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第五部②《クルミ母、襲撃》

ピンポーン。


と、インターホンが響いたのは夕飯前のことであった。


このときクルミはベッドでぐったり。頭でガラスを割ったり、頭がガラスで割れたり、病院で頭をチクチク縫われたり、とにかく忙しかったせいである。失血のせいもあったのかもしれない。ぼんやりとしており気力は0。クルミは完全に油断していた。


「あっら〜!ツグミちゃんじゃないの〜!久しぶりねぇ〜!」


玄関のほうから聞こえた母親の甲高い声に、ガバッと起き上がった。


あれだけの騒ぎになった上に病院にまで運ばれる事態になったのだから、こういう展開だってあるだろう。

ちょっと考えれば分かるというのにそこまで頭が回らず、不意を突かれる格好になったクルミは、まるっきり心の準備ができていなかった。


「おっきくなったわね〜!何年生になったの?何年生になったの?あっ、ツグミと一緒だから、そりゃ中学2年生よね!あっら、ま、本当にまぁ!」


「マヌケなこと言うのやめろ!ババア!」


自分の親がクラスメイトと話しているときの、あの気恥ずかしさは何なのだろう。顔を赤くし、自室から上げたクルミの叫び声は玄関にまで響いているのだろうが、無視されるかのように会話が続いてゆく。


「ツグミちゃんったら幼稚園の頃から運動神経良くって!駆けっこのときなんて私も応援しちゃって!お母さんには『うちのクルミに分けてあげたいわ〜』なんて話したんだから〜!懐かしいわ〜ホントに。ありがとねぇツグミちゃん、ちっちゃい頃からウチの子と仲良くしてくれて。クルミなんて友達できるタイプじゃないから感謝してるのよ〜!」


「マ、マジで、マジでマジで、そ、そ、そのへんにしとけ!クソババア!」


すごーくデリケートな部分に平気で踏み込んでゆくものだから、思わず悲鳴を上げた。何も知らないがゆえに人間関係の地雷原を踏破してゆくのだからたまったものではない。玄関前で苦笑いするしかないツグミの姿が透けて見えるようであった。


「あらぁ!?まぁ!!こんな立派なものいいのに〜!ごめんなさいね〜お持たせまで戴いちゃって〜!なんだか、かえって申し訳ないくらいだわ〜!いいのいいの、そんなに謝らなくたってぇ。大体のことならお母さまから伺ってるわ。ううん、分かってるわ。ウチの子ってヌケてるところあるから、ウッカリ躓いちゃったんだと思うの。ご迷惑かけたのはこちらのほうよ〜もう本当に!ツグミちゃんは立派ねぇ!こうやって一人でわざわざ来てくれるんだから!」


「下手に出るな!高圧的に行け!玄関の外で土下座させろ!」


「 なんだか怨霊みたいな声が聞こえるけど、さっ、折角だからちょっと上がって上がって。お茶でも容易しますから、ね、ね」


「ふ、ふ、ふざけんなぁ!!断れツグミ!断固・固辞しやがれ!」


「どうぞどうぞ、クルミの部屋でいいかしら?ごめんなさいねぇ。あの子のことだから、きっと汚れてると思うけど」


「ひゃあ!」


必死の抗議虚しく。ベッドから跳ね降りて、兎にも角にも、床に無造作のまま散らばっているブラウスもブラもひとまとめにしてブチ込もうとしたものの、クローゼットを開いた瞬間に雪崩のようにガラクタどもが溢れてきたのには、クルミも自身のことながら閉口した。どれだけだらしない生活をしているのだろうか。


小学校時代の思い出というわけでは決してなく、捨 てるタイミングを逸し続けた結果としてのゴミを、ポイポイとクローゼットの奥へ投げ返す姿は、ポジルンから見ても哀れの一言であった。


コンコン。


ノックの音が響いた。タイムアップである。

閉じ切らないクローゼットへ『こなくそっ』と後ろ足で蹴りを入れ、ようやくどうにか仕舞い込んでフィニッシュを決めて帳尻を合わせた。


「……クルミ?入っていいかなぁ?」


「はぁ、はぁ、だ、ダイジョブ、なの」


きっと、女子力皆無の部屋を見たツグミは学校でネタにするに違いない。そう考えるとクソ忌々しくて仕方がなかったが、しかし、ドアの向こうから聞こえる弱々しいトーンから察するに……。


「本当に、ごめんなさい」


「は?」


深 々と頭を下げるツグミの姿に、すっかり呆気に取られてしまった。ストレートすぎる謝罪を受けると人は萎縮するようだ。「かえって恐縮してしまう」とはこのことだろうかとクルミは思った。


「ごめんなさい」


「……いいよ、いいよ、そんなの、なんか、なんだかなの」


なんか、なんだかなの、である。


どうにも言葉にできない違和感を言い表すことがクルミにはできなかった。夕食前のこの時間で制服姿というのも気になってしまう。そういえば親戚の葬式のとき、制服で出席したような覚えがある。つまり正装ということになるのだろうか。そこまでしなきゃいけない事態が起きたとはクルミはこれっぽっちも思っていないのだ。


「と、とりあえず、まあ、座ってなの。 クッションとかないから代わりにポジルンの上に座ってもいいし」


「ふざけちゃダメだよぅ、クルミ」


「は?ポジルンまで?」


こうなるとクルミ、自身が性格異常者かのように思えてしまう。先程からツグミは今までに見せた事のないような表情を浮かべているが、これは、そんなに、深刻な話なのだろうか?周囲のリアクションと自分のテンションが違い過ぎて、まるで何かの儀式めいたことを行っているような気さえする。


「……クッションとか無いから、そのへんにでも座ってなの」


スカートを丁寧に手で押さえて、ゆっくり膝を折りたたみ、丁重に座るツグミ。それを見て、またも違和感を覚えるクルミ。異世界の住人たるポジルンまでもがなんだか神妙にしているで はないか。自分の部屋だというのに息苦しくて仕方がない。


「今日は、私の不注意で、クルミに怪我を負わせてしまって、本当にごめんなさい」


座ったまま改めて恭しく頭を下げるツグミの姿に、むしろ呆れてしまった。


昨日までガンガンぶつかり合ったクセして、その前までは脛をガシガシ蹴ってきたクセして、なんだろう、この態度の違いは。あまりのギャップに、クルミの胸中には次第に不快感すら込み上げてくるではないか。


「はぁ……」


「病院のお金とかは親同士で話がついてると思うけれど、私はクルミに面と向かって、自分の口で、謝りたくて」


「ちょ、ちょ、ちょ〜〜っとストップ、ツグミちゃん」


「?」


「ちょっと待ってね、ちょっと待ってね、頭の中で まとめるから、あたし、深呼吸するの」


言いたいことが胸中から汚いゲロのように一気に込み上げてきそうになった。それを吐き出さずに一旦は堪えたのは成長だろうか。


そのまま飲み込んで謝罪を受け入れておけば、きっと、すべて平穏無事のまま終わるのかもしれない。

けれど、クルミはこのモヤモヤを言葉にしてぶつけてみたいのだ。言いたくて言いたくて仕方がないのだ。


「あたしって、たぶんダメなんだと思うの。天性のヒネクレ者なのかな?」


「は?」


「みんなが当たり前に理解できることが、あたしには理解できないみたい。ねぇ、どうしてツグミちゃんは頭を下げてるの?『ごめん』って言いたいならそれでいいのに、どうして、こんな時間に、あたしの家まで来て 、菓子折りまで持って、そんなに丁寧に頭を下げなきゃいけないの?」


「……言ってる意味がよく分からないけど」


「ああ、順序だてて話すのが苦手でごめんなの。だから、あのね、あのね、ストレートに言うね。気分害したらごめんね。普段、あれだけあたしにキツい言葉を投げかけて足を蹴ってくるような鬼のツグミちゃんが、どうしてこんなときばかりは丁寧懇切に謝るの?あたしには二つの違いが理解できないの。どこが違うの?ひょっとして、学校で大騒ぎになったから?それとも、親に謝ってくるよう言われたから?」


「べつに、そんなわけじゃ、」


「だとしたら、ツグミちゃんはズルいよ。自分に不都合な問題をスマートに解決しようとしてるだけだよ」


「そんなわけじゃない!私は、自分でこの問題の『責任』を取ろうって思っただけ!」


責任。ああ、クルミの理解できないワードが登場してしまった。その概念は彼女にとってあまりに理解不能で、それゆえ社会の様々な機微というやつを読み解くことができない。


「……その責任っていうのは、こういう『形』で取らなきゃダメなの?『形』がそんなに大切なの?」


「ねぇねぇクルミ、もう、そのあたりにしておこうよぅ」


「はぁ!?ポジルンまで何?ここであたしも、お母さんみたいに『どうもご丁寧に』『ちっとも気にしてませんわ』とか言わなくっちゃダメなの?それが空気を読むってことなの?それが大人になるってことなの?押しつけがましい謝罪の『形』を作って赦しの言葉を無理やりに引き出そうとしてるの?何なの!?何なの何なの!?」


「クルミ!そのあたりにしておこう!ぼくにもクルミの言ってる意味がよく分からないよぅ!なんでケンカを始めようとするんだい!?」


「これはあたしの発作みたいなものなの!」


「頭の中でまとめる」と宣言した割にはとっ散らかっていて、「深呼吸をする」と言った割にはヒートアップしている。ヒネクレ者のメンタリティから繰り出される主張は、この場の誰からも理解されることがなく、特にツグミの目にはクルミの姿は異次元の怪人よりも怪人に映っていた。


「はぁ、アンタって本当に面倒臭いんだねぇ」


「珍獣を見るような目をやめて。そんでもって、人の家まで来てあたしをディスらないで」


「ま、クルミがどう捉えても 構わないけど今回の件に関しては心から謝りたいって思ってる。この気持ちだけは真実だと受け止めてくれれば、私は助かるかなぁ」


「ん?あたし、ツグミちゃんが申し訳なく思ってるって、分かってるよ?」


「!?」


「そこは、その、信じてるから」


「も、もう、わけわかんないんだけど!じゃあアンタは何が気に入らなくてキレたの!?その思考回路はどうなってんのかなぁ!?異星人!?この世界で生きてて苦しくない!?」


クルミが奇人変人だと言われる理由がここにある。本人からしてみれば理路整然と語っているつもりであっても、他人からは複雑怪奇な宇宙人的メッセージとしか受け取られない。


理解不能、解読困難、支離滅裂な心内風景。ツグミとの間に深刻なコミュニケ ーション障害を引き起こしていることを、当のクルミは全く気付かないのだ。


「これだからアンタと話すのってストレスなんだよね、マジで」


「……ご、ごめんなさいなのっ」


「蹴らないから。そうやって怯えないでよ」


「……怯えるような身体にあたしを調教したのはツグミちゃんなの」


「———っとにかく!今日のことは本ッ当〜〜〜にごめん!私は悪気なんて無かった!けれども結果的にクルミに消えないかもしれない怪我を残した!そのことに責任ってやつを感じてるから、クルミには心の底から謝りたいって思ってる!それだけ伝えに来た、ってところかなぁ!」


「それで充分なの!」


「あーあー!分かってくれてありがとう!だったらどうしてそんなに難癖付けるようなこと言うのかなぁ!?」


「ツグミちゃんだってどうして謝りに来たのに怒ってるのさ!」


溜まりに溜まりかねたポジルンが「ピーキー!」と家畜じみた声を上げて両者の間に割り込んだ。


「二人のやり取りを聞いてると頭が狂いそう!どうしてクルミとツグミはそんなに会話が成り立たないんだい!?」


「あたしとツグミちゃんの致命的に相性が悪いからなの!」


「いーや!相性とかじゃなくてクルミがどうしようもないコミュ障だからじゃないのかなぁ!」


あっ!言ったなこの野郎!と、激昂寸前のところにガチャリと、クルミ母が入ってきたものだから、三人は「ひゃあ」と声を上げた。


ポジルンはすぐさまヌイグルミと化してコテンと倒れこみ、ツグミは他人の家で娘を罵倒したというバツの悪さに恐縮し、クルミはあまり衆目に晒したくない母の乱入に単純に驚いたのだ。


「も〜こんな時にお茶っ葉が残り少なくて〜!かき集めたら粉状の部分まで入っちゃったから逆に濃く入っちゃったみたいで〜!」


「あっ、すいませんどうも。わざわざお茶を淹れて戴きまして、ありがとうございます」


「白々しい!やめてよツグミちゃん!その隠しきれない動揺の冷汗でも拭えば!?」


「ツグミちゃん、お茶の濃いの大丈夫〜?カフェインで夜眠れなくなったりしない〜?」


「だ、大丈夫、です。ありがとうございます」


「ババア!ババア丸出しのトークやめ ろ!お茶だけ置いて出てけ!」


「まったくクルミったらそんな言い方してぇ〜。言われなくっても、お邪魔虫のお母さんすぐ撤退するから、ね。お茶請け用意したから、良ければ召し上がって下さいな」


コトン、と置かれた皿の上には茶色の直方体。


「じゃあ、ごゆっくり〜」


三人ともが今までの混沌を忘れてしまった。

なんだろう、コレは。


「?」

「?」

「?」


その表面は焼いたか揚げたかのようなキツネ色。

かかっているのは黒に近い褐色の液体。


どうやらホカホカと温かいようだが、脳内で検索をかけようともイマイチ類似の食品が引っかからない。


「……ワッフルとかホットケーキかなぁ?」


「あっ!?いや!違うのコレ!!ただの醤油かけた厚揚げじゃねぇか!」


「な、なんで厚揚げ!?」


「ババァーーーーッ!なんで緑茶に厚揚げなんだ!狂ったセンスであたしに恥かかせるのやめろ!何考えてんだあたしの母親は!」


クルミの弁当ライフを見て分かるように、基本が渋めのチョイスであるクルミの家庭には、厚揚げが常備されているのだ。


ともあれ、今までの会話の混沌は、突如登場したさらなる混沌によって上塗りされた。厚揚げは1ブロックまるごとのまま焼いており、切れ目など入っていないので、困惑の中、とりあえず二人は端から厚揚げを切り崩し始めたのであった。

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