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修繕士リシェルの晩酌録  作者: 笛吹葉月


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9/9

乾杯

 かつての男は、機械工場の整備士だった。

 職場と家との往復ばかり。妻も子供もいない。そんな単なる日常の、何の変哲もない通勤中、彼はこの世界に落ちてきた(・・・・・)


 さてどうするか、と。


 マイペースと同僚に揶揄されることもあったが、それも一つの生存戦略かもしれない。神経質でない己の性分に感謝しながら、男は早々に帰還を諦め、割り切った。ここで生きるしかないのなら、どうにか生きる術を見つけなければ。

 彼には仕事しかない。世界と道具が変われど、その腕が通用したのは幸いだった。

 唯一の楽しみは晩酌。酒や食べ物が口に合ったこともありがたい。たまにビールと枝豆が恋しくもなったが、探せば意外と似たものはあった。


 仕事でそれなりに名が知れてきた頃、彼は珍しく飲み屋でひとりちびちびとやっていた。そこで店主と見習いを見、弟子でも育ててみようかと、気まぐれにそんなことを考えた。

 それからすぐに貧民街で出会ったのは、同じように機械油に塗れながら、錆びついた工具箱を宝物のように抱えた少女。売って日銭を稼ぐためだろう、廃品の機械を独力で修繕しているらしい。苦戦しているのを見るにつけ、老婆心で少しだけ助言をしたところ、敵対心も顕に睨みつけられた。


「横取りしないでよおじさん! これはわたしの仕事なんだから」


 仕事、という言葉を遣うところが気に入った。その少女が最終的に才能を開花させるとは、当時の彼は思ってもみなかったが。


◆◆◆


 新居に集まったのは、ミラにティーカ、それからバルド。いつもの女子会メンバーに混ざることとなった大柄な青年は、少しだけ居心地が悪そうにしていたが。

 今日はリシェルの引っ越し祝いだ。といっても、一部はまだ改装中。ただの空き家に工房に適した設備などあるはずもなく、肝心の仕事場はまだできあがっていない。


「言ってくれりゃ、技士ギルドの奴らに伝手を聞いたんだが。あんな工事、費用はどうしたんだ?」

「こないだの貴族さまが少しだけ出してくれて」


 返済は断られちゃったけど、楽器のメンテナンスを頼まれたんだ――そう続けると、バルドはなんとも言えない表情になった。先日、高級店に行った話をした時も似たような顔をしていた気がする。

 本当は食事も誘われているのだが、わざわざ言う必要はないかと思い直す。どうして黙っていたかと訊かれると説明が難しい。ミラだけは何かを言いたげに見てきたので、リシェルはしっかりと目を逸らす。


「それにおまえ、入口にあったアレ……」

「ん? ああ、もらった魔導灯ね! いい感じでしょ?」


 バルドがつくった魔導灯は、新居の玄関に灯りとして取り付けた。机上でうっとり眺めるだけなのももったいない。家に帰ったときの楽しみは多いほうがいい。リシェルとしてはかなり満足している。


「せっかく腕のいい職人が作ってくれたものだからね。もしかして、まずかった?」

「……気に入ったんなら勝手にしてくれ」


 ため息をつかれる。どこがいけなかったのかと首を傾げていると、ミラがばさりと遮った。


「無駄よバルド。リシェルったら全然わかってないもの」

「まあうん、そうだな。俺が悪い」

「んふふ、よかったねー!」

「うるさい、ティーカ。おまえはもう少し大人しくすることを学べ」


 きゃいきゃいと声をあげる少年は、お詫びと土産だと言ってたくさんの魚を持参してきた。とても一人では食べ切れない。ミラもバルドも、恐らくしばらくは焼き魚生活に付き合ってもらうこととなる。


「屋根に穴が空いても、どうにかなるもんだね」

「穴ができたからどうにかなったんでしょ」


 ミラの言葉に二人で笑う。

 新しい家の匂い、まだ片付けていない荷物。これからは床板のどこへ足を置くかに気をつける必要はないし、多少ならティーカがはしゃいでも耐えられそうだ。

 変わらないのは、いちばん目に入るところに掲げた額縁。


「……サトーさんって、不思議な人だったわねえ」

「そうだね」


 しみじみと師匠の名を口にする彼女に頷きながら、飾った設計図を見る。

 読めない文字や記号で描かれたそれを初めて見た時、彼は学者か、はたまた暗号に長けた熟練の冒険者かと思った。だが蓋を開けてみれば、スライム程度でも悲鳴をあげてリシェルの後ろに隠れていたのを思い出す。荒事はまるっきりダメで、けれど知識と発想はこれまでに出会った誰よりも豊かだった。出自もわからないのに、人の輪に入るのが妙にうまかった。

 まあ、何者でもいいのだ。サトーと名乗った男が、リシェルの師匠である事実に変わりはない。


「おなかすいた!」


 しんみりと思い出に浸りかけていたのを、子竜の声が引き戻す。お祝いといえば、まず最初は。


「よし、そろそろ乾杯しよう」


 ずっと漬けていた果実酒の瓶を持ってくる。皆が揃う、今日あけると決めていた。


「ねえ、また新しいお酒も増えてない? こんなに充実してなかったわよね」

「おまえの家、いつか居酒屋になるんじゃないか?」


 前の工房から持ってきた棚を見て、ミラとバルドが口々に言う。リシェルはグラスを盆にのせ、にこりと笑った。


「今夜は特別営業だよ!」


最後までお付き合いありがとうございました!

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