第10話:夕焼けのライター、狂った現像液
真夢先輩から届いた、あまりにも悲痛なSOS。
慶太と夢果は、祈るような思いで夜の住宅街を駆け抜けます。
たどり着いた真夢先輩の家で、二人が目にしたのは、歪んだ執念が満ちた絶望の光景でした。
第10話、狂気の「異変編」クライマックス。どうぞ最後までお見逃しなく……!
「ハァ、ハァ、……夢果、大丈夫か!?」「うん……! うちなら、平気……っ!」
すっかり夜闇に包まれた住宅街を、俺と夢果はなりふり構わず走り続けていた。肺が焼け付くように熱い。だけど、足を止めたらすべてが終わる。スマホの画面に表示された、夢からの悲痛なSOSが頭にこびりついて離れなかった。
(夢、無事でいてくれ……!)
サークル内で有名だった真夢先輩の家の前に、俺たちは滑り込むようにして立ち止まった。見上げてみれば、あの見覚えのある建物の窓から、妙に赤黒い、不気味な明かりが外へと漏れていた。まるで、獲物を誘い込む怪物の口のようだ。
俺たちは息を整える間もなく、あの日見た玄関へと急ぐ。扉の前に立つと、心臓が耳の奥でうるさいほどに脈打った。
「夢ちゃん……!」
夢果がドアノブに手をかける。鍵は――かかっていない。
「待て、夢果、俺が先に行く」俺は夢果を背中に庇いながら、ゆっくりとドアを押し開けた。
「……夢? 真夢先輩……?」
一歩足を踏み入れた瞬間、異様な臭いが鼻を突いた。現像液の化学臭と、古い紙の匂い。そして、部屋の奥から微かに聞こえてくるのは、不協和音のようなクラシック音楽のレコードの音。
廊下を抜け、リビングの扉を開けた瞬間、俺たちの思考は完全に凍りついた。
「なに……これ……」
夢果が両手で口を覆い、恐怖に身体を強張らせる。だけど、その目は絶望に負けることなく、この異常な部屋の構造を冷静に観察していた。部屋の壁という壁、天井にいたるまで、隙間なく「写真」がピンで留められていた。
すべて、夢の写真だ。
笑っている顔、歩いている姿、テニスをしている瞬間。影に浮かび上がるそれらは、まるで歪んだ執念の結晶だった。
「ようこそ、慶太くん。夢果ちゃん。待っていたよ」
部屋の奥、赤暗いセーフライトに照らされたソファに、誰かが座っていた。
真夢先輩だ。
いや、違う。彼女は、夢のあの流出写真を、愛おしそうに、何度も何度も指先でなぞっている。その顔に浮かんでいるのは、昼間のコートで見せた、あの冷酷な『男』の笑みだった。
「先輩……! 夢はどこだ! 夢から連絡が来て、ここに向かったはずだ!」
俺が怒鳴りつけると、真夢先輩――いや、彼女の身体を借りた『男』は、低く、ドスの利いた声でクスクスと笑い声を漏らした。その声が響くたび、真夢先輩の華奢な肩が不自然に揺れる。
「夢? ああ、可哀想な夢ちゃんね。彼女なら……ほら、そこにいるよ」
男が顎で示したのは、部屋の隅にある大きなクローゼットの扉だった。
ガタガタッ、ガタガタッ……!
内側から扉を激しく叩く音と、泣き裂ぶ夢のくぐもった声が聞こえてくる。
「夢……っ!」俺たちが駆け寄ろうとした瞬間、男が動画が再生されたスマホを突き出してきた。
「動かないで。一歩でも近づいたら、この部屋の奥で泣いている彼女のスマホから、さらに多くの写真を、今度は全世界に向けてリアルタイムで拡散することになる。……分かっているよね?」
男の声は完全に真夢先輩の声を乗っ取り、冷徹な響きで俺たちを支配する。
「あんた、誰だよ……! 真夢先輩をどうしたんだよ!」
俺の叫びに、男は真夢先輩の顔のまま、ひどく歪んだ悦びの表情を浮かべた。
「私は真夢であり、真夢は私さ。彼女の歪んだ愛が、私を創り出した。彼女は夢ちゃんを自分のものにしたかった。でも、臆病な彼女にはできなかった。だから、私が代わりに『壊して』あげることにしたのさ。あの流出写真も、すべて私が仕組んだ素晴らしい芸術さ」
「そんなの……ただの最低な犯罪じゃないっ……!!」
夢果が涙をボロボロとこぼしながら叫んだ。しかし、男はそれを無視して、ビデオカメラの三脚をこちらに向け、楽しそうに広角レンズを調整し始めた。
「さあ、最高のショーのフィナーレだ。慶太くん、夢果ちゃん。君たちがここへ来るように仕向けたのは、夢ちゃんじゃない。私だ。彼女のスマホを使ってね。君たちが絶望に顔を歪めて走ってくる姿、最高に美しかったよ」
男の指が、カメラの録画ボタンの上に置かれる。
「今から君たちに選択肢をあげる。夢ちゃんを無傷で救いたければ、2人のうちどちらか1人が、今ここで『写真の件はすべて自分が仕組んだ』とカメラに向かって自白しておくれ。その動画をネットに流せば、夢ちゃんの身の潔白は証明される。だけど――自白した方の人生は、社会的に完全に終わりを迎える。……さあ、どっちが身代わりになる?」
狂気に満ちた、悪魔のゲーム。
赤黒い光の中で、真夢先輩の皮を被った男の瞳が、ギラリと不気味に輝いた。
俺の背中に、冷や汗が伝わる。ここで自白すれば人生が崩壊する。だけど、夢を救うにはこれしかないのか――。
その時、俺の斜め後ろにいた夢果の指先が、小さく俺の腰のあたりを小突いた。
(……え?)
夢果の視線が、一瞬だけ天井の「ある一点」を捉え、すぐに男へと戻った。
その意図を、俺は瞬時に理解する。男の頭上、エアコンのすぐそばにある、丸い機器。
――火災報知器だ。
夢果の手には、いつの間にかポケットから抜き取ったライターが握られていた。サークルのイベント用でいつも持ち歩いているやつだ。夢果は涙を流したまま、男に気づかれないよう、背中の後ろで静かに火を灯す準備を始める。
(あいつ、この部屋で火災が起きたテイにして、報知器を鳴らす気か……!)
大音量の警報が鳴り響けば、この家中に大騒ぎになる。さしもの狂気の男も、警察や近隣の人間が押し寄せるリスクを冒してまで、ショーを続けることはできない。この異常な空間を強制終了させる、唯一の突破口。
「どうしたの? 早く選ばないと、配信ボタンを押しちゃうよ?」
男がじりじりと指を動かす。
俺は男の視線を完全に自分へ引きつけるため、わざと大きく一歩前に踏み出し、両手を広げて声を張り上げた。
「わかった……! 俺がやる! 俺が全部やったって、そのカメラに向かって言ってやるよ! だから夢には手を出すな!」
「おや、素晴らしい自己犠牲だ、慶太くん。では、カメラの正面へ――」
男が満足げに口元を歪め、俺へ視線を固定したその瞬間。
俺の背後から、夢果が目にも留まらぬ速さで動き出した。部屋にあった夢の写真(紙)の束に火をつけ、一気に天井の報知器へと突き出す!
「しまっ――」
男が気づいた時には、すでに遅かった。ピィィィィィィ――!!! ビーーーッ! ビーーーッ!部屋中に、鼓膜を突き刺すような大音量の火災警報が鳴り響いた。
第10話をご覧いただき、ありがとうございました!
ついに明かされた真夢の自宅の惨状、そして彼女を乗っ取る『男』の正体。夢を人質に取られ、人生を賭けた最悪の二択を迫られる慶太でしたが、ここで夢果との決死のアイコンタクトが炸裂しました……!
――と、ここで少し執筆の裏話を。
本来は、ここの対峙シーンでもっと過激でハラハラするサスペンス演出を予定していたのですが……各種動画・投稿ガイドライン等の表現規制を考慮した結果、泣く泣く現在の形(火災報知器を狙う連携プレー)へと演出を変更せざるを得ませんでした……!
ですが、結果として慶太と夢果の絆や、一瞬の隙を突くスピード感ある逆転劇になっていれば幸いです。
慶太が命がけで引きつけた一瞬の隙。夢果が放った炎は、この狂った空間を打ち破る一撃となるのか――!?
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次回の第11話も、どうぞお楽しみに!




