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第23話 夢幻の如く

ジパングへ帰還して、数日が過ぎた。王城へ続く道を、白い花を持った人々が埋めていた。

店の戸は閉じられ、軒先の灯が昼の光の中で小さく揺れている。

いつもなら荷を呼び込む声のする広場にも、この日は靴音と、花を包む紙の擦れる音だけがあった。

王城の祭壇には、三つの柩が並んだ。

ジパング王ノレイオン。重臣筆頭ミツヒデン。そしてスルガルド宰相チャゲヤス。

イナリヒメは兄の遺体を故国へ連れ帰った後、

ジパングで共に国葬を行うため、改めて柩に付き添って来た。

傍らにはヒデナガとハンベータがいた。

各地へ送られた知らせを受け、留守を任せる者を定めた仲間たちも、順に王都へ入っていた。

ミツヒデンの柩に、亡骸はなかった。王城に残されていた遺品が、白布に包まれて納められている。

喪主を務めるヒデヨシとイナリヒメが、祭壇の前に立った。

ヒーミコの祈りが、静かに広間へ渡る。

ヒデナガは負傷した腕を下ろし、兄とイナリヒメを見守っていた。

ハンベータとカンベロンがその後ろに並ぶ。

ケンシロンの隣では、ガラシャンが両手で花を持っていた。

ユキムランとカイロヒメは、揃って深く頭を垂れた。

セリーンの傍らにはトモとアサヒ、ティファがいた。

白金の小さなタマも、彼女の足元で尾を伏せている。

ルイボスはマサムネルと手を繋ぎ、祭壇を見上げていた。

ヒデヨシはノレイオンの前へ進んだ。

王都へ招かれた日には、こんな場所に立つことになるとは思わなかった。

名も家柄も持たない自分を、王は働きで見てくれた。

叱り、笑い、時には隣で同じ膳を囲んだ。胸へ当てられた拳の感触が、まだ残っている。

花を置き、頭を下げた。別れの言葉を口にすれば、声が崩れそうだった。

次の柩の前で、足が止まる。ミツヒデンが地図を押さえていた手を思い出した。

こちらの策へ問いを重ね、兵糧と王都の守りを確かめていた声も。

あの刃が上様の命を奪った。

花を握る指に力が入った。やがてヒデヨシは指を緩め、白布の前へそっと花を置いた。

「上様を、長く支えてくださったこと……忘れません」

許せたのか、自分でも分からなかった。それでも、ここまでのジパングにこの人の働きがあったことは、消せなかった。

深く頭を下げる。その隣でイナリヒメが、チャゲヤスの柩へ手を添えた。

「兄上。帰ってまいりました。皆様と、ご一緒に」

言葉が途切れた。ヒデナガが半歩寄ると、彼女は袖で目元を押さえ、自分の足で立ち直った。

ガラシャンはチャゲヤスの前で、長く動かなかった。

「生かしていただいたことを、ずっと覚えております」

ケンシロンが黙ってその隣へ立ち、二人で花を捧げた。

兵も、王城で働く者も、街の人々も続いた。

三人を知る者と、遠くから名を聞いていた者が、同じ祭壇へ頭を下げる。

ルイボスの番になると、ヒデヨシは膝をついた。

娘はノレイオンの柩へ花を置き、小さく呼びかけた。

「伯父様。また、お話ししようね」

マサムネルの指が、小さな手を包み直した。ヒデヨシは娘が振り返るまで、立ち上がらなかった。

祈りの声が終わっても、城外の弔問の列は続いていた。

その夜、王城の一室に夕餉が用意された。

葬儀を終えた皆が席に着いたが、なかなか箸が進まなかった。

カンベロンが温かい汁を勧め、トモがアサヒの椀へ少しずつよそう。

ルイボスはセリーンの近くに座り、隣のマサムネルへ時折顔を向けていた。

今後の話を始めると、食卓の空気がさらに重くなった。

ジパングには、次の王がいない。

コシヒカリでは占拠者ウジザンネンが倒れたが、民の暮らしを立て直す仕事が残っている。

スルガルドはチャゲヤスを失った。

ビワコネーゼの王女は幼く、その後見を引き受けたノレイオンも、もういない。

それぞれの地で働く者は残っていた。だが、この先の大きな判断を、誰が引き受けるのか。

「あれが、始まりに過ぎないのなら……」

ハンベータの声に、ヒデヨシは顔を上げた。

レヴェロンが消える前に残した言葉は、戻ってから皆へ伝えてあった。

あの場にいた者は、声まで覚えていた。

ユキムランが箸を置いた。

「私から、皆様へ申し上げたいことがあります」

隣のカイロヒメが、静かに頷く。

「エゾリアの王位を返上し、五か国をヒューマニアという一つの国にしたい。

そして、その王を兄者にお願いしたいのです」

ヒデヨシは、彼を見つめた。

「……シンゲル殿から受け継いだ国だぞ。それでいいのか」

「はい。カイロヒメとも、話してまいりました」

若い王は妻へ目を向け、それからヒデヨシへ視線を戻した。

「義父たちは、国が違っても、飢えた民を助け合いました。

ですが、その思いだけでは防げなかった戦もありました。

今度は、国として助け合える形を残したいのです」

ガラシャンが膝の上で手を重ねた。ケンシロンはその横顔を見て、黙って頷いた。

「父は、あの日、城門を出ていく兄者の背を見て、私にこう申しました」

ユキムランの声が、わずかに柔らかくなった。

「『よく見ておけ、ユキムラン。天に愛されておる者とは、あいつのような者のことを言う』と」

ヒデヨシは息を止めた。夕日に染まった城門と、湯の中で笑った王の顔が浮かんだ。

「その時は、兄者の強さのことだと思っていました。

ですが、今夜ここに集まった皆様を見ていると……義父が何を見ていたのか、少し分かる気がします」

ユキムランが、食卓を見渡した。

かつて戦った国の者がいた。

故国を失い、逃げ延びた者も、ヒメノワールで新しい暮らしを始めた者もいた。

「父は、私をあなたの義弟にしてくれました。兄者。その縁を、これからも頼らせてください」

イナリヒメが顔を上げた。

「私も、賛成いたします。兄が守ってくれた命です。

これからは私も、誰かを守るために使いたいのです」

「ルイボス様と湖国の暮らしが守られること。それを、何より願っております」

マサムネルの声に、カンベロンが頷いた。

「国を合わせても、明日から全てが変わるわけではありません。

各地の声を聞き、税も、兵の扱いも、順に整える必要があります。

その仕事なら、我々も共に担えます」

ハンベータも、机へ手を添えた。

「皆様の意思を、それぞれの地へ持ち帰って伝えましょう。

正式に国を結ぶ支度も、急いで抜かすわけにはまいりません」

異を唱える者はいなかった。カイロヒメが夫の隣で頷き、ガラシャンも自分の意思で賛同した。

ヒーミコは皆の顔を確かめていた。ヒデヨシは、自分の掌へ目を落とした。

三人の冷たくなった身体を、この手で支えた。

強くなったはずなのに、帰ってきた時、傍らにいてほしかった人々はいなかった。

『余が、国を預かるのか。……また、守れぬことがあっても』

〖半兵衛… 御館様。今、すぐにお答えをなさらなくてもよいのです〗

彼は顔を上げた。

「少しだけ、時間をくれないか」

誰も引き留めなかった。回廊へ出ると、夜風が頬を冷やした。

灯の少ない庭を見下ろす。遠くの城下には、まだ人の暮らす明かりがあった。

ノレイオンと並んで眺めたかった景色だった。

後ろで、陶器の触れる音がした。

「兄上。久しぶりに、どうだ」

ヒデナガが盆を持って立っていた。酒の入った徳利と、四つの盃が載っている。

「気が利くな」

弟は兄の隣へ腰を下ろし、二つを向かいへ置いた。残る二つを自分たちの前へ並べ、酒を注ぐ。

ヒデヨシは、向かいの空いた場所を見た。

「上様と、戦友殿か」

「兄上と、ゆっくり飲みたいだろうと思ってな」

二人は盃を持ち上げた。四つのうち、二つだけが口元へ運ばれる。

ヒデヨシは、湖国で戦友と語った夜の話をした。ノレイオンが見ていた世界の話も。

和をもってヒューマニアを一つにし、交易と学びで、その先の国々とも結びたいと。

「戦友殿は、上様の夢を話す時、楽しそうだった。俺も一緒に支えていくんだって、そう思ったんだ」

ヒデナガが酒を注いだ。

「上様も、兄上が戻ると楽しそうだったぞ。次は何を持ち込むか、待っているみたいだった」

「困った顔も、随分させたけどな」

「それは、これから俺が引き受けるのか」

「頼りにしてる」

弟が呆れた顔で笑った。ヒデヨシも笑う。

すると向かいから、欲のない猿だと笑う声が聞こえた気がした。

その隣では、戦友殿らしいと、湖王が目を細めているようだった。

ヒデヨシは徳利を取り、向かいの盃へ傾けかけた。二つとも、酒が残っていた。

手を止めた。徳利を戻す時、盆に小さな音がした。

「……俺は、お二人に、まだ何も返せていない」

笑った顔のまま、目元が歪んだ。

「夢を引き受けると約束した。でも、皆の命を預かるのが……今は、怖い」

ヒデナガは盃を下ろした。急いで答えず、兄と同じ二つの盃を見ていた。

「兄上。俺は、生きて帰ってくれて嬉しかった」

ヒデヨシが、弟を見る。

「だから、これからも帰ってこい。俺たちにも、上様と戦友殿の夢の手伝いをさせてくれ」

負傷した腕の布が、袖から覗いていた。ヒデヨシはそれを見て、ゆっくり頷いた。

『官兵衛。皆に、頼ってよいのじゃな』

【官兵衛… はい。皆様も、御館様へ頼みたいからこそ、あの席におられます。

互いに助けを求められる国を、おつくりください】

〚金兵衛… 儂もおります。御館様がこれから必要となさるものを、一つずつ形にしてまいりましょう〛

喉の奥が熱くなった。ヒデヨシは盃を持ち直した。

「何やら、楽しそうなお話ですね」

セリーンが回廊の角に立っていた。後ろからトモが皿を運んでくる。

「二人とも、あまり召し上がっていなかったでしょう。こちらへ持ってきましたよ」

「姉上。悪いな」

「冷める前に、食べてくださいね」

セリーンがヒデヨシの隣へ座る。タマはその膝へ収まり、白金の尾を丸めた。

「ヒデヨシ、少し詰めて。私も、話を聞きたい」

ティファに場所を譲ると、アサヒも顔を出した。

「兄さま、ここにいたのね。皆、捜しているのよ」

足音が重なった。ユキムランとカイロヒメ、ケンシロンとガラシャンが来た。

イナリヒメはヒデナガの近くへ腰を下ろし、ハンベータとカンベロンが盆と座る場所を整えた。

ヒーミコもやって来た。最後に、マサムネルに手を引かれたルイボスが、回廊を覗く。

「……皆、来たのか」

ヒデヨシが顔を上げると、ユキムランが微笑んだ。

「兄者たちの笑い声が、聞こえましたので」

やがてシンゲルの湯場の話になった。使者が裸で国の話をしたと聞き、ヒデナガが兄の顔を見た。

「それは、上様にも話したのか」

「話したよ。随分、笑われた」

「義父も、嬉しそうでした。帰ってからも、何度かあの日の話をしていました」

カイロヒメの声は、途中で少し震えた。ガラシャンがそっとその手へ触れる。

誰かが笑い、目元を拭いた。

イナリヒメも、兄がガラシャンの無事を案じていた時のことを、ぽつりと話した。

ケンシロンは黙って耳を傾け、深く頭を下げた。ヒデヨシの前へ、温かな料理が置かれた。

「主様。ひと口だけでも」

セリーンに促され、箸を取る。噛んで飲み込むと、空いていた腹が、ようやく温かさに気づいた。

ふいに、陣羽織の前身頃が小さく引かれた。

「あのね、猿様。この間ね、伯父様がね、お父様とお母様と一緒のお話をしてたの」

ルイボスが、傍らに立っていた。ヒデヨシは箸を置き、身体を娘へ向けた。

「同じ話?」

「うん。お父様とお母様がいないときは、猿様にお話ししなさいって、

ルイボスが言われたって言ったらね、伯父様がルイボスにね、

伯父様がいないときは、猿様にお話ししなさいって」

ヒデヨシの指が、止まった。

娘を託したナガマールの顔が浮かんだ。

冷たくなっていく手を握り、最後まで家族を案じたオーイオチャの声が、胸へ戻ってきた。

そして、ノレイオンの拳。

ルイボスは、三人が同じことを話していたのが不思議だったのだろう。

陣羽織の前身頃を握ったまま、返事を待っていた。

「だからね、猿様。これからも、お話ししに来ていい?」

ヒデヨシは口を開き、一度、唇を結んだ。やがて両腕を伸ばし、小さな身体を抱き寄せた。

「……ああ。いつでもおいで。ちゃんと、ここにいるから」

娘の手が背へ回った。その温もりを確かめるように、ヒデヨシは目を閉じた。

マサムネルは俯き、拳を膝へ置いていた。セリーンが目元を拭う。

トモはアサヒの肩へ手を添え、ヒーミコは静かに二人を見守った。

風が回廊を通り抜けた。

ヒデヨシは顔を上げた。ルイボスを抱く腕を緩め、安心させるように背を撫でてから、皆を見渡す。

「……是非も無し……」

ヒデナガがまっすぐ兄を見た。ユキムランも姿勢を正す。

「上様の夢の続きを、成し遂げたい。戦友殿が娘に見せたかった国を、皆とつくりたい」

声が詰まった。涙を拭い、もう一度、顔を上げた。

「俺は、ヒューマニアの王になる。皆、力を貸してくれ」

最初にヒデナガが頷いた。

「ああ。兄上」

ユキムランが深く頭を下げた。イナリヒメも、カイロヒメも、その決意を受け止めた。

それぞれの地へ戻った後の仕事を思いながら、仲間たちが頷く。

セリーンの手が、空いた彼の手へ重なった。ヒデヨシはその手を握り返した。

「猿様。明日も、ここにいる?」

「うん。明日も、会おう」

ルイボスが頷いた。その向こうに、四つの盃があった。

人の一生は、夢幻の如く過ぎてしまう。

それでも、あの人たちが語った夢を、今ここにいる者は覚えている。

ヒデヨシは自分の盃を取り、向かいの二つへ、そっと寄せた。

触れ合う小さな音を、皆が黙って聞いていた。

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