第三部⑨『胸いっぱい蓄積された憤懣の暴発』
ためしに、机に座るクルミの背後から腕を伸ばし、許可無く、消しゴムをヒョイとつまんで奪ってみよう。
すると、まずはクルミの感情は「あってめぇこの野郎」と怒りのシグナルを出し、それからやや遅れてクルミの理性が「取られた」という状況を把握するのだ。
不憫な学校生活を送っている彼女はこうしたシチュエーションに出会うことが多い。実に哀れである。それだけ軽んじられているのだ。許可も無いのに「借りるねー」などと文房具をサッと奪い取られるたびに、クルミは考える。
このときの怒りの訪れるスピードの早さは何なのだろう?と。明らかに脳が情報処理を行う前に、心が不愉快を訴えているではないか。
それはきっと本能的に、それこそ縄文時代の頃から人間には所有物という概念があり、反射的に守ろうとする精神の働きがあるのでは ないだろうか。弓をあやつり獲物をねらう、自称・名誉縄文人である魔法少女からしてみれば、見逃せない事実ではないか。
(まったくどうでもいい話なの!)
弓が奪われたとき、クルミはそんなツッコミを入れそうになった。自らのバカバカしさに対するセルフツッコミである。
そう、わずかコンマ数秒の間に脳内にこれだけの思考が駆け巡ったのである。まるで走馬灯のように。そこからやや遅れて(奪われた)という事実を脳が確認し(えっ誰に?)という疑問が沸き上がった。
しかし、そのときにはすでに組み伏せられてコンクリに頬を擦り付けていたのだった。
「うぐっ!?」
「キサマ…一体…何者だ…」
ぐいと背中の方にねじ曲げられた腕。
ぺたんと腹這い にさせられた体勢。
そして、ぽいと投げ飛ばされてしまった武器。
もはやクルミに行動選択の余地は残されていなかった。詰み、である。
「えっ、あっ、その、ええっと、ええっと、」
「何者だ…どうしてここにいる…何が目的だ…?」
ポジルンは見た。クルミを一瞬にして捕らえた者の姿を。
人間、と呼ぶには少しばかり異形である。そもそも肉体強化が加わっている魔法少女を通常の人間が拘束できるわけがない。
怪人、とは違い知性がある。暴力の権化である怪人がわざわざ動機を詮索するわけもない。
ポジルンは直感した。怪人が「末端」だとすれば、この男こそが「幹部側」の者であると。
「あ、あ、あ、あ、」
「その格好は何だ…あの弓は何だ…そこの獣とはどういう関係だ…?」
「そこの獣」と呼ばれてとっさに身構えたものの、ポジルンの戦力が及ぶ相手ではないことは確かである。無力なのだ。
もはや覆しがたい最悪の状況。はたして、背後からの不意打ちは不可避であっただろうか?明らかな油断がそこにあったことは事実である。
ポジルンは歯噛みした。「五感に頼ってくれて構わない」とクルミに言っておきながらこの有様なのだ。本来なら回避できた状況なのだ。
「あの、あの、あの、あの」
「早く答えろ…殺されたいのか…キサマ…?」
クルミはデリケートにできている。本人には言わないものの、ポジルンはそう見ている。たとえ誰に嫌われようが、たとえ誰に文句されようが、ちっとも気にしないようなある種の芯の強 さというものが、クルミには欠けている。むしろ通常より傷付きやすくできているのではないか。学校から帰ってきて落ち込んでいるクルミを見るたびポジルンはそう思う。
(とても弱い子なんだな)と、思ったからこそ愚痴を聞いてやりたかったし、そんなクルミに「殺されたいのか?」などと脅迫する幹部のことが無性に憎くてたまらなかった。
「ロクに口も利けないか…震えるばかりの臆病者め…」
「……………てめぇが誰だよ」
「……は?」
「てめぇの方こそ!何者なんだっつてんだよ!!」
「……キサマ自分の立場が分かっ」
「あたし常識とか嫌いだけど『まずは自分から名乗れ』って教えられてる理由がよく分かったわ。その上でもう一回言うけど、てめぇの方こそマジで何者なんだよ?ああ、自己紹介が嫌いなら別に構わないよ。あたしもウルトラ嫌いだからな」
ポジルンは唖然とした。クルミが何を考えてるのか分からないのだ。やっぱり気がおかしいのだろうか?てっきり窮してしまい泣きそうな顔になっているかと思いきや、その表情は明らかに、明らかに敵に対して牙を剥いていたのだ。
「キサマ…何を…言っている…」
「ハッ!分かんねーか!頭の回転はあたし並みか!だったらポンコツだなお前もな!ったく!てめぇはあたしが答えを考えてるそばから質問事項をポイポイ増やしやがって!どいつも!こいつも!畜生め!この世にはどーしよーもなく脳の反射神経が鈍い人間はいるんだよ!それに合わせろとは言わねぇし、察してくれとも言わねぇがせめて調子に乗るんじゃねぇ!なにが「早く答えろ」だ!なにが「殺されたいのか」だ!そんでもってなにが「キサマ」だよ!そんな言葉遣い現代人ならしねぇわ!いちいち芝居ががったバカみてぇなセリフ回ししやがって!この黒マント!この黒マスク!このコスプレ野郎が!」
「……コスプレはキサマのほうだろ」
「うるせぇ!黙れ!砕け散れ!」
マスクの幹部にも、ポジルンにも、明らかに広がる困惑の色。陰キャ丸出しの魔法少女が激怒しているのだ。どう扱っていいものか分からない。頬をコンクリに擦りながらもクルミの目はキッと幹部のほうを精一杯睨みつけていたのだ。
「…少女よ…この状況が…理解できているのか?」
「状況の理解!してるわ!あたしはいつだって過剰なくらいによぉ。そんでもって萎縮して何も言えなくなるのが通常営業のあたしだ。でも、でも、今のあたしは魔法少女なんだ。魔法少女なんだよ。分かるか?その意味がお前に分かるか?言葉を吐き出さねぇで飲み込むのはもう嫌なんだ!言いたいことならこの薄い胸に山ほどあるのによぉ!」
抑圧されていた本音を爆発させるその勢い。次元の狭間に一瞬だけ落ちる沈黙。言うまでもないが、体勢で勝っているのは幹部のほうである。しかし、気迫で言えばクルミが圧していたのではないか。
言葉ならいくらでも溢れてくる。思考がフル回転で駆け巡る。まるで走馬灯のように時間が圧縮されて感じられた。アスリートであればゾーンと呼ぶべき状態か。
だが、あえてクルミは勢い任せにせずに、むしろ冷静にコントロールしてみようと考えたのだ。
今のあたしになら、それができるの。そんな確信があった。




