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第14話 人は城 人は石垣 人は堀

オウミ湖を見渡す丘に、二つの柩が並んだ。

城も、白い帆も、岸辺の家々も見えた。ナガマールとオーイオチャが守ってきた国だった。

「お二人は、よくここでお過ごしでした」

マサムネルが湖へ目を向けた。

「城の務めを終えられると、並んでお座りになって。お呼びするまで、そのままでおられることも」

ヒデヨシはうなずいた。この場所へ葬ってほしいという騎士の願いを、ルイボスも頷いて受け入れた。

土を掛け終えても、娘はそこを離れなかった。

「猿様。父上と母上、もう戦わなくていいの?」

ヒデヨシは膝をつき、目の高さを合わせる。

「うん。二人で、ゆっくり休めるよ」

「じゃあ、みんなも休めるといいね」

返事が、すぐには出なかった。娘の髪を撫で、湖の向こうを見た。まだ、戦が続いていた。

城へ戻ると、マサムネルが残った家臣を集めた。

王女を連れ、王と王妃を故国へ葬るために来たことを、自ら告げる。

ヒデヨシはノレイオンの書付を示した。

王女ルイボスの後見は、伯父であるジパング王が引き受ける。

その代理をヒデヨシとし、湖国の暮らしと王女を守る。

両国は引き続き盟友として結ぶ。王女の近衛隊長には、マサムネルを任じた。

騎士はルイボスの前へ膝を折った。小さな手が、その肩へ触れる。

「もう、いなくならない?」

「はい。私は、お傍におります」

顔を上げた騎士へ、娘は手を離さなかった。

ナガマールを慕う家臣たちは、王女を迎えるために動いた。

城の倉が開き、途絶えていた食糧の受渡しが再開される。

ヒデナガが兵と荷を整理し、ハンベータが帰郷する兵の道を確保した。

カンベロンは徴発の記録を集め、民から奪った荷と正当な軍の支給を分けて確かめる。

マサムネルの呼びかけに、山へ逃げていた兵も戻ってきた。

「武器は預かる。でも、帰る場所まで奪うつもりはない」

ヒデヨシは、槍を置いた兵へ食を渡した。

略奪を続ける反乱分子は捕らえ、逃げたというだけで同じ罪にはしなかった。

賢王と呼ばれたナガマールへの信頼が、残っていた。

王女を見て頭を下げる者が増え、マサムネルへ協力を申し出る声も続いた。

幾日か過ぎると、岸の市に人が戻った。兵の見張りだけだった船着場から、荷を積む掛け声が上がる。

ある夜、ヒデヨシはセリーンと窓辺にいた。

ルイボスは侍女に見守られて眠っている。

娘が手を離すまで付き添っていたセリーンが、ようやく戻ってきたところだった。

彼は彼女を抱き寄せた。セリーンも背へ腕を回す。

目を合わせて唇を重ね、寝所で互いの温もりを確かめた。

その後、隣に横たわる彼女が、開いた窓へ顔を向けた。

「あの日、美しいと申し上げた景色が、また見られましたね」

湖に月明かりが映っていた。初めて二人で渡った時、守らねばならないと語り合った湖だった。

「……二人にも、見てほしかったな」

「はい。だから、ルイボス様と見てまいりましょう」

ヒデヨシは彼女の手を握った。セリーンも握り返し、しばらく二人で水面を眺めた。

ノレイオンからの召還が届いたのは、その数日後だった。

ジパング軍は態勢を立て直し、再びエゾリアと向き合っていた。

ミツヒデンが指揮する前線は、押しては押し返され、兵も馬も疲弊しているという。

「ヒデナガ。後を頼む。皆と、マサムネル殿を助けてくれ」

「分かった。兄上は上様の話を、よく聞いてこい」

ヒメノワール軍の主力は、湖国に残した。ルイボスはセリーンの袖を握っている。

「セリーン、今夜もいっしょ?」

「はい。お休みになるまで、お傍におります」

娘が安心してうなずくのを見届け、ヒデヨシは一人で馬に乗った。

前線の本陣では、ミツヒデンが地図を押さえていた。

「こちらが進めば騎馬が退き、兵を戻せば後ろを襲う。

かといって追い続ければ、こちらの荷が追いつかぬ」

机に置かれた報告には、両軍の損耗が並んでいた。

「使者は?」

ヒデヨシの問いへ、ミツヒデンが顔を上げる。

「出した。門も開かぬ。名乗る前に、矢で追い返される」

ノレイオンは黙って聞いていた。ヒデヨシは王へ向き直る。

「俺を、使者としてお遣わしください」

「猿。一人で行くと申すか」

「兵を連れれば、向こうも槍を揃えます。まず、話をするための門を開けたいのです」

王はしばらく青年を見つめた。やがて従者へ手を上げ、陣羽織を持ってこさせる。

細かな菱形の地模様を織り込んだ、黒い袖なしの陣羽織だった。

襟から前端、裾へ銀の縁取りが走り、両胸には銀の織田木瓜が一つずつ縫い取られていた。

「わしの使者であることを、向こうにも見せてやれ」

ヒデヨシは羽織を受け、鎖帷子の上から両肩へ掛けた。

前を開いた身頃が脛近くまで垂れ、露わな上腕の脇を風が抜ける。背の重みを確かめ、深く頭を下げる。

「必ず、話を纏めて参ります」

エゾリア王城への道には、折れた矢が残っていた。

白旗と使者の印を掲げて進むと、四方の物陰から弦の鳴る音がした。

一本が足元へ刺さり、次の矢が馬の前を横切る。

ヒデヨシは馬を下りた。驚く馬を道の陰へ繋ぎ、旗を手に歩いた。

〖半兵衛… 御館様、こちらを退かせる狙いの矢です。ですが、狙いが変わらぬ保証はありません〗

『承知しておる。余が話す前から、向こうを斬りに来た顔はできぬ』

【官兵衛… 城壁の者にも、お顔が見えるように。旗は下ろさないでください】

矢が陣羽織の裾を掠めた。彼は歩みを変えず、門前で足を止める。

「ジパング王ノレイオンの使者、ヒデヨシ! シンゲル陛下へ、お目通りを願います!」

城壁の上に、赤と銀の短髪の武将が現れた。槍を携え、青年の顔と背の紋を見比べる。

「ヒメノワールの、ヒデヨシ殿か」

「はい」

「私はユキムラン。そこで、お待ちいただきたい」

しばらくして、門の閂が動いた。

ユキムランは通路へ降り、兵を左右へ下がらせた。

「王がお会いになります。

亡き戦友ケンシーン様の娘を保護し、その近衛随一のケンシロン殿が従う男を、一度見たいと」

ヒデヨシは旗を畳み、一礼した。

謁見の間へ通されると思ったが、案内されたのは大浴場だった。

「まずは道中の汚れを落とせとの仰せです。刀と陣羽織は、こちらへ」

湯気の向こうに、広い湯船が見えた。

「……この広さ、久しぶりだな」

思わず声が弾んだ。籠手と腹当てを解き、鎖帷子を脱いで預けた。

体を洗い、肩まで浸かる。張っていた背が緩み、息が漏れた。

〚金兵衛… 御館様、使者のお役目をお忘れなく。刀と羽織は、出る時に必ずお確かめください〛

『分かっておる。じゃが、よい湯じゃのう』

「猿。わしの湯は、気に入ったか」

低い声と共に、豊かな髭を持つ男が入ってきた。ユキムランも裸で後ろに続く。

ヒデヨシは姿勢を正した。シンゲルは構わず湯へ入り、向かいに腰を下ろした。

「お前にとって、国とは何だ。ジパングとは」

湯の波が、胸へ届いた。

「俺が帰る場所です。それから、帰りを待つ人たちが暮らす場所です」

「城や領土ではないと?」

「城も土地も必要です。でも、そこで暮らす人がいなくなれば、守ったことにはならないでしょう」

ヒデヨシは湖国の倉へ戻った兵を思った。

武器を置かせた後、その男たちが荷を運び、船を繋ぎ直していた。

目の前の王を見ていると、前世に聞いた武田信玄の姿が、どことなく重なった。

『そういえば、信玄公が申しておったな』

「人は城、人は石垣、人は堀。俺は、そう思います」

シンゲルの目が丸くなった。次の瞬間、湯場へ笑い声が響く。

「お前が、それを申すか!」

笑いは長く続かなかった。やがて王は湯を掬い、掌から落とした。

「……昔、ケンシーンにも、そう申した」

ユキムランが、黙って王を見る。

「その男の国を、わしは守れなんだ」

ヒデヨシは口を挟まなかった。湯の滴る音を聞いていた。

「今、その娘をお前が守り、あのケンシロンが、お前の軍におる。

何をしたのか、聞いてみたかったのだ」

「一緒に港を立て直してきました。

俺の知らないことも、できないことも、二人に助けてもらっています」

王は髭を撫でた。

「従わせたのではなく、か」

「俺一人じゃ、今ごろ港の仕事で潰れています」

シンゲルが、また笑った。湯を出ると、早い夕膳が用意されていた。

鎖帷子と腹当て、籠手を着け直し、乾かした陣羽織と刀を受け取って、席へ着く。

そこにはシンゲルの娘、カイロヒメもいた。父の横へ座りながら、客人を待ちかねた顔をしている。

「ガラシャンは、息災ですか」

「はい。ヒメノワールの大誓堂で、皆と暮らしています」

「……笑っていますか」

問いかける声が、少し低くなった。

「はい。食卓を囲んで、笑うこともあります」

カイロヒメは膝の上で手を重ねた。指先へ目を落とし、細く息を吐く。

「よかった」

「一度、会いにいらしてください。きっと喜びます」

横でシンゲルが杯を止めた。

「敵国の娘に、遊びに来いと申すか」

「カイロヒメ殿とガラシャン殿の絆まで、戦で断つ必要はないでしょう」

ヒデヨシは王へ目を向けた。

「お二人は、敵ではありません」

シンゲルは青年を見つめ、杯を置いた。笑い出しかけ、その前に咳き込む。

ユキムランが水を寄せた。王は手で制し、息を整えたが、胸の動きはなかなか戻らなかった。

【官兵衛… 御館様。お体の内側が、ひどく弱っておられます。長い病が進んだご様子です】

『湯から上がった時も、立つまでに間があったのう』

〖半兵衛… お話の途中で、何度も姫とユキムラン殿を見ておられます。

ですが、お気持ちまでは決めつけられません〗

ヒデヨシは二人の手元を見た。王が咳くたび、同じように動きかけ、同じように止まる。

「……シンゲル様、失礼ですが、お身体の具合があまり良くないのですね。

残された時間があまりないのですか?」

ユキムランが跳ねるように立った。壁際の近衛兵も進み、槍先が一斉にヒデヨシへ向く。

「何を、知っている!」

「よい」

シンゲルが手を上げた。槍が止まる。

「なぜ分かった」

ヒデヨシはしばらく黙った。内側の声を説明することはできない。

「……勘、でしょうか」

王は鼻で笑い、やがて大きく声を上げた。

「勘で、人の腹の内まで覗くか! 槍を引け。飯が冷める」

兵が下がると、王は娘と青年を見比べた。

「猿。お前、婿にならんか」

「父上!」

「お断りします」

即座の返事に、カイロヒメが別の意味でも目を見開いた。

「思い人が、隣におられるではありませんか」

ヒデヨシの視線を追って、シンゲルがユキムランを見る。

武将は何かを口にしようとして、娘と目が合い、言葉を失った。

「それすらも見抜くか!」

王の笑いに、二人の頬が赤くなる。

「からかわないでください、父上」

娘が顔を伏せる。王はその横顔を見て、ゆっくり笑みを収めた。

「わしが死んだ後も、この二人が安心して暮らせる国を残したい」

食器の触れる音が、止まった。

「ユキムラン。わしの死後、娘と夫婦となり、この国を背負う気概はあるか」

武将は膝をついた。

「私の心は決まっております。カイロヒメの心が、私と同じであればよいのですが…」

「同じです」

娘の返事に、王が目を細めた。

「国を継ぐ者は、こやつでよい。だが、娘と二人で背負わせるには、まだ若い」

そしてヒデヨシへ向き直る。

「猿、ユキムランと義兄弟にならんか?お前が兄でユキムランが弟でよい。

この先は支え合う戦友になると誓ってはくれんか?」

ヒデヨシはすぐには答えられなかった。

夫妻の冷たい手が、掌へ戻る。墓前で、小さな娘が尋ねた言葉も。

「俺でよければお引き受け致します。エゾリアをユキムラン殿と共に守ります」

ユキムランが杯を取った。自分の手で、もう一つを差し出す。

「ヒデヨシ殿。この先は兄弟として共に力を合わせて参りましょう」

「わかった、ユキムラン。一人で気負わずになんでも話してくれればいい」

杯へ酒が注がれた。二人は目を合わせ、飲み干した。

シンゲルはその間を見届けてから、低い声で続けた。

「病のことも、継承の話も、この盃も、今は内々に留めよ。家臣を争わせる種にしたくはない」

ヒデヨシはうなずいた。ユキムランとカイロヒメも、深く頭を下げる。

杯を置き、ヒデヨシは王へ向き直った。

「では兄として、弟の兵にも、帰る家があると申し上げます。……まず、この戦を終わらせてください」

王は長く青年を見つめた。

「湖国で亡くなった方々も、もう戻りません。この先まで、同じ別れを増やしたくはないんです」

シンゲルが目を伏せた。戦を進めた王自身の責めも、消えるわけではなかった。

「……明朝、兵を引く」

顔を上げ、はっきり続ける。

「ノレイオンと結ぶ。撤兵の報せと使者を出す。その約束は、お前の王へ持ち帰れ」

ヒデヨシは深く頭を下げた。

『ルイボス。皆が休めるよう、まずは一つ、約束を得たぞ』

城門を出るころ、夕日が城壁を染めていた。

馬へ戻る青年を、シンゲルとユキムランが門の内から見送った。

ヒデヨシは一度振り返り、礼をして馬首を返す。王が、隣の若者へ目を向けた。

「よく見ておけ、ユキムラン。天に愛されている者というのは、あいつのような者のことを言う」

ユキムランは、遠ざかる背から目を離さなかった。

夕日が黒い陣羽織の銀糸を照らし、織田木瓜が眩しく輝いていた。

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