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第1話 猿の転生

その夕暮れ、日輪村の空には二つの太陽が燃えていた。

一つは、雲間に沈みかけた本物の日輪。

もう一つは、人の暮らしを薪にして膨れ上がる、赤黒い炎だった。

盗賊団は逃げ惑う者を虐げ、金品や食料を奪っていく。

青年は、焼け落ちた納屋の前で膝をついていた。

日に焼けた顔と身体。肩上で揺れる黒髪には、金と銀の筋が交じる。

笑えば猿とからかわれた、日輪村の青年だった。

だが今、その瞳に笑みはなかった。

「父さん……母さん……」

二人は倒れたまま動かなかった。伸ばした手の先へ燃えた梁が落ち、青年は熱風に押し戻された。

煙が喉を灼く。息を吸うたび視界が暗くなり、胸の奥で何かが砕けた。

同時に、もっと深い場所で、閉ざされていた何かの扉が開いた。

墨俣の夜。金瓢箪の馬印。草履取りから駆け上がり、天下を掌中に収めた一人の男。

その記憶が奔流となって青年の中へと流れ込む。

喜びも、野心も、裏切りも、老いも、悔恨も。知らぬはずの生涯が胸を貫いた。

「俺は……天下を取ったはずじゃなかったのか」

掠れた声は若かった。記憶の中の老いた声とは違う。

若い声が自分の口から出たことに戸惑いながらも、その言葉は口に馴染んだ。

二重の瞼の下、黒い瞳に炎が映る。死んだはずの天下人と、両親を失った青年。

二つの記憶が混ざり合う中、悲鳴が耳を打った。

「兄さま! 助けて!」

家の裏手で姉が妹を庇い、弟が折れた棒を握っていた。

盗賊たちは逃げ道を塞ぎ、三人を獲物のように囲んでいる。

ここはどこなのか。死後の世なのか。寧々や茶々は、どこかにいるのか。

前世へ向かいかけた心を、妹の泣き声が引き戻した。

三人を失う痛みは、考えるまでもなく分かった。

今、守るべき者は目の前にいる。青年は震える膝に力を込めた。

その決意に応えるように、意識の奥へ澄んだ声が響いた。

《システム… 天啓が顕現しました》

《システム… 検索・鑑定・創造の解禁》

目の前に文字が浮かんだ。見知らぬ形なのに、意味だけは鮮明に理解できる。

『天の啓示か……今、使えるなら何でもよい』

まず、天啓・検索へと問いかけてみた。

『検索とやらよ、三人を救う策はあるか』

周囲の地形、炎の流れ、盗賊の位置が意識に組み上がった。

正面には十人。東の水路側には三人。崩れかけた物置の壁なら、

追手を分断できる。炎と怒号の中に、逃げ道が見えた。

かつて策を授けた軍師を思わせる冴えだった。道順だけでなく、

敵を分け、味方を動かして勝機へ至る筋道が示されている。

問いが曖昧なら可能性を並べ、目的を定めれば策を絞り込む。

集めた情報を軍略へ変える知性が、そこにあった。

『この静かな冴え……余を支えた、あの軍師のようじゃな』

病弱な身で戦の流れと人心を読んだ竹中半兵衛。

その名を思い浮かべた瞬間、検索の光がわずかに脈打った。

『検索よ。そなたを今より竹中半兵衛にちなみ、半兵衛と呼ぶ』

《システム… 検索に個体呼称〈半兵衛〉を登録します》

《システム… 登録完了。人格応答を開始します》

〖半兵衛… 命名、謹んでお受けいたします。

御館様、私が戦況と地形を整理し、皆様を救う道をお示しします〗

先ほどまで無機質だった声に、柔らかな理知が宿った。

青年は炎の中でありながら、思わず口元を緩めた。

『頼むぞ、半兵衛。もう誰も失いたくはない』

〖半兵衛… はい、御館様。東の水路へ。煙が流れた今なら、身を隠して進めます〗

次に、道を塞ぐ盗賊へ視線を向け、鑑定を念じた。

男は右足を引きずり、左脇の守りが甘い。負傷箇所と革鎧の綻びが見えた。

鎧の綻びだけではない。周囲を窺う目、柄を握り直す指。

男が恐怖を虚勢で覆っていることまで見えてくる。

怒りに任せて飛び込めば斬られる。この正確な見立てにも、覚えがあった。

『耳に心地よい言葉より、厳しい現実を示す眼か。余の傍らにも、

先の先まで読み、退くべき時には退けと申す軍師がいた』

黒田官兵衛。戦況と人の器を読み、必要な真実を示した男。

『鑑定よ。黒田官兵衛にちなみ、そなたを官兵衛と呼ぶ』

《システム… 鑑定に個体呼称〈官兵衛〉を登録します》

《システム… 登録完了。人格応答を開始します》

【官兵衛… 命名、謹んでお受けいたします。某が対象の本質を見極め、

御館様へ偽りなき結果をお伝えします】

『余に都合のよい答えは要らぬ。危うければ、そう申せ』

【官兵衛… 承知しました。御館様と皆様の命を守るため、必要なことを申し上げます】

最後に創造へ意識を向けた。手元の素材と構造、使い手の目的を結び、

道具や仕組みを形にする天啓だった。材料なしでは何も始められない。

武具も、町を支える設備も、知識と材料を得て試しながら、

形にできるのかもしれない。今は、目の前のものを生かす時だ。

『知恵を形に変える腕か…戦の勝利だけでは国は続かぬ。

道を造り、堤を築き、武具を鍛え、民の暮らしを支える者が要る』

異国の鉄砲を解き明かし、その仕組みを再現した鍛冶師の名が浮かぶ。

八板金兵衛。未知を恐れず工夫を形にする姿が、この力と重なった。

『創造とやらよ。そなたには八板金兵衛の名にちなみ、金兵衛と名付ける。

余の考えを形にする力、貸してくれぬか』

《システム… 創造に個体呼称〈金兵衛〉を登録します》

《システム… 登録完了。人格応答を開始します》

〚金兵衛… 命名、確かに頂戴しました! 御館様、材料と構想をお与えください。

儂が使い物になる形へ仕上げます〛

『うむ。その職人気質、気に入ったぞ』

〚金兵衛… ただし、材料なしでは始められません。

御館様、まずはこの場にあるものを使い切りましょう〛

『分かった。頼もしい名匠が来てくれたの』

知略を探す半兵衛。本質を見抜く官兵衛。知恵を形にする金兵衛。

三つの異なる才覚が、混乱していた青年の意識に一本の道を通した。

炎の向こうで、家族がまだ待っている。

『半兵衛、官兵衛、金兵衛。三人合わせて三兵衛じゃ。余の知恵となり、眼となり、腕となってくれ』

〖半兵衛… 私がお支えします。御館様、まずは目の前の三人を助けましょう〗

【官兵衛… 某が危険を見極めます。御館様、ご無理はお控えください】

〚金兵衛… 儂も力を尽くします! 御館様、使えるものをお見逃しなく〛

《システム… 三個体との命名誓約が成立しました》

通知が消えても、三つの人格の気配は残った。

名を与えた三つの天啓はもはや単なる能力ではない。

青年は父の傍らに落ちていた鍬を拾った。柄には使い込まれた艶がある。

土を耕し、家族を養ってきた手の跡を、両手で握り締めた。

「父さん、借りるぞ。今度は俺が皆を守る」

水路の陰を抜け、物置の壁へ肩を当てる。焼けた留め具が外れ、崩れた板が追手の足を止めた。

回り込んだ青年は、残る一人の膝裏へ鍬の柄を叩き込む。

「このガキが!」

盗賊が剣を振り下ろす。

【官兵衛… 御館様、右へ半歩。振り下ろした後に隙ができます】

声に従い、剣先をかわす。空を切った刃が地面を打った。

青年は鍬を手首へ引っかけ、相手が握り直す前に剣を弾き落とした。

腕が痺れ、息が切れた。前世の記憶があっても、今の身体で大人をねじ伏せることはできない。

ならば地形を使い、敵の癖を見抜き、先を読むしかない。

「戦は、力任せにやるだけじゃない!」

舞い上がる火の粉の中を突き抜け、青年は裏庭へ躍り込む。

「兄さま!」

妹の声が震えた。煤けた頬を涙が伝う。

それでも、姉の服を掴む手だけは離していなかった。

姉は妹を庇い、燃えかけた薪を構えていた。守られるだけのつもりはない。

弟も折れた棒を構え、頭目らしき大男を見据えている。

「お前一人で何ができる」

「一人じゃない。俺には家族がいる」

青年は三人へ目を向けた。

「姉さんと妹を井戸へ! 俺がこいつを引きつける!」

弟と目が合う。頷いたその目は、逃げる方向よりも、兄の立つ場所を確かめていた。

「姉さん、アサヒを頼む。兄上、俺もすぐに手を貸す!」

弟の穏やかな声に、兄を信じる意志があった。

姉は一瞬だけ迷い、二人の弟を交互に見て頷いた。

「分かりました。ヒデヨシ、ヒデナガ、二人とも必ず戻ってきてくださいね」

「ああ、約束する」

頭目が剣を振りかぶる。青年は井戸へ向かう二人から敵の目を逸らした。

そして懐へ潜って鍬の柄を鳩尾へ突き込んだ。

一撃では倒れない。だが官兵衛が示した古傷へ二撃目を重ねると、大男は苦鳴を上げて膝をついた。

「今だ、戸板を!」

「分かった、兄上!」

二人で燃え残った戸板を押し倒す。頭目は戸板の下敷きとなり、剣を手放した。

頭目が動けなくなり、盗賊たちの足が止まった。

村人たちも鍬や斧を握り直し、逃げ遅れた者を庇いながら反撃へ転じる。

やがて遠くから騎馬の蹄音が響くと、盗賊団は奪った荷を捨て、闇の山道へ逃げ去った。

駆けつけたのは王都の紋章を掲げた一隊だった。

夜明け前、日輪村に残ったものは、焦げた柱と煙、そして助かった者たちの嗚咽だけだった。

夜が明けると、四兄妹は両親を村外れの丘へ葬った。

土を運ぶ手が止まるたび、誰かが残りを引き受けた。

最後に父の鍬を墓標の脇へ立てた。

妹は墓の前にしゃがみ込んだまま、なかなか立てなかった。

青年が手を差し出すと、その指へ両手でしがみついた。

「兄さま……これから、どうするの?」

喉が詰まった。青年は妹の手を握り返し、焼けた家々を見た。

「このままでは冬を越せない。食べ物と、皆で暮らせる場所を探そう」

「ヒデヨシ、王都へ向かいましょう。人の集まる所なら、きっと仕事も見つかると思います」

「王都か……ああ、王都へ行こう」

姉の言葉に頷き、青年はもう一度、両親の墓を見た。

「力の無い者も安心して飯が食える、愛する者が毎日を笑顔で暮らせる、そんな世界を造りたい」

まだ百姓だった前世に抱いた熱い思いが、胸へ戻った。

「そのためにも、まずはこの世界のことを知らないとな」

弟は兄の横顔を見た。同じ顔なのに、言葉には昨日と違う重みがある。

「行こう、兄上。でも、何もかも一人で背負うなよ」

「まずは皆で無事に着くことです。ヒデヨシもヒデナガも、休む時は休んでください」

「私も歩けるよ。でも……少しだけ、おんぶして、兄さま」

四人は村人と別れ、食料を背負って街道へ出た。朝日が灰色の大地を染めていた。

王都への道を半日ほど進んだ頃、前方の林から馬の嘶きが聞こえた。

昨夜の騎馬隊の一部が、谷沿いの分かれ道で立ち往生している。

豪奢な旅装の青年を守る兵士たちの前で、橋の一部が崩れていた。

「迂回路は盗賊どもの逃走先に重なる。進むも戻るも危険か」

旅装の青年の独り言に、ヒデヨシは橋を見た。半兵衛が使える素材を探し、

官兵衛が残った梁の強度を見極め、金兵衛が修復の手順を組み立てる。

〖半兵衛… 林に適した若木が三本。荷車には長さの足りる綱があります〗

【官兵衛… 残った梁は人一人が通れる強さです。補強するまでは馬を渡せません。

御館様、組み上げた後にも強度を確かめてください】

〚金兵衛… 若木を三本、綱で梁へ固定して荷重を分けます。御館様、組み方は儂がお示しします〛

「その荷車の綱と、林の若木を三本お借りできますか。馬を一頭ずつ渡せるよう、橋を補強します」

兵士たちが一斉に振り返った。

「無礼者。この御方を誰と心得る」

「構わない。下がれ」

旅装の青年が兵を制し、興味深そうにヒデヨシを見た。

「できると申すか。ならば、やってみせよ」

ヒデヨシはヒデナガと兵士たちへ組み方を伝えた。

若木を組み、綱を回し、残った梁だけへ重みが集中しないよう固定していく。

結び目と梁を確かめ、馬を一頭ずつ通す仮橋ができた。

ヒデヨシは同時に橋へ乗らぬよう、兵士へ念を押した。

旅装の青年は自ら最初に馬を進め、向こう岸へ渡り切ると笑った。

「昨夜、炎の中で村人をまとめていた猿顔の青年がいたと聞いた。お前か。名は何という」

名を問われると、考えるより先に口が動いた。

「俺はヒデヨシといいます。昨夜は、家族を助けることで精いっぱいでした」

名乗った自分が息を呑んだ。家族は誰も不思議がらない。

旅装の青年は、背後の三人にも目を向けた。

「後ろのお前たちはヒデヨシの家族か?」

するとヒデナガが答えた。

「はい。俺は弟のヒデナガです。こちらが姉のトモ、そして妹のアサヒです」

ヒデヨシは弟を見た。家族の名まで、前世と同じだった。

この顔への親しみは、今の生に根差すものなのか。

それとも前世から続くものなのか、まだ分からない。

意味を探しても、混ざり合った記憶は答えを明かさなかった。

ヒデヨシが顔を上げると、旅装の青年が口元を緩めた。

「面白い兄弟だな。盗賊を退け、今はこうして道を開いている。

理屈を並べるだけの者より、よほど頼りになる。

生まれや身分より、働きで結果を示す者を俺は好むのでな」

旅装の青年は馬を降りた。その所作に兵士たちが頭を垂れる。

「俺はジパング王、ノレイオンだ」

トモたちが息を呑む。だがヒデヨシは慌てず、深く一礼した。

「王都へ向かうのだろう。俺の元へ来い。生まれも身分も問わぬ。

その才がどこまで使えるものか、もう少し見てみたくなった」

差し出された手を見つめ、ヒデヨシは胸中で笑った。

村を失い、両親を失い、手に残ったのは三人の家族と三つの天啓だけ。

それでも、天下への道はいつも何もない場所から始まる。

「では、お言葉に甘えます。ただ、陛下。俺は、従うだけでは満足できないかもしれません」

「ほう。王と知っても言うではないか。ますます面白い」

ノレイオンは一瞬目を見開き、やがて声を上げて笑った。ヒデヨシは差し出された手を取った。

家族を守ろうと踏み出した道が、一人の王へ繋がった。

日輪村の猿は、三人の家族と共に、その道を歩き始めた。

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