第四部⑬【ようやく繋がった手からは少し百合の香りがした】
クルミは、自分がロクでもない人間という自覚がある。
だからといっていじめられたりするのは違うと思っている。悪口を吐かれれば心は痛むし、蹴られれば脛は痛む。
ツグミに言いたかったのはそういうことだ。いくらロクでもない人間だって、人間であることは変わりないのだから、いじめていい理由にはならないのではないか。
「じゃあもっと頑張れば?」とツグミは言う。 でもクルミとしては「頑張っても空回りを続けるのだから長い目で見守って欲しいの」と言いたくて仕方がない。
きっとツグミは「それは甘えだよ」と厳しい言葉を吐くのであろう。「甘えちゃダメなの?」と返せば両者のスタンスはどこまでも平行線で、交点を見いだせない。
(ツグミちゃんとは分かり合えないの)
ツグミも同じことを思っているに違いない。
(クルミとは分かり合えない)と。
幼少期に繋がりあうことができたのは、きっとまだお互いに自我というものが芽生えていなかったからだ。時計の針は決して逆に回らない。ゆで卵は生卵に戻らない。成長した二人は二度と昔へは戻れない。
それこそ、ミラクルでも起こさない限りはきっと二人が交わることはないのであろう。
(背中…開きすぎでしょ…このコスチューム……)
(コスチューム?何のことなの?)
(クルミは…飛び跳ねて…喜んでたよぅ……)
(ポジルン?あたしが何だって?)
(あの子は…ちょっと…頭おかしいから……)
(そんなキツい言い方しないでツグミちゃん)
ぼんやりとした視界の中で交わされる会話。意識は徐々に夢から現実へと浮上してゆく。そして思考が現状に追いついた瞬間に跳ね起きた。思いっきり寝坊したときの、あの感覚である。
「…………ぐおげぇっ!!」
覚醒の第一声は汚かった。
腹の中にたらふく飲み込んだ水をゲロゲロと吐き出しているのだから仕方がない。気管のほうまで濡れてしまったのだからゲボゲボの上にゲホゲホである 。鼻から水を噴出する魔法少女は見たくないものである。
「公園の池はそんなに深くないよバーカ。水抜いたところ見たことないのかなぁ?」
「おげほっ、げほっ、おえっ、み、みたこと、あるような、気がするの」
「慌てて水飲んじゃったでしょ?溺れる原因ってのはパニックなんだよ。もうちょっと冷静になりなよ」
「おげっ、げっ、げほっ、いきなり、説教だなんて、しんどいの、っていうか、その」
———怪人はどこに?戦いは?ひょっとして、すでに?
「まぁ、楽勝かなぁ」
ひゅるふっ、と剣を振り回して華麗に鞘に納めた———ように思えたが震える手では上手くいかない。なかなか切先が定まらなくて、ナイフとフォークをぶつけるような無作法な金属音がカチャカチャと響く。
「…………大丈夫なの?」
「うるさいなぁ!慣れてないんだから仕方ないでしょ!剣の扱いに長けてる女子中学生なんていないんだから!」
『震えてる理由はそればかりじゃないでしょう?』そんな言葉が喉のあたりまで出てきたけれど、飲み込んだ。いくらクルミとて、これくらいの空気は読む。楽勝と言っているのだから楽勝ということにしておこうではないか。
スポーティーでキュートなブルーのコスチュームが、たとえボロボロになっていようとも。
「ツグミちゃん、青なんだね」
「なにそれ?自分はピンクの主人公格だって言いたいわけ?」
「そんなことないよ。あたしはたぶん、ツグミちゃんみたいに他人を助けるために危険を冒すとか 、できない」
「だろうね。アンタって『誰かのために』とかそういうとこ全く無いよね」
「助けてくれてありがとなの」
「お礼とかいいから。次から足手まといにならないでくれるかなぁ?」
「……泳ぎ上手かったんだねツグミちゃん」
「水・泳・部!アンタってマジで他人に興味無いんだね!そういうところ本当に大ッ嫌い!」
(テメェ、こっちが素直になってるのに、ことごとく悪態で返しやがって。心底性格悪いな)
という心の声があと少しで漏れそうになった。溺死寸前のところを助けてもらった恩は感じている。だからこそ歩み寄っているというのに、ツグミのほうから離れてゆく。かくして両者は平行線に。どこまでもどこまでも交わることのない二人である。だが———
「…………」
クルミは、ぢっと手のひらを見る。
薄れゆく意識の中、この手は確かにツグミと交わったのだ。かつて拒絶された手だというのに。このまま互いに交差することのない運命だとばかり思っていたのに、ミラクルは起きたのだ。
「どうして助けてくれたの?」
「…………………私、アンタのこと嫌いだけどさ、だからって死ぬことはないじゃん、って思ったんだよね。嫌いだけど」
「なんだか余計な言葉が胸にチクチク痛いけど、そっか、ありがとなの」
「クルミ」
「な、なになの?」
「ハッ、私が言った『楽勝』も『足手まとい』も嘘。………死ぬんじゃないかってくらい追い詰められたし、怖かった」
戦いが終わってどれくらい経ったのか、 それでもなおツグミの手は震えが止まらなかった。
「ポジルンから聞いたよ。アンタ、こんなのを今までに3体も倒してきたんだね。しかもひとりぼっちでしょ?私には考えられない。私の知らないところで頑張ってたんだねクルミは。そこんところは素直にすごいと思うよ」
不意打ち。不覚にも涙が溢れそうになった。池の水を飲みすぎてタプタプなった腹から目へ流れ出たせいか、いや違う。
『あの』里奈ツグミから『頑張ってたんだね』だなんて言われれば決して悪い気はしない。
というより、誰から褒められるよりも、きっと一番嬉しいのかもしれない。これもまたクルミが引き寄せたミラクルの一つだろうか。
まさか認めてもらえるとは思っていなかった。
こんな形で報われるとは思っていなかった。
「ツグミちゃんが『クルミ』って呼んでくれてるの……!」
「そーんな顔しないでよ。私はね、頑張りについてはフェアに評価したいだけ。公平があたしのルールなんだよ。普段はダメダメなのに変身すると本領発揮するなんて、魔法少女ってより、アメコミのヒーローみたいなもんかなぁ。クルミは」
「ヒーロー!あたしが!すげぇ!感動!そんなこと言われるとは思わなかった!何度も何度も起きるなんてミラクルがもったいないのぉ〜〜〜!」
パチパチパチ、とポジルンの拍手が響いた。
「いいよぅ!とてもいいよぅ!ぼくが見たかったのはこういう光景だよぅ!素晴らしきかな魔法少女!」
「冷やかさないでポジルン。そんでもってたぶんポジルンが思ってる以上にその姿、不格好だから二足歩行モードで拍手するのやめてほしいの」
「ふん、もう二度としないよぅ」
「ごめんなの。でも、不格好なポジルンもあたしは好きだから大丈夫なの」
「!?」
クルミの口から出たクルミらしからぬ発言にポジルンは驚いた。クルミ自身も驚いた。『不格好でもあなたが好き』だなんて、他人に愛を振りまくことができたのは、満たされなかった心がささやかなミラクルで満ちたせいだろう。
(なるほど、ミラクルって、こうやって分け与えるものなの)
きっと、優しくされることで優しくもできる。きっと、褒められることで褒めることもできる。クルミの中のドロドロした世界観がキラキラと輝きだした。人生で一度もスイッチの入ったことのないハッピー回路がONになった。
「ツグミちゃん!これ仲直りってことでいいの!?仲直りってことでいいの!?」
「あんま調子に乗らないでよね。普段はダメダメっていうのに変わりは無いんだから」
「もう蹴らない!?もう睨み付けない!?もう教室であたしの心の柔らかい部分を言葉のナイフでグサグサ刺したりしない!?」
「…………ッ!クルミはおっちょこちょいでマヌケすぎるんだよ。それを見てて腹立つのは仕方のないことだと思ってよ。でも、あんたがそこんところ頑張って変わろうとするっていうなら私は応援するよ」
「応援!そんなの人生で初めて!」
「うわっ悲惨な人生だね」
「悲惨だった!ウルトラ悲惨だった!でも、あたしはこの先、キラキラな 人生が待ち受けているの!ツグミちゃん見ててね!あたし変わるから!」
「極端なことしないでよねぇ。奇行とか挙動不審はNG。ほんっと、クルミって、おっちょこちょいでマヌケなところあるんだよね。———そんなんだから私に付け入られるんだよ」
「…………ツグミちゃんに付け入られる?」
人生で一度もスイッチの入ったことのないハッピー回路が、パチン、OFFになった。
人間というものは相手の思考が読めるわけではない。だが、時として両者が思い浮かべるものがガッチリと通じ合ってしまう場合がある。
(しまった)とばかりに口を噤んだツグミは、すでに遅かった。口を滑らせてしまったのだ。うっかり出てきてしまったのだ。
「付け入られるって、何なの?」
「…………『誰か』に付け入られるってこと」
「その『誰か』ってツグミちゃんでしょ?あのさ、薄々気付いてたけどさ、あたしのこと叩いて一番得してるのってツグミちゃんじゃないの?あたしをクラスの敵みたいなポジションに貶めて叩き続けてさ、それで正論みたいなことばっか口にして?ツグミちゃんはそうやって得たよねクラスの中心を?」
「ハァ!?クラスの敵のポジションに据えた!?私がアンタを!?やめてよね!アンタが勝手に自分の立場悪くしただけじゃないのかなぁ!?致命的に不器用だから!!」
「あっ、前半部分はまったく否定しないの?やっぱりそういうことなの?なるほどなの。なるほどなの。自分の利益のためにあたしを叩いてたんだね!さっき溺死寸前に至っ て良かったの。走馬灯の中でツグミちゃんの悪行がフラッシュバックしたんだよね!あたし許さないんだからね!」
「悪行!?どこが悪行!?アンタと仲良くしてたら私の評価まで下がるんだから仕方ないじゃないかなぁ!?つーか、アンタがしっかりしてりゃ私だって縁切らなかったろうね!自分のマヌケさを呪えばぁ!?」
「呪う!テメェを呪うわボケッ!あたしが今までどんだけ苦しんだか灰色の心象風景でも見せてやろうか!テメェが突き落したんだろうが!そのくせ、しれっと仲直りみたいな流れにしやがって!何がフェアだ!何が公平だ!それがルールだってなら破るお前は何なんだ!」
「アンタ口がスゲー悪いねぇ!それとも育ちが悪いのかなぁ!アンタは読めてなさすぎなんだよ人間関 係の力学ってやつを!ぼーっとしてたら隅っこに追いやられてましたって、そんなの当たり前じゃないのかなぁ!才能もないし、能力もないし、おまけに頭の中トチ狂ってるし!その上に努力すらも惜しむなんて人間のゴミみたいなもんじゃないかな!」
「ピキ〜〜〜!ピ〜〜〜〜キ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
池のほとりで二人の魔法少女が奏でる、どうしようもない不協和音。耐えかねたポジルンが発狂して三重奏。やっぱり互いの関係はどこまでいっても平行線。それでも白紙に引かれた五線譜のように少しずつ音符が並び始めたのだった。
聴衆はポジルンだけだろうか?いや、そうではない。
このときクルミは完全に失念していたのだ。あわや溺死というところまで追い込まれた、そのキッカケを。
矢が突き刺さった部位をためらいもなく切断する、そう、まるで学習していたかのような怪人の行動を。
茂みの中、人影がスッと次元の向こうへ消えていったことに三人は気付かなかった。
帰り道。
星空の下でクルミはクシャミをした。
あの流れでは「家が近いんだからタオルでも貸して欲しいの」などとは言えず、ずぶ濡れのまま帰路につく。
「えくちんっ」
「大丈夫かい?」
「ふん。ツグミちゃんなんて次の戦いで敗れて散って去ってお空の星になってエンディングにしか登場しないキャラになればいいんだ」
「ひどいこと言わないでよぅ」
「えくちっ」
「ぼくはね?二人の相性が悪いだなんて思っていないよぅ?だって、あれだけ言葉をぶつけ合えるんだもの。すごいことだと思うよぅ」
「何見て言ってるんだっての、えくちっ」
「きっと、二つの歯車が正しく噛み合えばすごいパワーが出る。ぼくはそう信じてるんだ」
不思議と心は軽かった。胸の内に溜まったヘドロのような言葉をツグミに思いっきりぶつけることができたからだろうか。
しかし、これから引きずり込まれる人間関係の泥沼は、池の水より暗く淀んでいて、そして底無しであることを、クルミは知らなかったのだった。




