青空の天井
その日のティーカはとてもはりきっていた。
ただ、釘を打ち付けるだけ。簡単なお仕事である。だからリシェルがお言葉に甘えて、市場へと買い出しに出かけたのが数刻前。
洗濯物のよく乾きそうないい天気だ。雲一つなく、それはもう見事な青空を仰ぐことができた。
……工房の中から。
「は?」
確かにリシェルの読みも甘かったのだろう。しかしいくら素人でも、屋根の穴を塞ごうとして逆に大穴を開けるなどという芸当は、到底できることではない。無邪気な親切心に、竜族の力加減が合わさったがゆえの悲劇であった。
「ごめんなさい」
「ええと……うん、まあ」
平素にないほど落ち込んでいる姿を見れば、叱る気も起こらない。非がないわけでもなかった。それに、年季の入った建物に関しても。
風通しがよくなったと思うしかない。少々、良すぎるが。
ふと、差し込む光の中で埃が舞うのが見えた。美しい、と思う。そしてその瞬間、リシェルの中に一つの考えが生まれたのだった。
(……それはそれとして)
幸いにして雨は降らなさそうだ。しかし、冒険者の付き添い以外で野宿する趣味もない。そういうわけで取り急ぎ、今夜の宿を探さなければ。
◆◆◆
かいつまんで事情を話せば、ミラは呆れたように一度ため息をついただけだった。声には出されなかったものの、「言わんこっちゃない」と顔に書いてある。それでも招き入れてくれるあたり、彼女が周りに好かれる所以なのだろう。
急に訪れたにもかかわらず部屋の中は片付いていて、密かに感心する。
ミラは手早く生活のルールを指示し、それから二人分のハーブティーを淹れて腰を落ち着けた。リシェルも、大人しく家主に従う。
「今は? 工房はどうしてるの」
「屋根はそのまま。いちおう鍵はかけてるけど、ティーカが留守番してる」
「ま、そのくらいは当然よね」
「さすがに反省したみたい。要らないって言ったんだけどさ」
竜が守らなければならないような財宝はない。カップに口をつけながら、ミラはリシェルが持ち込んだ荷物を一瞥すると眉を上げた。
「これだけ?」
「まあ、盗られて困るものもないし」
生活用品の他に持ち出してきたのは、師匠の設計図くらい。お気に入りの工具は数あれど、使い慣れた者以外にとっては何の変哲もない、その辺の店で買えるような代物だ。収集した素材も、仮に盗られたらまた集めれば良いだけのこと。
そういえば、ティーカに酒瓶の棚には触らないよう言うのを忘れたかもしれない。
「屋根の穴、塞がなかったのね」
「うん」
「あんたにしては珍しい。ついに諦める気になった?」
不意に問われ、リシェルは机上に視線を落とす。カップに触れながら言葉を探す。
「うまく言えないんだけど」
室内に差す光の中で見た、単なる塵。あの時に考えたこと。
「この建物は、もう直すんじゃなく、休ませる時だって。なんとなく思ったんだ。よく働いたね、お疲れ様って……」
我ながら訳のわからない理屈だ。ほんの少し後悔しながら首を縮こまらせていると、ミラは小さく息を吐いた。
「あの工房。リシェルがいたから、あんなに長くもったんでしょ」
「……そうかな?」
「そうよ。いくら引っ越すように言っても聞きやしないし。最後まで大切にしてもらえたんだから、建物にとっても本望なんじゃないの」
「だったらいいな」
「自信持ちなさいよ。大事に使ってたんでしょう」
古いものを手放すことは、自分が築いた時間の否定ではないのかもしれない。むしろ、ちゃんと使い切ることができた証だと思う。
果たして屋根も壁も、全てが直せないまでに壊れたとして、リシェルと師匠の何を否定できるだろう? ティーカの件はきっかけに過ぎなかった。
「そうと決まれば」
言って、ミラは立ち上がる。え、と見上げるリシェルに向けられる、とびきりの笑顔。どちらかというと、何かを企んでいるような――
「どうしたの?」
「決まってるじゃない。あんたの新居を探しにいくのよ」
「へ」
「さっさと支度して。じゃなきゃ、こっちで勝手に決めるわよ」
「わ、わたしの意見は?!」
エルフの時間感覚はもう少し気長なものだと思っていたのだが。
普段の仕事と同じ早さで動き出すミラに、言われるがままリシェルも上着を羽織りなおした。確かに、動いていたほうが気は紛れる。
「ミラ」
「なに?」
「帰ったら一杯付き合ってよ」
「いくらでも。ただし、無事に引っ越し先を見つけられたらね」




