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第18話 野良息子

「シンゲル殿、見ておられますか。今、あなたが戦友と夢見た光景が、あそこにあります」

ヒデヨシの見据える先に、ケンシロンとユキムランが立っていた。

如意旋棍と方天画戟。かつて刃を交えた二人の形見が、同じ戦場で並んでいた。

その光景に至る前、コシヒカリで二万の軍が動いていた。

コシヒカリに兵二万を集めたウジザンネンは、スルガルド王都へ軍を進めていた。

父の死後、王都を掌握した宰相チャゲヤスを討ち、自分の手へ取り戻すためだった。

出陣前の夜から、耳の奥で父の声が続いていた。

『わしの領土を奪った者共を、生かしておくのか?王子よ!』

ヨシモーンの声だった。振り返っても、灯の揺れる部屋には誰もいない。

『お前は、わしの嫡男にして唯一の王であろう』

「分かっております。父上。あの宰相も、妹も……」

ガラシャンを匿い、目の前から逃がした兄妹。イナリヒメを妃に迎える話さえ、チャゲヤスは拒んだ。

何一つ自分の思いどおりにしなかった顔を思い出すと、胸の奥が熱くなる。

『取り返せ。お前が望んだものを、全て奪い返すのだ、息子よ!』

膝の上の拳に、黒い筋が浮いた。ウジザンネンは痛みに顔をしかめ、それでも手を開かなかった。

父に呼ばれている。その思いだけが、声の違和感を押し流した。

チャゲヤスは一万の兵を率い、王都へ至る道の手前で迎え撃った。

民が逃げる時間を稼ぐ。王都へ救援が届くまで、ここを通さない。

イナリヒメも兄の近くで、傷ついた兵を後ろへ送るよう指図していた。

だが、敵の様子がおかしかった。

槍を弾かれた兵が、体勢を戻さず突っ込んでくる。

肩を傷つけても、痛みを感じぬように武器を振り回す。

その首筋に、主と同じ黒ずんだ筋が走っていた。

「列を離れるな! 一人で受けるな、隣と合わせよ!」

チャゲヤスが声を張る。二人で押さえた槍の間へ、次の敵兵が割り込んできた。

王都からの使者は、既にジパングへ届いていた。

ノレイオンは援軍一万を動かし、ミツヒデンとヒデヨシを伴って進軍した。

ヒメノワールから合流したヒデナガ、ハンベータ、カンベロン、ケンシロン、

そしてセリーンもその軍のうちにいた。

ビワコネーゼからマサムネルが五千。新たに結んだエゾリアからは、ユキムラン自ら五千を率いて来る。

だが、別々の道を進む軍が、一度に同じ場所へ届くわけではなかった。

先に戦線の崩れを見たヒデナガとケンシロンが、騎兵を率いて前へ出た。

その後方では、敵の一隊が街道脇の集落へ回り込んでいた。

逃げる荷車と負傷兵が、細い道に詰まっている。

「猿、道を開け。民をこちらへ抜けさせよ」

ノレイオンの命に、ヒデヨシは馬首を返した。

「ヒデナガ、ケンシロン。前を頼む。俺たちも、すぐに追いつく!」

「分かった。兄上も、無理はするなよ!」

弟の背が遠ざかった。ヒデヨシは下馬し、横倒しの荷車へ兵と肩を入れる。

『ここを塞がせては、前で倒れた者が戻れぬ』

〖半兵衛… 左の畦道からも、人が来ています。先に荷を端へ寄せましょう〗

【官兵衛… 敵は街道を分断する構えです。民を抜く間、横手を押さえる兵が必要にございます】

「ハンベータ、カンベロン。横から来る敵を止めてくれ。道が確保出来たら、二人は前へ!」

二人が兵を連れ、畦へ向かった。前線では、ウジザンネンの大剣が盾を割っていた。

黒い魂気が刃にまとわり、振るうたびに押し寄せる。

チャゲヤスが退く兵を支えようとした時、正面の敵兵が左右へ開いた。

「まだ、わしの前に立つか。チャゲヤス!」

「民を踏み越えて通すわけにはまいりません!」

「俺のガラシャンを逃がし、その代わりの妹まで差し出すことを拒んだ分際で。

立場を分からせてやる!」

大剣が持ち上がった。チャゲヤスが構えた刃は、既に欠けていた。

横から如意旋棍が割り込む。

「下がってください!」

ケンシロンが二振りで大剣を受けた。紫の魂気が弾け、足元の土が抉れる。

衝撃を殺しきれず、背後のチャゲヤスともども地面へ投げ出された。

「兄上!」

イナリヒメが駆け寄った。その顔へ、ウジザンネンの目が向く。

「お前も、わしを拒むのか!」

刃が迫る。イナリヒメは兄を庇うように身を伏せた。

銀色の光が、その二人の前へ入った。

ヒデナガの剣が大剣を受け止めていた。

両足が地を滑り、後ろの足を深く踏み直す。銀の魂気が肩から腕へ流れた。

「この二人には、触れさせない」

ウジザンネンの口元が歪んだ。

『また新たに奪おうとする者共が来たぞ。お前は、ただ奪われ続ける王なのか』

父に似た声が、頭の奥で笑った。

「黙れ……黙れぇ!」

黒い筋が首から頬へ伸び、鎧の継ぎ目から邪気が噴いた。体が膨れ、大剣を持つ腕が異様に盛り上がる。

もはや人の姿を保ちきれぬ邪魂将が、三人を見下ろした。

「邪術・邪輪枯隷!」

刃を振るう先に黒い輪が重なり、地を削りながら迫った。

ヒデナガは剣を傾け、最初の輪を斜めに受け流した。銀の光と黒い縁が擦れ、腕の皮膚が裂ける。

二つ目を避ければ、後ろの二人へ届く。彼は退かず、剣を両手で握り直した。

輪が砕け、衝撃で片膝が落ちた。

イナリヒメの袖にも血が滲んでいた。チャゲヤスは起きようとして、腹を押さえる。

「二人とも、俺の後ろへ。ここから動かないで」

ヒデナガは膝を伸ばした。剣先が、わずかに揺れた。

チャゲヤスはその背を見た。次は同じようには受けられない。

それでもこの青年は、自分たちを置いて退くつもりがなかった。

「妹を……頼みます」

ヒデナガが振り返りかけた。チャゲヤスはイナリヒメの肩を、その背後へ押した。

ウジザンネンの大剣に、次の黒い輪が生まれる。

チャゲヤスは傷を押さえていた手を離し、ヒデナガの横から前へ出た。

自分の刃を輪の中心へ差し入れ、体ごと進む。

「兄上、待って!」

声より早く、黒い光が宰相の体を貫いた。

輪の向きが逸れ、三人の脇の地面を深く抉った。ヒデナガが手を伸ばし、崩れる男を抱き留める。

ケンシロンが飛び込んで、大剣を横へ弾いた。

二振りを交互に打ち込み、敵を数歩押し戻してから、倒れた男のそばへ膝をつく。

「チャゲヤス殿!」

血に濡れた顔が向いた。

「……あなたはケンシーン殿のお傍におられた…」

「はい、ケンシロンです。ガラシャン様をお守りしていた者です」

宰相の指が動いた。ケンシロンの袖を、つかもうとしている。

「あの方は……御無事か」

「はい。ヒメノワールで、笑って暮らしておられます。

イナリヒメ殿と過ごした夜のことも、聞かせてくださいました」

ケンシロンは、その手を取った。

「あなたが身を呈して守って下さったおかげで、また会うことが叶いました。ありがとうございました」

チャゲヤスは、細く息を吐いた。

「そうか……もう、逃げずに暮らせるのか」

口元が、ほんの少し上がった。

「なら……その甲斐はありました」

イナリヒメが兄の手へすがった。呼ぶ声に、閉じかけた目がもう一度開く。

「イナリヒメ……お前も、生きろ」

ヒデナガは、彼に見えるところまで顔を寄せた。

「イナリヒメ殿は、俺が必ずお守りします。だから、今はご自身のお身体を案じてください」

チャゲヤスの目が、ヒデナガの真っ直ぐな瞳を確かめた。そして少し微笑んだ。

妹の指が、兄の指を強く握った。

「兄上。私、ここにおります。ここに……」

チャゲヤスの目は妹を見ていた。けれど、指の力は静かに抜けていった。

ケンシロンが手を添え、宰相の腕を妹の膝へ戻した。背後で、大剣を引きずる音がした。

「邪魔者が、一人減った。次はおまえだ」

ケンシロンは、ゆっくり立った。

「ガラシャン様を逃がしたことを、罪だと言うのか」

その声を聞き、ヒデナガが顔を上げた。ケンシロンは振り返らない。

「ヒデナガ殿。イナリヒメ殿を、お頼みします」

「ああ。任せろ、俺の命に代えても必ずお守りする」

紫の魂気が、如意旋棍を包んだ。

「コシヒカリ王ケンシーンが家臣、ケンシロン。貴様を、この先へは行かせん」

「わしに国を奪われた、野良の家臣風情が!」

ウジザンネンが踏み込み、大剣を振り下ろした。ケンシロンは真正面で止めなかった。

片方の棍で刃の腹を押し、もう一方を敵の腕へ打つ。返す刃を身を沈めてかわし、斜めへ踏み出す。

イナリヒメたちと、ウジザンネンとの距離が離れた。

一撃ごとに、戦う場所を移す。怒りで息が詰まりそうになるたび、抱き起こした男の指を思い出した。

守ってもらった命がある。その礼を、ここで欠くわけにはいかなかった。

しかし、邪気を纏う腕は打たれても緩まない。棍を戻す前に横薙ぎが来た。

ケンシロンは二振りを重ねて受け、片足を深く滑らせた。脇腹に痛みが走る。

次の刃へ腕を上げた時、膝が落ちかけた。赤い光が、横から大剣を跳ね上げた。

「今度は、間に合いました」

方天画戟を構えたユキムランが、隣に立った。

ケンシロンは赤い刃を見た。あの朝、庭で並べた形見が、今は同じ敵へと向いている。

「ええ。今度こそ、共に守れる」

後方で、エゾリアの五千が旗を立てた。

反対の側からは、マサムネルの五千が街道へ食い込む敵を押し返していた。

別々の道を進んできた者たちが、ここでようやく一つに繋がった。

「エゾリアまで、わしを裏切るのか!」

ユキムランは構えを崩さなかった。

「私たちは、戦友を守るためにここへ来た」

二人が左右へ分かれた。ウジザンネンはケンシロンを追い、振り返りざまにユキムランへ黒い輪を放つ。

方天画戟が輪を弾いた。赤い光が削られ、槍先が下がる。その隙へ、大剣が唸った。

「魂術・鎖縛!」

ハンベータの声と共に、魂気の鎖が敵の腕へ絡んだ。

大剣が止まる。だが、盛り上がった腕が鎖を引き、張りつめた輪が軋んだ。ハンベータの足が土を削る。

「長くは、持ちません!」

ウジザンネンが空いた手を振った。黒い輪が、術者の方へ走る。

「魂術・万解!」

カンベロンが前へ出た。広げた魂気の守りへ輪が食い込み、彼の体が後ろへ押される。

歯を食いしばり、足を踏み直した。

「今です。お二人とも!」

ケンシロンが地を蹴った。

「万覇拳!」

如意旋棍が紫の軌跡を重ねた。大剣を握る手、腕、胸の守りへ、息を継がせぬ連打を打ち込む。

鎖が千切れた。ウジザンネンは解かれた腕で大剣を戻そうとした。

最後の一打が、その刃を外へ弾いた。開いた一点へ、赤い穂先が届く。

「紅蓮華!」

ユキムランの方天画戟が、邪気の厚い胸元を貫いた。

紫と赤の光が交わった。ウジザンネンの膝が折れ、握っていた大剣が落ちる。

『父上……』

胸の内で呼んでも、あの声はもう答えなかった。黒いものが背から剥がれ、倒れる体を置き去りにした。

戦場の向こうでは、荷車の最後の一台が避難路を抜けていた。

ヒデヨシの意識へ、告知が届く。

《システム… 邪魂将ウジザンネンの撃破を確認しました》

彼は前線へ目を向けた。土煙の間で、赤と紫の光が薄れていく。

『二人が、やり遂げたのか』

〖半兵衛… 前の敵兵も、動きが乱れ始めています〗

街道へ迫っていた兵が、足を止めて自分の手を見ていた。傷口を押さえ、座り込む者もいる。

【官兵衛… 御館様、降る者を受け入れる場所を。追い詰めれば、また逃げ道へ人が溢れます】

「武器を捨てた者は追うな。負傷者を分けて、手当てを頼む!」

ヒデヨシは兵へ指示を残し、前へ走った。後方の本隊で、ノレイオンは敵の崩れを確かめていた。

ミツヒデンも、その傍らで隊を動かしている。

土煙に混じった細い黒が、倒れた男から離れ、そちらへ流れた。

ミツヒデンが、ふと袖口を押さえた。王の目は前へ向いていた。

前線へ着いたヒデヨシは、足を緩めた。

ケンシロンとユキムランが並んでいる。二人とも肩で息をし、手には土と血がついていた。

それでも、形見の武器を離さず立っていた。

「シンゲル殿、見ておられますか。今、あなたが戦友と夢見た光景が、あそこにあります」

戦場に並ぶ二人の背を見つめ、ヒデヨシは静かに息を吐いた。

形見の武具を受け取ったあの朝の約束が、今、目の前で果たされていた。

だが、少し先に膝をつく弟の姿があった。イナリヒメは、動かなくなった兄の手を握っている。

ヒデナガは血の滲む腕を下げず、その二人のそばに立つ兵へ静かに指示を出していた。

ヒデヨシは弟へ歩み寄り、兄妹の前に膝をついた。

「チャゲヤス殿は、妹君を守られました」

ケンシロンが追いつき、震えを抑えて伝えた。

ヒデヨシはうなずき、頭を下げた。ガラシャンをその身を呈して守った人。

その人へ届く礼を、彼女自身はまだ伝えられていない。

「担架を。お二人を離さず、運んでくれ」

イナリヒメの手が、兄の手を握り直した。ヒデナガが傍らへかがむ。

「俺も、一緒に行きます。手は、そのままで構いません」

彼女は顔を上げられなかった。それでも、差し出された腕へ、空いている方の手を伸ばした。

ヒデヨシは担架の入る道を空けた。背後で、如意旋棍と方天画戟が下ろされる。

二人の男も、その道の両側へ立った。

勝ち鬨より先に、亡き兄と生き残った妹を送るため、兵たちが静かに列を開いた。

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