魔導灯と薫草茶割り
その日の現場は、古い街灯の修繕だった。
道に等間隔に配置されたうちの、一基の魔導灯。依頼書では『簡易調整が必要』とだけ書かれていたのだが。
(うーん……見積どおりじゃ収まらなさそう)
実際に見れば、老朽化は想像以上。土台が腐っているのか、柱は傾き、内部の魔力線も断線寸前だった。
リシェルはため息をつき、腰に提げた革ポーチから工具を取り出す。
言われていないことは、やらなくていい。本来なら追加費用が発生する。ギルドに戻って申請をして、承認をもらってから再訪するべきだ。
でも、この灯が今日の夜までに消えれば、通りを歩く人の足元はすっかり暗くなるだろう。
昔、師匠も言っていた。「灯りが消える瞬間は、どこの世界でも人を不安にする」と。
「仕方ないね」
そう呟き、柱の方まで手を伸ばす。腐食した金具の交換、ズレたコイルの調整、導線の補強。今は一時しのぎの処置しかできないが、やらないよりはましだろう。
問題は、灯の位置が高すぎることだった。
脚立にのぼり、片手で柱に掴まりながら、もう片手を伸ばす。風が吹くたびに、脚立がかすかに揺れた。
(あと少し……っ)
カチン、と金具が外れた瞬間だった。強い風が背を押し、身体がよろめく。
「――リシェル!」
リシェルの身体が地面へ転がり落ちる直前で止まる。
抱きとめたのは、煤と鉄の匂いを纏った男――バルドだった。
「馬鹿、何してんだ!」
「し、仕事……?」
怒鳴られて驚いたこともあり、リシェルは反射的に答える。
「全部一人でやる奴があるか!」
「だって」
「だってじゃねえ。どうせ指示にない余計なことしたんだろ」
「よ、余計って何よ。直したほうがいいじゃない!」
「言い分はわかる。だが、無茶していい理由にはならん」
バルドは目を瞑り、深いため息を吐いた。
「……あのなあ。おまえの技術はすごいと思ってるさ。けど、どれだけ慣れた作業でも油断するな。俺たちの仕事は、気をつけすぎるってことはねえんだからよ」
先ほどの剣幕が嘘のような声に、リシェルは場違いにも目を瞬いた。
と、そこでようやく、自分が抱きかかえられたままなことに気付く。慌てて謝罪し地面へと跳ぶように降りる。
「っ、ご、ごめん! どっか痛くしてない?!」
「魔導炉の外装に比べたら軽いもんだ」
「あんな、鋼のデカい板と比べないでよ!」
「そりゃ悪かった」
さらりと言って口端を歪める様子に、リシェルも嘆息と共に笑いが漏れる。
「悪いが、工具を借りていいか」
「え?」
「このままってわけにもいかないだろ」
バルドは調整しかけの灯をひょいと持ち上げ、脚立を安定させると、淡々と残りの作業を片づけていく。慣れない道具を使っているというのに、さすがに手際は良い。
「……なるほど、旧型か。道理で」
「うん、初期の魔晶石みたい。灯りに使うにはあんまり安定しないから、そこの絶縁に使ってた枠、魔虫の繭じゃないかな」
「最近じゃなかなか見ないな。今、いくらぐらいするんだ?」
「どうだろ。採れる量はかなり減ってるらしいけど」
核となる魔晶石を、新たな石と交換する。光源の質を左右する芯材は、リシェル手製の魔導繊維だ。
魔導灯は、あっという間に息を吹き返した。沈む夕陽の代わりに、橙色の光が街路を照らす。
「……ありがとう」
「次にやったらギルドに報告するからな」
交換した古い魔晶石を片手で弄びながら、バルドは小さく笑った。
手分けして後片付けをしながら、先日のミラの言葉がよみがえったリシェルは、無骨な横顔をさりげなく盗み見た。
彼とそういう関係になりたいとは、別に思わない。きっと向こうも同じだろう。照れくささすら沸かないというか、今さら、という感覚が近い。
ただ、相棒として見られるのは悪い気はしなかった。かといって、二人三脚でと言われたら難しいが。リシェルとバルドでは、やりたいことも大切なものも違う。
それでも、少なくともリシェルにとって、尊敬できる相手であることは確かなのだ。
◆◆◆
夜。
茶葉をくつくつと煮出す。薫草茶と呼ばれる、食堂にもよく置いてあるようなお茶だ。独特の甘さが苦手な人もいるが、リシェルはあまり気にならない。
蒸留酒を注いだカップに、熱いお茶を半分ほど。やがて、ツンとする匂いが落ち着けば、ちびちび飲むのにぴったりな薫草茶割りのできあがりだ。
今夜のお供は、冒険者からもらった野菜の酢漬け。夕飯の肉をくどい味付けにしてしまったから、さっぱりとしたつまみが欲しかった。
(……新しい石鹸、買おうかな)
カップを口に運ぶたび、昼間の修理でついたオイルの香りが混じる。今度、ミラにでもおすすめを聞いてみよう。
酢漬けも、油汚れが落ちきらない手でつまむのは憚られた。フォークで一つずつちまちまと刺していると、玄関の戸を叩く音がした。
こんな時間に珍しい。
訝しみながらも扉を開けると、そこにはバルドが立っていた。手に小さな包みを持っている。
「どうしたの?」
「何を飲んでたんだ?」
バルドから質問をされるのは珍しい。少し驚きつつも、リシェルは体を開いて工房の奥を示した。
「薫草茶割り」
「渋いな」
「結構おいしいよ」
「残念ながら、これはつまみじゃないが」
包みを開けると、小ぶりの魔導灯が入っていた。淡い青の光をたたえる、静かな灯。
「昼間の街灯……取り替えた旧型の魔晶石をいじってみた。魔力を抑える用に、幻銀の薄板を入れてある」
「幻銀?! あの、『魔力を喰う金属』?」
「余り物を使っただけだ」
恐る恐る受け取った魔導灯を透かし見る。
本来なら魔導兵器や大型炉心に使うような希少素材を、両手に収まる灯りの、さらに芯の部分に違いなく嵌まるように。地味に、いや、普通にとんでもない加工技術だ。
よくよく見れば外側を覆うガラスにも、うっすらと金属の繊維が張り巡らされている。万が一破裂しても、破片が飛び散ることはなさそうだ。
「すご……」
「試作だけどな。前に、おまえんとこの工房、光が弱いって言ってただろ」
「くれるの?」
「役に立つかはわからんが。どのみち、こういう古めかしいのが好きな客は、うちにはほとんどいない」
わざわざ不安定な灯りを実用することはない。揺らめく灯りは完全に趣味の領域だ。不器用な贈り物に、胸の奥が熱くなる。
「ありがとう。せっかくだし、ちょっと飲んでく?」
バルドは一瞬だけ迷うようにリシェルを見て、ほんの少し困ったように笑った。
「いや、やめておく。明日の朝に後悔したくねえからな」
「どれだけ飲む気なの」
「おまえもほどほどにな。果実酒ができあがったらまた来るさ」
そう言って、彼は夜風の中に姿を消した。
いそいそとテーブルに戻り、早速、もらった灯りをつけてみる。ふわりとした光は周囲をほんのり明るくする程度だが、月明かりで覗いた時より、凝った細部がよく見える。
「ふふ」
新たな光をニマニマと眺めながら、お酒を一口。
技士バルドは小さな仕事でも手を抜かない。それをよく知るリシェルにとって、今夜は最高のつまみが手に入ったのだった。




