↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失われた職業を継ぐ者  作者: 陸海空
11/19

第11話 帰ってきた調査隊

 帰ってきた馬は、屋敷の門をくぐる前から泡を吹いていた。

 俺は庭で、器の上に水を留める練習をしていた。蹄の音に顔を上げると、門番が走り出す。


「領主様を!」


 男の声が飛んだ。

 浮かせていた水が落ち、靴の先を濡らした。


 馬は二頭。

 出発したのは三頭だった。


 先頭の男が鞍から下りる。後ろの馬には二人乗っていた。一人がもう一人を支えている。

 支えられた男の足が、不自然な向きに揺れていた。


 俺は器を置いた。

 近づきかけたところで、門番が片手を上げる。


「ユウ様、そこに」


 足を止めた。

 屋敷の戸が開き、父とセレスが出てきた。


     *


 負傷した男は、庭の長椅子へ寝かされた。

 脛に巻いた布が赤くなっている。靴は片方しかなく、残った方も泥だらけだった。


「ダン。聞こえるか」


 父が声をかける。

 男は目を開き、頷いた。


「聞こえます。足を……やられました」


 セレスが膝をつき、布の結び目へ手を伸ばした。


「誰に?」

「石の……兵です」


 父が顔を上げた。

 先頭の馬に乗っていた男へ目を向ける。


「説明しろ、ガレス」

「古い橋は渡れました。道も、途中までは残っています」


 ガレスは息を整えながら答えた。


「丘の上に建物がありました。西の壁は崩れていましたが、正面には扉が残っていて……その脇に、像が二体」

「入ったのか」

「いいえ。扉の文字を写していました。そのとき、中で灯りがつきました」


 セレスの手が、一瞬止まった。


「何色?」

「白です。窓の奥から。そのあと、像が動きました」


 ダンが低く呻いた。

 セレスは巻き布を外し、傷を見た。


「オルダを呼んで。あと、きれいな布と水」


 母が屋敷へ戻る。

 俺は井戸の方を見た。


「水、出せる」


 セレスがこちらを向いた。

 少し考え、母へ声をかける。


「先に、きれいな器を一つ」


     *


 俺が任されたのは、血で汚れた手を洗うための水だった。

 傷を洗う分は、セレスが自分で用意する。


 母から器を受け取り、長椅子の少し横へ置いた。

 手を伸ばす。


 水が出ない。

 指先に力を入れすぎていた。


 俺は一度、息を吐いた。

 庭でいつもやっていることだ。器へ水を落とす。それだけ。


 細い流れが生まれた。

 器の底を満たし、少しずつ水面が上がる。


 ガレスが隣へしゃがんだ。

 手の甲には、乾いた血がついていた。


「もう十分です」


 俺は水を止めた。

 ガレスが手を洗う。水が赤く濁っていく。


「助かりました」


 俺は頷いた。

 庭の花へやるときとは、違った。


 父はガレスの肩に手を置いた。


「残りの一人は」

「トールです。下の道で、逃げた馬を追っています。別れるときには、怪我はありませんでした」

「迎えを出す。お前は、もう走らなくていい」


 父が門番へ指示を出した。

 俺は少しだけ息をついた。


 戻らなかった馬に乗っていた人も、生きている。

 だが、門の向こうを見ても、まだ姿はなかった。


     *


 ダンの傷は、石の刃で切られたものだった。

 脚の骨まで達してはいなかったが、深い。


 セレスの手から、淡い光が落ちる。

 オルダのものとは色が違い、白に近かった。傷がわずかに縮むと、彼女は光を止めた。


「出血を抑えたわ。あとはオルダに任せましょう」


 ダンが目を閉じる。

 胸が、ゆっくり上下していた。

 セレスは立ち上がり、ガレスへ向き直った。


「像は、建物の外まで追ってきた?」

「階段の下までは。そこから先へは来ませんでした」

「二体とも?」

「動いたのは一体です。もう一体は、倒れていました」


 彼女は父を見た。


「境界が残っているかもしれない」

「なら、近づけさせない」


 父は即座に答えた。

 ガレスへ顔を戻す。


「丘へ行く道に、目印を置けるか」

「明日なら」

「場所だけ教えろ。今日は休め」


 ガレスは頷き、腰の筒を外した。


「これを」


 革紐で口を留めた、短い木の筒だった。


「扉の写しです。途中までですが」


     *


 写しは、父の書斎で広げられた。

 薄い紙の上に、黒い文字と線が並んでいる。


 俺は入口に立っていた。

 セレスが机へ身を寄せ、父とマルクがその横から覗き込む。


「古い文字ね」


 セレスが指で一文字ずつ辿る。

 声が、庭にいたときより低くなっていた。


「北方観測……ここが欠けている」


 父が紙の端を見た。


「お前の探していた場所か」

「場所は合っていると思う。でも、この下の文が……」


 俺も見たかった。

 扉には何が書いてあったのか。石の兵は、なぜ動いたのか。

 マルクが俺に気づき、手招きした。

 机の端へ小さな踏み台を置く。


「触らず、ご覧ください」


 俺は台へ上がった。

 黒い線が、目の前へ近づく。

 文字の形は分からない。

 ただ、隅に描かれた模様に、目が留まった。


 何本もの線が、中心から外へ伸びている。

 途中で枝分かれし、それぞれ別の小さな円へつながっていた。


 道のようだった。

 川のようでもある。

 その中心を見つめたとき、視界に白い文字が浮いた。


【職業継承施設】


 俺は息を止めた。


 父でも、母でもない。

 見ているのは、紙だった。

 白い文字は、紙に書かれた黒い線とは違う場所に浮いている。

 もう一行が、ゆっくり現れた。


【管理者:不在】


 目の奥が、重くなる。

 俺は台の縁を掴んだ。


【継承経路:断絶】


 そこで、視線を外した。


「ユウ?」


 父の声がした。

 俺は目を閉じ、痛みが引くのを待った。


「何か見えたのか」


 頷いた。

 父が台から下ろしてくれる。

 俺は目を開け、セレスを見た。


「職業継承施設って、出た」


 彼女は動かなかった。


「それから、管理者がいない。継承経路が、切れてる」


 書斎が静かになった。

 マルクが紙へ目を落とす。

 父はセレスを見ていた。

 彼女は椅子を引き、俺と同じ高さまで腰を下ろした。


「ユウ。紙の文字が読めたの?」

「違う。いつもの、白い文字」

「この模様を見たら?」

「うん」


 セレスは紙の隅へ目を向けた。

 さっき俺が見ていた、枝分かれする線の模様だった。


「……観測所だけではなかったのね」


     *


 セレスは鞄から、小さな本を取り出した。

 紙ではなく、薄い革のようなページが綴じられている。角は擦り切れ、途中には細い布が何本も挟まっていた。

 あるページを開き、机へ置く。


 似た模様があった。

 線の数は違う。外側の円も少ない。

 それでも、中心から道が広がる形は同じだった。


「継承院の印よ」


 セレスが言った。


「職業を調べる神殿とは、違う?」

「今の神殿になる前に、そういう場所があったと考えられているの」


 彼女は本を閉じず、父へ向き直った。


「古い記録には、職業の継承を助ける施設が各地にあったと書かれている。ただ、現物はほとんど残っていない。名前だけ残った遺跡も多いわ」

「その一つが、北にある?」

「可能性は高い」


 父は扉の写しを見た。


「では、石の兵は」

「施設を守るものなのでしょうね。でも、なぜ今も動けるのかは分からない」


 俺は枝分かれする線を見た。

 剣士から火刃士へ。

 職業から、別の職業へ進む道。

 その道を助ける場所が、森の向こうにある。


「断絶って、壊れてること?」


 セレスは俺へ顔を戻した。


「何が切れているのか、調べなければ分からないわ」


 すぐに直せるとは言わなかった。

 俺が見えた文字だけで、答えを決めることもしなかった。


「でも、その名前が見えたことは、大きい」


 彼女は本の模様へ指を置いた。


「私がこの印を探して、ここまで来たのだから」


     *


 夕方には、トールも戻った。

 逃げた馬を連れて、迎えに出た兵と一緒に門をくぐった。

 俺は食堂の窓から、それを見た。

 馬の鼻面へ手を当て、トールが長く息を吐く。


 オルダも来ていた。

 ダンの足を診て、しばらく歩かせないよう父へ話している。

 屋敷には、人の出入りが増えた。

 食事を運ぶメラが忙しそうで、俺は邪魔にならない場所へ椅子を寄せた。


 そこへ、カイとソラが来た。

 カイの父親が、父に呼ばれたらしい。


「怪我した人、いた?」


 ソラが小声で聞いた。

 俺は頷いた。


「足。でも、治療してもらった」

「魔物?」

「石の兵だって」


 ソラの顔が強張った。

 カイは窓の外へ目を向ける。


「動く石?」

「うん」

「……盾、持ってても痛そう」


 俺はカイを見た。

 彼は庭で使っている木剣のことではなく、戦う人のことを考えているようだった。

 ソラが俺の袖を掴んだ。


「ここまで来ない?」

「階段から先は、追ってこなかったって」

「ほんとに?」


 答えようとして、俺は口を閉じた。

 自分で見たわけではない。


「父様が、道へ人を近づけないようにしてる」


 ソラはしばらく俺を見て、それから少しだけ手を緩めた。


     *


 その夜、セレスに呼ばれた。

 書斎の机には、扉の写しがまだ置かれている。

 父もいた。


「今日は、もうあれを見なくていい」


 俺が紙へ目を向ける前に、セレスが言った。


「代わりに、一つ確認したいの」


 彼女は鞄から、布に包んだものを取り出した。

 中にあったのは、黒い石の欠片だった。


 掌に収まるくらいの大きさ。

 一面だけが平らで、細い溝が刻まれている。


「別の遺跡で見つけたものよ。魔力を通す仕組みがあったことは分かる。でも、用途は分からない」


 父が机の向こうから聞いた。


「危険は?」

「これまで調べた範囲では、反応しなかった。今夜は、魔力も流させない」


 セレスが俺へ石を向けた。


「文字が見えるかどうかだけ。何も出なくても、それで終わり」


 俺は椅子へ座り、石を見た。

 人の技能を読むときと同じように、意識を向ける。


 何も出ない。


 溝の形を見る。

 途中で途切れた線が、石の内側へ向かっている。

 薄い文字が浮かんだ。


【継承端末】

【接続:なし】


 俺は声に出して読んだ。

 セレスが父へ目を向ける。

 そのとき、石の溝に青い光が走った。


 俺は手を引いた。

 触っていなかった。

 魔法も使っていない。


 セレスが石へ手をかざす。

 周囲に薄い光の膜ができた。


「動かないで」


 声が鋭かった。

 石の光は、膜の内側で一度瞬いた。

 そして、俺の視界だけに、新しい文字が現れた。


【継路眼を確認】

【案内機能を再開します】


 俺は椅子の背へ身体を寄せた。

 さっきまでとは違う。

 俺が読むのを待っているように、文字は消えなかった。

 セレスが俺を見た。


「何が見えた?」


 答える前に、もう一行が浮かんだ。


【北方第七継承院――救援要請を受信】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。