↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒロインとボクとの掟  作者: ぉんじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/28

効率的生存戦略と遠巻きの日常

昼休み。


清岡高校の購買は弁当やパンを求める生徒でごった返していた。


早瀬理(はやせ おさむ)はその混雑を事前に回避するため、朝のうちに購買でおにぎりを二個買っておいた。


教室の自分の席で持参したおにぎりを淡々と口に運ぶ。


購買のパンは炭水化物に偏る。


その点おにぎりは一個単位でカロリーと塩分が管理されていて無駄がない。


理はそういう計算を無意識にやっている自分に気づいて別に悪いことではないと思考を打ち切った。


「早瀬ーっ!」


教室の入口から小野陽介(おの ようすけ)が袋を掲げて駆け込んでくる。


後ろから蓮見駿(はすみ しゅん)がいつものカフェオレ片手に無表情で歩いてきた。


小野は理の前の席を借りてどっかりと座る。


袋からはメロンパンと焼きそばパンとカレーパンが出てきた。


栄養バランスも何もあったものではない。


「聞いてくれ! 俺、今回のテスト三科目赤点の危機なんだ!」


「毎回言ってるな」


「今回は本当にヤバい!」


小野はメロンパンをかじりながら切実な表情で身を乗り出してきた。


「数学Bの数列がマジでわからん。


古典は助動詞の活用からすでに怪しい。


化学基礎は酸化還元で完全に詰んだ。


俺は詰みまくってる!


このままだと補習確定バイトのシフトで夏が死ぬ!そして青春が終わる!」


「長い」


理はおにぎりの最後の一口を咀嚼しながら短く返した。


「ていうかお前、言うほど切羽詰まってるか?


お前、去年も同じこと言ってたけど結局赤点回避してたろ」


「それはお前っていうチートアイテムがあったからだろ!


俺が赤点回避できてたのは、早瀬の『最短合格マニュアル』っていう人智を超えた装備があったからだ!」


「人智を超えてない。合理的なリソース配分だ」


蓮見がカフェオレのストローをくわえながら呟いた。


「小野、お前は毎回それで騒ぐよな。


騒ぐ体力があるなら勉強しろ」


「騒ぐのは俺の原動力なんだよ!


騒がないとエンジンがかからないタイプなの!」


「めんどくさいタイプだな……」


理はため息をついた。


だが、放っておいて小野が本当に赤点を取ってもそれはそれで面倒だ。


補習に引っかかれば来年も同じ教科で同じ小野の悲鳴を聞くハメになる。


それなら今ここで片付けておいた方が、長期的に見て合理的だった。


「わかった。放課後ちょっと見てやる」


「マジか! さすが早瀬大明神!」


「だから大明神じゃない」


「じゃあ早瀬先生!」


「先生でもない」


「早瀬救世主!」


「誇張がエスカレートしてる」


理はおにぎりの包装を丸めてゴミ箱に放り、立ち上がった。


「図書室でやるぞ。教室は落ち着かない」


「りょーかい!」


蓮見が微かに口元を緩めた。


「俺も図書室で単語帳やるか。教室より静かだし」


「よし! じゃあ放課後、図書室集合な!」


小野は残りのパンを一気に平らげた。



放課後。


図書室の隅のテーブルに三人は陣取っていた。


理は自分の世界史の教科書を開きつつ小野の前にルーズリーフを広げる。


ペンを取り出し、無駄のない手つきで要点を書き出していった。


「赤点回避の最短ルートはこれだ。数学Bの数列は等差数列と等比数列の一般項と和の公式だけ暗記。


漸化式は捨てろ。出題比率が低い」


「捨てるのか!」


「化学基礎は酸化還元の酸化数の増減だけ叩き込む。


酸化剤と還元剤の見分けがつけば小問の半分は拾える。


あとは暗記分野で逃げ切れ」


「それだけでいいの!?」


「古典は助動詞の活用表と接続だけ。


意味の細かい区別は捨てろ」


「捨てまくるなあ!」


「四面楚歌で全戦線を守ろうとするやつは全戦線で敗ける。


赤点回避には三科目で平均三十点以上取ればいい。


三十点取れる分野だけ守って、あとは捨てる。


これが最小の努力で最大の結果を得る戦略だ」


「なるほど……」


小野は神妙な顔でルーズリーフを覗き込んだ。


「活用表ってつまり『未然形にはこれを付けろ』ってやつか」


「そうだ。接続さえ覚えれば穴埋めは拾える」


「酸化数は『増えたら酸化、減ったら還元』だよな」


「お前、飲み込みは悪くないな」


「だって俺、要領だけはいいから!」


蓮見が単語帳から顔を上げずに呟いた。


「その要領をもっと早く発揮すれば、普段から赤点に怯えなくて済むんじゃないか」


「それはそれ、これはこれ!」


「わけがわからん……」


理は数列の例題を三問、ルーズリーフに書き出した。


「これを明日までに自力で解いてこい。


わからなければいつでも連絡をくれ」


「りょーかい! 早瀬先生ありがとう!」


「だから先生じゃない」


そのとき、背後で小さく咳払いが聞こえた。


「早瀬くん、ちょっといい?」


理が振り返ると、そこにはクラスメイトの藤村栞が立っていた。


図書委員の腕章を付けて、無表情というよりは「やれやれ」といった顔で理を見下ろしている。


黒縁の細い眼鏡の奥の目が、呆れを含んで細められていた。


「図書室での私語は控えめにって貼り紙、読んだことある?」


「ある」


「あと、飲み物は蓋付きのものだけ許可って規則も」


藤村の視線が蓮見のカフェオレの紙パックに向けられる。


蓮見は無言でカフェオレを机の下に隠した。


「三つめ。プリントを広げるのはいいけど消しカスは帰るときに自分で片付けてね。昨日の机消しカスの山だったから」


「把握した」


理が端的に三回頷くと、藤村は小さく息をついた。


「相変わらず無駄のない返事だね」


「無駄がないのは美徳だ」


「美徳かどうかは状況によるよ」


藤村は少しだけ口元を緩める。


それが彼女の笑い方だった。


「でもちゃんと謝らないところが早瀬くんらしいというか」


「謝る必要があるなら謝る。今のは注意喚起と改善要求だ。規則違反の指摘には従うが、謝罪が必要な案件ではない」


「はいはい。そういうところだよ」


藤村は軽く手を振って、カウンターのほうへ戻っていった。


小野が小声で囁く。


「お前、クラスの女子にあんな感じで接してんの?」


「あんな感じとは」


「なんつーか、省エネすぎるだろ。もうちょっと愛想振りまいたら?」


「愛想はカロリーの無駄だ」


蓮見が机の下からカフェオレを救出しながら呟いた。


「でも藤村も慣れてるよな。理の対応に」


「一年の時同じクラスだったからな」


理はそっけなく答えルーズリーフの続きを書き始めた。


窓の外では、西日が校庭のポプラの木をオレンジに染め始めていた。


図書室の時計は五時を回っている。


「そろそろ閉める時間だな」


蓮見が単語帳を閉じて立ち上がった。


「フードコート行くか? 小腹が空いた」


「さんせー! 勉強したら腹減った!」


小野が元気よく手を挙げる。


理は一瞬ためらった。


フードコートに行けば、またポテトを頼んでしまう。


無駄なカロリーと無駄な出費。


だが。


「まあいいか」


今日は小野に三十分以上を割いた。


自分への報酬としてポテトくらいは許容範囲だ。


理はそう自分に言い訳して教科書をカバンにしまった。



ジェスコのフードコートは夕方の混雑が始まっていた。


学校帰りの清岡高校の生徒たちが、トレイを手に席を取り合っている。


理たちはなんとか隅のテーブルを確保し、それぞれポテトとドリンクを調達した。


「しかしテスト三日前ってみんな考えること同じだな」


小野がポテトを頬張りながら周囲を見回す。


「当たり前だ。テスト前は部活が休みになる」


理はドリンクのストローを口にくわえながら答えた。


「そういう意味じゃなくて、勉強しなきゃいけないって焦ってるのに結局フードコートに集まっちゃう感じがさ」


「お前が言うな」


蓮見がカフェオレ片手に苦笑する。


そのとき理の視界の隅に小さな動きが映った。


フードコートの入口から少し離れた、柱の陰になる席。


一年生の女子が二人向かい合って座っている。


一人は黒髪のショートカット。


夜野紬だった。


もう一人は、茶髪をポニーテールにした明るい雰囲気の女子だ。


数学の教科書を広げてなにやら熱心に話し合っている。


夜野はノートにペンを走らせながら、時折笑顔を見せていた。


数週間前、購買で「拝啓・敬具」の手紙を配っていた姿とは別人だ。


表情は柔らかく友達との距離も近い。


理は無言でポテトを一本つまんだ。


「お、あれ」


小野がやはり気づいたらしい。


「一年の時の、例の手紙の子じゃん。


なんか普通に友達できてんじゃん」


「……別に」


理はそっけなく返した。


夜野はこちらの存在に気づいたようだった。


顔を上げて、理のほうを見る。


少し驚いたような表情を浮かべ、それから小さく会釈した。


理は軽く手を挙げて返す。


それだけだった。


夜野はすぐにまた友達との勉強に戻る。


茶髪の女子が何か冗談を言ったのか、二人で声をひそめて笑っている。


「なんだ早瀬ちょっと寂しいんじゃないか?」


蓮見がカフェオレのストローをくわえながら言った。


「あれだけべったりだった後輩が、お前のいないところで楽しそうにしてるのを見ると」


「寂しいわけがあるか。むしろ好都合だ」


理は即答した。


その声は、自分でも少し硬かったかと思う。


「余計な面倒事が一つ片付いた。


あとは自力でやれるならそれが一番いい」


「ふーん」


蓮見はそれ以上なにも言わず、カフェオレを啜った。


小野はルーズリーフを取り出して「活用表は『未然形にはこれを付けろ』だよな!」と一人で復習に盛り上がっている。


理は世界史の教科書を取り出そうとして、やめた。


今はどうせ頭に入らない。


十九世紀のウィーン体制。


メッテルニヒ。


自由主義と国民主義の抑圧。


文字を思い浮かべながら、頭の別の場所がわずかに引っかかっているのを感じていた。


——自分の力で友達を作って、勉強会までできるようになった。


——それは理が与えたアドバイスの正しい成果だ。


最短ルートで解決した。面倒は終わった。


なのに。


暴走列車のような勢いで迫ってきたあの後輩の姿が脳内でなぜかチラつく。


この、胸の隅に刺さった小骨のような違和感はなんだ。


名前をつけることもできない、小さなノイズ。


「余計な面倒事が片付いた」という合理的な安堵。


それだけで片付くはずなのに、片付かない何かが確かにそこにあった。


「早瀬ー数列の一般項ってどうやって出すんだっけ?」


「等差数列は初項に公差をn−1回足す。等比数列は初項に公比をn−1回かける」


「おお! 図にすると超わかる!」


「数列は図じゃない。式を書け」


理は説明を続けながら、もう一度だけ視線を上げた。


夜野たちの席にはすでに彼女の姿はなかった。


二人とも帰ったのだろう。


トレイだけが片付けられてテーブルの上は何もなくなっていた。


「なんだこれ」


理は誰にも聞こえない声で呟き、それ以上考えることを拒絶するようにわざわざ視線を窓の外へと無理やり向けた。


五月の夕暮れが、駐車場のアスファルトをオレンジ色に染めている。


遠くの山並みがシルエットに変わる手前の時間だった。


理はドリンクのストローをくわえ直し、次の科目の暗記計画へと意識を沈めていった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

ブクマや評価、感想をいただけると泣いて喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。