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ヒロインとボクとの掟  作者: ぉんじ


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20/27

冷えた空気と小さな訂正

翌日。


十七時を回った多目的室は、昨日の生徒会室とは違う落ち着かなさがあった。


会議中、学祭実行委員の面々が資料を広げている。


窓の外はまだ完全には暗くなっていないが、蛍光灯の白い光が室内を均一に照らしていた。


理はいつもの席——進行役の隣に座り、議事次第に沿って淡々と進行を補助していた。


隣の席には夜野がいる。


しかし、その距離は昨日までとは明らかに違った。


夜野は理の方を一切見ない。


資料をめくる音も、ペンを走らせる音も昨日よりずっと硬い。


必要な時以外は口を開かず理が発言すれば視線を資料に落としたまま、まっすぐ前だけを見ている。


——塩対応だ


理はそう認識した。


認識はしたが、その原因を特定できずにいた。


昨日の志摩の来訪から夜野が豹変したことまではわかっている。


だが「なぜ」志摩の来訪が夜野の不機嫌に繋がるのか、理の思考では処理しきれなかった。


会議は滞りなく進んだ。


各委員からの報告が終わり、次回までの課題が共有され解散の号令がかかる。


委員たちが三々五々に退出していく。


その中で一ノ瀬だけが、妙にゆっくりと立ち上がった。


「おやー?」


一ノ瀬はニヤニヤしながら、二人の間の妙に冷えた空気を嗅ぎ取った。


「昨日まで息ぴったりのコンビだったのに、今日は一段とツンツンしてるじゃない。

夜野さん、機嫌斜めだねえ。

早瀬くん何かやらかした?」


「べ、別に何もありません!」


夜野が顔を赤らめて否定する。


「特に何もしていない。

いつも通り……だと思うが……」


理が真面目に返すと、一ノ瀬は大げさにため息をついた。


「早瀬くん、君ねえ……夜野さんが何をモヤモヤしてるか、本当にわかんないの?

まあわかんないからこうなってるんだろうけど」


理は答えなかった。


わからない、という自覚はあった。


その自覚が、妙に胸の内で引っかかった。



一ノ瀬がもう何か言いかけた、ふいに扉が開く。


「お疲れ様ですー!」


軽やかな声が飛び込んできた。


志摩だ。


昨日と同じスポーツバッグを肩に、昨日と同じ笑顔で。


「昨日教えてもらった中庭の企画、バスケ部のみんなに話したら乗り気で!

お礼言いに来ました!」


夜野が一瞬身構える。


しかし志摩は夜野のその緊張には気づかない、いや、気づいていても気にしないという方が正しいだろう。


「あ、そうそう夜野さんも昨日はいきなりお邪魔してごめんね!

このお菓子、二人で食べて!」


志摩は理の前に小さな菓子袋を置くと、夜野に向かって気さくに手を振った。


その仕草には、一切の含みがない。


理に向ける視線にも夜野に向ける視線にも、恋愛感情のような色は微塵もなかった。


あるのはただ、頼れる先輩への爽やかな信頼と後輩への気さくな親しみだけ。


「じゃ、また何かあったら頼るね!」


志摩はそう言って、本当に爽やかに去っていった。


扉が閉まる。



一ノ瀬が小さく笑った。


「なーんだ、ただの空回りだったわけだ」


夜野の顔が、耳まで真っ赤になる。


「じゃ、私はこれ以上邪魔しないでおこうっと」


一ノ瀬はそう言うと、自分の荷物をまとめて立ち上がった。


「あ、そうだ。明日の会議資料職員室に置いてきた。取ってくる」


それは明らかに口実だった。


だが、その口実が今の夜野にはありがたかった。


一ノ瀬が部屋を出ていく。



扉が閉まり、二人きりの静寂が戻った。


気まずさは、まだ残っていた。


夜野はノートを閉じ鞄にしまい、立ち上がる。


「……今日は、これで失礼します」


理はその背中を見ていた。


昨日と同じ、去っていく背中。


昨日、理はその背中に「明日は学祭実行委員の会議だ」とだけ言った。


業務連絡。


それ以外の言葉を持たなかった。


でも、今日は。


「待て」


理の声は、自分でも少し意外なほどに低く出た。


夜野の足が止まる。


振り返りはしない。


その背中に、理は言葉を続けた。


「昨日の一件で、僕が何かお前に不快な思いをさせたなら訂正する」


夜野の肩が、少しだけ動いた。


「……その、僕は、お前が何を考えているかまだよくわからないことが多い。

だが、何か誤解させたままにしたくない」


それは理なりの、精一杯の歩み寄りだった。


相手の心を読むのではなく、自分の不明確さを認めること。


わからないなりに、わからないままにしないと選ぶこと。


理にとって、それはほとんど前例のない行動だった。


夜野はしばらく動かなかった。


それから、ゆっくりと振り返る。


その顔は、昨日の硬い表情とはまるで違っていた。


怒りはもうどこにもない。


あるのは、照れと、少しの戸惑いとそれから——


「……先輩って、本当に……!」


夜野はそう言って、言葉を濁した。


続きを言おうとして言えなくて、結局俯いてしまう。


理は首を傾げた。


「何をだ」


「……もう、いいです」


夜野は小さく息を吐いて、それから顔を上げた。


その笑顔は、昨日の十七時前の「ふふ」に、少しだけ何かが加わったものだった。


「帰りますよ、先輩」


「ああ」


理は立ち上がり、荷物をまとめた。


机の上には、志摩が置いていった菓子袋が一つ残っている。


理はそれを手に取り、夜野に差し出した。


「食べるか」


「……先輩、それ志摩先輩からのですよね」


「僕は甘いものはあまり食べない」


夜野は少し迷ってから、それを受け取った。


「……じゃあ、いただきます」


二人は並んで会議室を出た。


廊下はすでに薄暗く、等間隔に並ぶ窓の外では校庭の街灯がぽつりぽつりと灯り始めている。


夜野は菓子袋を片手に、少しだけ理の歩幅に合わせて歩いた。


理は、その歩調の変化に気づかなかった。


気づかなかったが隣に夜野がいることの妙な安定感だけは、確かに感じていた。


「先輩」


「何だ」


「明日も、会議ですよね」


「ああ」


「……じゃあ、明日も行きます」


理は前を向いたまま、小さく頷いた。


その横顔を見て、夜野は小さく笑った。


——先輩って、本当に


その続きは、もう心の中だけで十分だった。



校門を出る頃には、完全に夜になっていた。


理が押し歩く自転車のタイヤがアスファルトを転がる音と、二人の足音が、静かな並木道に重なって響く。


昨日のトゲトゲしい空気は、もうどこにもなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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