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修繕士リシェルの晩酌録  作者: 笛吹葉月


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6/9

働かない日

 昨日から降り出した雨は、今朝になっても止んでいないらしい。

 二度寝を決め込んだベッドの中、リシェルは窓を叩く小さな雨音を聞いている。


(もしかして、もうお昼?)


 このところ続いた忙しさに、なかなか起き上がることができない。

 依頼が立て込んだのは事実だ。しかし品物が壊れた原因を説明すると、「じゃあ、ここも直せる?」と粘る客の多いことといったら。


(直すのはいいよ、そりゃ仕事だからね。でも、ついでに(・・・・)が多過ぎる!)


 そしてリシェルの性格では無碍にもできず、結果的にただ負担が増えて終わるのが常。評判につながると思えば悪いことばかりでもないのだが、それは余裕があればの話である。


(一昨日の冒険者ギルドの仕事なんか最悪だった。古い魔導具ほど壊れてる場所が礼儀を知らない(・・・・・・・)んだっていうのに。どうして壊すかなあ? あー、思い出したら腹が立ってきた)


 使っているうちに壊れてしまったのならまだわかる。が、酔っ払った冒険者同士の喧嘩が原因と聞いたリシェルは、さすがにギルド長グレンに苦情を申し入れた。何をどうしたら、あれだけ破損するのやら。


(大体さ、冒険者って、依頼が終わったらお酒でも飲んで寝るだけでしょ? ちゃんと仕事の終わりがあるっていいよね――)


 寝返りをうち、深呼吸ついでのため息をひとつ。


「んー……もう今日は、仕事しなくていいかぁ」


 言い聞かせるように呟く。他人の仕事が楽に見えるのは、疲れている証だ。

 こういう時は経験上、自分を嫌いになる前に、何か別のことに没頭したほうがいい。


 どうにか毛布の誘惑を振り切ると、髪も整えず、寝間着のまま台所へ。

 水を入れたグラスを片手に保存庫を開ける。固くなったパンが数切れ、塩漬け肉のかけら、若干あやしい色のチーズ。

 炙るのも面倒で、パンに塩漬け肉を挟む。椅子にもたれて一口。パン屑の掃除は後回しだ。チーズは今度、削ってシチューにでも入れよう。


 外の雨が少し小降りになる。音も匂いも静かで、ほんの少しの後悔と、働いた日とは違う満足感が満ちる。


 壁にかかった設計図を眺めながら、リシェルはぼんやりと師匠のことを思い出す。

 理屈っぽくも、穏やかな男性だった。この辺りではあまり見ない黒い髪。その腕前と知識は誰もが認めるところだろうが、生活も本人もまるで地味で、名前しか知らない技師仲間も多いはずだ。

 たとえば、銀線をコイル状に巻き、魔力を安定させる導流線。熱伝導と放熱を意識した魔導具冷却板。木と金属からなる軽量フレーム構造。どうやって思いつくのかという素材の組み合わせ方で、今や無くてはならない概念を多く生み出した人。

 本人は誇示もせず「俺が凄いんじゃない。たまたま知ってただけだ」と嘯いた。それから決まって続くのだ、

「だから、リシェル。おまえは『覚える』んじゃなく、見て、考えろ」と。

 知識より観察、再現より応用。何でもありで柔軟な考え方は、この工房とともに受け継いだ。


 晩酌を教えたのも彼である。それまでリシェルは、酒は酒場と皆で飲むことが当然だと思っていた。


(今となっては考えられないね)


 自分でもおかしくなる。かつて彼は同じ種類をちびちびと減らしていたから、瓶を並べた棚は、リシェル自身が新たに造ったものだった。年季の入った空間で、そこだけ若干浮いている。

 昼の労働から切り替えて、労うための一杯。少しの間だけ日常から離れて、あちこちに思考を飛ばす時間。ちょうど……今のように。


「……」


 完璧は不自然――人間も。

 働いた人の勲章を、何もしていない人が受け取ってもいいのだろうか?


(って、別に誰の許可も要らないよね。わたしの人生なんだもの!)


 棚から瓶を選んで、グラスの水を飲み干す。代わりにとくとくと注いだ琥珀色の酒は、師匠がかつて好んでいた穀物酒だ。北方でよく作られると聞く。

 このささやかな楽しみも、誰かが働いて生み出されたもの。そう考えるとなんだか不思議な気がしてくる。


(今度、酒造ギルドに遊びにいってみるのもいいかも)


 ぼんやりとグラスを口に運ぼうとして……

 設計図を眺めていたせいだろうか。いつもは気にならないのに、食糧庫の扉の建付けがやけに目についた。前に取っ手が外れて交換したのだが、今度は蝶番の片側が折れたのをしばらく放置している。

 何もしないと心に決めても、どうにもやっぱり、手を動かしたくなってしまう。


 まだ口をつけていないお酒をいったん置いて、代わりに使い慣れた工具を手にとる。

 使えればいい、という程度ならいちいち図面など引かないし、寸法も雑に測って済ませるのが常。要は勘だ。こんなやり方ではバルドには小言をもらいそうだが。


(……そういえば、こないだミラも似たようなことを愚痴っていたっけ)


 新たにギルドに入ってきた事務員の仕事が遅い、と。それはミラに比べたら大抵の人はそうだろうとも思ったが、聞くと、良くも悪くも仕事が丁寧すぎる子なのだとか。

 嵐のような来客と業務を捌くには、時に無茶も必要なのだ。規則に従って確認をとって、丁寧に記録を残して、担当外の作業には触れない……そんな仕事の仕方に、ベテラン受付嬢は我慢がならないらしい。

 でもたぶん、新人の子も正しいし、ミラも正しい。時と場合によると言っても、勘の精度を上げるには経験値を積むしかない。


(難しいね)


 リシェルは幸い、人間関係にはそこまで煩わされない。その代わり、初めての客や現場は多少なり賭け(・・)になるし、食い扶持は自力で稼ぐ必要がある。


 あれやこれやと考え事をしているうちに、戸棚の扉はひとまず扉として機能するようにはなった。何度か確かめるように動かす。また壊れたら、また直せばいい。ずっとそうやって使ってきたのだから。

 ひびの入りかけた床板を踏まないようにして、再びテーブルへ。これで心置きなく飲める……と思うということは結局、リシェルが好きなのはお酒より、働いたあとの一杯、になるのだろう。


「明日からも頑張るかぁ……」


 天井で頼りなさげに揺れる灯りに、グラスの中身を透かす。師匠もよく似たようなことをしていたと思い出し、今度こそリシェルは一人で小さく笑った。

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