第17話 一年後の約束
継承核が置かれていたと思われる場所には、何もなかった。
セレスが灯りを寄せると、壁際の台に、丸い窪みが見えた。周囲を囲む金属の輪には傷があり、一本だけ留め具が外側へ曲がっている。
俺は父の隣から、それを見た。
「ここにあったの?」
「たぶんね」
セレスは窪みへ触れず、縁の模様を写し取った。
壁の線は、そこへ集まっている。外された場所から先だけ、色が薄かった。
俺の視界には、同じ文字が残っていた。
【職業付与設備:停止】
【継承核:未装着】
壊れた機械だと思っていたものが、部品を抜かれた機械に変わった。
直せば動くかもしれない。
だが、その部品がどこにあるのか分からなかった。
「持ち出した人の名前、分かる?」
セレスに聞かれ、記録へ意識を向けた。
【搬出認証:保守担当】
【担当者情報:破損】
【代替識別情報:照会可能】
照会すると、細い線と模様が浮かんだ。
セレスは自分の紙へ写しながら、眉を寄せる。
「これ、見覚えがある」
父が近づいた。
「エドガーか」
「彼の仕事印かもしれない。魔道具師が修理したものへ残す、署名のようなものよ」
彼女は写し終えてから、俺を見た。
「今日調べるのは、ここまでにしましょう」
まだ知りたいことはあった。
しかし、文字を追うたびに額が重くなっていた。
俺は頷き、父の手を握った。
*
屋敷へ戻ると、父とマルクが調べ始めた。
エドガーが泊まった宿。
春に通った道。
取引のあった商人。
俺には、待つことしかできなかった。
数日後、南の領主から返事が届いた。
エドガーは去年の冬に役目を離れ、その後の所在は分からないという。
父は手紙を二度読み、机へ置いた。
「北から物を運んだ記録は?」
「屋敷の帳簿にはないそうです」
マルクが答えた。
「ただ、領主家の門で使っている魔道具を、去年の秋にエドガーが修理しております。仕事印の写しを送っていただけました」
セレスが二枚の紙を並べた。
同じところで曲がる線。
同じ形の小さな印。
父がそれを見て、静かに言った。
「これで、搬出に関わったことは確かめられたか」
「ええ。少なくとも、彼の認証で持ち出されている」
セレスは紙を重ねなかった。
もう一度、両方の印を見比べていた。
「ただ、去年の冬には辞めていたのに、今年の春にあなたを訪ねている」
「石切り場を探していると言っていた」
「核を持ち出したあとで、何を探しに戻ったのかしら」
俺は壁に掛かった地図を見た。
北の森には、まだ調べていない場所がある。
父が筆を取った。
「近くの領地にも、尋ねてみよう」
*
手紙は増えたが、エドガーは見つからなかった。
宿に泊まった記録はある。
南へ向かったと話す商人もいた。
だが、次の町では誰も知らない。
道の途中から、足跡が消えていた。
その間に、雪が降った。
継承院へ向かう道も白くなり、セレスは王都へ戻ることになった。
「学院に、調べたい資料があるの。魔道具の取引を追うなら、ここで手紙を待つより早いわ」
夕食のあと、彼女は俺の帳面を開いた。
新しいページには、魔法剣士の条件が書いてある。
剣術三。
二つの属性魔法、それぞれ三。
魔力制御三。
武器強化一。
剣技と術の同時維持。
セレスは一行ずつ指で辿った。
「道具へ力を通す練習は続ける。火や強い水弾は、教えた場所と方法を守る」
「うん」
「新しい使い方を思いついたら、まず小さく試す。大きくできたからといって、上手くできたと思わないこと」
俺は頷いた。
板に開いた穴を、まだ覚えていた。
「次、いつ来る?」
聞くと、セレスは少し考えた。
「約束できる日が決まったら、手紙を書く」
「夏?」
「夏に来られたら、嬉しいわね」
曖昧な返事だった。
それが仕事を持つ大人の返事だと、俺には分かった。
セレスは帳面を閉じ、俺へ返した。
「次に会ったら、どこまでできるようになったか見せて」
俺は両手で受け取った。
「魔法剣士に、近づいておく」
彼女は笑った。
「では、私も核の行方に近づいておくわ」
*
出発の日、四人で門へ並んだ。
カイは真面目な顔で、教わったことを忘れないと言った。
ソラは、来年も来るのかと三回聞いた。
ルナは足が治り、じっと立っていなかった。
馬の横へ回り込み、セレスの鞄を見上げる。
「旅、いいな」
「寒いし、寝床が硬い日もあるわよ」
「それでも」
「まず、お父さんと村の道を覚えましょう」
ルナは頷いたが、納得しきった顔ではなかった。
セレスが馬へ乗る。
俺は最後に近づいた。
「ありがとう」
彼女は少し身を屈めた。
「あなたも、教わったことを使って人を助けたでしょう。私には、あれが一番嬉しかった」
馬が門を出た。
灰色の外套が、雪の道を遠ざかっていく。
ソラが俺の袖を引いた。
「今日は、練習する?」
「する」
「じゃあ、俺も」
俺たちは庭へ戻った。
教える人がいなくなっても、教わったことは残っていた。
*
冬の間、練習場所は倉庫の空いた一角へ移った。
床を濡らすとメラに叱られるので、水は大きな桶へ出した。
風は吊るした布を揺らし、土は器の中で形を変える。
俺は前の人生で見たものを、何度も思い出した。
シャワーの細かな水。
扇風機の一定の風。
粘土を丸めたときの手触り。
思い出せる形が増えると、練習する方法も増えた。
同じ術を強くする日と、少ない魔力で使う日を分ける。
手を動かさずに水の向きを変えられた日は、帳面へ大きな丸をつけた。
カイは土を固めるのが上手くなった。
俺が薄い板のようなものを作って見せると、彼は厚みを増やし、両手で持てる形にした。
「盾みたい」
ルナが指で叩く。
端が少し欠けたが、真ん中は残った。
「まだ重い」
カイはそう言って、次の日には少し薄くした。
ソラは、風を強く出すより、弱く続ける方が得意だった。
吊るした布をほとんど揺らさず、細い糸だけ動かす。
ルナがそれを触ろうとすると、すぐに怒った。
「今、やってる!」
「動いてないじゃん」
「糸、見てよ!」
俺が目を近づけると、確かに一定の方向へ曲がっていた。
ソラは満足そうに顎を上げた。
*
春になると、父の稽古も変わった。
丸太を叩くだけでなく、父が差し出す木剣へ当てる。
位置が変わる。高さも変わる。
俺は追いかけすぎて、何度も姿勢を崩した。
父はそのたびに、足元を指す。
「届かないなら、無理に振らなくていい」
夏の初めには、剣術が二になった。
そこから先は長かった。
一方、魔力を通す練習具の光は、動かしても消えなくなった。
父が用意してくれた短い練習剣には、刃のない鉄の芯が入っていた。まず持つだけ。次にゆっくり動かす。
力を通すと、手元の感触が少し変わる。
道具の先まで、自分の手が伸びたようだった。
【武器強化:1】
表示が出た日は、父に剣を見せた。
父は確かめ、頷いた。
「通っている。次は振っている途中に切らさないこと」
俺は笑った。
一つできると、次が来る。
以前なら少し悔しかったが、今はその次が楽しみだった。
*
領地の暮らしにも、練習が入り始めた。
俺が出した水は、庭の花だけではなく、掃除に使われた。
風で干した布を乾かすと、メラが喜んだ。ただし、強くして洗濯物を落とした日は、自分で拾わされた。
ある日、台所の床を掃除していた若い下働きが、重い桶を運んでいた。
俺は練習用の水を、先に空いた桶へ溜めた。
「今日は、これ使って」
彼女は桶の中と俺を見た。
「全部、ユウ様が?」
「うん」
「なら、井戸へ一回行かなくて済みます」
彼女は笑い、その水で布を洗い始めた。
俺はしばらく、その様子を見ていた。
魔法が強くなることは、魔物を倒せるようになることだけではなかった。
もっと人が使えれば、もっと仕事が楽になる。
魔法を使わない道具でも、同じことができるかもしれない。
覚えているものの中に、そういう道具がなかっただろうか。
その日、帳面の端へ、俺は丸い車輪を一つ描いた。
*
セレスからは、二度手紙が来た。
一度目には練習の確認と、学院で分かった継承設備の話が書いてあった。
今の神殿にも、職業を選ぶ設備がある。
初めて選ぶ職業は料金が安く、村の大人の多くは、働く道が決まったころに職業へ就く。
ただし、未定の大人もいるし、神殿ごとに扱える職業は違う。
北の継承院に残る名前の中には、王都の神殿でも選べないものがあった。
魔法剣士も、その一つだった。
俺はその行を、何度も読んだ。
条件を満たしても、核が戻らなければ、北の設備は使えない。
二度目の手紙は夏だった。
エドガーらしい男が、西の商業都市で見られたという。
だが、セレスが向かったときには、すでに立ち去っていた。
夏に来る約束は、できなかったと書いてあった。
俺は帳面から練習の成果を選び、マルクに手伝ってもらって返事を書いた。
まだ来られなくてもいい。
その間に、もっとできるようになっておく。
*
五歳の誕生日が近づくころ、剣術が三になった。
父の差し出す木剣を追いかけず、自分の間合いに入ったところで当てられた日のことだった。
その夜、俺は条件の紙へ印をつけた。
【剣術:3】
【火魔法:2】
【水魔法:3】
【風魔法:3】
【土魔法:2】
【魔力制御:3】
【武器強化:1】
水と風で、二属性。
技能の条件は揃っている。
最大魔力は百十八になっていた。
休めば戻る量も増え、毎日の練習に使える時間は、一年前よりずっと長い。
残っているのは、同時維持だった。
剣へ魔力を通し、構える。
反対の手の近くへ、小さな水の粒を浮かべる。
立っているだけなら、保てた。
一歩進んでも、消えない。
しかし剣を振ると、水が落ちた。
俺は足元を見た。
小さな染みがある。
「あと少しなのに」
父が木剣を肩へ載せた。
「剣を振る瞬間に、全部そちらへ向いている」
「分かってる」
「なら、できるまでだ」
その言い方に、俺は笑ってしまった。
父も少し笑った。
魔法剣士は、まだ候補に開いていない。
基礎職も未定のままだ。
だが、どこが足りないかは分かっていた。
*
誕生日の午後、王都から使いが来た。
父宛ての封書と、俺宛ての小さな包み。
包みには、新しい筆記具が入っていた。
セレスからだった。
添えられた紙を読む。
『五歳、おめでとう。前の帳面は、まだ足りているかしら』
俺は机の上の、厚く膨らんだ帳面を見た。
余白にも書いている。
最後の数枚は、もうすぐ埋まりそうだった。
その下には、もう少し長い文があった。
『あなたの目標に、手が届く準備を進めています。詳しいことは、お父様と一緒に読んでください』
俺は紙を持って、書斎へ向かった。
父はすでに封書を開いていた。
机の端に、町の地図がある。
マルクも、その横へ立っていた。
「セレスから?」
父が頷いた。
「エドガーが見つかった」
俺は戸口で止まった。
「どこ?」
「西の商業都市、ヴァルデン。今度は、本人に会ったそうだ」
父の声は落ち着いていた。
だが、手紙を持つ指に力が入っている。
「逃げてたの?」
「隠れていたらしい。仕事も、別の名でしていた」
父が次の紙を広げた。
俺にも読めるよう、机の手前へ寄せる。
『彼は生きています。ただし、継承核はすでに彼の手を離れています』
その下に、場所の名があった。
ヴァルデンの競売商会。
俺は父を見た。
「売られる?」
「三週間後の競売に出る」
父は手紙の最後へ指を置いた。
『出品名は、古代式職業付与核。買い手の中に、レインフォード領の南隣――ハーゼン伯爵家の代理人がいます』
窓の外で、カイたちが俺を呼んでいた。
誕生日の菓子を食べようと、ルナの声が一番大きかった。
俺は返事をしないまま、机の上の地図を見た。
見つければ、戻せると思っていた。
だが、その核を欲しがっているのは、俺たちだけではなかった。




