第四話 忘れられない喪失感
いつも、夢に見る。
俺を置いて、去っていく背中を。
「――ニア!」
叫んでも、振り返らない。
手を伸ばしても、届かない。
砂の上に足跡だけを残して、行ってしまう――。
やっと俺の手の中に戻ってきたんだ。
今度は、どこにも行かせない。
――行かせるものか。
もう二度と――手放さない。
*
視察から一夜明けた、穏やかな朝。
「おはようございます、リオさ、ま?」
延期されていた結婚式の日取りが、三日後に変更されたことをヴィルト様から知らされた。段取りを聞いている中、ふらりと現れたリオ様に、優しく抱き寄せられる。
「……ニア」
「はい?」
リオ様の長い尻尾が私の腰を絡めとる。
「……ここにいるな」
それはまるで、今にも消えてしまうものに縋るような声で。
「ええ、私はここにおりますが……?」
存在を確かめるように、リオ様の手が肩や背中、腰を辿っていく。リオ様が距離を詰めてくるのには慣れてきたが、人の目がある場所で触られるのはやっぱり恥ずかしい……!
リオ様は優しく私の頭を撫でると、そっと体を離す。
「俺は執務に戻る。あとは任せたぞ、ヴィルト」
「承知いたしました」
あっという間に去っていくリオ様の背中を見送る。……一体なんだったんだろう?
ヴィルト様は微笑ましいものを見守るように、顔を綻ばせている。
「……ヴィルト様、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい。何なりと」
「リオ様はなぜ、私をあそこまで求めるのでしょうか……?」
何度も考えてみた。リオ様があれだけ私に執着する理由を。
しかし解決の糸口は掴めぬまま。それに――。
『あの時も――お前は、俺を置いて消えた』
あの言葉の意味。リオ様を知るためには、まだピースが足りない。
「私の口から語るべきことではありませんが……、しかし、これだけはお伝えするべきですね……」
「それは?」
「私は長い間リオ陛下にお仕えしてきましたが……、あれほど誰かに執着なさるお姿は、今まで一度も見たことがありません」
真摯な眼差しが私を捕らえる。
ヴィルト様が言っていることは、嘘じゃない。
「あの方が誰かを欲したのは、ニア様ただ一人だけです」
ヴィルト様の言葉が、私の胸に重く響いた。
「ただ一人……」
現実味が湧かない。私なんかが、誰かの「唯一」だなんて……。
――その瞬間だった。
カンカンカンカン!
あの鐘の音が、鳴り響いた。
ほどなくして、見張り塔の上。
「砂の海にて超大規模な竜巻発生!この規模だと……、上陸されたら、ひとたまりもありません……!」
砂の海の上、獣人でない私の目にも、はっきりとその巨大な影が見えた。まるで、空へと繋がる柱のようにそびえている。
城下ではすでに避難指示が出たのか、市民たちが逃げてくる。街は私たちの結婚式を祝うように、彩られていた。
竜巻が上陸してしまったら、この街並みが、あの温かい人たちが、失われてしまう――。
「あの竜巻は……」
リオ様が、苦々しげに竜巻の方を見ている。まるで嫌なものを思い出したかのような表情だ。
あんなに恐ろしい渦が巻き起こっているのに、その音はなにも聞こえてこないのが不気味で……ただ風だけが、こちらへ触れてくる。
思わず、体がすくむ。
(……?)
頬をかすめる風に、なんだか違和感を覚える。
上手く言えないけれど、まるで風のことが“わかる”かのようだ。ずっと知っているかのような……。
……いや、違う。そうじゃない。
これはきっと、“呼ばれて”いるんだ。
なにも根拠はないけれど、でもそうとしか思えない。
ただ、ここからでは感覚が曖昧だ。もっと近づくことができれば――もっと、竜巻のことが解れば、私の魔法で、上陸を防げるかもしれない。
竜巻は、怖い。近づけば、きっとただでは済まない。
でも市民の皆さんは、もっと怖いだろう。
うまくいく保証も、ない。
それでも、昨日のようにやれるかもしれない。
――それなら。
『ニア。お前は役立たずなどではない』
『俺が誰よりも、知っている』
リオ様が信じてくれた私を、私も信じたい。
リオ様のように――あの人たちの笑顔を、守れると。
「リオ様、私――竜巻を収めに、行ってきます」
私の言葉に、リオ様は大きく目を見開いた。
しかしすぐに厳しい表情に戻る。
「不許可だ。あれに近づくのは死にに行くようなものだ。魔法を使うなら、ここからにしろ」
「遠くからでは魔法が効力を十全に発揮できないかもしれません!今から行けば、上陸する前に十分に近づいて対処することができます!」
「それでお前が死ねば守れるものも守れまい。それは無謀というものだ」
「それでも、私でなければやれません!」
「駄目だ」
何度も食い下がる。
ずっと一人ぼっちで風魔法の技術を磨いてきた。あの独りの時間が、大勢のひとたちを守ることに繋がるなら。
今までの私が、報われるような気がする。
誰も認めなかったあの時間は、無駄じゃなかったと証明できる。
「でも!」
「また俺を置いて行くのか!」
慟哭のような叫び声。
リオ様は、あまりにも苦しそうな顔をして、私の右腕を掴んだ。
私を縛る鎖のように。逃がすまいとする力で。
「どこへも行くな、ニア。――お前のいない世界など、守っても意味がない」
「もう俺を――置いて行かないでくれ」
『おいて行かないで』
(……!?)
胸の奥が、ひどくざわつく。
――私は、この言葉を知っている。
「リオ様」
私の右腕を掴むリオ様の手に、そっと左手を重ねる。
「私は必ず、帰ってまいります」
「だから、待っていてください」
「私がここへ、帰ってこられるように」
リオ様の手の力が、抜けていく。
腕に残った爪の跡が、リオ様の心を物語る。
私はそっと、その手から離れた。
「死ぬのは許さん」
「――はい」
静かに、言葉を返す。
「必ず戻ってこい」
「お約束いたします」
「……ニア」
「それでは、陛下」
惜しむようなリオ様を残して、私は砂の海へ向かうべく、塔を降りる。
背中に焼けつくような視線を感じる。
振り返ってはだめ。
振り返ればきっと、私の小さな覚悟が崩れてしまうから。
――だから私は、振り返らず、駆け降りた。
前へ進むために。
第五話は明日21時に投稿いたします。




