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第16話 猿の誓妻

宴の翌朝、館の庭で、ケンシロンが包みを開いていた。

向かいにはユキムランが立っている。布の下から現れたのは、一対の棍だった。

「如意旋棍。ケンシーン様の形見として、先王がお預かりしていたものです」

ケンシロンの手が止まった。ユキムランは二振りを持ち上げ、揃えて差し出した。

「ガラシャン殿を守るあなたへ、届けてほしいと託されました」

受け取る指が、ゆっくり柄へ回る。ケンシロンは重みを確かめ、目を伏せた。

「……先王は、これを振るうお姿が、何より見事でした」

ユキムランも、傍らの長柄の武器へ手を添える。

「こちらは、シンゲル様から譲り受けました。方天画戟です」

朝の光が刃へ走った。

「昔は、この二振りがぶつかっていたのですね」

ケンシロンが棍から目を上げた。ユキムランはうなずく。

「これからは、同じものを守るために使いたい」

二人は武器を手に、しばらく向き合っていた。

廊下から見ていたヒデヨシは声を掛けず、静かに足を返した。

数日後、ユキムランとカイロヒメがエゾリアへの帰路についた。

ヒデナガ、ケンシロン、ガラシャンも一足先にヒメノワールへ戻った。

港を任せたハンベータとカンベロンへ、王都で決まったことを伝えるためだった。

ヒデヨシとセリーンは、ノレイオンの沙汰を待って館に残った。

褒賞を申し渡されたのは、それから数日後だった。

「猿。望みを申せ」

王の前で、ヒデヨシは頭を下げた。

「武具を、一つ頂ければ」

ノレイオンが声を上げて笑う。

「あれだけ働いて、武具一つか。欲のない猿だな」

「今も、使い慣れた刀がありますので」

「それはお前が働くための刀であろう。褒美とは別だ」

王は指を一本ずつ折った。

「殿を務めた。湖国を鎮めた。エゾリアとの同盟へ道を開いた。三つの働きだ。三つ取れ」

ヒデヨシは少し考え、身に着けた陣羽織へ手を添える。

「では、一つは既に頂いております。

上様の使者として、これを羽織らせていただきました。あと二つ、頂きます」

ノレイオンは銀の織田木瓜を見て、口元を緩めた。

「勝手に数えよる。よい、ついてこい」

宝物庫には、大小の武具が整然と並んでいた。

ヒデヨシは槍や刀の前を通り、壁際の一対の剣へ目を留めた。二振りが、同じ高さに掛けられている。

近づいても、すぐには手を伸ばさなかった。

『双剣か……』

〖半兵衛… セリーン殿が、先日の手入れで刃を確かめておられましたね〗

袖をまくり、剣へ布を当てる彼女の姿が浮かんだ。刃先へ指を近づけ、途中で止めていた。

【官兵衛… 細かな刃こぼれが残っておりました。研ぐだけでは形を戻せぬ箇所もございます】

『余の護衛も、兵の稽古も引き受けてきた剣じゃ。気づいておりながら、そのままにしておった』

〚金兵衛… 御館様、まず重みと握りをお確かめください。

二振りとも、片手で扱う者のために仕立てられております〛

王の許しを得て、一振りを手にした。柄を握り、鞘に納まったまま重心を確かめる。

もう一振りと並べると、二つの柄が掌へ素直に収まった。

「上様。この双剣を頂いてもよろしいでしょうか」

「よい。持っていけ」

ヒデヨシは丁寧に布へ包んだ。

「ありがたく、頂戴します」

「あと一つは何だ」

「二振りですので、これで二つということで」

包みを抱える青年を、王がまじまじと見た。

「……猿。妻への土産か」

指が、結びかけた紐から滑った。

「妻ではありません」

ノレイオンの眉が上がる。

「まだ娶っておらんのか?さっさと娶らんか。あれほどの女、お前にはもったいないぞ」

「上様、声が」

「聞こえて困る相手が、この蔵におるか」

王は笑い、衣の掛かった方へ歩いた。一着を取り、青年へ差し出す。

「誓守護戦衣という名の衣だ。

昔この国でこの衣を着て戦場を駆け巡った華麗な女武者が着ていたらしい。

あの娘へ渡せ」

「ですが、褒賞はもう」

「これは俺からの祝いだ。お前たちにな」

ヒデヨシは、衣と王の顔を見比べた。

「胸を張って帰れ。猿」

深く下げた頭を、すぐには上げられなかった。

宝物庫を出て、二人は王城の廊下を並んで歩いた。王が何かをからかい、青年が包みを抱え直している。

角の向こうで、その姿をミツヒデンが見ていた。

王が自ら蔵へ伴い、笑いながら送り出す。その扱いを、かつては自分も受けていたはずだった。

『また、あの猿に』

視線を落とした耳の奥へ、しばらく遠ざかっていた声が忍び込む。

『お前が支えた王だ。それなのに、隣にいるのはまたあの男か』

ミツヒデンが振り返った。廊下には、通り過ぎる侍従がいるだけだった。

『誰も、お前のことなど見ておらぬ』

黒いものが、握った指の間へ滲む。ミツヒデンは袖を引き、王の笑い声から顔を背けた。

館へ戻ると、セリーンが夕餉の支度をしていた。ヒデヨシの足音に顔を上げ、持っていた皿を置く。

「おかえりなさいませ、主様」

「ただいま」

その声を聞くと、抱えてきた包みをすぐに渡したくなった。

だが、彼女が並べた料理を見て、先に手を洗いに行った。

膳を挟んで座ると、セリーンは今日の沙汰について尋ねた。

「上様から、お叱りは受けませんでしたか」

「少し、叱られた」

「やはり、何か御無理を?」

「いや。後で話すよ」

困った顔をした彼女へ、ヒデヨシは笑って椀を取った。

食事を終え、片付けを手伝ってから、彼は包みを持って戻った。

「セリーン。受け取ってほしいものがある」

布を開くと、彼女は一対の剣を見つめた。

「これは……?」

ヒデヨシは王から三つの褒賞を許されたこと、

陣羽織を一つに数え、残る二つとしてこの双剣を選んだことを話した。

セリーンの手が、膝の上へ戻った。

「主様が、命を懸けて得られた御褒賞です。それを、私に……?」

「その命を、何度も守ってくれただろ。刃こぼれしたままにはしておけない」

彼女は彼を見た。それから立ち上がり、自分の双剣を取ってきた。

一振りを抜き、灯の下で刃を傾ける。細かな欠けが、光の筋を途切れさせた。

「この剣で、主様をお守りしてまいりました」

声には、誇りと名残があった。

「知っている。いつも隣で見ていたから」

ヒデヨシは柄を持つ彼女の手へ、自分の手を重ねた。

「なのでこの剣を受け取ってほしい。でも、これからはセリーン、俺にも守らせてくれ」

彼女はゆっくり剣を納めた。

「私のために、お選びくださったのですか」

「俺にとって、セリーンのために頂く以上の褒美はないよ」

目元が緩んだ。笑おうとして、唇が少し震える。

「……ありがとうございます。大切にいたします」

セリーンが両手で、新しい二振りへ触れた。

澄んだ光が、剣から指へ渡った。

《システム… セリーンによる誓煌具・干将莫邪の継承を確認しました》

ヒデヨシは息を止めた。彼にだけ届く告知の向こうで、セリーンも驚いたように手元を見ている。

「手に、馴染んで……」

剣を持ち上げ、二つの柄を握り直した。

無理に確かめるような動きはせず、ただ、その重みを受け止める。

「干将莫邪、という名だ」

ヒデヨシが伝えると、彼女は名を繰り返した。

「干将莫邪……」

大切そうに鞘を揃え、卓へ置いた。それから彼へ向き直り、胸へ飛び込む。

「主様」

ヒデヨシはその背を抱いた。

頬へ触れ、目を合わせる。セリーンは笑ってうなずき、彼の首へ腕を回した。

二人は寝所へ移り、幾度も唇を重ねた。

贈り物への礼を言いかける彼女を、ヒデヨシが優しく抱き寄せる。

「もう、分かったよ」

「でも、嬉しいのです」

彼の頬へ、彼女の頬が寄った。灯を落とし、幾度も互いを求めながら、幾度も温もりを重ねた。

ヒデヨシの魂気がセリーンの体内に幾度も、幾度も流れ込み、溢れ出た愛に二人は包まれた。

やがて静まった部屋で、ヒデヨシは隣の手を探した。

「セリーン。あの丘で、俺が泣いた時のこと、覚えてる?」

彼女が体を寄せ、顔を向けた。

「はい」

「俺は、帰ってきたのに、どこにも戻れていない気がしてた。

セリーンがおかえりって言ってくれて、やっと帰れたんだ」

握る指へ、わずかに力がこもった。

「今度は俺にも、言わせてほしい。セリーンが疲れた時も、泣きたい時も……おかえりって」

彼女は返事を探すように、唇を開いた。ヒデヨシは手を離さず、目を見つめる。

「セリーン、俺の妻になってくれないか」

セリーンの目に涙が溜まった。

「……私も、主様に甘えてよろしいのですか」

「もちろん。一人で支えてもらうために、夫婦になるんじゃない。一緒に生きていきたいんだ」

涙がこぼれた。彼女は拭うより先に、彼の手を両手で包む。

「はい。私を、あなた様の妻にしてください」

ヒデヨシは額を寄せた。返事を聞いた胸が熱くなり、彼女と同じように、笑う顔が少し歪んだ。

二人はしばらく、何も話さずに抱き合っていた。

やがてヒデヨシが起き上がり、寝台の端へ腰を下ろす。

「もう一つ、預かっているんだ」

包みを取りに行く間、セリーンは衣を整えて待った。

灯を戻すと、柔らかな布の上に、一着の衣が広がる。

「誓守護戦衣というみたい。上様から、俺たちへの祝いだそうだ」

ヒデヨシは、宝物庫で何を叱られたのかも話した。

セリーンは目を丸くし、やがて口元へ手を当てる。

「上様が、私たちに……」

衣へ触れた指が止まった。国を率いる王が、自分たちのこれからを祝ってくれた。

そのことに、また涙が落ちた。

「直接、お礼を申し上げなければ」

「ああ。一緒に行こう。母上にも、ちゃんとご挨拶したい」

セリーンはうなずいた。ヒーミコへ伝える場面を思ったのか、涙のまま少し照れている。

ヒデヨシが衣を持ち上げ、彼女の肩へ掛けようとした。

「待ってください」

動きを止めた彼へ、セリーンが手を伸ばす。

「……あなた様に、着せていただきたいのです」

彼は笑い、広げる向きを直した。セリーンが腕を通すのを待って肩を整え、前の留め具へ指を掛ける。

いつもは彼女が気づき、直してくれる場所だった。今夜はヒデヨシが、髪を挟まぬようそっと払った。

「きつくない?」

「はい。とても、よく合います」

留め終えると、セリーンは両手を見下ろした。袖を動かし、彼の手を取る。

「主様が御無理をなさる時には、これからもお止めいたします」

「うん。俺も、セリーンが一人で抱え込んでいたら止める」

「その時は……ちゃんと、お聞きします」

少し言い直した彼女が、はにかんだ。

二人は向き合い、握った手を互いの間へ重ねた。

「これからもずっと共に生きよう、セリーン」

「はい。これからも、共に」

ヒデヨシの意識の奥に、かつて見た円が浮かんだ。

円の軌道を巡る虹の七色の光。そのうちの一つが、二人の誓いに応えるように明るくなる。

《システム… 誓妻七座・第二槍アマノホコの開座を確認しました。誓約者ヒデヨシ。座主セリーン》

告知を受けたヒデヨシは、目の前の彼女を見た。何かを尋ねるように、セリーンも彼の顔を見つめる。

「今、俺たちの誓いが、啓かれた」

彼は第二槍アマノホコの名と、彼女がその座主になったことを、声に出して伝えた。

セリーンは黙って聞き終え、彼の手を胸の前へ引き寄せた。

「どのようなお役目を頂いても、私は、私です。

あなた様と共に生きたいと願った、セリーンでございます」

「俺も同じだよ」

額を寄せ、もう一度口づけた。セリーンは目を閉じて応え、やがて笑いを含んだ息を漏らした。

「最初は、あなた様だったな」

「今も、そうお呼びしたくなる時がございます」

彼の胸へ、彼女が額を寄せた。

「おかえりなさいませ、主様」

「ただいま。……セリーンも、おかえり」

腕の中で、彼女が小さく笑った。

衣を丁寧に畳み、干将莫邪のそばへ置く。

再び寝台へ戻った二人は、自分から互いの手を取り、抱き合った。

今度は、これからの朝のことを話した。並んで食事をし、母へ報せ、またそれぞれの務めへ向かう。

疲れて戻る日には、先に帰った方が迎えればよい。

言葉が途切れるたび、唇が触れた。

夜の静けさの中で、二人はもう一度、互いの温もりを深く確かめ合った。

ヒデヨシは眠りへ落ちかけた彼女の髪を撫でた。セリーンの指は、まだ彼の手を包んでいた。

窓の外で、遠くの灯が一つ消えた。この特別な夜が、いつまでも続くように思えた。

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