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ヒロインとボクとの掟  作者: ぉんじ


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最適解と例外

学祭前日の朝、校舎は異様な熱を帯びていた。


廊下を走る足音、遠くから響く怒号、工具のぶつかる金属音。

それらが混ざり合い、普段の学校とは思えない喧騒を作り出している。

空気そのものが、普段より数度高い。


生徒会室は、もはや本部だった。


机の上には各クラスから提出された進捗表と、実行委員会のタイムテーブルが散乱している。

トランシーバーとスマートフォンの通知音が、数秒おきに鳴り響く。


「模擬店の長机が三つ足りません!」


「三年一組から、装飾用の段ボールが届いていないと連絡が」


次々に駆け込んでくる生徒たち。

理はその一人ひとりの顔を見ず、報告の内容だけを聞いて即座に指示を返していく。


「長机は視聴覚室の予備を使え。

段ボールは昨日のうちに倉庫に搬入済みだ、三年一組に伝えろ」


駆け込んでくる生徒の数だけ理の口が動く。

誰も、同じ質問を二度はしていない。


夜野が隣でタブレットを操作しながら理の指示を記録していく。

彼女の動きも無駄がなく、二人の間に言葉はほとんど要らなかった。


音源トラブルは、昼過ぎに飛び込んできた。


体育館のステージではクラスのステージ発表のリハーサルが行われている。

その体育館から女子が泣きそうな顔で駆け込んできた。

理と同じクラスのリーダー格の女子、花邑(はなむら) 陽菜(ひな)だ。


「……すみません!ステージリハで音源が再生できないんです!

リハ時間少ししかないのに!」


理は立ち上がり、彼女の手からUSBメモリを受け取った。


「ファイル形式を確認する」


自分のノートPCを開き、データを読み込む。数秒後理は頷いた。


「音源の形式が機材に対応していない。MP3を変換すればいい」


キーボードを叩く音が静かに響く。

三分後、理はUSBメモリを返した。


「これで再生できる。次からは事前に確認しておけ」


花邑は涙を浮かべて何度も頭を下げた。


「ありがとうございます!

本当に、本当に助かりました!」


理は頷いただけだった。


花邑は一瞬、何か言いたそうな顔をしたが結局何も言わずに生徒会室を出ていった。


理は席に戻る。


夜野がその背中を見送りながら、小さく呟いた。


「……先輩、あれ、もうちょっと優しく言ってもいいと思うんですけど」


「優しさは業務効率に関係ない」


「そういうところですよ、もう」


夜野はため息をついたが、理はすでに次の報告書に目を通していた。


夕方に近づいた頃、クラスのリーダー格、五十嵐(いがらし) 大地(だいち)が生徒会室に乱入してきた。


「早瀬! お化け喫茶の仕切り壁が足りねえ!

設計図通りにやってもどうしても歪むんだよ、来てくれ!」


理は顔を上げた。

手元のスケジュールを確認する。


「あと三十分で俺の担当区域の点検がある。

手順書を書くから、それで対応してくれ」


「いや、お前が来いよ。お前じゃないと分かんねえって。

他にも見てほしいところがあるし!」


「手順書があれば誰でもできる。今、書く」


理はタブレットを開き作業手順を図解で書き始めた。

数分で簡潔な指示書が完成する。


「これを他の男子に渡せ。補強の角度はここに書いてある通りにしろ」


五十嵐はそれを受け取ったが、すぐには動かなかった。


「……お前さ」


「何だ」


「お前、俺たちのことただの駒としてしか見てないだろ」


理は顔を上げた。

五十嵐の表情には、苛立ちとも寂しさともつかない感情が滲んでいた。


「駒……?

違う。タスクだ。学祭の準備というタスクだ。だから効率的に処理する」


「そうじゃねえよ」


五十嵐は手順書を握りしめた。


「俺たちは、お前と一緒に何か作りたいんだよ。

お前の能力が欲しいんじゃない。

お前が、そこにいてほしいんだ」


理は答えなかった。


「……悪い、忘れてくれ」


五十嵐はそう言って、生徒会室を出ていった。

扉が閉まる音がやけに大きく響いた。


夜野が理の横に立っていた。

彼女は何も言わなかったが、その視線は理の横顔に向けられていた。


夕暮れ。


校舎はようやく静けさを取り戻していた。

校庭には巨大なアーチと、模擬店のテントが並び明日の本番を静かに待っている。


生徒会室には、理と夜野の二人だけが残っていた。


理は自動販売機で缶コーヒーを二本買い、一本を夜野の前に置いた。


「……お疲れ様です、先輩」


夜野は缶を受け取り、両手で包むように持った。


「今日一日で、一週間分のカロリーを消費した気がします」


「明日が本番の本番だ。体力を温存しておけ」


「先輩は、そういうこと言いますよね」


夜野は小さく笑った。


沈黙が落ちる。窓の外では、夕日が校舎の壁を赤く染めていた。


夜野はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「先輩、昼間のこと、覚えてますか」


「どれだ」


「クラスの男子が来たときのことです」


理は缶コーヒーを一口含んだ。


「ああ」


「あの人、泣きそうな顔してましたよ」


理は答えなかった。


「先輩は、間違ったことは言ってないと思います。

手順書もきっと完璧でした。効率的だったし、合理的だった」


夜野は缶を両手で包んだまま、続けた。


「でも、あの人は、手順書が欲しかったんじゃないんです。

先輩が、そこにいてほしかったんだと思いますよ」


理は窓の外を見た。


校庭のアーチが、夕日に照らされている。

明日そこに人が集まる。理の作ったスケジュール通りに、物事が進む。


「……俺は」


理は言葉を切った。


「俺は、最適解を出したつもりだった」


「知ってます」


「だが、最適解の外側に何かがあったのかもしれない」


夜野は小さく笑った。


「あの人は、先輩の最適解に収まらない例外だったんですよ」


理は答えなかった。

ただ缶コーヒーを握る手に、少しだけ力がこもっていた。


明日、本番が来る。


理の組んだ完璧な計画の上を、しかし、計画通りに動かない人間たちが歩いていく。

そのことを、理はまだ完全には理解していなかった。


理解しないまま、それでも、理は明日に向き合おうとしていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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