第13話 守る相手
数字が、減っていた。
排除動作まで、十八、十七。
俺は机の縁を掴んだ。
「ユウ。何が起きているの?」
母の声がした。
地図は見えても、文字は見えない。
「石の兵が、ルナを攻撃する」
口に出した途端、母が立ち上がった。
マルクが戸口へ向かう。
「知らせを出します」
「間に合わない」
自分でも驚くくらい、強い声が出た。
数字はもう、十四だった。
青い点は西側の入口にある。
ルナの赤い点は、建物の奥。
その間に、壁と通路がいくつもあった。
俺は石へ意識を向けた。
止めて。
【警戒解除:管理者権限が必要】
違う。
それは、さっきも駄目だった。
十一。
俺は地図を見る。
助ける相手として、ルナは登録されている。
それなのに、別の仕組みが襲おうとしている。
止める権限がなくても、伝えることはできないか。
その子は、侵入者じゃない。
*
【対象照合】
【保護対象情報:存在】
【警戒機構への共有:失敗】
文字が増えた。
俺は早口で読み上げた。
母が机の向こうへ回る。
マルクは戸口で足を止め、紙と筆記具を取った。
「守る相手だってことが、石の兵へ届いてない」
残り、八。
俺は石を睨んだ。
道が切れている。
継承経路も、情報も。
全部の仕組みを止めるのではなく、守る相手の情報だけ渡す。
セレスが言っていた。
管理ではなく、案内。
この子を救援の入口まで案内したい。
【保護対象の一時通行登録:可能】
【案内者による経路補助が必要】
俺はすぐに頷いた。
「それをやる」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
【継路眼による接続を要求】
【推定魔力消費:6】
【接続中は視線を維持してください】
俺は石へ手を近づけた。
触れる前に、文字が変わる。
【接続開始】
胸の奥から、力が引かれた。
*
水を作るときとは違った。
自分で送る量を決める前に、細い流れが身体の中を抜けていく。
俺は息を吐いた。
止めようとしない。
ただ、一度に全部持っていかれないように、いつもの魔力制御で流れを細く保つ。
石の溝が明るくなった。
【保護対象情報を送信】
【警戒機構:照合中】
残り、三。
白い点が、赤い点と重なりかけた。
俺は地図から目を離せなかった。
二。
青い線が、ルナのいる場所まで伸びる。
一。
【一時通行登録:完了】
【排除対象指定:解除】
数字が消えた。
俺は机に両手をついた。
足から力が抜け、母の腕が背中を支える。
「止まった?」
母が聞いた。
俺は頷いた。
「攻撃する相手じゃ、なくなった」
白い点は、その場で止まっていた。
赤い点だけが、少し離れる。
俺は初めて、ちゃんと息を吸えた。
*
そのころ、継承院の中では、セレスが足を止めていた。
廊下の先に、石の番兵がいる。
長い腕に、刃のようなものがついていた。
その足元に、小さな女の子が座り込んでいる。
「ルナ!」
ブラムが叫んだ。
父が彼の腕を掴む。
「待て」
石の刃は、振り上げられたままだった。
だが、動かない。
壁を走っていた赤い光が、一筋ずつ青へ変わる。
番兵の顔にあたる平面にも、青い印が灯った。
ルナは顔を上げた。
父親の姿を見つけ、口を開く。
「父ちゃん」
ブラムが一歩進んだ。
番兵は反応しなかった。
セレスが杖を持ち直し、前へ出る。
「私が先に」
彼女は番兵から目を離さず、ルナのそばへしゃがんだ。
脚に血がついている。
石の刃で傷つけられたものではなく、転んで擦ったようだった。
「立てる?」
「……足、痛い」
ルナはセレスの肩越しに、ブラムを見ていた。
ブラムが膝をつくと、ようやく手を伸ばす。
「迎えに来た」
彼は娘を抱き上げた。
ルナの両手が、父親の首へ回る。
「暗くなって、出ようとしたら……動いた」
声が途切れた。
ブラムは答えず、背中を強く抱いた。
セレスは立ち上がり、壁の青い光へ目を向けた。
細い線が、西側の入口まで続いている。
「帰りましょう。見えている道から外れないで」
*
屋敷の地図では、赤い点が青い点と一緒に動き始めた。
俺は母に支えられたまま、それを見ていた。
「連れて、戻ってる」
マルクが紙へ書く。
母は椅子を引き、俺を座らせた。
接続を続けている間、少しずつ魔力が減っていた。
六は、最初につなぐための量だったらしい。
【魔力:17/42】
まだ残っている。
目の奥は重かったが、文字は読めた。
青い線が、入口まで光っている。
これを消したら、通行の許可まで消えるのだろうか。
俺は石へ問いかけた。
【一時通行登録:保持】
【案内経路:接続終了時に消灯】
許可は残る。
しかし、通り道は暗くなる。
俺は地図の点を見た。
もう、入口は近い。
「あと、少し」
母は何も言わず、俺の背に手を添えていた。
五つの青い点と、一つの赤い点が、壁の外へ移る。
【保護対象:救援担当者と合流】
【施設外退避を確認】
俺はそこで、接続を終えた。
光の地図が薄れ、石の溝だけが残る。
椅子の背へ身体を預けた。
マルクが、机の上の石を見て言った。
「戻られますな」
俺は頷いた。
今度こそ、声が出なかった。
*
父たちが帰ってきたのは、夜も深くなってからだった。
俺は一度眠っていた。
門の音ではなく、母が部屋へ入ってきた気配で目を覚ます。
「戻った?」
母が頷いた。
「ルナも一緒よ」
俺は寝台から下りた。
靴を履くのに手間取っていると、母が待ってくれた。
食堂には灯りがついていた。
父が外套を脱ぎ、セレスが手袋を外している。
ブラムは椅子に座り、その膝へ娘を載せていた。
ルナは、俺が思っていたより小さかった。
それでも俺より大きい。赤茶色の髪には枯れ葉が絡み、頬に細い傷がある。
片足には、新しい布が巻かれていた。
俺が戸口へ出ると、父がこちらへ来た。
「石に、何かしたな」
怒っている声ではなかった。
俺は頷いた。
「ルナを、通っていい人にした」
「そうか」
父はしゃがんだ。
俺の顔を見てから、肩へ手を置く。
「間に合った」
その一言で、庭からずっと胸に残っていたものが緩んだ。
石の刃が、実際にどこまで動いていたのか。
父の声で、ようやく分かった気がした。
*
セレスは、マルクの記録を読んでいた。
途中で何度も俺を見る。
「管理の権限は、使えなかった」
「うん」
「だから、ルナを通れる人として登録したのね」
「守る相手だって、届いてなかったから」
セレスは紙を置いた。
机の上には、布で包まれた継承端末がある。
「よく、別の方法を探したわ」
俺はその言葉を聞いて、少し遅れて嬉しくなった。
ただ、あのときは褒められたいとは考えていなかった。
数字が減っていたから、止めなければと思っただけだった。
ブラムがルナを椅子へ移し、立ち上がった。
俺の前で膝をつく。
「ありがとうございました」
深く頭を下げられ、俺は慌てた。
「助けに行ったのは、父様とセレスで……」
「この子の前で、石の腕が止まったんです」
ブラムが顔を上げる。
「それで、抱き上げられた」
俺は何と答えていいか分からず、頷いた。
ルナが椅子から身を乗り出した。
「あんたが、止めたの?」
ブラムが振り返る。
「ユウ様だ」
「ユウ?」
彼女は俺を見た。
涙で腫れた目なのに、まっすぐだった。
「どうやったの?」
「通っていいって、知らせた」
「あの石に?」
「うん」
ルナはしばらく考えた。
それから、父親へ顔を向ける。
「じゃあ、次は最初に知らせたら入れる?」
「次は行かん」
ブラムが即座に言った。
父が口元へ手を当て、セレスは肩を揺らした。
ルナは不満そうに足を動かしかけ、顔をしかめた。
ブラムがすぐに膝を支える。
「まず、足を治す」
「……うん」
俺は少し笑った。
ルナがこちらを見る。
「ユウも、見たいでしょ」
「見たい」
「ほら」
なぜか俺が、味方として数えられた。
*
ルナが建物へ入った理由は、罠から逃げた獲物を追ったからだった。
父親に奥へ行くなと言われていた道を、少しだけ越えた。
足を滑らせ、崩れた壁の下へ落ちたところに、開いた戸があった。
「外は寒かったから」
中へ入ると、戸が閉まった。
別の出口を探しても開かず、疲れて座り込んだ。
救援要請は、そのあと始まったのだろう。
古い施設に、人を保護する働きが残っていた。
「どうして、部屋を出たの?」
俺が聞くと、ルナはブラムを見た。
「声がした」
「父ちゃんの?」
「うん。呼んでたから」
西側の入口で、ブラムが娘を呼んだ。
待っていたルナは、その声へ向かった。
助けに来た声を聞いて動き、守っていた部屋から出た。
それで、番兵に狙われた。
セレスは腕を組んだ。
しばらく黙ってから、父へ言った。
「保護と警戒が、別々に動いている。あのまま人を近づけてはいけないわ」
「道は塞ぐ。調べるなら、次は準備して行こう」
父は端末へ目を向けた。
「ユウの力がなければ、今日も違った結果になっていた」
俺は布に包まれた石を見た。
怖さと、知りたい気持ちが、同じくらいあった。
*
皆が休みに入る前に、セレスが俺を呼んだ。
父と母も一緒だった。
「一つ、報告があるの」
彼女は端末の隣へ、別のものを置いた。
白っぽい金属でできた、小さな円盤。
縁の一部が欠け、表面には継承院と同じ印があった。
「西側の入口で、外れていたものよ。地図では、この端末と同じ印の場所に置かれていた」
俺は円盤を見たが、すぐには何も出ない。
セレスが続けた。
「持ち帰る前に調べたけれど、残っている魔力はわずかだった。今夜は動かさない。ただ、明日、あなたに確かめてほしい」
俺は頷きかけた。
円盤の模様が、目に入る。
細い線が中心で交わり、そこから外へ枝分かれしている。
文字が浮かんだ。
【職業継承記録】
【記録数:128】
俺は、眠気を忘れた。
「……職業の、記録」
セレスの手が止まった。
「いくつ?」
「百二十八」
彼女は父を見た。
父も円盤を見つめている。
俺の視界には、その下に、名前が一つずつ並び始めていた。
【城塞騎士】
【魔導工匠】
【結界術師】
知らない職業だった。
だが最後に現れた名前だけは、読んだ瞬間、胸が強く鳴った。
【魔法剣士】
その隣に、小さな文字があった。
【現行継承経路:欠落】
【再構築条件を表示しますか】
俺は円盤から目を離せなかった。




