第四部⑧【きみのすべてが大嫌いなんだよ】
「クルミ……何か怒ってる?」
「別に」
池のほとりに並ぶベンチの中でも、街灯の行き届かないすみっこの薄暗い席を選んで座ったのはどうしてだろうか。クルミが自分の表情を隠したかったからではないだろうか。陰樹林の生い茂るところに陰キャあり。
「あのさ、ツグミって、クルミが言ってた相性の悪い子だよね?やっぱりマズいかい?」
「……あたしが何か言ったら決定が覆るの?」
「そんなことを言ってるわけじゃないんだよぅ。ただ、折角パートナーとして動く二人なんだ。仲良くしてほしいと思うのは確かだよぅ」
「向こうにその気が無いなら仕方ないんじゃないの?」
クルミの心は硬い殻の奥に。傍から見ても分かりやすいほどに拗ねているではないか。これもまた悪癖の一つである。一度嫌になると心のドアをパタンと閉じて開かなくなる、幼児性のようなものが抜けきらないのだ。
「ごめんごめん、遅くなったねポジルン」
一時帰宅し、荷物を置いて着替えたツグミが舞い戻ってきた。
『帰りが遅くなると親を心配させちゃうから』との配慮である。魔法少女がどうのといえども大切な日常を蔑ろにはしたくないのだろう。
それがまたクルミの心をざわつかせる。
(遅くなったねポジルン?ちょっと待ってあたしは?絶対にワザと無視してんだろ?)
「……クルミも、待たせちゃったね」
おやおや?数年ぶりに名前を呼ばれた心地。
『アンタ』だの『アレ』だのと今まで代名詞で呼ばれ続けたクルミは、なんだかこの一言で凍っていた頑なな心がトロッととろけてしまいそうだった。
「私ね、一旦家帰って色々考えたんだ。今までさ、私たちって上手くいってなかったじゃない?私だってついイラついちゃって色んなことを言っちゃったよ。でもね、ポジルンの言う通り、パートナーとしてやっていくならさ、そういう気まずい過去とか捨てようって、思ったんだよ」
「…………」
「優先順位なら世界を護ることでしょう?これからは協力しながらやっていこう?ね?」
「……………………」
言ってることなら正論。だが、なんだろう、この違和感は。ツグミは、大人の態度を示しているだけではなかろうか?
学校でもそうなのだ。ツグミという少女は『こういう場合はこう発言すべき』というテンプレのようなものばかり振りかざしているように思えてならない。
吐き出される言葉が嘘っぽく響いてならない。クラスメイトも先生たちもそれに踊らされているように見えてならない。言葉がやたらに薄っぺらいような気がしてならない。もっと言えば鼻持ちならない。何より笑顔が胡散臭い。
(イラっとするとスネを蹴ってくるような女が今更どのツラをして『協力』などと言うの?)
だから、どうしても素直に頭を縦に振れない。
それとも、これもヒネクレ者の性質だろうか?
「今までクルミは一人で護ってきたんだね。大変だったでしょう?」
「…………」
「でも、『もう大丈夫』だから。 メインは私に任せて、クルミはサポート役に徹して、ね?」
「……………………」
「クルミ?」
(あっ、そういうことね。あたしは『要らない』って言いたいわけなの)
正しいか、間違っているか、そんな基準はクルミにとっちゃ知ったことではない。
単純に腹が立って仕方がないのだ。言葉の端々から伝わってくる情報。再認識したのは『やっぱりコイツ嫌い』という感情。陰キャ特有のプライドの高さは、ツグミのように相手をナチュラルに見下す人間とは頗る相性が悪くできている。
クルミは、黙りこくったままであった。
爆発したくなる言葉を飲み込んだのは、相手がツグミであることと、『無能の自覚』ゆえである。
自分が如何に誰からも信用されていないか、それは クルミだって痛いほど知っている。だからこそ学校でも誰からも何も任されることがない。
付き合いが長い人間なら尚更である。普段から様子のおかしいコイツは信用に値しない人間であると、誰もが断じるだろうし、クルミもそれを受け入れている。
なので『あたしが世界を護ってるの!』などと自信満々と言い出したら、大抵の人間は自分の足元があまりに頼りない薄氷でできている事実に気付いて「ひゃあ」叫んでと慌てるだろう。
それくらいに自分を価値の低い人間だと思っている。それがクルミである。無能の自覚があるがゆえに黙りこくったままなのである。
いつもそうなのだ。
黙ってばかりいるから損ばかりしている。
「……ねぇクルミ?アンタ、またそうやって黙るの?何か返事でもしたら?」
「…………」
「納得できないなら『納得できない』って言えばいいし、分かったら『分かった』って言えば?」
「…………あたしは」
静寂の池にボチャリと鯉の跳ねる音だけが響いた。
「こういうときに何も言えなくて黙っちゃう人っているの。あたしは、ツグミちゃんにはそれを知って欲しいって思うの」
夜の公園に向かい合う少女二人。
硬い殻の割れ目からようやく吐き出したクルミの本心は———逆効果で、間に挟まれたポジルンは両者の顔を見て不穏な気配を察した。
「ふぅん。だったらアンタは、何を話しても黙ってばかりいる人間に対する不快感。それを知ろうとしたことはあるのかなぁ?『黙ってしまうあたしを認めて』って、そう言いたいかなぁ?そんなんで世の中やっていけると思ってるかなぁ?」
「世の中とかそういう話じゃないの」
「社会はアンタみたいな奴、絶対に認めないよね。さっきも言ったけど、アンタは周囲を変えるより自分を変えるべきなんじゃないのかなぁ?」
「してる。少しずつだけど、あたしだって自分を変えたいって思ってる。いつも、いつも思ってる」
「思ってるだけでしょう?思ってはいても変えられないんでしょう?『頑張っているから認めて欲しい』だなんて、そんなの甘えだよ」
「違う!そんなふうになんて思ってない!」
「じゃあ何なのかなぁ?『大抵の人を不愉快にさせるけどそれには理由があります』って!?そんな都合の良いことを他人に押し付けんなよ!!!」
「あたしの言葉を勝手に読み替えないで!」
ヒートアップしてゆく口論の中で、クルミはその熱に引っ張られるように本心を吐き出した。
「あたしは『世の中』や『社会』に対して言ってるわけじゃない!ツグミちゃんに伝わればいいって思ってるだけなの!」
クルミが『ちゃん付け』で呼べる相手はツグミの他にはいない。
途中で仲違いをしてから全く繋がりあうことができなくなったとはいえ、幼稚園から一緒に過ごしてきた太陽の下でポカポカするような仲良しの毎日は、心の水面下の部分にずっと残っている。
なので『クルミも、待たせちゃったね』という先程の言葉に、思わず頑なな心がとろけそうになってしまったのだ。あの日々が戻ってきたかのようなノスタルジックな幻影を見たのだ。クルミは、そんな『ツグミちゃん』に語り掛けているのだが———
「ハァ。私にだけ、か。そういや、私たちって昔はそんな仲だったね」
「学校の帰り道にいつも一緒にツツジの花の蜜吸ってた」
「やめて。低学年のときだけでしょ。あれ絶対にアブラムシまで吸い込んでるから思い出したくない」
「だけど、すれ違っちゃったのはハムスターの『はーちゃん』の時からなの。あの時、あたしは泣けなくて空気読めないこと言っちゃった。ビンタされたよね。それもそのはずだよね。今考えれば幼すぎたんだと思うの。遅すぎるかもしれないけど言うね。ごめんね。ツグミちゃん、ごめんね」
———だが、ひと時だけ垣間見えた昔の関係は、幻影でしかなかった。
昔の関係に戻る、だのということは決してあり得ない。変わり続けているものが元通りに戻るなどというのはロマンチストの抱く幻想でしかないのだ。世の中の常識では、時計の針は決して逆向きに回らない。
「……ああ?そういえば飼ってたねハムスター」
「へ?」
「え?」
「えと、えっと、ツグミちゃん?ツグミちゃんが『はーちゃん』って呼んで一番に可愛がってたでしょ?」
「たしか小3くらいの時でしょ?それほど覚えてないかなぁ」
「は?」
「ん?」
「その『はーちゃん』が死んだとき、空気読めないあたしがビンタされて、それからず〜〜〜〜っとあたし、ツグミちゃんから無視されて、クラスのみんなからも無視されて、それっきり、」
「はあ?アハハッ!冗談でしょ!?私 が、いや、『私たちクラスのみんな』がハムスターの恨みをず〜〜〜〜っと根に持ってるとでも思ってるの?なにその執念深さ?」
「……え」
「ありえないでしょ?」
「じゃあどうして?」と、思わず口に出した瞬間、クルミは後悔した。
自分が嫌われてる本当の理由など、知りたくもなかった、ただ、なんとなくハムスターのせいにしておきたかった。
「クルミ!それ聞いていいの!?」
たまらなくなってポジルンが口を挟んだ。そんなもの見たくもないからだ。
それをツグミが制した。言いたいことなら山ほどあるというのであれば、それはツグミも同じであるのだから。
「成長してないからだよ」
———だから、みんなから置いてけぼりにされたんだよ。
嫌われてる?ちょっと違うね。
みんなアンタに呆れてる。アンタが持つその幼さに。
この世の中心はアンタじゃないんだよ。
それに気付いた人間は周囲をしっかり見て行動するの。
アンタはそれができてないよ。
アンタは雰囲気を壊すよ。空気を乱すよ。
とてもじゃないけど輪になんて入れたくないよ。
ハムスター?
昔のことばかり覚えてるのは精神年齢がその辺りで止まってるからじゃないかなぁ?
まるで諭すかのようにゆっくりとした口調。クルミの中にツグミの言葉がジワジワと染み込んでゆく。自分でも分かっていたことであっても、改めて他人の口から聞かされると、堪え切れないほど痛く、心を抉る。
「そんなアンタが魔法少女?ハッ!勘弁してよね。アンタなんてど〜〜〜〜〜〜〜〜うせ自分のことしか考えられない寂しい人間なんでしょ?人間同士の繋がりどころか友達の一人もいないアンタが街を守るだなんて、信用なんてできないよ。きっと『こんな世界を護る意味があるの?』とかくだらない葛藤してるんでしょ?それ、悪役側の考えだよね?だったら私は、私の大切な人達をアンタなんかに任せたくない。だからサポート役にすら置きたくない。私だけで充分。以上。分かったかなぁ?」




