第12話 扉の向こうの生存者
救援要請。
俺はその文字を、二度読んだ。
「北方第七継承院から、救援を求めてる」
父の顔が変わった。
セレスは石へかざした手を動かさず、俺を見た。
「誰が?」
「まだ、出てない」
青い光が、石の溝を辿っている。
それに合わせるように、新しい文字が現れた。
【保護対象:一名】
【所在:西側待避室】
【外部通路:封鎖】
【救援猶予:不明】
俺は見えた順に読み上げた。
父が机へ手を置く。
「人がいるのか」
「一名って」
書斎の外では、廊下を歩く足音がしていた。
ダンへ食事を運んでいるのだろう。その日戻ってきた三人のことが、急に遠い出来事ではなくなった。
石の兵に襲われた人が、ほかにもいる。
扉の向こうで、出られずに。
「いつからの要請?」
セレスが聞いた。
俺は文字へ目を向けた。
変わらない。
「分からない」
「古い記録か、今届いているものか。そこを確かめたいわ」
彼女は石の表面を見た。
青い光は、まだ消えていなかった。
*
父がマルクを呼んだ。
俺の読んだ内容を紙へ書かせ、調査隊が戻ってから誰か北へ向かったか、村で確かめるよう指示する。
「猟師もだ。屋敷へ来た者だけでは足りん」
「承知いたしました」
マルクが出ていく。
セレスは机の上の石を、薄い光の膜で包んだままだった。
「これ、止めた方がいい?」
俺が聞くと、彼女は首を振った。
「まず、呼びかけてみましょう。あなたにしか読めないなら、返事もあなたからかもしれない」
俺は石を見た。
どう返事をすればいいのだろう。
魔法を使うつもりはない。
ただ、見えている言葉へ、聞きたいことを向けてみる。
誰を守っているのか。
文字が揺れた。
【保護対象照会】
【氏名:未登録】
【種別:人族】
【状態:生存】
胸の奥が冷たくなった。
生存。
古い記録なのかもしれないと思っていたのに、そんな表示を見れば、放っておけなかった。
「生きてるって。人族で、名前は分からない」
父が椅子を引いた。
「セレス。現地で確かめられるか」
「扉までは行けると思う。ただし、番兵をどう避けるか考える必要がある」
彼女は俺を見る。
「まだ、ほかにも聞ける?」
俺は頷いた。
目は痛くなっていない。
けれど、さっきから喉が渇いていた。
父が杯を持ってきた。
俺は一口飲み、また石へ向き直る。
番兵は、なぜ外の人を襲ったのか。
【警戒機構:稼働】
【侵入者排除:有効】
【管理者権限:不在】
それを読むと、セレスが長く息を吐いた。
「守るための仕組みが、入る人を見分けられなくなっているのかもしれない」
*
人を助けてほしい。
でも、入ろうとする人は襲う。
俺は石を見た。
何百年も前の装置だとしても、それでは誰も助けられない。
番兵を止められないか。
そう考えると、文字がすぐに変わった。
【警戒解除:管理者権限が必要】
駄目だった。
俺はそれを二人へ伝えた。
セレスは机の端へ置いた古い本を開いた。
指でページを辿り、継承院の印があるところで止める。
「案内機能と言ったわね。管理ではなく、案内」
「うん」
「人を施設へ入れるための働きがあるはず。番兵を止めるのではなく、通れる人として知らせられないかしら」
俺は彼女を見た。
前の人生でも、鍵を持っていなくても受付を通して入れる場所はあった。
来た人を伝える。
許可をもらう。
扉を全部開けなくても、通す方法があるかもしれない。
救援の人を、中へ入れたい。
【救援経路照会】
【西側保守口:使用可能】
【一時通行証:発行可能】
俺は身を乗り出した。
「通れる。西側に、別の入口がある」
「場所は?」
「まだ」
その瞬間、石の上へ光が立ち上がった。
*
小さな建物が、机の上に浮かんでいた。
薄い青色の線でできた、壁と階段。
中央には丸い塔があり、片側の壁が大きく欠けている。
父が俺の前へ腕を出した。
セレスは光の膜を広げ、映ったものを包む。
俺は椅子の上で固まっていた。
地図だった。
平らな紙ではなく、建物をそのまま小さくしたような。
「……見えてる?」
俺が聞くと、セレスが頷いた。
「これは、私にも見える」
赤い点が一つ、壁の内側で瞬いている。
そのすぐ外に、細い青い線が伸びた。
【救援経路を表示】
俺はその文字を読んだ。
セレスは父へ顔を向ける。
「西の壁沿い。正面の階段へは近づかずに行ける」
「崩れている側か」
「ええ。ガレスに、現地の形と合うか確認してもらいましょう」
父が戸口へ向かったところで、マルクが戻ってきた。
後ろには、猟師の格好をした男がいる。
男は室内の光を見て足を止めた。
だが、すぐに父へ頭を下げる。
「娘が、戻っておりません」
*
男の名は、ブラムだった。
屋敷へ肉や毛皮を届けることがある猟師で、父も知っていた。
「いつからだ」
「昼過ぎです。川沿いの罠を見に行くと言って……いつもの場所なら、日が落ちる前には戻るはずで」
声が掠れていた。
「北の道へ行くなとは言っていました。ですが、罠が空続きで、少し奥へ移したのかもしれません」
父は机の地図へ目を向けた。
赤い点は、まだ瞬いている。
「娘の名は」
「ルナです。六つになります」
俺はブラムを見た。
肩から下げた袋は空だった。泥のついた靴も、片方だけ紐がほどけている。
走って探してきたのだろう。
日が落ちても見つからず、屋敷へ来た。
父は何かを約束する前に、セレスを見る。
彼女が静かに言った。
「人が閉じ込められている可能性がある。私たちは、これから確かめに行くところです」
ブラムが地図へ近づいた。
「これは……」
「北の古い建物よ。知っている?」
「遠くから見たことがあります。あそこへ?」
赤い点へ目が向いた。
男の手が、机の縁を掴んだ。
「俺も行きます」
父は頷いた。
「道を知る者が必要だ。ただし、一人で先へ出るな」
*
父はセレスと兵を連れて出ることになった。
ガレスが地図を確認し、西側の崩れた壁と、外からでは見えにくい窪みを示した。
「この辺りに、低い屋根がありました。入口かどうかは分かりませんが」
セレスが紙へ写す。
マルクは必要な道具を揃えるため、屋敷の人へ声をかけにいった。
俺は机の前に残った。
一時通行証。
それをどう渡せばいいのか。
石へ問いかけると、光の地図が小さくなり、一本の模様が浮かんだ。
【救援担当者を登録してください】
俺はセレスを呼んだ。
彼女が戻り、石へ指を近づける。
「触れていいの?」
「分からない。でも、登録する人を決めてって」
セレスは父を見てから、石の平らな面へ指を置いた。
青い光が彼女の指先へ移る。
【救援担当者:登録】
【同行者:登録待機】
次に父。
兵の二人。
最後にブラム。
石が一人ずつ反応した。
ブラムの番だけ、表示が少し長く残った。
【保護対象との照合】
【血縁情報:一致】
俺は息を呑んだ。
「父様」
父が振り向く。
俺はブラムを見ながら言った。
「中の人、この人と血がつながってるって」
ブラムの顔から血の気が引いた。
机へ置いた指が、震え始める。
父がその肩を掴んだ。
「行くぞ」
*
俺は屋敷に残った。
自分も行きたいとは、言わなかった。
地図の中には、剣を持った大人を傷つけるものがいる。
俺の水は板を濡らせても、石の兵を止められるとは思えない。
それでも、何もできないわけではなかった。
「ここで、表示を見ていてくれる?」
セレスが石を机へ戻した。
「私が持っていっても、文字を読めない。通行証がついたかどうかも分からないわ」
「何か変わったら?」
「お母様とマルクに伝えて。道の途中に、知らせを運ぶ者を置くから」
彼女は腰の短い杖を確かめた。
「あなたが、入口を見つけてくれた。続きをお願い」
俺は頷いた。
父は出発する前に、一度だけ俺の頭へ手を置いた。
「戻ったら、今日の話をしよう」
俺は父の腰の剣を見た。
「怪我しないで」
「気をつける」
父は、絶対に大丈夫とは言わなかった。
*
馬の音が遠ざかると、屋敷が急に静かになった。
母が書斎へ椅子を運び、俺の隣に座る。
机の上では、石の溝が光っていた。
小さくなった建物の形も残っている。
赤い点は、動かない。
しばらくして、青い点が五つ現れた。
建物の外側。
セレスたちだろうか。
【救援担当者接近】
俺は母へ伝えた。
マルクが時刻を書き留める。
青い点は正面の階段を避け、崩れた壁の方へ回る。
俺はその動きを、息を詰めて見ていた。
西側の小さな入口へ、一つ目の点が触れた。
【一時通行証:認証】
続いて、二つ。
三つ。
扉が開いたのか、点が壁の内側へ移った。
俺はようやく、肩の力を抜いた。
「入れた」
母も地図を見ていた。
「ええ」
だが、五つ目の点が入ったところで、建物の中央が赤く光った。
【異常を検知】
【保護対象:移動開始】
【警戒機構:追跡中】
俺は椅子から立ち上がった。
赤い点が、部屋を出ていた。
青い点のいる入口とは、反対の方へ。
その後ろに、大きな白い点が一つ現れる。
「ルナが、動いた」
声が掠れた。
机の光の中で、白い点が赤い点へ近づいていく。
新しい文字が浮かんだ。
【保護対象が警戒区域へ侵入】
【排除動作まで――】
俺は、その先を読みたくなかった。




