第2話 猿の就職
街道を抜けたその先に、巨大な城壁が姿を現した。
人間国ヒューマニアの中南部に位置する都ジパング。その王都は幾重もの水堀と白い石垣に守られ、
中央には天を突くような王城がそびえている。
城門へ続く道には商人の荷車が列をなし、鎧姿の兵士、旅装の冒険者、
色鮮やかな衣をまとった様々な使節が行き交っていた。
「すごい……兄さま、建物がどこまでも続いてる! あれは何のお店かな?」
アサヒが兄の袖を引く。トモは妹の手を取り、人の流れを確かめた。
「気になりますね。まずは皆で落ち着いてから、見に来ましょう」
トモは果物の店を覚えておくように一度振り返り、妹を列の内側へ寄せた。
「姉さん、アサヒを頼む。俺は後ろを見てるから」
ヒデナガは二人を人の流れの内側へ寄せた。その目は、
雑踏の流れや兵士の配置まで静かに確かめている。
ヒデヨシは王城を仰いだ。
「あれがジパングの王城か。なるほど、見事な城だな」
〖半兵衛… 王城は北と東を川に守られ、西に大市、南に兵舎を備えています。
防衛と統治を兼ねた配置です〗
【官兵衛… 城門の警備兵は精鋭です。ただし、難民と行商人の増加で検問が滞っております。
堅固な門でも、検問を担う者が疲れれば見落としが生じます。列の混雑にも注意が必要です】
〚金兵衛… 石垣は見事な仕事です! 御館様、構造を確かめられれば、儂も築城へ生かせます〛
『おぬしらも、王都へ入ったばかりだというのに熱心じゃのう』
三兵衛の声に苦笑しながら、ヒデヨシはノレイオンの一隊に続いて城門を通った。
王に招かれたとはいえ、ヒデヨシたちの姿は王城に似つかわしくない。
煤の染みた衣、擦り切れた草履、わずかな荷物。それ以外には何も無かった。
ノレイオンは城門を入ると、振り返らずに告げた。
「ヒデヨシ、お前はついて来い。三人には部屋と食事を用意させる。しばらく休んでろ」
「兄さま、一人で大丈夫?」
アサヒが心配そうに袖を掴む。
「心配しなくていい。飯を食って待っててくれ」
「兄上、相手は陛下だぞ。思いついたまま口に出すなよ」
「分かってる。ヒデナガ、二人を頼む」
そう言い残しヒデヨシは笑い、ノレイオンと共に王城へ向かった。
白亜の廊下を抜けた先に、評定の間があった。
正面の高座に腰掛けるノレイオン。その左右には文官と武官が並び、最前列に細身の男が立っている。
隙のない立ち姿、冷静な瞳。ジパングの軍務と政務を支える重臣筆頭、ミツヒデンである。
ヒデヨシが進み出ると、列席者たちの視線が一斉に突き刺さる。
「陛下。この者が、道中で拾われた男ですか」
ミツヒデンの声は礼を失してはいないが、一語一語が相手の真意を測るように鋭かった。
「そうだ。日輪村で村人を指揮し、盗賊を退け、崩れた橋を知恵で見事に直した者だ」
「功績は認めますが、陛下が召し抱えるとなれば話は別です。家名もなく、素性を保証する者もいない。
敵国の間者でないと、証明が出来ません。」
重臣たちが頷いた。
「農民風情に政や軍略が分かるはずがございません」
「陛下のお気まぐれで城へ入れては、秩序が保てません」
「まず雑兵として働かせ、陛下への忠義を確かめるべきです」
重臣たちの嘲りと警戒が評定の間を満たす。ヒデヨシは頭を下げたまま、彼らの声を聞いていた。
【官兵衛… 警戒の強い場です。御館様、
ミツヒデン殿は出自の不明な者を国家の安全に照らして見ております】
〖半兵衛… 反論だけでは彼らの懸念を覆せません。陛下は、実力を示す場を用意していると推測します〗
「顔を上げろ、ヒデヨシ」
ノレイオンが、顔を上げた青年へ問いかけた。
「今の言葉を聞いて、どう思う」
「ごもっともです。俺が重臣でも、素性の分からない者を警戒します」
予想外の返答に広間が静まる。ミツヒデンはわずかに目を細めた。
「では、ヒデヨシ殿は仕官するつもりはないう事ですな」
「いいえ、俺は家柄ではなく、仕事の結果で証明するしかないという意味で話をしています」
「無礼な!」
武官の一人が腰を浮かせた。
「座れ」
ノレイオンの一声が、広間の空気を切り裂く。
「俺は、ヒデヨシを試すために連れてきた。口を挟むな」
高座の前へ、大きな盤が運び込まれた。山、川、街道、城、村を刻んだジパング周辺の地形盤である。
赤と青の駒が、国境沿いに配置されていた。
「南東の国境で、スルガルド軍が集結しているとの報告がある」
ノレイオンは赤い駒を指で弾いた。
「敵は一万。こちらは五千。三日後に国境の砦へ到達すると仮定する。お前ならどうする」
重臣達がざわめく。国家機密に近い情報を、つい昨日まで一農民の青年へ問う話ではない。
ヒデヨシは盤の前へ歩み寄った。
「兵糧は、何日分ありますか」
「砦に十日分。王都からの増援は最短で七日だ」
「国境の民は、もう避難していますか」
「まだだ」
「それなら、砦だけを守る策では負けます」
「理由を言え」
「敵は一万。砦を囲みながら、周辺の村々で食糧を奪えます。
こちらは民を守りながらの戦いになります。
時が経つほど敵が肥え太り、味方が痩せ細る戦になります」
ヒデヨシは北の山道へ青い駒を置いた。
〖半兵衛… 街道東側の谷は幅が狭く、大軍の展開には不向きです。
西の湿地は降雨後、馬の進行速度を大きく低下させます〗
【官兵衛… 敵軍一万を正面から受ければ、こちらの負担は大きくなります。
補給路を断ち、増援まで持ちこたえる手立てが必要です。
兵数だけを比べず、守る場所と退く道もお確かめください】
「まず民と食糧を砦の後方へ移し、砦には千五百を残す。
その上で守りに徹し、二千は山道へ伏せさせ、敵の補給隊のみを狙う。
残る千五百は西へ旗を立て、増援が到着したように見せかける」
「何を言っている。兵を三つに分ければ、各個に潰されるのがオチではないか」
武官が即座に反論した。
「それは敵に居場所を知られた場合の話です。なので砦では篝火の数を変え、守兵の数を悟らせない。
伏兵は敵本隊と戦わず、兵糧を狙います。西の部隊は戦うのではなく、退路を意識させるための囮。
七日耐えれば、王都の増援と挟めます」
ミツヒデンが盤を見つめたまま問う。
「敵が補給を待たず、初日に総攻撃を仕掛けた場合は」
「狭い谷を越えた直後なら、一万を一度には動かせません。
砦の弓兵で先頭を止め、後続が詰まったところへ山上から岩と丸太を落とす。敵は数の利を失います」
「敵が民を盾にした場合は」
「だから、戦う前に民を逃がすんです。城を守って民を失えば、それは勝利とは言えません」
その言葉に数人の文官が顔を上げた。ノレイオンは笑みを浮かべたが、まだ終えなかった。
「策は悪くない。だが、盤上の兵は黙って命令に従う。
現実の兵は、農民のお前を侮る。誰も従わなければどうする」
「まず、俺が先陣へ立ちます」
「勇敢さを見せるためか」
「自分が命を懸けないまま、兵にそれを求めるつもりはありません。功ある者には身分を問わず報い、
命令への違反も家柄を問わず裁く。公平だと分かれば、従ってもらえるはずです」
「口では何とでも言えるわ」
ミツヒデンは表情を動かさず、盤上からヒデヨシへ目を移した。
「ですので、働く機会をお与えください。仕事の結果にてご判断頂ければと思います」
ヒデヨシは一歩も退かず、ミツヒデンの目を見返した。
沈黙が続いた。やがてミツヒデンはノレイオンへ向き直る。
「出自の懸念は消えておりません。しかし、少なくとも愚者ではないですな。
監視を付け、限られた仕事から試すのであれば、反対はしません」
「ほぉ、ずいぶん高く買ったな、ミツヒデン」
「陛下が拾われた才を、確かめようというだけでございます」
ノレイオンは満足そうに頷き、高座から立ち上がった。
「ではヒデヨシ。今よりお前を家臣の末席に加える。仕事で価値を示せ」
「承知いたしました。このヒデヨシ、謹んでお仕えいたします」
「功を立てれば身分を問わず報いてやる。結果を示せ」
「その約束、覚えておきます」
「俺に約束を守らせたければ、お前も期待を裏切るな」
《システム… ノレイオンへの仕官が成立しました》
無機質な声が告げる。ヒデヨシは深く頭を下げた。
頭を下げながら、ヒデヨシは先ほどの盤を見た。駒には家族も故郷も描かれていない。
だが、動かす兵には帰りを待つ者がいる。
認められた喜びだけで、この席へ座るわけにはいかなかった。
三兵衛の助言を聞き直し、分からないことは尋ねる。まずはそこから手を付けると決めた。
その瞬間、評定の間の大扉が乱暴に開いた。泥にまみれた伝令兵が転がり込む。
片膝をついた兵の額からは血が流れていた。
「急報です!スルガルド王ヨシモーン率いる軍勢が国境を越えました!
先鋒およそ三千、後続を合わせれば一万を超える見込みです!」
広間の空気が凍りついた。先ほどまで盤上の仮定にすぎなかった敵軍が、
現実となって国境を踏み越えたのだ。
「侵攻路は」
ノレイオンの声から笑みが消える。
「南東街道です。国境の村が襲われ、砦から援軍要請が届いています!」
ミツヒデンは即座に家臣たちへ指示を飛ばした。
「全軍へ召集。城門を閉じる前に、南東方面の避難民を受け入れ、
兵糧庫と武器庫の在庫を直ちに確認せよ」
重臣たちが一斉に動き出す。ノレイオンは地形盤の赤い駒を握り、ヒデヨシへ投げ渡した。
「仕官初日から戦だ。猿、怖じ気づいたか」
ヒデヨシは赤い駒を受け止めた。日輪村の盗賊とは違う。
今度の敵は国であり、率いる兵は一万。敗れれば村一つでは済まない。
ジパングの民、そしてトモ、ヒデナガ、アサヒの未来までもが戦火に呑まれる。
【官兵衛… 御館様、家臣となっても軍の指揮権までは与えられておりません。
まずは軍議で役目をお確かめください】
〖半兵衛… しかし、戦場へ関わる道は開かれました。初手が今後の立場を決めます〗
〚金兵衛… 武器も装備も不足しています。出陣前に、使えるものを一つでも増やしましょう〛
ヒデヨシは赤い駒を盤上の南東街道へ置いた。
「陛下、怖くないわけではありません。まず、国境の詳しい報告を見せていただけますか」
ノレイオンの口元に笑みが戻る。
「よく言った。ミツヒデン、この猿を軍議に加えろ」
「承知しました。但し発言には根拠を示せ。戦場では、一つの誤りが千人を殺す」
「分かっています。一人でも多く生きて帰れる仕事の仕方を考えます」
仕官したその日、ジパングの国境は破られた。王城で開いた道は、血と炎の戦場へ続いていた。




