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ヒロインとボクとの掟  作者: ぉんじ


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24/26

おそろいのTシャツと巡回業務

学祭二日目。

一般公開日。


朝の生徒会室は昨日とは比べ物にならないほど慌ただしかった。

実行委員と生徒会役員が入り乱れ、最終確認の声が飛び交っている。

廊下からはすでに来場者の声が聞こえ始めていた。


理は備品のダンボールから、新品が詰められている実行委員用のTシャツを取り出した。

今年のデザインは、紺色の生地に学祭のロゴが胸元に小さく入ったものだ。

業務用のユニフォーム。それ以上でも以下でもない。


袖を通し、鏡で襟元を整える。


そこに夜野が入ってきた。彼女も同じTシャツを着ている。

髪を一つにまとめ、昨日より少しだけ仕事モードの顔をしていた。


「おはようございます、先輩」


「ああ。今日は昨日より人が多い。気を引き締めていけ」


「はい」


夜野は自分の席に荷物を置き、理の隣に立った。

同じTシャツを着た二人が並ぶ。

理はそれが業務上の標準であることを理解していた。理解していたが


「お、ペアルックじゃん」


背後から声がした。


振り返ると、生徒会書記である一ノ瀬が立っていた。

彼女は理と夜野を交互に見て、ニヤニヤしながら近づいてきた。


「早瀬くん。見回り中にカップルでデートしたら駄目だよ」


「これは支給された業務用のユニフォームであり、個人の私的感情とは一切関係ない。

それにこのユニフォームは一ノ瀬さんも着るじゃないか」


理は即座に答えた。一ノ瀬は大きくため息をついた。


「そういうとこだよ、早瀬くん」


「どういうところだ」


「いいから。とにかく、今日の見回りは早瀬と夜野さんのペアで頼むよ。

私は本部で待機するから、何かあったら連絡して」


一ノ瀬はそう言い残して本部の方へ歩いていった。

その背中が、面白がっているように少し揺れていた。


理は隣を見た。夜野は少し赤くなりながらも、嬉しそうな顔をしていた。


「先輩、行きましょうか」


「ああ」


理はインカムのチャンネルを合わせ、学祭のパンフレットを手に取った。


——業務だ。ただの業務だ


理は自分にそう言い聞かせた。

だが、その言葉がいつもより少しだけ空虚に響いたことを、理は自覚していた。


一般公開が始まると、校内は外からの来場者でごった返した。


正門から左手にある屋根付きの駐輪場や校舎内では模擬店が並び、体育館ではステージ発表の音が響いている。

家族連れ、卒業生、地域の人々。

普段の学校からは想像もできないほどの人が、この空間を埋め尽くしていた。


理と夜野のペアは、校内の安全巡回と混雑状況の把握を担当していた。


並んで歩く。

同じTシャツを着て。

人混みの中を、一定の距離を保ちながら。


周囲の視線が、時折こちらに向く。

理はそれを「実行委員への注目」と処理した。

だが、その視線の中には「微笑ましいものを見る目」が混ざっていることにも気づいていた。

気づいた上で、業務に集中した。


「先輩、中庭の方、混雑してますね」


「ああ。迂回路を確保する必要がある。インカムで本部に連絡する」


理はインカムを操作し、中庭の混雑状況を報告した。

夜野はその横で、来場者に道を譲りながら歩いていた。


ふいに


「ママ……ママどこ……」


小さな声が、人混みのざわめきの中に混ざった。


理の足が止まった。夜野も同時に立ち止まる。


声のした方を見る。

中庭のベンチの陰で、小さな女の子が立っていた。

五歳か六歳くらい。

目に涙をいっぱい溜めて、周囲を見回している。


近くにいた一般客が、少しざわつき始めていた。


「どうしよう、迷子かしら」


「親御さん、どこかしら」


理は夜野に目を向けた。夜野が頷く。


理は人混みを縫うようにして女の子の前に歩み寄った。

そして、しゃがんだ。子供の目線に合わせる。


「名前は?」


理の声は、いつもより少しだけ低くしかし明確だった。


女の子はびっくりしたように理を見上げた。涙で濡れた目が、理の顔を映す。


「……み、みお」


「みおちゃん。どこではぐれた?」


「……えっと……あっち」


女の子が指を差す。中庭の入口付近。人混みの最も密集している場所だった。


理は立ち上がり、インカムのボタンを押した。


「本部、本部。中庭ベンチ付近で迷子一名。

五歳から六歳の女児。

名前はみお。

親の特徴は不明。

中庭入口付近ではぐれた模様。

保護者への放送依頼を」


『本部了解。放送室に連絡する。君はその場で保護を続けて』


「了解」


理は再びしゃがんだ。


「みおちゃん。お母さんが迎えに来るまで、ここで一緒に待とう」


「……うん」


女の子は小さく頷いた。

理は自分のTシャツの裾で、女の子の涙を拭いてやった。


夜野はその様子を一歩後ろから見ていた。


理の横顔は、いつもと同じだった。

冷静で無駄がなくて、的確で。


でも、夜野は思った。この人は、こういう人なのだ。


生徒会室で淡々と仕事をしているときも、ダンスを見ているときも今も。

根本は何も変わっていない。変わることなく、誰かのために正確に動く。


夜野は、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。


「先輩、私、入口の方でお母さんを探してきます」


「ああ。頼む」


夜野が人混みに消えていく。理は女の子の隣に立ち、周囲の安全を確認しながら待った。


数分後、放送が校内に流れた。


『みおちゃんのお母様、中庭のベンチ付近までお越しください』


さらに数分後。人混みをかき分けるように、一人の女性が走ってきた。

女の子が「ママ!」と叫んで駆け出す。

女性がしゃがみ、女の子を抱きしめた。


「よかった……よかった……ありがとうございます、本当に」


女性は理に何度も頭を下げた。理は


「業務ですので」


とだけ答えた。


夜野が戻ってきた。

その顔には、少しだけ誇らしげな表情があった。


「先輩、すごかったですね」


「何がだ」


「ああいうの、瞬時にできちゃうの」


理は答えなかった。

代わりにインカムを操作し、本部に迷子一件の解決を報告した。


周囲の来場者から、小さな拍手が起きた。

理はそれにも


「業務です」


とだけ答えた。


夜野は、その理の横顔を見つめながらまた少しだけ笑った。


——やっぱり、こういうところなんですよね


それは、昨日のダンスのときの感情とは違うものだった。

もっと静かで、もっと確かでもっと温かい。


理は夜野の視線に気づいたが、それに名前をつけることはしなかった。


巡回を続けるうちに、二人は理のクラスである二年三組の「お化け喫茶」の前に差し掛かった。


教室の入り口を黒い布で覆い中からは不気味な音楽が漏れている。

客寄せのために外に出ていた五十嵐が、二人の姿を見つけて手を振った。


「お、生徒会コンビ! ラブラブなお散歩ご苦労様です!」


「これは業務の巡回だ」


理は即座に返した。五十嵐は笑いながら近づいてくる。


「いやいや、そのTシャツ。ペアルックじゃん」


「支給品だ」


「支給品でもペアルックはペアルックだって」


その時、教室の中から花邑が出てきた。

エプロン姿で、手にはお盆を持っている。

彼女は理と夜野を見て、少しだけ目を細めた。


「……しっかり仕事してくださいね、実行委員様方」


「ああ。問題ない」


理が真面目に答えると、夜野がクスッと笑った。


「そうですよ、業務ですから。ね先輩?」


夜野の声には少しだけイタズラっぽい響きがあった。

理はそれに気づいたが、特に何も言わなかった。


五十嵐が


「お前ら、いいコンビだな」


と笑い花邑が


「……そうですね」


と小さく呟いた。


その声が、昨日より少しだけ柔らかかったことを理は記録しなかった。



さらに巡回を続けた先三年四組のお化け屋敷の前で、夜野が足を止めた。


「先輩、せっかくだし行きませんか?」


「行きたいのなら一人で行ってくればいい」


「さっきも業務でお化け喫茶を見たんですし、同じ業務の巡回ですよ」


理は夜野を見た。夜野は真面目な顔をしていたが、その目の奥には明らかに「遊びたい」という光があった。


理は少し考えた。そして、折れた。


「……業務の一環として、施設の安全確認を行う」


「はい、業務です」


夜野が笑った。



お化け屋敷の中は、予想以上に暗かった。

黒い布と段ボールで作られた迷路のような通路。

時折、脅かし役の生徒が物陰から飛び出してくる。


理は前を歩き、夜野はその後ろを歩いた。

一定の距離を保ちながら。


だが


「わっ!」


突然、横から白い仮面をつけた生徒が現れた。

夜野が小さく悲鳴を上げ、とっさに理の袖を掴んだ。


理の足が止まった。


夜野の手が、理のTシャツの袖をギュッと握っている。

暗闇の中で、その感触だけが異様に鮮明だった。


「……すみません、先輩」


夜野の声が、すぐ後ろから聞こえた。

少し震えていた。


「気にするな。業務中の事故だ」


理はそう言った。

だが、心臓が一跳ねしたことを理は自覚していた。


——説明のつかない何か


それはまた、理の中に生じた。


暗闇の中、夜野はしばらく理の袖を離さなかった。

理も、それを振り払わなかった。


お化け屋敷を出た後、二人は体育館で行われている軽音部のライブの安全確認に向かった。


体育館の中は、爆音と熱気に満ちていた。

ステージ上ではバンドが演奏し、客席の生徒たちが体を揺らしている。


理はインカムで本部に連絡しながら、観客の密集度と非常口の確保を確認した。


「先輩!」


夜野が何かを言ったが、音に消された。


理は夜野の方に顔を近づけた。


「何だ」


「音量、基準値内ですか?」


「ああ。問題ない」


夜野が理の耳元に口を寄せる。

爆音の中では、そうしなければ会話ができなかった。


「観客の密集度、少し高いです!」


「わかっている。誘導を検討する!」


理は答えたが、その瞬間、自分の集中が一瞬だけ途切れたことを感じた。


夜野の声と、その息遣いがすぐ近くにあった。


——業務に集中しなければならない


理は自分に言い聞かせた。だが、その言葉は、朝と同じように空虚に響いた。


一般公開が終了したのは、十六時を過ぎた頃だった。


来場者たちが帰路につき、校内はゆっくりと静けさを取り戻していく。

模擬店の片付け、ステージの撤収、来場者用の案内板の回収。

やることは山積していたが、それでも昨日よりは穏やかな空気が流れていた。


生徒会室に戻ると夜野がすでにいた。

Tシャツのまま、椅子に座って報告書を開いている。


「お疲れ様でした、先輩」


「ああ」


理は自分の席に座り、今日の報告書を開いた。

迷子一件/混雑トラブル二件/その他問題なし。

入力は正確で無駄がなかった。


夜野が少し間を置いて、口を開いた。


「先輩。今日の巡回、色々ありましたけど……」


理はキーボードを打つ手を止めなかった。


「……楽しかったです」


理の指が、一瞬止まった。


「業務だからな」


理はそう答えた。

いつもと同じように。だがその言葉は、喉の奥で少しだけ引っかかった。


夜野はしばらく黙っていた。そして、小さく笑った。


「そっか。じゃあ、いいです」


理は報告書の入力を再開した。

だが、文字がいつものように滑らかに出てこなかった。


夜野が立ち上がり、荷物をまとめ始めた。


「先輩、明日は後片付けです。またよろしくお願いします」


「ああ」


「じゃあ、お疲れ様でした」


夜野が生徒会室を出ていった。


理は報告書の画面を見つめた。文字は進まなかった。


今日、自分の中に生じたあの感覚。


迷子の女の子を保護したときではない。

お化け喫茶の前で夜野が笑ったときでもない。


お化け屋敷の暗闇で、夜野が袖を掴んだとき。


軽音部の爆音の中で、夜野が耳元に顔を寄せたとき。


そして、今。夜野が「楽しかったです」と言ったとき。


——説明のつかない何か


それは、昨日のダンスを見たときと同じものだった。

だが、昨日より少しだけ強く少しだけ近くにあった。


理は報告書を閉じた。


明日の準備をしなければならない。後片付け。そして、日常が戻ってくる。


理は立ち上がり、資料を手に取った。


その手が、昨日と同じようにほんの少しだけいつもより強く資料を握っていた。


そして、理は気づいていなかった。


心の奥にまだ夜野が袖を掴んだ感触が残っていることを。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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