見せてくれ」
商人は一瞬顔を歪め、それから鼻で笑った。
「何だ、小僧。買う金がないなら下がってろ」
「書付を見せてほしいと言ってるんだ」
「ここは旦那方のお墨付きだ。余所者が口を出す場所じゃない!」
商人が見た先には、役所の印を帯びた役人がいた。役人は目を逸らし、衛兵へ顎をしゃくる。
〖半兵衛… 商人は許可証を示さず、有力者の後ろ盾を主張しています。役人も取引に加わっています〗
「無許可の商いを、役人が黙って見過ごすのか?」
「黙れ! 引っ立てろ!」
衛兵の槍が、ヒデヨシの胸へ伸びた。玉鋼刀が槍先を払う。
「ヒデナガ、台の者を守れ! ハンベータ殿、馬車の前を!」
「任せてくれ、兄上!」
ヒデナガが台へ駆け、白銀の娘を槍の届かぬ方へ引いた。
セリーンは馬車を降り、母とトモたちを背に双剣を抜く。
「ここは私にお任せ下さい」
広場が悲鳴に包まれた。剣を抜く傭兵に、逃げる客。商人は衛兵の陰へ潜り込んだ。
ヒデヨシは槍を横へ流し、柄で兵の顔を打つ。
正面から力で押さず、荷箱の間へ誘って長い柄を詰まらせた。掌の傷が疼く。
『一人ずつじゃ。まだ手が痛むのでな』
【官兵衛… その間合いです。御館様、掌を庇い、狭い場所を生かしてください】
隣でヒデナガが槍を受け流し、台へ上がろうとする兵を押し戻す。
ハンベータの軍配は攻撃の手首を狙い、セリーンの双剣は馬車への道を断った。
騒ぎの端で、肥満の貴族がガラシャンの鎖を引いていた。
「行くぞ!ガラシャン。金は払った!」
私兵を壁にして路地へ逃げ込もうとした時、その先に一人の青年が立った。
両手に、二本の棍。
「その手を離せ」
私兵が斬りかかった。右の棍が刃を弾き、左が脇腹へ沈む。
倒れる身体を避けて踏み込み、次の兵の膝を砕く。
二本の棍は別々に動きながら、一つの間合いを作っていた。
「ケンシロン……!」
ガラシャンの声が震えた。青年の視線が一瞬だけ彼女へ向く。
「悪いな、遅くなってしまった。ガラシャン、迎えに来たぞ」
私兵の最後の一人が倒れた。貴族は短剣を抜き、ガラシャンを盾に引き寄せようとする。
棍がその手を打った。短剣が跳び、続く一撃が貴族の胸を捉える。
巨体が石畳へ沈み、鎖を握っていた指が開いた。
ケンシロンは拾った鍵で彼女の手を解き、震える身体を抱きしめた。
「やっとみつけた。もうお前の傍から二度と離れない」
ガラシャンは青年の服を掴み、声を詰まらせた。その頃、広場の反対側から黒い影が入った。
全身をフードで覆った人物の手で、鉄扇が開く。
槍を受け止めた扇が閉じ、兵の指を挟んで武器を落とさせた。
踏み込んだ肘が顎を打ち、次の敵へ扇の縁が走る。
「台の裏だ。商人を逃がすな」
声に応じたハンベータが、逃げ出した男の前へ回った。
「どこに行く気ですか?逃がしはしません」
衛兵の隊長がなおも剣を掲げる。
「役人に刃向かった罪、ただでは済まさんぞ!」
「その役人を監督するためにここへ来た」
ヒデヨシは無尽金瓢から任命書を取り出した。広げた書付に、ジパング王の印が現れる。
「ノレイオン陛下に任命された、ヒメノワール都督のヒデヨシだ。皆今すぐ武器を捨てろ!」
隊長の顔から血の気が引いた。役人が膝を折り、貴族たちの口が開いたまま止まる。
最初の槍が落ちた。その音を追うように、剣と槍が石畳へ重なっていった。
「鎖を解け。商人と関与した役人は拘束する。帳面も金銭も、勝手に動かすな」
ヒデヨシは周囲を見渡した。
「売られた人は一旦保護する。金銭を支払ったからといって、連れ出すのは許さない」
ヒデナガが名前と怪我を確かめ、セリーンが檻を開けた。
ヒーミコは衰弱した者のそばへ座り、トモとアサヒも水を配る。
白銀の娘は差し出された椀を見つめた。
「私に…今度は代わりに、何をさせるつもりなの?」
「何もさせないよ。喉、渇いているだろう?」
アサヒの返事に娘の耳が小さく動いた。ヒデヨシは少し離れてしゃがむ。
「名前を、教えてくれないか?」
「……ティファ」
「俺はヒデヨシ。ここでゆっくり休めばいい。もう大丈夫だよ」
ティファは彼の顔と、アサヒの手の椀を交互に見た。やがて両手で水を受け取った。
まだ、笑みはなかった。それでも、握り締めていた指が少し緩んだ。
関与のない衛兵へ広場の守りを任せ、解放者の食事と宿、負傷者の手当てを用意した。
押収した帳簿と銭は保全し、不正関係者の取調べを始める。逃亡者と背後の者も調べねばならなかった。
『初日から、仕事が山積みじゃな』
【官兵衛… はい。保護した方々の食事と手当て、関与した者の調べを、皆様で分担しましょう】
『まったくじゃ』
ヒデヨシの顔には、疲れと笑みが同時にあった。居館は町の奥にあった。
壁は質素で、門も小さい。だが屋根は残り、井戸も竈も使えた。
案内した役人が、目を伏せる。
「前任の都督は、ご自身の住まいの修繕だけは欠かされませんでした」
「町にも、同じように手を入れてほしかったな」
皮肉を残して、ヒデヨシは中へ入った。
広場の保護と警備が動き始めたことを確認し、居館でも負傷者の手当てを済ませる。
ヒーミコたちには休める部屋を用意した。ようやく夕餉の膳が並ぶ頃には、窓の外が赤かった。
ケンシロンとガラシャンも招いた。ティファはトモとアサヒの隣へ座り、温かな椀を両手で包んでいる。
食べ始めてから、ガラシャンは自分の話を少しずつ語った。
二年前、スルガルド王ヨシモーンがコシヒカリへ侵攻した。
王は死に、国は占領され、王女は国を追われた。
各地を放浪した末、一月前に奴隷商人へ捕らえられたという。
「私を逃がすために、ケンシロンは…それからずっと……」
青年は静かに頷いた。
「俺は先王の近衛騎士でした。生き延びてから、ガラシャンを探し続けていました」
「父がよく自慢げに言っていました。ケンシロンは歴代で最も優れた近衛騎士だと」
ガラシャンの指が、膳の下で青年の手へ触れた。
幼い頃から共に過ごした二人が、言葉より先に互いを確かめている。
ヒデヨシはそれ以上、踏み込まなかった。
「ヨシモーンは、コシヒカリ占領後にジパングへ向かった。
オケハザードで、ノレイオン陛下がヨシモーンを討ち取った」
ガラシャンは目を閉じた。失った国が戻るわけではない。
それでも深く吐いた息の後には、わずかに肩の力が抜けた。
「今はまず食べよう。先のことは、これから一緒に考えればいい」
ヒデヨシが椀を持ち上げると、アサヒが頷いた。
「温かいうちに食べた方がおいしいよ」
卓の端で小さな笑いが生まれた。そこへ、広場で助太刀した黒いフードの人物が入ってきた。
捕らえた者を引き渡し、町を回って戻ったらしい。ハンベータが顔を上げる。
「久しぶりですね」
鉄扇が卓へ置かれた。フードの下から、凛々しい顔立ちの青年が現れる。
「会いに来るとは聞きましたが、ずいぶん騒がしい到着ですね、ハンベータ」
青年は口元を緩めた。
「こちらが友のカンベロンです」
ヒデヨシは椀を持ったまま二人を見比べた。ヒメノワールへ会いに行く友。
その男はすでに、戦場でヒデヨシの背中を支えていた。




