平行線と均衡点
放課後の二年三組の教室は、異様な空気に満ちていた。
教壇の前に立つ男子のリーダー格の五十嵐 大地が声を荒げている。
「だから、お化け喫茶はガチのホラーでいくって決まっただろ!」
「決まってないわよ。あんなグロいの、女子は誰も賛成してない」
窓側の席から女子のリーダー格の花邑 陽菜が即座に反論する。
机を挟んで、クラスは完全に二分されていた。
学祭の出し物「お化け喫茶」の方向性を巡り、男子陣は「ガチのホラー・グロテスク路線」を、
女子陣は「インスタ映えするゴシック可愛いカフェ路線」を主張して譲らない。
議論は一時間以上続き、完全な平行線を辿っていた。
そして、その苛立ちは別の火種に飛び火する。
「そもそも、お化け役の男子は暗い密室で地味に脅かすだけで、女子は可愛い衣装でホール接客って不公平だろ! シフトを組み直せ!」
男子の一人がそう叫ぶと、教室の空気が一段と張り詰めた。
「はあ? こっちだって準備も接客も大変なんだよ!」
「じゃあお前がお化け役やれよ!」
「やるわけないでしょ、そんなの!」
議論は方向性の対立から労働配分の不公平感へと変質し、もはや何の話をしているのかすら曖昧になっていた。
理は教室の隅で学祭実行委員会の資料を眺めている。
クラスの出し物の準備には関与するつもりはなかった。
生徒会業務と実行委員会業務で手一杯だったし、クラスの人間関係に首を突っ込むのは業務効率が悪い。
しかし、その理の元に花邑と五十嵐が押し寄せた。
「早瀬くん、いつも生徒会やってるんでしょ!こういう時はどうにかしてよ!」
「そうだよ、早瀬、こういうの得意だろ!」
理は顔を上げた。
内心でこれは業務範囲外だと冷静に判断する。
だが、同時に別の計算も働いていた。
このままクラスが機能不全に陥れば、学祭本番までの準備が滞る。
準備が滞れば実行委員会の業務負担が増える。
ゆえに、ここで介入するのは自己防衛でもあった。
理は立ち上がり、黒板の前に歩いた。
その瞬間、姉の掟がフラッシュバックする。
『話し合いが平行線のときは、感情を抜きにして条件のすり合わせをすること。
どちらか一方を勝たせちゃダメ、全員が等しく妥協するのがベスト』
それは理の思考の骨格を成す掟だった。
理はチョークを手に取った。
「まず、方向性の対立から解決する」
淡々とした声が、教室の喧騒を一拍止めた。
「客単価、回転率、飲食の売上予測のデータを書き出す」
理はチョークを走らせ、数字を並べていく。
男子も女子もその数字の羅列に思わず視線を奪われる。
「恐怖度が過剰になると、客の飲食が滞り回転率が低下して赤字になる。
ゆえに全編グロテスク化は経営合理性に反する。
ただし男子側の演出欲求も無視できない」
理は振り返り、教室を見渡した。
「よって、前半をホラーエリア後半をカフェスペースにする。
二段階ゾーニングだ。
来場者は恐怖を味わった後、カフェで落ち着く。
動線としても合理的だ」
男子側から不満の声が上がりかけたが、理はそれを待たずに続けた。
「どちらの主張も完全には満たさない。だが、双方が等しく妥協する。これが最善だ」
反論の余地を許さない、静かな断定だった。
次に理は、自分の席に戻りカバンから授業用のタブレットを開いた。
「次に、シフトの不公平感を解決する」
男子の一人が「おい、そこは俺たちの主張を聞けよ」と言いかけたが、理は聞かない。
「労働強度を三段階に分類し、接客、調理、お化け役それぞれの負担のレベルを設定する。
休憩時間とシフト時間帯を数値化し、全員の負担が均等になるよう最適化する」
理はその場でスプレッドシートを組み上げていく。
数字が画面に並び、シフト表が完成していく様をクラスメートたちは息を呑んで見守った。
「これで全員の負担が最小化される。不満はあるか」
教室は静まり返った。
そして、五十嵐がそのシフト表を見て、はっと息を呑んだ。
彼の名前の欄の隣に、花邑の名前があった。同じ時間帯同じポジション。
彼は理を凝視した。
「早瀬、お前……もしかして、俺たちの事情を汲んで……!?」
理は首を傾げた。
「事情? 負担のレベルを均等化しただけだが」
その言葉に、五十嵐は顔を青ざめさせた。
彼がシフトにこだわったのは、単に花邑と同じ時間帯になりたかっただけだった。
理がそれを知るはずがない。
知らないまま、理は負担の均等化だけでなく人間関係の相性も無意識に計算していた。
五十嵐と花邑が同じ時間帯にいた方が、互いの主張を調整しやすいと判断したのだ。
恋愛感情など知らないまま、クラスの均衡を保つ最適解として、二人を同じ時間帯に配置したのだった。
「いやこれは……偶然だ……」
理は本当に何もわかっていなかった。
だが、五十嵐は勝手に深読みした。
理が自分たちの関係を知った上で、二人を同じ時間帯に配置したのだと。
花邑はシフト表を見て、一瞬だけ五十嵐の名前を目で追った。
そしてすぐに視線を逸らした。
理には気づけなかった、小さな動きだった。
「出し物を前半と後半に分けるのはわかったわ。
あと負担が同じなら、文句はない。ただ納得はしていない」
花邑がそう言うと、他の女子たちも小さく頷いた。
「納得していない」と言いつつ、女子たちはすでに次の準備の話を始めていた。
理には、それが問題解決の合図に見えた
クラスの冷戦は終わった。
誰もが「早瀬すげえな」と呟き、謎の納得感で教室がまとまっていく。
理はタブレットを閉じ、カバンにしまう。
いつもの作業を再開する。
その様子を、教室の隅から蓮見が見ていた。
「……肝心な時にしか役に立たない男」
そうぼそっと呟いた。
その顔は不思議と笑みを浮かべていた。
教室の空気は、少しだけやわらかくなっていた。
クラスの問題を解決した後、理は生徒会室へ向かった。
いつもより生徒会室に来るのが遅かったからか、夜野が開口一番に問いかけてきた。
「先輩、今日は何かあったんですか?」
理はクラスの出来事をありのまま話した。
夜野は呆れつつも、どこか誇らしげな視線を理に向けていた。
「……また先輩、変なところで無自覚に人を救ってますね」
小さな呟きに理が答える。
「言うほど救えているか?
あのまま揉めていたら後が大変だから、当たり前のことをしただけだ」
夜野は小さく息を吐いた。
「先輩、そういうところですよ。
すごいことしてるのに無自覚過ぎます!」
理は眉をひそめた。
「すごいことなどしていない。条件を均等化しただけだ」
「そこですよ、そこ」
夜野はため息をついたが、その口元は笑っていた。
夜野に言われた理は反芻した。
あの場にいた全員が救われたわけではない。
だが、少なくとも男女間の冷戦は終わった。
それは理の「業務」の積み重ねが生んだ、小さな均衡だった。




