第5話 こぼれる力
父との剣の稽古は、木剣を握るところから始まった。
右手を鍔の下へ置き、その下に左手を添える。俺の手では柄が余った。父は指の位置を直し、少し離れて立った。
「持ち上げてみろ」
俺は頭の上へ木剣を上げた。
父がすぐに近づいてきた。
「肩まで上がっている。力を抜いて」
「抜くと落ちる」
「落ちないくらいでいい」
水魔法でも似たことを言われた。
力を入れるのは簡単なのに、ちょうどよくするのは難しい。
父が俺の肘を下げ、両手の位置を少し前へ動かした。
それだけで、持っているのが楽になった。
「ここから、ゆっくり下ろす」
言われたとおりに振る。
木剣の先が地面へ向かい、身体まで前に引っ張られた。父の手が胸に当たり、倒れる前に止まる。
「最後まで一緒に落ちなくていい」
「分かってる」
「身体にも教えなければな」
父は笑い、俺を元の位置へ戻した。
その朝に振ったのは、五回だけだった。
*
水魔法の方は、相変わらず鉢の底を濡らす程度だった。
最大魔力は七。
一度使うと二か三減る。失敗した日には、四減ることもあった。
同じくらいの水しか出していないのに、減り方が違う。
俺はそれが気になっていた。
母の針仕事の横で、いつもの鉢へ手を伸ばす。
力を集める。水を思い浮かべる。透明な粒が生まれかけ、途中で消えた。
もう一度。
今度は一滴落ちた。
【魔力:4/7】
母が鉢を覗いた。
「今日は一滴ね」
「途中で消えた」
「昨日より難しかった?」
「……同じつもりだった」
俺は自分の指を見た。
水にならなかった力は、どこへ行ったのだろう。
失敗した分も減っている。
なら、今の俺は水を出す以外のことに、かなり使っているのかもしれない。
俺は母へ顔を向けた。
「明日は、もっと小さく出してみたい」
「今より?」
「うん。落ちなくてもいいから」
母は少し考え、頷いた。
「疲れないうちに終わるならね」
*
次の日、俺は水滴を大きくしようとするのをやめた。
手の下に透明な粒が見えたところで、送る力を少し弱くする。
粒が消えた。
弱すぎたらしい。
俺は一度手を下ろし、息を吐いた。
母が縫う手を止めた。
「続ける?」
「もう一回だけ」
今度は、力を少しずつ送った。
粒が見えても、すぐには増やさない。手のひらの下に、小さな光が留まる。
水だった。
落ちそうで落ちない。
嬉しくなって指を動かした途端、粒が指先へ触れ、手の甲を伝って流れた。
「あ」
母が布を差し出した。
俺は手を拭きながら数字を確かめる。
【魔力:5/7】
二減っていた。
一度失敗して、もう一度作った。それでも昨日より少ない。
俺は枕元の板を取りにいこうとして、母に袖を掴まれた。
「まず鉢を片づけてから」
*
それから、板に数字だけでなく、小さな印をつけるようになった。
水が出たら丸。
途中で消えたら斜めの線。
出た量は、滴の数で書く。
文字を習う時間に、それを見たマルクが眉を上げた。
「これは何の帳面ですか」
「魔法の練習」
「こちらの数字は?」
「使う前と、使ったあと」
マルクは板を手に取り、俺を見た。
「何を数えておいでで?」
俺は黙った。
曖昧に答えても、たぶん次を聞かれる。マルクは俺が数字を一つ飛ばして書いただけでも気づく人だった。
「……力の残りが、見える」
言ってから、胸が少し速く動いた。
マルクは笑わなかった。
板を机へ置き、俺の前へ椅子を寄せる。
「どこに見えますか」
「手を見ると。いつもじゃないけど」
「今も?」
「見ようとすれば」
自分の手へ意識を向けた。
薄い文字が浮かぶ。
【魔力:7/7】
「七。全部で七で、今も七」
マルクはしばらく俺の手を見ていた。
彼には何も見えていないらしい。
「ほかにも、見えるものはありますか」
俺は頷いた。
職業。スキル。自分の名前。
継路眼という、知らない言葉。
話し終えるまで、マルクは一度も遮らなかった。
それから立ち上がり、戸口へ向かった。
「お父様にも、お話しいただけますか」
*
父と母が来ると、俺は同じことをもう一度話した。
最初に父の肩へ文字が浮いたこと。読もうとして目が痛くなったこと。最近は、少しずつ読めるようになったこと。
父は途中で椅子に座った。
母は俺のそばへ来て、目元を見た。
「今も痛くなるの?」
「長く見たら」
「それは先に言ってほしかったわ」
声が少し厳しくなった。
俺は膝の上の手を見た。
「ごめんなさい」
母が俺の髪を撫でた。
父はマルクの置いた板を眺めていた。
「私には、何と出る」
「剣豪。火魔法が一」
「……ほかは?」
「まだ、読めないところがある」
父とマルクが目を合わせた。
「神殿で確かめたものと同じですな」
マルクが言った。
俺は顔を上げた。
「みんな、知ってるの?」
「自分の職業や、主な技能ならな。神殿にある鑑定盤で調べられる」
初めて聞く話だった。
俺だけに見えるからといって、この世界で誰も知らないものではなかったらしい。
「魔力も?」
「大きな神殿なら、調べられるそうだ。ここからでは遠い」
父は俺の板を指した。
「それが正しいか、少し確かめよう。痛くなるまで見る必要はない。見えないときは、見えないと言いなさい」
俺は頷いた。
母が鉢を持ってきた。
*
まず、使う前の数字を言った。
七。
次に、小さな水滴を一つ作る。
力を一気に送らず、粒が見えたところで、その形が消えないくらいに保つ。
水が鉢へ落ちた。
「六」
マルクが板に書いた。
俺は鉢を見た。
一しか減っていない。
「昨日も、同じくらい出した?」
「うん。でも二、減った」
「その前は?」
「三」
マルクが以前の記録を並べた。
父は鉢の水と板を見比べる。
「同じ一滴でも、使う力が違うのか」
「前は、途中で消えてた」
「今日は?」
「消えないように、少しずつ送った」
父が頷いた。
「剣を握るときにも、必要以上に力を入れていたな」
「魔法も?」
「似たところはありそうだ。私も、覚えたころより楽につけられる」
俺は手のひらを開いた。
増やすことばかり考えていたが、こぼさずに使えば、今ある七でもできることが増える。
「残り、六ある」
「ああ」
「もう一滴なら、出していい?」
父は母を見た。
母が俺の手に触れ、顔を確かめてから頷いた。
次の一滴でも、一減った。
その日はそこで終わったが、俺は板を見ながら、何度も六と五を指で辿った。
*
練習の決まりが、少し変わった。
一度使ったら、残りを確かめる。
必ず力を残し、眠気や手の震えが出たら、数字に余裕があってもやめる。
母は記録を一緒につけてくれた。
父は俺の言う数字を聞きながら、回数を少しずつ増やした。
カイとソラにも、そのほかの村の人にも、文字のことはまだ話さないようにと言われた。
「どうして?」
「その力で何が分かるのか、私たちにもまだ分からんからだ」
父は俺の板を返した。
「聞かれても答えられないことまで、答えを期待される。まずは、お前自身が扱い方を覚えなさい」
俺は頷いた。
人の文字を見るときには、相手が嫌がることをしないようにも言われた。
マルクは帳面を読まれるのと似たものかもしれません、と付け加えた。
見えるからといって、何でも覗いていいわけではない。
俺は、自分の手と水の記録から確かめていくことにした。
*
半月ほどすると、水は滴ではなく、細い筋になって落ちるようになった。
長くは続かない。糸のような流れが一息ほど伸びて、途切れる。
鉢の底に溜まった水を、母が傾けた。
「今日は、目で見ても増えたわね」
俺は数字を確かめた。
二減っていた。
前は、失敗しながら数滴出すだけで三減った。
今は二で、何滴あるのか分からない量が出ている。
【水魔法:2】
新しい数字も見えた。
さらに目を向けると、別の行が浮かぶ。
【魔力制御:1】
俺は慌てて母を呼んだ。
写す前に消えそうだったので、声に出して覚える。
「制御。魔力制御って出た」
「新しい技能?」
「たぶん」
母は針を布へ刺し、板を取ってくれた。
文字を書きながら、俺はさっきの感覚を思い出していた。
水にする力を、少しずつ送り続ける。
強すぎれば散る。弱すぎれば消える。
その間を探すことが、技能になったのかもしれない。
*
季節が春から夏へ移るころ、最大魔力は十二になっていた。
七から八へ増えるまでは長かったが、そのあとは十日ほどで九になり、次には八日で十になった。
毎回同じ速さではない。
それでも、板に並ぶ数字は確かに増えていた。
父と母が許してくれる練習量も、少しずつ増えた。
朝に使い、昼寝のあとに確かめる。十分に戻っている日だけ、午後にも使う。
水が安定して出るようになると、失敗して力を失うことが減り、その分、流れを長く保つ練習ができた。
その日の朝、俺は鉢へ細い水を落とした。
途中で止めず、同じ太さを保つ。
手のひらの下で水が揺れる。
鉢の底に広がり、土色だった内側が、光を映し始めた。
「ユウ、そこまで」
母の声で、流れを止めた。
【魔力:5/12】
残りは五。
頭も痛くない。手も震えていなかった。
母が小さな杯を持ってきた。
鉢の水を移すと、底から少し上まで溜まった。
杯一杯には、まだ遠い。
それでも、最初の二滴とは比べものにならなかった。
「どこへやる?」
「窓の花」
母が育てている鉢だった。
俺は両手で杯を持ち、運んだ。半分ほどを土にかけ、残りは母に手伝ってもらう。
黒く湿った土を見ていると、後ろから父が声をかけた。
「水やりが終わったら、庭へ来なさい」
「剣?」
「今日は、足の置き方だ」
俺は空になった杯を母へ渡した。
魔法の力は増えている。
木剣も、前よりふらつかずに持てる。
その二つを一緒に使えたら、と俺は思った。
父のところへ歩きながら、いつものように胸の力へ意識を向ける。
足が止まった。
「どうした?」
「……歩くと、分からなくなる」
父は少し首を傾げたあと、俺の手元を見た。
「魔法のことを考えていたのか」
「うん」
「まずは歩きなさい」
俺は力を探すのをやめ、父の前まで進んだ。
父が木剣を渡してくれる。
「一つできるようになったら、次は二つ一緒にできるようにする。だが、先に一つずつだ」
俺は柄を握った。
以前より少しだけ力を抜き、足を開く。
父の言葉を聞きながら、明日の水の練習を考えた。
まずは、立ったまま。
それができたら、一歩だけ。
鉢を持つ母には、また相談しなければならなかった。




