焼き魚と竜涙焼酎
リシェルの工房の片隅には、酒瓶の並ぶ小さな棚がある。飲みかけのものから新品まで様々だが、どれも、いつどうやって手に入れたものかをすぐ思い出すことができる。
ラベルが剥がれかけて、やけに容量の多い瓶はバルドがくれたもの。味は強いが料理酒に重宝する。
ミラが誕生日にくれたおしゃれな瓶。中身は結局、ミラ本人と一緒に飲み干してしまった。空いてもなかなか捨てられずにいる。
角ばった渋い瓶は、市場で買った竜涙焼酎。もちろん本当に竜の涙が入っているわけではなく、酒場でもよく提供される一般的な酒だ。名前に惹かれ、ティーカと出会った時期に買った。
(この焼酎にしようっと)
今夜は魚を焼こうと思っていたから、ちょうどいい。
下処理をした魚を網にのせる。砂香胡椒、月塩を一振り。竜骨スパイスは値が張るのでほんの少しだけ。
こんがり焼けた皮の表面にふつふつと脂が滲んでくるのを見ながら、初めてあの子竜が落ちてきた日のことを思い出す。
その日のリシェルは仕事から帰宅したばかりで、そして今日と同じように、何をつまみにしようかと思いを馳せていたところだった。
◆◆◆
夕暮れ時、工房の裏手で大きな音がした。
また狐か犬か、積んでいた資材の山を崩したのだろう。余計なことをされないうちに追い払おうと、裏口の扉を開けたリシェルは言葉を失った。
人の子ほどの大きさの体躯。蛇や魚とは異なる、鉱石のように青く輝く鱗。鋭い爪の生えた四肢。
竜が、伏している。
「……ほんもの?」
思わず呆けた声が出る。見るのは初めてだった。
高位の魔獣と神聖視されていた時代もあるらしいが、今となってはまず人里には現れない。賢く、気まぐれで、魔力の塊のような存在。協力種族ではあるものの、獣人やエルフとは別格の、距離のある隣人。
ましてや、若い竜は群れを離れないと聞くのだが。
震える瞳が、怯えを孕んでリシェルを見た。よくよく見れば、翼の皮膜部分が大きく裂けてしまっているし、焼け焦げたような痕もある。
『――星を、とろうとしたの』
急に声が聞こえ、リシェルは慌てて辺りを見回した。が、眼の前の竜しかいない。
「き、きみ、わたしに話しかけてる?」
声が裏返った。竜はじっとリシェルを見上げている。
『きれいな光だったから、近づいたら、急に強い風が吹いて』
「強い風……」
『飛べなくて、ぐるぐるして、落ちちゃった』
今日は天気もいい。普通の風で、子どもとはいえ、空を支配する一族がコントロールを失うなどありえない。
そこまで考え、リシェルは先日ギルドで聞いた噂を思い出した。確か、近いうちに魔導技師たちが気流制御の実験をするとか、なんとか。偶然その魔導陣の中を飛び抜けたのだとすれば、魔力乱流に巻き込まれた可能性もある。
人間の街に、竜の医者はさすがにいない。かといって、冒険者を呼べば騒ぎになる。グレンに相談すべきだろうか?
「あの、さ。飛べなくなった竜はどうなるの?」
『どうもならないよ。群れに置いていかれるだけ』
竜は不思議そうにまばたきする。リシェルの心の中で、小さな歯車が噛み合ったような音がした。
(考える……いや、よく観察するんだ)
師匠の教えを思い出す。リシェルは師匠ほどの技術はない。知らないなら、考えろ。おまえは目が早すぎるんだ。まずは観察しろ――
翼の構造は簡単に言えば、骨組みがあり、皮膜を張っているに等しい。つまり、船の帆や太鼓に似ている。
「……治せないけど、直せるかも」
『なんで? 風の理にあわないのに』
「きみがもう一度空を飛びたいなら、頑張る」
しばしの間を置いて。
『……飛びたい』
答えに頷きを返し、リシェルは竜を工房へ伴った。トコトコと歩いてついてくる姿は大きな犬のようだ。翼以外は傷もなく、いたって元気らしい。
彼(?)は物珍しそうに工房の中で首を巡らせた。
「大人しくしててね」
『うん』
「でも、痛かったら言って」
触れてみたが、皮膜自体に痛覚はないらしい。骨が折れていないのは幸いだった。これなら、義翼までいかずとも、補強パネルをあててやればなんとかなるかもしれない。
翼の内側には、うっすらと血管のようなものが見え、さらに魔導反応があるとわかった。魔導脈とでも言おうか。これは魔導具によく使う薄銀糸で代用する。
優先すべきは、張力を均一にすること。樹脂糊で、魔力繊維の布を薄く当てて補強。触媒となる魔晶石を薄く削り、小さな留め具として取りつける。これで魔力の流れが安定するはずだ。
「どう?」
竜は何度か翼を羽ばたかせ、こくりと頷いた。
『動く。飛んでみる!』
「ま、待って! 外でね!」
工房の中で暴れられた日には、事故が起きるよりも先にこの建物が崩れてしまう。
再び外へ。竜がぐっと力を込めて飛び上がると、その羽ばたきが青い体を持ち上げる。屋根よりも上を滑らかに旋回する姿に、リシェルは仕事の成功を確信した。
やがて、砂ぼこりを巻き上げながら降りてきた竜はなんと、着地の直前にその姿を少年へと変えた。
今度こそ呆気にとられるリシェルに構わず、力強く両手をとり、ぶんぶんと興奮気味に上下させる。
「き、きみ、その姿――」
「ありがとうありがとう! ええと」
「え、ああ、リシェルよ……」
「ありがとうリシェル! ティーカはね、ティーカっていうの!」
竜にも名前があるのか、などと思考が現実逃避を始める。人間の姿には翼はないらしい。
「そうだ、お礼! ちょっと待ってて!」
小さく叫ぶと、少年はまたあっという間に竜の姿で飛んでいく。それからすぐに、立ち尽くすリシェルのところへ戻ってきた。……大量の生魚と共に。
『ティーカ、これ好き! リシェルは? 魚たべる?』
言うや、生のまま、骨ごとバリボリと飲み込んだ。
『あ! もしかして焼いたほうが好き? 焼いてあげるね!』
「いや、あの」
ごうっ、と口から噴き出した炎で魚は丸焦げとなる。ついでに熱風が掠めてリシェルの髪も少しだけ焦げた。ぱさぱさの魚もまた丸呑みされていく。
先ほど噛み合った心の歯車が、パキリと割れる。
「も――もっとおいしく食べなよ!」
『んえ?』
――日が沈む頃、リシェルの姿は台所にあった。隣には少年姿の竜、ティーカ。魚を焼くリシェルの手元を、興味津々で覗き込んでいる。
「まだたべないの?」
「待ったほうがおいしくなるのよ。中までじっくり火を通すの」
「ふうん。さっきの粉はなに?」
「あれは塩……竜って塩は平気なのかな?」
「わかんない、食べてみたい!」
「まあいいか……?」
薪の中には少しだけ、森で拾った竜樹の枝を混ぜた。竜樹といっても、別に竜とは関係がないらしい。火を入れると独特の甘い香りが立って、燻製されたような風味がつく。
「はい、できたよ」
「いい匂い!」
ふっくらと焼き上がった魚。行儀は少々悪いが、台所で立ったまま齧り付く。ティーカはさすがに冷ます様子もなく、頭から一気に半分ほどを頬張った。
「どう?」
「おいしーい! リシェルすごい!」
瞳を輝かせる様子は子どもそのもの。硬いナニかを噛み砕く音は気になるが、リシェルも、素直に褒められて悪い気はしない。
「人間の食べ物は、時間の味がするねえ」
ぺろりと平らげたティーカが呟いたその言葉を、リシェルは何となく憶えている。
◆◆◆
酒瓶が並ぶ棚には、このまえ仕込んだ果実酒も置いてある。瓶の蓋を開け、味見。もう少し熟成したほうがいいかもしれない。
(これも、時間をかけた味だね)
台所から香ばしい匂いが漂ってくる。
再び瓶の蓋を閉めて元の位置に戻すと、リシェルはいそいそとごちそうの元へと向かった。




