第五話 守るために、帰るために
護衛たちと共に城下町を抜け、境界を越えて“砂の海”へと入る。
見張り塔では聞こえなかった竜巻の音が、近づくにつれて響いてくる。
竜巻との距離が縮まるごとに、音の圧は増していって――。
「ニア、様……!」
背後で膝をつく音がして振り返ると、護衛の一人が耳を抑えて体勢を崩していた。
苦しそうな表情に気づく。そうだ、彼らは私以上に、この音が耐え難いはずだ。
「護衛はここまでで構いません! あなたたちは先に退避して!」
これ以上は彼らを危険に晒す。私一人だけなら、風魔法でなんとかしのげるだろう。
口の中に砂が入り込む不快感に顔をしかめる。
城を出るときにゴーグルやマントを装備したけど、ここまで近づくとゴーグル越しでも視界が削れるし、腕や頬を砂が掠めてヒリヒリする。
接近して見上げた竜巻は、まさに天にそびえる塔のような迫力だった。
巻き上げられた砂は空中に広まって、空を砂色に変えている。
轟音が鳴り響き、地面は揺れている。
恐ろしくないわけではないけれど、この竜巻の近くにいると、なんだか胸を締め付けられる。これはまるで――。
(風が、悲鳴をあげてるみたいだ……)
目を凝らして見てみると、大きな渦を取り巻くように、無秩序に風が飛び交っている。その風のひとつひとつが、速さが違えば方向も違う。
まるで、無数の糸が複雑に絡み合っているかのように。
「――風よ。我が祈りに応えて、この風を、ッああ!」
一刻も早く対処しなければ。
手始めに目についた近くの風のうねりをほどくため魔法を放ったが、別の方向から風が飛んできて地面に叩きつけられた。
一瞬、視界が白くはじける。
(闇雲にほどくだけじゃ、ダメか……)
絡まった糸も、全体をほぐさないとほどくことはできない。
ちゃんと全体の流れを読んで、正しい順番で風を霧散させなければ。
背後を振り返る。ゼステアの街が見える。
ひとつひとつほどいていては、間に合わない。
自分の中にあるありったけの魔力を体中に巡らせる。
すべての風の流れを知覚しなければ。
もう一度、今度は全体をほぐすように魔力を送る。
そうすると――。
竜巻の渦が一部、崩れるのが見えた!
竜巻の外側の威力が、少しずつ削れていくのがわかる。
轟音が、少し軽くなる。正しく、ほどけている!
(大丈夫。今、自由にしてあげるから……!)
心の中で、竜巻に語り掛ける。
少しずつ、切り崩すように。呼吸を忘れるほど、神経を集中させる。
(――甘い香り?)
解体している間に、鼻先を甘い香りがくすぐってきた。
それは解体が進むたびに、強くなっていく。それも、むせ返るような嫌な甘さだ。
私の風とどこか似ているはずなのに、決定的に歪んでいる。
香りを疑問に思いながらも魔力を注ぎ続けて、目の前の竜巻の壁が崩れた。
そこで現れたのは――。
「え」
香りを放っていた、“核”と言うべきもの。
「う、そ……」
今まで私が解体していたのは、これを守る単なる壁に過ぎなかったのだろう。
壁を崩した先には、より複雑な竜巻があった――。
*
執務室の窓から、竜巻が見える。
ニアが城を出てからどれくらい経ったか。
竜巻の距離は近づいてきている。しかし、規模も格段に落ちてきている。ニアの奮闘が、目に見える。
少し開けた窓の隙間から、あの花の香りがほのかに漂ってくる。
しかし、彼女の香りに混ざる異質な甘さに、眉をひそめた。
「陛下! ご報告申し上げます」
ヴィルトが執務室に入ってくる。
「東区域は全民退避、中央区域は6割まで退避が進んでおります」
「城内は?」
「ご指示通り、司令部と数名の医療班を残して順次退避させております」
「そうか」
最悪の事態を回避するため、打てる手はすべて打った。
ガリ、と爪が机を引っ掻く。力が籠ったまま、爪が硬い木材に深く食い込む。
あいつが一人で闘っているというのに――。
「――陛下」
「……なんだ」
「ニア様は、陛下がここに留まるからこそ、背中を預けられたのです。……くれぐれも、ニア様のもとに行かれませぬよう」
「……わかっている」
頭では分かっている。己の立場も理解している。
あの竜巻が視界に入るたびニアのもとへ行きたくなる衝動が湧きおこる。
衝動のまま城を飛び出しそうになるのを、必死でねじ伏せている。
一歩でも外へ踏み出せば、もう止まれない。
「あいつは帰ってくると言った。ならば――」
夢の光景を振り払うように、かぶりを振る。
「俺はここで待つ」
「――ニアが帰って来られるように」
*
――どうしよう。
露わになった“核”の異様な圧力に、飲まれそうになる。
“核”を守る壁はなんとか解き放った。しかし、この核となる竜巻は、今までとは質が違う。
試しに今までと同じように、分解するつもりで魔法を使う。だが――。
「ッ!」
魔力が吸い取られる感覚。
これは、私の魔力ですら巻き込んでしまう。今までのやり方ではダメだ。でもどうすればいい?
何度も竜巻を暴くようにアプローチをしてみるが、まるで手ごたえがない。魔力を吸い取られて終わりだ。
伸ばした指先から、痺れていくのがわかる。
どうしよう、どうしよう。
どんどん街が近づいてくる。街に到達するまでもう余裕はない。
あれだけ啖呵を切って、飛び出してきたのに。
(やっぱり、私には……)
心に暗い影が差してくる。
やっぱり私には無謀だったんじゃないか。
私は結局、『ハズレ』のまま。何もできなかったあの頃から、なにも変わっていないんじゃないか。
(……いっそこのまま、飛び込んでしまう?)
竜巻に飛び込んで全力の魔力を解放すれば、勢いは大きく削げるだろう。
全部は消滅できないかもしれないけれど、ゼステアの壊滅は防げるかもしれない。
ずっと『ハズレ』と呼ばれた人生だったけれど、最期くらい誰かのために散るのも悪くないかもしれない。
『――ニア』
ああ、でも。
『お前は役立たずなどではない』
そうだ、そうだった。
リオ様は、最後まで私を、信じてくれている。
『必ず戻ってこい』
私が帰ってくると信じてくれているなら――帰らなければ。
あの温かい街に。リオ様の元に。私は――。
「生きて、帰りたい!」
轟音に負けないように、叫ぶ。
そうだ、ここで挫けてる暇はない。
体の内側から熱くほとばしるものがある。熱が体の隅々まで行きわたって、視界がクリアになる。
「っ、これ、は……!」
クリアになった視界にもう一度竜巻を映す。
この核の竜巻は先ほどの壁の竜巻と同じように、無数の風が寄り集まっているものと思っていた。
でも、違う。
これは大きな風のかたまりだ。
これがひとつのかたまりなら、分解するのは違う。
分解できないんじゃない、分解してはいけないんだ。
これはきっと。
「あなたも、戻りたいのね……!」
元に戻す。
きっとこれが正解だ。
風の流れを読み、本来あるべき流れに整える。
糸をほどくのではなく、正しい編み目に編みなおすように。
ひとつひとつ直していく。直すたびにあの嫌な甘い香りがやわらいで、澄んだ空気の香りが混ざり始める。
直したところから、巻き上がった砂が零れ落ちて“砂の海”に還っていく。
「あと、少し……!」
街はもう目の前。王城が見える。
ありったけの力を振り絞る。もう腕に感覚はない。
最後のピースをはめるように、魔力を込めた。
「これで、最後……!」
そうして――。
渦がばらけて、“核”から甘い、爽やかな香りがはじけ飛んだ。
砂色に濁っていた空は、綺麗な夕焼けで染まっている。
あたりには静寂が広がっていた。
「……終わった、の……?」
足がふらふらする。喉が渇いて、うまく息ができない。
視界がぐるりと傾いて、砂の上に倒れこむ。
「リオ、さま……」
意識がぼやける。誰かが私を呼んでいる気がする。
「――ニア!」
必ず帰るって、約束したのに――。
「ニア!」
今度こそ、その声がリオ様のものだとわかった。
わかったのも束の間、強い力で抱き起される。
霞む視界には、顔面蒼白のリオ様がいる。
「リオさま、わたし……まもれ、ました……」
「……っ、ああ……! ずっと見ていた!お前が……、お前がこのゼステアを、守ったのだ……!」
隙間もないほど強く抱きしめられる。リオ様の腕がかすかに震えているのが伝わる。
「こんなになるまで……馬鹿者め」
リオ様の温かさに包まれて、私は今度こそ意識を手放した。
次回、最終話+エピローグとなります!
明日20時投稿予定です。
よろしければ最後までお付き合いください!




