運営側の論理と免罪符
放課後の生徒会室は、静かだった。
窓の外では運動部の掛け声が遠く聞こえている。
だが室内は、書記の一ノ瀬がチョークで黒板に書いてる音と
紙の擦れる音とペンの音だけが支配していた。
今年の学校祭に向けた事前すり合わせ。
生徒会役員と、学校祭実行委員に名を連ねる生徒が長机を囲んでいる。
理はその一角に座り、手元の資料に目を落としていた。
その隣の席で、夜野紬が「先輩、お疲れさまです」と小さく手を振った。
理は軽く会釈を返した。
それだけだった。
だが、なぜだろう。その小さな手の動きが、妙に記憶に残った。
——意識する必要はない
理は資料に視線を戻した。
「各クラスの取りまとめは、例年通り『学級委員長』にクラス代表の実行委員を兼ねてもらう形で」
生徒会長の久保田が黒板を指し示しながら淡々と言う。
「連絡系統も一本化できるし、それが一番管理コストが低い」
理は内心で深く同意した。
——まったくその通りだ。余計な選出の手間を省き、窓口を一本化するのが最も効率的かつ合理的と言える
久保田の言葉は、理の思考と完全に一致していた。
無駄がない。
感情がない。
ただ機能だけがある。
理は、久保田という人間を、静かに評価していた。
——この人は、分かっている
だが、夜野は違う。
理の隣で、夜野は久保田の説明を真剣にメモしている。
時折、顔を上げて黒板を見また手元に視線を落とす。
その動作の一つ一つが、なぜか理の視界の端に引っかかった。
——集中しろ
理は資料の文字を追った。
「以上が大まかな分担です。質問は」
久保田が室内を見渡す。
誰も挙手しない。
「では、各クラスの委員長たちへの説明は例年通り生徒会側から行います。実行委員も補助として同席してください」
理は頷いた。
運営側の仕事としてのルーチン。
これを消化すれば、今日の務めは終わる。
多目的室に、各クラスの学級委員長たちが集められた。
三十人ほどの生徒が思い思いの姿勢で座っている。半分は眠そうで、半分はスマートフォンを触っている。
生徒会側の実行委員として、理と夜野も前方に立っていた。
夜野は緊張しているのか、背筋を伸ばして立っている。
その真っ直ぐな姿勢が、やけに目についた。
——なぜ、そんなに真面目なんだ
理は内心で呟き、すぐに思考を切り替えた。
書類の束が配られ、委員長たちはそれを適当に受け取っていく。
生徒会長の久保田が説明を始める。
「まず、学校祭の流れとルールについて。
ステージ発表は一日目、全学年。模擬店は二日目一般公開。
申請書類の締め切りは来週金曜日。遅延は一切認めません」
淡々とした口調。抑揚のない声。
だが、その声には逆らえない何かがあった。
「ステージ発表の注意事項。音響設備の使用は一クラス十五分まで。大道具の搬入は前日のみ。模擬店で調理を行う場合は必ず保健所の検査を行うこと。以上」
久保田は資料を閉じた。
「質問はありますか」
委員長たちがはーい、わかりましたーと気だるげに返事をする。誰も質問しない。
理はその光景を、冷めた目で見ていた。
——これでいい
運営側の仕事は、この瞬間に終わった。あとは各クラスが自走する。理が関与する必要はない。
理は小さく息を吐いた。
その後、生徒会室へ戻った。
夜野と、書類の綴じ方について軽く確認した。
それだけだった。
だが——夜野は、最後にこう言った。
「先輩、また明日」
理が教室に戻ると、ちょうどHRの時間だった。
クラスの学級委員長が黒板の前に立ち、学校祭の出し物について説明を始めている。
「ええと、本校のルールで各クラスの学級委員長が実行委員を兼ねることになっているので、全体の統括は私がやりますが準備や買い出しは分担して進めます」
委員長の声は、どこか自信なさげだった。
理は自分の席に着く。
——ここだ
理は静かに手を挙げた。
「すまない。あらかじめ伝えておく」
ざわめくクラスに向けて、理は言い放つ。
「僕は生徒会側の学校祭実行委員に入っている。
だから、クラスの準備や放課後の買い出し当日の係り分担などには、物理的にほとんど参加できない。
その前提で人員の割り振りを頼む」
教室が、一瞬静まった。
「あー早瀬は生徒会だもんな」
誰かが言う。
「だよなー」
「しょうがないわ」
クラスの面々は納得し、委員長も手元のプリントにメモを走らせる。
理は小さく頷いた。
——これでいい
これで、クラスの泥臭い雑務や押し付け合いのリングから、完璧に降りられた。
準備、買い出し、前日設営当日の係り。それらすべてから、理は正当な理由で離脱できる。
——僕の平穏な学校生活は守られた
理は内心で、静かにガッツポーズをした。
ふいに「早瀬、それ、逃げてるだけじゃね?」
にやにやしながら、小野が言った。
理は答えなかった。
小野はそれ以上踏み込んでこない。
からかうだけで、本質には触れない。
それが小野という人間の距離感だった。
理は机に顔を伏せる。
ふと、どこからか視線を感じた。
顔を上げる。
蓮見が、静かに理を見ていた。
感情のない目。
だが、何かを見透かそうとする目だった。
理は視線を逸らした。
——なぜ
——なぜ、今、見た
蓮見は何も言わない。
ただ、静かに視線を戻し委員長の話を聞いていた。
理は窓の外を眺めた。
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