第24話 猿の王様
戴冠式を翌日に控え、王城の一室に仲間たちが集まっていた。
ヒデナガ、ユキムラン、マサムネル、ハンベータ、カンベロン、ケンシロン。
その隣にカイロヒメ、ガラシャン、イナリヒメが座り、ヒーミコとセリーンも顔を揃えていた。
ヒデヨシは地図を広げた。
国葬の後、各地の代表との協議を重ね、旧五か国を一つにする書付も整いつつあった。
その先を、皆と確かめておきたかった。
「上様は、交易や学びで七か国を結びたいと願っていた。
ナガマール殿も、その夢を支えようとしていたんだ」
彼は地図の外へ目を向けた。
「俺は、自分の目でその国々を見たい。
その国の人と会って話して、ヒューマニアと結べる道を探したい」
ヒデナガは、傍らの帳面を開いた。各地から届いた食糧と人手の報告が、細かな字でまとめられていた。
「なら、兄上、国を出る前に、国を治める仕組みを決めよう。この国が止まらないように」
紙を押さえる弟の手を見た時、遠い記憶が胸をよぎった。
前世にも、こんなふうに自分の夢を聞いてくれる弟がいた。
必要な人を繋ぎ、足りぬものを揃え、揉めた者の間に入った。
自分が先へ進めたのは、その働きに支えられていたからだった。
なのに、いつしか、いてくれることを当たり前にしていた。
いなくなった後で机を見た時の、取り返しのつかぬ空白まで、鮮やかによみがえる。
目の前で、弟が帳面の端を揃えた。
「ヒデナガ」
「どうした、兄上」
「……いや、なんでもない」
弟の指が止まった。ヒデヨシは目を逸らさなかった。
「お前がいるから、俺は先に進める。当たり前だと思わないようにする」
ヒデナガは、兄の顔をしばらく見ていた。やがて、机へ帳面を置く。
「わかった、これからも兄弟で共に力を合わせて進もう、兄上」
ヒデヨシは頷いた。今度は、生きて隣にいるうちに伝えられた。
「国の運営は、お前に任せたい。五家紋になる皆と話し合って、民の暮らしを支えてほしい。
だが、任せた俺が、その責任までお前一人に背負わせるつもりはない」
ヒデナガの目が、まっすぐ兄へ向いた。
「なら、兄上は帝としてこの国を背負ってくれ。俺は王として、皆とこの国を治める」
ユキムランが姿勢を正した。
「私も、その形を願います。兄者はこの国を結ぶ責任を引き受けてくださった。
その立場を、旅に出られるからと失っていただきたくはありません」
国を束ね、その行く末と責任を負うヒューマニア帝。
日々の政を、五家紋との合議で動かすヒューマニア王。
ヒデヨシは二人を見て、深く息を吸った。
「わかった。ただ、俺の返事を待って、民の暮らしを止めないでくれ。
日々の判断は、王と皆に任せる。国の行く末に関わる大事は、俺にも話してほしい」
カンベロンが頷いた。
「意見と判断を、書付に残しましょう。帝が遠方におられる間も、何を決めたか、お伝えできるように」
「急を要する時は俺が決める。だが、兄上へ知らせずに済ませるつもりはない」
弟の言葉を聞き、ヒデヨシは頷いた。
「ああ。全ての責任は、俺が背負う。お前たちが働けるように、俺も働く」
ハンベータが連絡の道筋を整理し、ケンシロンとマサムネルが各地の引継ぎを確かめた。
イナリヒメも、故国の事情を伝えるため机へ身を寄せる。
皆が承知した後、ヒデナガが兄へ顔を戻した。
「一つだけ約束だ。旅先でも、一人で抱え込むな。必ず帰ってこい」
「約束する。困ったら、助けを頼むよ」
「ああ。ここには俺たちがいる」
話し合いの後、兄弟はノレイオンの部屋を訪ねた。
主のいなくなった机に、硯と帳面が残されていた。
ヒデヨシは戸口で足を止めた。今にも、猿かと声が掛かりそうだった。
刀掛けの一振りへ、窓の光が射した。
近づくと、鍔のあたりが淡く光ったように見えた。懐の包みが、かすかに温かくなる。
『金兵衛。折れた玉鋼刀が、応じておるのか』
〚金兵衛… はい、御館様。王の刀も、お呼びしているようでございます〛
布を開くと、回収した刃と柄が現れた。
戦友の願いを受け止め、邪魂との決着まで役目を果たした刀だった。
【官兵衛… 魂気が響き合っております。ですが、王の魂が宿っているとまでは、申し上げられません】
〚金兵衛… 二振りを、創造で組み直せます。
これからの御館様の歩みを支える剣を、儂にお任せいただけませぬか〛
ヒデヨシは弟へ向き直った。
「上様の刀を、この刀と一振りにして、旅へ連れていきたい。許してくれるか」
ヒデナガは刀掛けを見つめた。やがて自ら刀を取り、兄へ差し出す。
「上様が見たかったものを、一緒に見せて差し上げてくれ」
彼は両手で受け取った。
弟が部屋を出た後、二振りを布の上へ並べた。折れた刃の一つ一つへ目を向け、掌を差し出す。
『頼むぞ。守ってきたものを、余も受け継ぎたい』
〚金兵衛… 承りました。欠けた部分も、すべて用いましょう〛
〖半兵衛… 御館様。周囲は私が見ております。どうぞ、お心をお決めください〗
光が、二振りを包んだ。
折れた刃が浮き上がり、王の刀の輪郭へ重なっていく。
金属が光の中で形を変え、以前よりも長い、一本の刀身へ伸びた。
やがて、黒く巻かれた柄が掌へ収まった。
黄金色の長い刃が、窓の光を返していた。
鍔には花の意匠があり、傍らには金の飾りを備えた銀色の鞘が横たわっていた。
ヒデヨシは両手で支え、重さを確かめた。構えを変えると、長い切先が一直線を描く。
「布都御霊。……これからは、お前と歩こう」
《システム… 天啓創造により、絶品「布都御霊」を獲得しました》
〚金兵衛… 御館様。折れたからこそ、次へ受け渡せるものもございます〛
見せたいと思った。笑って名を呼んでほしかった。その人はもういない。
ヒデヨシは剣を支え直し、ゆっくり頷いた。
『うむ。……よい剣じゃ』
銀の鞘へ納めると、長さの違いがいっそう分かった。
これまでと同じように腰へ提げれば、歩くたびに邪魔になる。
〚金兵衛… 長剣となりましたゆえ、背へ負う仕立てにいたしましょう。
肩と胸に重さを分け、鞘が振れぬよう留めます〛
革帯の長さを確かめ、背へ通した。肩を回し、数歩進み、剣の揺れを確かめる。
抜き差しの際には、鞘の留めを外して扱えるよう整えた。
背中に、新しい重さがあった。
その夜、自室に戻った彼を、セリーンが迎えた。
背の剣を外して置くと、彼女は長い鞘へ目を向けた。経緯を聞き、そっと頷く。
「ご一緒に旅をなさるのですね」
「ああ。そう思っていたい」
ヒデヨシは隣へ座り、手を取った。セリーンも指を重ねた。
抱き寄せると、背へ腕が回った。
目を合わせて口づけを交わし、二人は互いの温もりを確かめながら、静かに愛し合った。
夜が深まった頃、セリーンが胸元から顔を上げた。
「主様。母上が、ヒューマニア全土を巡られるおつもりなのです」
誓教を伝え、戦で大切な人を失った者の声を聞きたい。
その願いを、娘は昼のうちに母から聞いていた。
「本堂へ来られない方もおられます。母上は、こちらから伺いたいと」
「母上らしいな」
セリーンは頷いたが、その指が彼の手を握り直した。
「ですが、道中が心配でございます。私も、護衛として同行したいのです」
ヒデヨシは、彼女の顔を見た。
共に海を渡る姿を、思い描いていた。隣にいない旅を考えると、すぐには言葉が出なかった。
「……寂しくなるな」
セリーンの瞳が揺れた。
「私も、ご一緒に参りたかったのです」
「うん。でも、母上を守りたいんだろう」
ヒデヨシはその手を両手で包んだ。
「行っておいで。俺の傍にいるために、お前が大切にしている人を諦めてほしくない」
彼女は唇を結び、やがて深く頷いた。
「主様と歩く旅も、楽しみにしております。ですから、お互いに、無事で戻りましょう」
「ああ。帰ったら、互いの旅の話をしよう」
傍らでタマが、九つの尾を動かした。
「童はセリーンと共に参る。そなたも、戻る約束を違えるのでないぞ」
「分かっています。二人を、よろしくお願いします」
小さな狐は鼻を上げ、再び丸くなった。ヒデヨシは笑い、妻の額へ唇を寄せた。
翌朝、王城に鐘が響いた。
各地の代表が広間へ並び、旧五か国を一つにする書付が確かめられた。
ユキムランがエゾリア王位を正式に返上し、新たな国の名が告げられる。
ヒューマニア。
ヒデヨシとヒデナガが、人々の前へ進んだ。
ヒーミコの祈りの後、ヒデヨシはヒューマニア帝への就任を受けた。
続いて、ヒデナガがヒューマニア王として冠を授けられる。
兄が王位を得て去るための式ではなかった。二人が、それぞれの責任を引き受ける式だった。
「この国を一つに結んだ責任を、俺は背負う。
国政は王と五家紋で執り行い、俺はこの国と世界を結ぶために進む」
ヒデヨシは集まった人々を見渡した。
「そして、皆が困った時、助けを求められる国を、共に造る」
王となった弟が、隣へ立った。
「暮らしに関わる判断を、俺たちが引き受ける。
各地の話を聞き、五家紋と相談して政を進めることを誓います」
二人の間で、手が握られた。
国旗は黒地に金の瓢箪の意匠へ統一された。
城外の広場へも知らせが渡り、旗を見上げる人々の声が重なった。
王都ジパングでは、ヒデナガがイナリヒメと共に国政を担う。
港湾都市ヒメノワールの都督に、カンベロン。
湖畔都市ビワコネーゼの都督に、マサムネル。
産業都市エゾリアの都督に、ユキムラン。
豊穣都市コシヒカリの都督に、ケンシロン。
スルガルドを改称する貿易都市エドウィンの都督に、ハンベータ。
五人を五家紋とし、王と共に国を治める役目が託された。書付を受けた者たちが、互いの顔を見た。
これからは、自分の地のことだけでは済まなくなる。
誓教を国教とし、ヒーミコを国の誓教主に定める。
王都北側、テンノウジ地区のジパング大誓堂を本堂として、
再建と受入れの支度を進めることも告げられた。
ヒーミコは、人々へ深く頭を下げた。式の後、ルイボスが兄弟の前へ来た。
「猿様も、ヒデナガ様も、王様なの?」
ヒデヨシはしゃがみ、娘へ笑いかけた。
「俺は帝で、ヒデナガが王様。二人で、皆とこの国を守るんだ」
娘は少し考え、彼の陣羽織の前身頃を握った。
「じゃあ、お話ししてもいい?」
「もちろん。聞かせてくれ」
小さな声へ耳を傾ける兄を、ヒデナガが見ていた。
冠を受けても、兄はこの子の前で膝を折る。その姿に、弟は微笑んだ。
幾日か後、ヒデナガが兄を城下へ連れ出した。
海沿いの空き地で、職人たちが測り縄を張っていた。
材木が運ばれ、地面には建物の位置が示されている。
「ここは?」
「兄上の御殿を建てる土地だ。俺が監督する」
ヒデヨシは弟と土地を見比べた。
「俺には、今までの家があるだろう」
「俺が王城に住むのに、兄上をいつまでもあの家に住まわせられるか。
帰る場所くらい、弟に用意させてくれ」
「帝だからって、ここまでしなくても……」
ヒデナガが広げた図面を、指で押さえた。
「兄上一人のためなら、ここまで広くしないさ。
皆が帰ってきた時、また一緒に飯を食えるようにしたいんだ」
図には、庭へ続く回廊と、大きな広間があった。
国葬の夜の笑い声が浮かんだ。皿を運ぶ姉、肩を寄せる友、陣羽織を引く小さな手。
空いた二つの盃も、その食卓にあった。
ヒデヨシは、図から顔を上げられなかった。
「……ありがとう。ヒデナガ」
弟は返事の代わりに、その肩を叩いた。
「名前は、兄上が決めてくれ」
「聚楽第。皆が集まって、楽しく暮らせる場所にしよう」
ヒデナガが頷いた。職人へ図を返し、基礎工事の支度を確かめる。
まだ柱も立っていない土地を、潮風が渡った。
その足で、ヒデヨシはセリーンとヒーミコを訪ねた。
「母上。巡業には、私も同行させてくださいませ」
娘の申し出に、ヒーミコが婿へ目を向けた。ヒデヨシは頷いた。
「俺も、セリーンにお願いしました。無理な道は避けて、休みながら回ってください」
「ありがとうございます。ですが、あなた様も、どうか御自分を大切に」
母の返事に、セリーンも頷いた。
各地の都督へ巡業の連絡を送り、道と宿、留守中の本堂の務めを整えてから出ることになった。
それぞれの旅には、それぞれの支度があった。
居室へ戻ると、ヒデヨシは旅衣と書付を並べた。長剣を背負う革帯も、留め具から順に確かめる。
〖半兵衛… 御館様。最初の行先から、一つずつ確かめてまいりましょう〗
『うむ。余の知らぬことは、まだ山ほどある』
セリーンが、ほつれを直した衣を差し出した。
「主様。こちらも、お持ちくださいませ」
「ありがとう。お前も、旅先の話を覚えておいてくれよ」
「はい。戻られた時、ゆっくりお話しいたします」
ヒデヨシは布都御霊を背へ負った。窓の向こうには、まだ見ぬ国々へ続く海があった。
城下では、弟の監督のもと、帰る御殿の工事が始まっている。
妻も、自分の意思で歩く道を選んだ。ヒデヨシは彼女の手を取り、頷いた。
まだ旅支度の途中だったが、帰ってから話したいことが、一つ増えていた。




