第一部⑦『自販機ジュース飲み放題』
クルミ、という名は、「ミラクル」をもじったものから得たのだという。
ミラクル、ミラクル、ミラクルミラクル、ミラクルミラクルミラクルミ…クルミ…といった具合である。
「つまりあなたは奇跡のような存在なの」という母親の言葉に目をキラキラと輝かせ、幼児期の万能感が拍車をかけ、自分は特別なのだとクルミは喜んだ。
幼稚園でスキップができなくても、あまりにサイケデリックなお絵かきをして保育士に苦笑いされても、周囲の子との協調を欠いていても、クルミは自分を疑うことをせず笑顔で暮らしていた。
しかし、その笑顔はやがて影を帯びることになる。
普段から情緒不安定な閑奈母は、父と離婚するとなおのこと不安定になり、荒れることが多くなった。それでもクルミに直接当たり散らしたりしないのは、幼いクルミにとっても実に尊敬に値する姿であり、むしろ誇りに思うほどであった。
ところがある日の夜半過ぎ。ふと目を覚ましてしまったクルミは、携帯で会話をする母の口から衝撃の事実を耳にしてしまう。
「あの子はね、本当に奇跡のような子なの」
ほうほう?と聞き耳を立てていた。そこまではよかった。
「あたしは夫を愛していないの」
んん?と訝しがった。
「子宝は愛の結晶というけれど、愛が無いのに結晶ができるなんて、これは奇跡と思うしかないの!」
泣きじゃくりながら話す母のあまりにミラクルな言葉。クルミの心に決定的にヒビが入ったのはそれがキッカケであろう。出自のあまりのアホらしさに悲しみを超えて呆れかえり、「ヒヒヒ、なんじゃそら」と未就学児らしからぬシニカルな笑みが頬をゆがめた。
それ以来、クルミが男女の仲について理解を深めるたびに、その日の呪いじみた言葉がリフレインされ、自身の存在が否定されるが如く痛みを味わうことになる。
「テメェ」だのと口汚く罵るクルミの闇の人格は情緒不安定な母がキレたときの口調から受け継がれたものであるが、成長するにつれ次第にそれを母へぶつけることも増え、ケンカのテンションが互いに上がっていったある時、母から「できそこないっ」というありがたいほどの呪いの言葉をもらうことになる。
自分で作っておいてできそこないも何も無いもんだ。そのときはさすがのクルミも涙がポロッと頬から落ちた。
「ねぇポジルン。あたしの名前は『奇跡』の『ミ ラクル』から取ってるの」
「素敵じゃないか」
「あたしは、『できそこない』なんかじゃ絶対にない。あたしが『本当のミラクル』を起こしてすべてを塗り替えてみせるんだから。そうするんだから。まずはあなたと出会えたはじめの奇跡を大切にして、魔法少女に見合うだけのあたしになってみせるんだから」
「ありがとう。本当に頼もしいよクルミ」
ポジルンの失態による不時着を経て、クルミは別次元へ降り立った。
とはいっても、空の色がやや異常あることを除けば普段と変わらない街並みが広がるばかり。
学校も、通学路も、通学路から逸れた畑の広がる道も、仕事帰りのリーマンが落ちた側溝も、すべてそのままではあるが、一番の違いは人間が誰一人いないと いう点である。
「これがぼくの言う一枚向こう側の次元ということだよぅ」というポジルンの言葉をクルミはなるほどと感覚的に理解できた。
目の前にいないというだけで、きっと元の次元では人々がいつも通りに生活しているであろうことも想像できる。
スースーと慣れないミニスカートのコスチュームに身を包んだクルミは異次元の街を行き、猟犬のように鼻を利かせるポジルンの後を追い歩く。
ちなみに、クルミの吐いた暴言は、ポジルンのミスと相殺され、お互いに見て見ぬふりということで無言の合意がなされている。
「本当に頼もしいと思ってるんだクルミ。きみはこれから戦いの連続だというのに引き受けてくれたんだから」
「これがあたしの夢だったんだからむしろワクワクし てるの」
「夢?現実だよぅ?」
「そうそう現実現実」
「ぼくの説明を聞いても翻意しなかった。本当のほんとうにすごいよきみは」
「………うん、説明ね。聞いてた聞いてた」
無論聞いていなかったのである。クルミの脳内にはマシュマロに手足の生えたようなポップでキューティーな敵と戯れるように戦う絵面しか描かれていない。
ましてやRPGの如く、初めは雑魚キャラとのチュートリアル的なバトルが繰り広げられるものだと、タカをくくっていた。ナメていた。そんな甘い自分をぶん殴りたいほどに後悔することになる。
「後で悔やむから後悔と書く」というのはその通りであり、因果関係を考えれば先に悔やむことなどできやしないのだ。ゆえにクルミの人生からは後悔という ものは無くならない。
「近いよ。クルミ。心の準備はOK?戦闘の流れは組み立ててある?」
戦闘の仕方も分からないのだから組み立てるもクソも無いのでは?そんな毒を吐きたくなったが、ここにきてようやくクルミ、自分がポジルンの説明の何もかもを聞き逃していたことに気付く。
いや、ポジルンにも説明不足はあったはずである。だが、そこで積極的に質問をしなかったあたり、すでに「ぬかった」ということになるのだ。
「もうすぐそこにいる!」
「……いるの?」
「この曲がり角に間違いなく奴がいるよぅ。静かに近付いてみよう」
「そ、そうね、初戦闘だもんね」
「きっとそこから顔を出せば目視できるよぅ」
魔法少女は、民家の角に設置された自販機の陰に隠れ、大通りのほうをそおっと覗いてみた。
そこには、背筋がムキムキに盛り上がった肩幅の広い身長3mほどの怪人がフーフーと臨戦態勢のような呼吸を吐きながら佇んでいたので、ひゅっと顔を引っ込めた。
「見えた?」
「うん」
「いけそうかい?」
「あのねポジルン。絶対関わっちゃダメだと一目見て確信できるような奴がそこで突っ立ってたんだ。きっとアイツは何かの変態なのかもしれない。幸い、あっちは気付いてないみたいだから、このままお互いに見知らぬ他人でいるのが正しいと、あたし思った。『いけそうかい?』答えはNOだよね」
「……はぁ?」
「ごめんごめん、勘違いかもしれないからもう一回見てみるね」
自販機の陰に隠れ、再び大通りのほ うをそおっと覗いてみた。
淡い期待などしてみたがそれは勘違いでも見間違いでもなんでもなく、その身に破壊衝動をぎっしり詰め込んだが如き、筋骨隆々の背中をした怪人が佇んでいたので、ひゅっと顔を引っ込めた。
「ひゃあっ」
「クルミ!?」
「とっ、とりあえず、この場は引き返そうよ。きっと今日のところは作戦会議から始めたほうがいいんじゃないかな。あたしもあたしで高所から落下して無事だったり『人間やめました感』が出てるけど、相手は『そんなレベルの魔法少女の人生を一捻りで終わらせる感』が漂ってるの」
「ねえクルミ。ぼくらの敵はそういう敵だって、説明したよね?」
「あ、ああ、ああ、したねぇ。したけれど百聞は一見にってやつだよねこれは」
「 ふざけてないでよクルミ!」
「仕方ないじゃん!あたしのイメージはポップでカワイイ魑魅魍魎みたいなモンスターだったの!それが何?あんなの悪鬼羅刹じゃん!」
「無駄に語彙力発揮しないでよ」
「陰キャってそういうの得意なの」
「魍魎でも羅刹でもいいよ!でもね!?この異次元に降り立ったからには、ぼくら、ぼくら、もう引き返すことなんてできやしないんだからね!?」
「そうなの!?」
「そうなの!!ってやっぱり分かってなかったんじゃないか!!」
「待て待て待て待て、しー、しー、大声なんて出しちゃダメなの!羅刹に見付かっちゃうの!」
自販機の陰に隠れ、おそるおそる大通りのほうを覗いてみた。羅刹の兄貴は変わらずフゥーフゥーと暴力的な呼吸をしながら佇んだままであったので、顔を引っ込めた。
「ねぇ、魔法のステッキは?クルクルミラクル〜ってやって一網打尽にする魔法のアイテムは?」
「そんなのないよぅ!だいたいクルミの装備ならその背中にあるじゃないか!」
「……弓矢?」
「それがクルミの武器なんだ!」
「ふざけんな!縄文時代じゃねぇんだぞ!いくらファンシーに仕立てようが騙されんぞ!こんなチャチなモンじゃ一対一でマンモスすら狩れねぇだろうが!」
「今更キレないでよ!僕はちゃんと説明したんだから、ぜんっぜん聞いてないクルミに責任があると思うんだけどな!」
「ごめんなさい!何度やっても改善できない自分の深刻な愚かさに泣きそう!でも、あたしにはあんな変態と戦う自信が無い!どうしても 無い!ねぇ、引き返すことすらできないなら、せめて時間置こう?しばらくあいつと距離置いて、あたしの心の準備が整うまで待とう?」
「……この次元で破壊されたものは、一定時間が経過すると徐々に君の次元に反映されるんだよ?」
「すると街が破壊されたら?」
「きみの街が崩壊する」
「それでも逃げ回ったら?」
「奴はぼくの世界がある次元までやってきて、ぼくの国が破滅する」
「それでも逃げ回ってたら?」
「ぼくとクルミは次元の狭間に置いてけぼりにされて、誰にも知られず干からびる」
「今言ったすべてを回避するには?」
「戦うしかないんだよクルミ!変わりたいって言ってたよね!?今こそ変わるときなんじゃないのかなっ!?」
「……あの羅刹の背後から後頭部を狙えばなんとかなるかな」
「うーん!すごく卑劣!だけど戦おうとするなら良し!」
「卑劣でも卑怯でも勝てばいいんでしょ勝てば……」
この時、クルミは忘れていた。人生において負けはいくらでもあれど何かに勝った例などほとんど無いことに。
加えるならば、クルミはこの状態でもまだ真剣ではなかった。性根がネガティブにできている割に『なんとかなるやろ』と正直なところ思っていたからこそ、軽口も叩けたのだ。
自販機の陰に隠れ、おそるおそる覗き込んでみようとするも、影。見上げれば巨大な怪人がクルミのことを見下ろしていたのだった。バッチリ、目が合った。
「あっ」
「グルブ…ブグゥフ……」
横薙ぎに払われた拳は強烈な破壊音と共に自販機をペシャンコに潰した。
立ち竦んだクルミの横では『く』の字に大きく歪んだ自販機からガシャコンガシャコンと止め処なく缶ジュースが排出されてゆく。
フゥー、フゥー、裂けた口から吐き出される生暖かい呼吸とヨダレが、呆然としているクルミの顔にかかる。
棒立ちだった魔法少女は心が砕けたかのように、ペタン、と腰から崩れて尻餅をついた。
「クルミッッ!!!」
全身が逆毛立ったポジルンが叫ぶよりも一瞬前に、すでにクルミは文字通り踵を返していた。
「そ、そう!それが正解!クルミは弓で戦うんだから距離を置いて戦うべき!……って、クルミ?ねえクルミ!?どこへ行くのクルミ!?」
もはや軽口を叩くこともできなかった。ポジルンの叫びなど 一切耳に届くわけもない。戦うためではなく、ただ逃げるためだけに背を向け必死に走り続けた。
口元では何度も何度も何度も同じ独り言を繰り返して、ひたすらに自分を罵っていたのであった。
「あたしのバカ、あたしのバカ、あたしのバカ、あたしのバカ、あたしのバカ、あたしのバカ………」




