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修繕士リシェルの晩酌録  作者: 笛吹葉月


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8/9

青空の天井

 その日のティーカはとてもはりきっていた。

 ただ、釘を打ち付けるだけ。簡単なお仕事である。だからリシェルがお言葉に甘えて、市場へと買い出しに出かけたのが数刻前。


 洗濯物のよく乾きそうないい天気だ。雲一つなく、それはもう見事な青空を仰ぐことができた。

 ……工房の()から。


「は?」


 確かにリシェルの読みも甘かったのだろう。しかしいくら素人でも、屋根の穴を塞ごうとして逆に大穴を開けるなどという芸当は、到底できることではない。無邪気な親切心に、竜族の力加減が合わさったがゆえの悲劇であった。


「ごめんなさい」

「ええと……うん、まあ」


 平素にないほど落ち込んでいる姿を見れば、叱る気も起こらない。非がないわけでもなかった。それに、年季の入った建物に関しても。

 風通しがよくなったと思うしかない。少々、良すぎるが。


 ふと、差し込む光の中で埃が舞うのが見えた。美しい、と思う。そしてその瞬間、リシェルの中に一つの考えが生まれたのだった。


(……それはそれとして)


 幸いにして雨は降らなさそうだ。しかし、冒険者の付き添い以外で野宿する趣味もない。そういうわけで取り急ぎ、今夜の宿を探さなければ。


◆◆◆


 かいつまんで事情を話せば、ミラは呆れたように一度ため息をついただけだった。声には出されなかったものの、「言わんこっちゃない」と顔に書いてある。それでも招き入れてくれるあたり、彼女が周りに好かれる所以なのだろう。


 急に訪れたにもかかわらず部屋の中は片付いていて、密かに感心する。

 ミラは手早く生活のルールを指示し、それから二人分のハーブティーを淹れて腰を落ち着けた。リシェルも、大人しく家主に従う。


「今は? 工房はどうしてるの」

「屋根はそのまま。いちおう鍵はかけてるけど、ティーカが留守番してる」

「ま、そのくらいは当然よね」

「さすがに反省したみたい。要らないって言ったんだけどさ」


 竜が守らなければならないような財宝はない。カップに口をつけながら、ミラはリシェルが持ち込んだ荷物を一瞥すると眉を上げた。


「これだけ?」

「まあ、盗られて困るものもないし」


 生活用品の他に持ち出してきたのは、師匠の設計図くらい。お気に入りの工具は数あれど、使い慣れた者以外にとっては何の変哲もない、その辺の店で買えるような代物だ。収集した素材も、仮に盗られたらまた集めれば良いだけのこと。

 そういえば、ティーカに酒瓶の棚には触らないよう言うのを忘れたかもしれない。


「屋根の穴、塞がなかったのね」

「うん」

「あんたにしては珍しい。ついに諦める気になった?」


 不意に問われ、リシェルは机上に視線を落とす。カップに触れながら言葉を探す。


「うまく言えないんだけど」


 室内に差す光の中で見た、単なる塵。あの時に考えたこと。


「この建物は、もう直すんじゃなく、休ませる時だって。なんとなく思ったんだ。よく働いたね、お疲れ様って……」


 我ながら訳のわからない理屈だ。ほんの少し後悔しながら首を縮こまらせていると、ミラは小さく息を吐いた。


「あの工房。リシェルがいたから、あんなに長くもったんでしょ」

「……そうかな?」

「そうよ。いくら引っ越すように言っても聞きやしないし。最後まで大切にしてもらえたんだから、建物にとっても本望なんじゃないの」

「だったらいいな」

「自信持ちなさいよ。大事に使ってたんでしょう」


 古いものを手放すことは、自分が築いた時間の否定ではないのかもしれない。むしろ、ちゃんと使い切ることができた証だと思う。

 果たして屋根も壁も、全てが直せないまでに壊れたとして、リシェルと師匠の何を否定できるだろう? ティーカの件はきっかけに過ぎなかった。


「そうと決まれば」


 言って、ミラは立ち上がる。え、と見上げるリシェルに向けられる、とびきりの笑顔。どちらかというと、何かを企んでいるような――


「どうしたの?」

「決まってるじゃない。あんたの新居を探しにいくのよ」

「へ」

「さっさと支度して。じゃなきゃ、こっちで勝手に決めるわよ」

「わ、わたしの意見は?!」


 エルフの時間感覚はもう少し気長なものだと思っていたのだが。

 普段の仕事と同じ早さで動き出すミラに、言われるがままリシェルも上着を羽織りなおした。確かに、動いていたほうが気は紛れる。


「ミラ」

「なに?」

「帰ったら一杯付き合ってよ」

「いくらでも。ただし、無事に引っ越し先を見つけられたらね」


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