働かない日
昨日から降り出した雨は、今朝になっても止んでいないらしい。
二度寝を決め込んだベッドの中、リシェルは窓を叩く小さな雨音を聞いている。
(もしかして、もうお昼?)
このところ続いた忙しさに、なかなか起き上がることができない。
依頼が立て込んだのは事実だ。しかし品物が壊れた原因を説明すると、「じゃあ、ここも直せる?」と粘る客の多いことといったら。
(直すのはいいよ、そりゃ仕事だからね。でも、ついでにが多過ぎる!)
そしてリシェルの性格では無碍にもできず、結果的にただ負担が増えて終わるのが常。評判につながると思えば悪いことばかりでもないのだが、それは余裕があればの話である。
(一昨日の冒険者ギルドの仕事なんか最悪だった。古い魔導具ほど壊れてる場所が礼儀を知らないんだっていうのに。どうして壊すかなあ? あー、思い出したら腹が立ってきた)
使っているうちに壊れてしまったのならまだわかる。が、酔っ払った冒険者同士の喧嘩が原因と聞いたリシェルは、さすがにギルド長グレンに苦情を申し入れた。何をどうしたら、あれだけ破損するのやら。
(大体さ、冒険者って、依頼が終わったらお酒でも飲んで寝るだけでしょ? ちゃんと仕事の終わりがあるっていいよね――)
寝返りをうち、深呼吸ついでのため息をひとつ。
「んー……もう今日は、仕事しなくていいかぁ」
言い聞かせるように呟く。他人の仕事が楽に見えるのは、疲れている証だ。
こういう時は経験上、自分を嫌いになる前に、何か別のことに没頭したほうがいい。
どうにか毛布の誘惑を振り切ると、髪も整えず、寝間着のまま台所へ。
水を入れたグラスを片手に保存庫を開ける。固くなったパンが数切れ、塩漬け肉のかけら、若干あやしい色のチーズ。
炙るのも面倒で、パンに塩漬け肉を挟む。椅子にもたれて一口。パン屑の掃除は後回しだ。チーズは今度、削ってシチューにでも入れよう。
外の雨が少し小降りになる。音も匂いも静かで、ほんの少しの後悔と、働いた日とは違う満足感が満ちる。
壁にかかった設計図を眺めながら、リシェルはぼんやりと師匠のことを思い出す。
理屈っぽくも、穏やかな男性だった。この辺りではあまり見ない黒い髪。その腕前と知識は誰もが認めるところだろうが、生活も本人もまるで地味で、名前しか知らない技師仲間も多いはずだ。
たとえば、銀線をコイル状に巻き、魔力を安定させる導流線。熱伝導と放熱を意識した魔導具冷却板。木と金属からなる軽量フレーム構造。どうやって思いつくのかという素材の組み合わせ方で、今や無くてはならない概念を多く生み出した人。
本人は誇示もせず「俺が凄いんじゃない。たまたま知ってただけだ」と嘯いた。それから決まって続くのだ、
「だから、リシェル。おまえは『覚える』んじゃなく、見て、考えろ」と。
知識より観察、再現より応用。何でもありで柔軟な考え方は、この工房とともに受け継いだ。
晩酌を教えたのも彼である。それまでリシェルは、酒は酒場と皆で飲むことが当然だと思っていた。
(今となっては考えられないね)
自分でもおかしくなる。かつて彼は同じ種類をちびちびと減らしていたから、瓶を並べた棚は、リシェル自身が新たに造ったものだった。年季の入った空間で、そこだけ若干浮いている。
昼の労働から切り替えて、労うための一杯。少しの間だけ日常から離れて、あちこちに思考を飛ばす時間。ちょうど……今のように。
「……」
完璧は不自然――人間も。
働いた人の勲章を、何もしていない人が受け取ってもいいのだろうか?
(って、別に誰の許可も要らないよね。わたしの人生なんだもの!)
棚から瓶を選んで、グラスの水を飲み干す。代わりにとくとくと注いだ琥珀色の酒は、師匠がかつて好んでいた穀物酒だ。北方でよく作られると聞く。
このささやかな楽しみも、誰かが働いて生み出されたもの。そう考えるとなんだか不思議な気がしてくる。
(今度、酒造ギルドに遊びにいってみるのもいいかも)
ぼんやりとグラスを口に運ぼうとして……
設計図を眺めていたせいだろうか。いつもは気にならないのに、食糧庫の扉の建付けがやけに目についた。前に取っ手が外れて交換したのだが、今度は蝶番の片側が折れたのをしばらく放置している。
何もしないと心に決めても、どうにもやっぱり、手を動かしたくなってしまう。
まだ口をつけていないお酒をいったん置いて、代わりに使い慣れた工具を手にとる。
使えればいい、という程度ならいちいち図面など引かないし、寸法も雑に測って済ませるのが常。要は勘だ。こんなやり方ではバルドには小言をもらいそうだが。
(……そういえば、こないだミラも似たようなことを愚痴っていたっけ)
新たにギルドに入ってきた事務員の仕事が遅い、と。それはミラに比べたら大抵の人はそうだろうとも思ったが、聞くと、良くも悪くも仕事が丁寧すぎる子なのだとか。
嵐のような来客と業務を捌くには、時に無茶も必要なのだ。規則に従って確認をとって、丁寧に記録を残して、担当外の作業には触れない……そんな仕事の仕方に、ベテラン受付嬢は我慢がならないらしい。
でもたぶん、新人の子も正しいし、ミラも正しい。時と場合によると言っても、勘の精度を上げるには経験値を積むしかない。
(難しいね)
リシェルは幸い、人間関係にはそこまで煩わされない。その代わり、初めての客や現場は多少なり賭けになるし、食い扶持は自力で稼ぐ必要がある。
あれやこれやと考え事をしているうちに、戸棚の扉はひとまず扉として機能するようにはなった。何度か確かめるように動かす。また壊れたら、また直せばいい。ずっとそうやって使ってきたのだから。
ひびの入りかけた床板を踏まないようにして、再びテーブルへ。これで心置きなく飲める……と思うということは結局、リシェルが好きなのはお酒より、働いたあとの一杯、になるのだろう。
「明日からも頑張るかぁ……」
天井で頼りなさげに揺れる灯りに、グラスの中身を透かす。師匠もよく似たようなことをしていたと思い出し、今度こそリシェルは一人で小さく笑った。




