第五部①《教室に響くは破滅をつげる悲鳴》(ここからでも読めるよ)
「ほわぁい!?」
そりゃあ、ポジルンだって素っ頓狂な声を上げる。学校から戻ってきたクルミの頭には果物を連想させる網タイプの包帯。負傷した痛々しい姿で帰ってきたのだから。
「ク ルミ、頭大丈夫!?」
「……言い方考えろよ」
「クルミ、頭どうかしちゃった!?」
「言い方考えろっつってんだろ!あたしの頭が狂ったみたいに聞こえるだろうが!」
「ごめん!今のはちょっぴりワザとだよぅ!」
「あっ!?てめぇ!!」
「それはともかく、クルミはどうして頭にそんな怪我を負ってるんだい!?」
どうして、と問われれば嫌でも思い出さねばならない。そう、思い出したくもないことであっても。
クルミは制服が嫌いだ。この制服ってやつを着てると自分がいつでもどこでも学校と繋がっているような気がするので、帰宅次第、即刻脱ぎ捨てる。だらしないクルミのことだから、脱ぎ晒しのまま放置するわけだからシワだらけになってしまうのだが、生憎、そういうところに気が回らないのだ。
「ツグミにやられた。くたばればいいのに、あのクソ女」
「ほわぁい!?」
馬鹿な。
ツグミはキツい性格をしているが、他人の頭をカチ割るような狂人ではないはずだ。
異世界の住民たるポジルンにだって大体の人間性くらいは分かるというもの。決してそういうことをするようなキャラではなかろうに。だが、忌々し気に吐き捨てるクルミが嘘をついているとも、思えなかったのだ。
それは帰りのホームルーム終了後のことだった。
拘束からの解放。空気が一気に弛緩し、ドヤドヤとするあの雰囲気がクルミは大嫌いで、どうしてみんな粛々と帰路に就かないでキャッキャと喋るのか疑問でならなかった。
友達などもいない(安倉ユウナを友達と呼んでいいか未だにクルミは分かっていない)のだから学校なんぞに長居する理由は無し。日直などでも無い限りは直帰するのがクルミである。
(そうだ、ポトスさんのこと忘れてたの)
クルミが「さん付け」して呼んでいる「ポトス」とは人名ではない。観葉植物の名前である。教室の隅っこで斑入りの葉をひっそりと茂らせているポトスの世話を、こっそりと行っているのだ。
日陰を好むところに何かしらのシンパシーでも覚えたのか、それとも、日直が水やりをするという規則を誰もが忘れ去っていることに憐憫でも覚えたのか。
2年生に上がってこの教室に来たときは、驚くほどカラッカラに乾いており、水を含んでいないから鉢が軽く、葉はほとんど落ちている瀕死状態であったポトスさん。
(ポトスさんは気の毒なの。人間の都合で植えられて、生きる場所を選べないんだから、せめて世話くらいはしなくちゃダメなの)
「人間の都合で」というところがポイントである。さりげなく人間の身勝手さを批判しているのである。クラスの連中が嫌いになればなるほど、反比例するかのようにポトスに愛情をそそぐクルミ。摩訶不思議な心のバランスがそこにはある。
ともあれ、せっせと世話をした結果、ポトスは息を吹き返し、数週間ほど繰り返すうちに青々とした葉を取り戻して見事に蘇ったのだった。
普段は脱ぎ捨てた衣服などに気が回らない反面、こうした自分で決めたルールは几帳面なまでに履行するのがクルミ。黒板清掃のときもそうであったが、他人からしてみればどうでもいいと思えることに気が回るが、別にこれは他者評価を求めての行動ではない。やりたいからやっているのだ。
(待っててね。今、お水あげるからね)
隠された母性本能と言うべきか。人外にはやたらと優しい。自分を否定することない相手には甲斐甲斐しいまでの愛を与えることもできるのだ。もっとも、ポジルンは憎たらしいほどに言い返してくるので愛情の対象には当てはまらないが。
下校時のドヤドヤとした空気に紛れ込むようにひっそり鉢を手に取り、パタパタと水道のほうまで走ってゆき、そして適度に湿る程度の水をやる。一連の動作はスピーディーに行わねばならない。仮にこうした作業が誰かの目に留まって、冷やかされたり、馬鹿にされたり、からかわれたりすれば、きっと嫌な気持ちになるから。
好きでやっていることにとやかく言われるのがクルミは一等一番で嫌いなのだ。目立たないようにやっていたいのだ。
その思いが、少しだけクルミを急がせた。
窓辺のカーテンの後ろのほう。ポトスさんの定位置はそこである。とことん目立たないというところにもシンパシーを覚える。まるで分身のように思っている。
花を咲かせるわけでもなく、ただぼんやりと伸びてゆくのみの、地味な観葉植物の鉢を戻そうとしたその時。
「めちょっ?」
クルミの身体は確実に一瞬だけ宙に浮いた。
絶妙のタイミングで引っかかった『誰かさん』の足のせいである。転倒必至の死に体ともいえるその体勢から、(こなくそ)と 一歩を踏み出すことができたのは、ポトスさんを落とすまいとするクルミの執念だろうか。
ほとんど転びかけの無茶な姿勢をどうにか立て直そうと、おっと、一歩、おっと、もう一歩。そしてさらに一歩を踏み込んだときには、頭が窓ガラスへ突っ込んでいたのだった。
パリーン、と衝撃的なまでの破壊音が教室に響き渡った。
人間の頭部がボーリング玉程度の重量を持っているとするなら、おっとっと、と勢いづいてしまったスピードでボーリング玉をガラスへぶつけたようなものである。
足が引っかかった際のスローモーションの中でクルミは見ていた。『誰かさん」とは、もちろん里奈ツグミだったのだ。
「……はぁ」
「なんなのその気の抜けたようなリアクションは」
「えっと、確認だけど、『ツグミが足を引っかけた』じゃなくて『クルミが足に引っかかった』で間違いないよね?」
「ないの」
「ツグミ悪くないんじゃない?」
「まあね」
「!?」
「でもでも!こちとら下手すると一生モノの消えない傷を刻まれたの!少女だよあたし!?これでもあたしはあたしの見た目がちょっとは好きなの!それが、何?鏡で傷痕を見るたびにツグミの顔が浮かんでくるとか、嫌なの!嫌なの嫌なの絶対に嫌なの!」
「落ち着いてクルミ。それはただのヒステリーであってツグミが悪いという理由にはならないよぅ」
「んなこと知ってるわ!でも論理じゃねぇ!とにかく誰かを呪いたいの!」
下着姿のままベッドに飛び込んで毛布と絡まり「ウウウ〜〜〜〜」と 不気味で不穏で不吉な呪詛の声を上げながら身体をくねらせるクルミに、ポジルンは閉口した。
禍々しいその声は、足を放り出していた不作法なツグミを責めるようであり、不注意な自分を責めるようでもあり。
「…………あまりこういうこと言いたくないけど」
「なぁ〜〜〜んなのぉ〜〜〜〜」
「ツグミが『足をワザと引っかけた』とか考えないんだクルミは?」
「だったらその場でツグミの頭叩き割り返してるに決まってんだろうがっ!」
「ふぅん?」
ポジルンにしてみれば、それは意外。
ツグミの足が『ワザとか』『ワザとでないか』が争点になりそうな場面であるというのに、被害者たるクルミは信頼とも言える確かさで『ワザとではない』と言い切っているのだ。
もっとも、ツグミという少女が、意味も無く相手の足を引っかけて喜ぶような性根の腐った女ではないことくらい、ポジルンには分かっている。とはいえ、猜疑心の強いクルミのことだから、もっとそのあたりを疑うものだと思っていたのだ。
いったい、このクルミの確信は何なのだろう?
一斉に上がった驚きの声。
豪快な放課後の教室に破壊音が響いたのだから当たり前だろう。
しかし、『何が起きた→窓ガラスが割れた→誰が割った→閑奈クルミが割った』と周囲が理解すると、クラスからは呆れと非難の声。
そう、人々は事件の内容よりも『誰がやったか』という部分が肝要なのだ。『他の誰か』なら心配と同情の声が聞こえるだろうが、『閑奈クルミが割った』のであれば、バカによる犯行ということになるので、バカのバカな行いを責める声が上がる。
「…………」
ところがクルミは頭を押さえたまま、うずくまって動かない。
一番近くにいたのはもちろんツグミ。
「大丈夫かなぁ?」と声をかけたのもツグミ。
クルミの指の隙間からポタポタポタポタと垂れ落ちる鮮血に一番に気付いたのも————ツグミであった。
その凍った空気が周囲に伝播するのは早かった。『誰か』が「キャァ——〜—〜——!!!」とビリビリ響く金切り声を上げて事態の深刻さを四方八方へ伝えた。
女子の悲鳴というのは、とにかくよく通る。
そして猛烈に伝播する。
悲鳴本来の役割とでも呼ぶべきか、発生した「キャー!!!」の連鎖は、他の集団へとスムーズに情報伝達が行われ、どしたどした、と、他クラスの人間もどちゃっと押しかけ、一旦は職員室へ戻りかけた教師たちも向かってきて、人波を掻き分け掻き分け、クルミの介抱を行った。
おそらくは窓へ突っ込んだ際に、割れたガラスの鋭利な部分で頭を切ったでもしたのだろうか。パックリと割れた傷口から垂れる血が床に赤い水溜まりを作っていた。
血まみれのタオルを頭に当ててヨロヨロと連れ出されるクルミはまるで重傷患者。そんなクルミが混乱渦巻くクラス内で見たのは、椅子に座ったままの姿勢で言葉を失っているツグミの、その表情。
———きっとツグミは誰よりもショックを受けていた。
一目でそれが分かった。
なので、クルミの猜疑心が胸をメラメラと焼くことはなかった。ツグミの顔を見れば『ワザとなどでは決してない』ことが伝わってきたからだ。百の弁解よりもストレートにその心に響いたのだった。
ちなみに、余談であるが、最寄りの病院に連れて行かれたクルミは医師の「縫う」という発言に発狂し「ぬーわーなーいーでー!!!」などとゴネにゴネまくった。イメージしていたものは家庭科の授業。あの裁縫針と、太い縫い糸で、頭皮をグサグサとやられる図を思い浮かべていたせいである。




