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第一部③『はーちゃん、死す』

下校時刻になるとクルミはプリントもクシャクシャにバッグへ突っ込んで準備を整え、誰よりも早く帰る。下校のキャッキャの群れに挟まれたくないからだ。


ああ 、今日もまたひとつ、自分にガッカリしてしまった。こんな日は、まっすぐ帰りたくない。


他人の目を逃れるように、住宅街から道を逸れてしばらく歩くと、田舎までとは言わないものの畑が広がっており、空が広く開ける。日没が訪れ、あたりが暗くなり、自分の姿が夕闇に混じって誰の目にも映らなくなったころ、ようやくクルミは大きく息を吸って吐いた。


「あぁ………」


開放的な気分になった直後に自己嫌悪。トボトボと歩きながら脳内反省会の開始である。クルミの脳内の小さなクルミたちが集まって今日の出来事を分析して消化してゆく作業。彼女は、自身を客観視できないわけでは決してない。いや、よーく客観視できてしまうからこそ深く落ち込むのだ。


「ホント 、なんなのあたし?すぐにキョドキョドしちゃうこの癖ってなんなの?物音に驚いて硬直するハムスター並の心臓なの?それって弱者の本能か何か?生存競争に負けてるの?あたしって弱ってるの?それとも病んでるの?そんでもってなんでみんなと同じようなコミュニケーションができないの?そりゃみんな離れていくよね。気持ち悪いよね」


逢魔が時。自虐的な言葉を呟々と呟きながら歩く姿は不審人物が如し。点々と白く輝く街灯は、うつむいたままの彼女の顔を照らすことはない。


帰宅する大人たちを避けるように、バス通りを避けてフラフラと人気の無いほうへ、人気の無いほうへと足を進めてゆく。華奢なその両脚が支えているのは、どっさり背負っている重荷のようなネガティブのオーラと、乱雑に詰め込まれた教科書の入ったスクールバッグ。


「こんなあたし、誰からも受け入れられてもらえる気がしないの。分かってもらえない。だって伝えることができない。なんでだろ、いつからこうなったんだろ。昔は何も考えなくてもフツーに暮らしてたのに、いつの間にかあたしだけ置いてけぼりになっちゃった。みんなスピードが速すぎるよ。もっともっと、あたしは落ち着いて考えたいのに、みんなが「早くしろ」って急かすの。そんな気がするの。ぜんぶ終わった今ならいくらでも言葉は出てくるよ。こんなに言葉が出てくるよ。なのにどうして大切なときに何も言えないの?昔は何も考えなくてもフツーに暮らしていたのに、ツグミちゃんとだって、あの頃は友達でいられたのに」


———十三歳の彼女の言う『あの頃』とは、幼稚園の頃である。


今のようにヒエラルキーは存在しないで誰もが平等に無邪気に遊びまわり泥団子を捏ねまくる、そんな縄文時代のような幼少時代。もはや現在では想像もつかないが、クルミと、ツグミは、幼稚園時代はとても仲の良い幼馴染同士であったのだ。


「ツグミちゃんってば『小学校が同じ』って言ってたっけ。本当は幼稚園から同じなのに。あたしと幼馴染って思われるのがそんなにヤだったのかな」


呟々。クルミは暗い道を選び、人のいない道を選び、ひたすら歩く。


「……ハムスターの恨み、なのかな」


小学校3年生くらいだっただろうか、クラスで飼っていたハムスターは半年ほどで死んでしまった。


休み時間のたびに子供たちからさんざウリウリとされ続けたのがよほどストレスだったに違いない。もはや衰弱死というより憤死に近いのではないかとクルミは見ている。ともあれ、指でつつかれまくった挙句の死とはいえ、クラスの子たちはハムスターの『はーちゃん』を可愛がっていたため、みんなして涙が止まらなかった。ツグミなんて特にしゃっくり混じりの熱い嗚咽を漏らしていた。『命の学習』という名目で飼われたわけだから教材としての役割を充分に果たした『はーちゃん』は手厚く手厚く葬られたのであった。みんなひたすら泣いていた。


一部の例外、クルミを除いては。


「だってあたしは世話してなかったんだもん。やりたいって子に任せてたよ、ずっと。あんま り興味もなかったし……」


みんなの輪の外側から、みんなが泣きじゃくる姿を、クルミは阿呆のように鼻汁を垂らしながらポケーっとしながら眺めていた。


それはまるで映画館に遅れて入ってきた観客のように、他の客たちが涙している事情は理解できても、共感ができない状態に似ていた。


校庭の隅に埋葬した後も誰もが泣いておりしばらく動かずにいたので、クルミも突っ立っているほかない。ひとりで誰もいない教室に戻っても意味があるまい。

ならば黙ってそこに立っていればいいのに、わざわざ地雷を踏みに足を動かすのがクルミなのである。

当時、まだ無邪気であったクルミは『はーちゃん』のために手を合わせる先生の袖を軽く引っ張り、


「———ねえ、まだ終わらないの?」


と言ってしまった。素直な本音だった。これが不運なことにシーンと静かな校庭によく響いた。


次の瞬間には、ツグミの平手打ちがパァンと響いた。


「あのさ、クルミちゃん空気読もうよ!!」


親友に打たれた頬の痛みよりも、ツグミの凛とした声で鋭く吐き出された『空気を読む』という言葉がクルミにとってはえらくショックであった。


どうやら空気には、吸う、吐く、それ以外に『読む』といった使い方があるらしい。そんなばかな。空気は読もうとも透明で何も書いていないというのに。


しかし、頬を叩かれたクルミに対してなおも突き刺すような周囲の目を見るに、どうやらいつの間にか『空気の読み方』というものをみんなは心得ていて、自分だけができずにいることを悟った。


「だからってなんだ!クソ女のツグミめ!こっちは自分のダメさを知ってるから極力目立たないように日陰で生きてるってのに、定期的にケリ入てきやがって!ざけんな!どんだけヒマだ!嫌いなら嫌いでテメェの言う『距離を置く付き合い方』を実践してみろってんだよ!表ヅラばかり良くしやがって胸糞悪りぃな!正味テメェの内面のほうが余程エゲつねぇだろ!?そんでもって、そんなクソ女を支持してるクラスの連中は敵だ!先公連中も敵だ!全員敵だ!学校全体が嫌いだ大嫌いだ!」


他人を罵倒する言葉ならばいくらでも流暢に出てくるではないか。弱々しく『なのなの』言うよりもこちらのほうが彼女の本性に近いのだろう。


ところが、叫びたいことを叫んでスッキリするかといっ たら、そうではない。性根がアホほど自虐的にできているクルミは他人を責めた上に自分までも責めるのだから厄介である。たとえるならば他人に斬りかかる勢いそのままに切腹を試みる武士のようなものである。


「……そんなこと言っちゃうあたしってどうなの?学校が嫌い?じゃあツグミちゃんが社会で受け入れられたらあたしは社会が嫌いって言い始めるの?わかんないけど、ツグミちゃんが受け入れられてて、あたしは受け入れられてなくて、じゃあ間違ってるのはあたしのほうなのかな?やっぱりあたし何か間違ってるのかな?」


たとえ一人であっても反対の声を上げて多勢に立ち向かってゆく、そんな気骨がクルミにあるわけもなく、気概がへたれて結局は自虐へ堕ちてゆく。


間違っているのは、自分か、世界か。


だが、いくら世界が間違っていると叫んでも世の中を変える力など備わっていないことを、クルミは知っている。


「あたし、こんなんで生きていけるの?」


弁当を隠して食べる習性、クルミは「別に理由なんて無い」などと言ったが、そうではない。ツグミにチクチクとつつかれるようになり孤立を始めた小学校高学年のとき。


給食の時間、男子に放り込まれた消しゴムのカスが、クルミの皿の中に入れられたのだ。『シラスご飯』の中に、見た目の似た『消しカス』を混入させようというイタズラである。


それ以来、クルミはショックのあまり二度とシラスを食べることができなくなったばかりでなく、異物の混入を恐れて、弁当も隠しながら食べるようになったのだ。


カスというならカスな男子のカスな行為の方が余程のカスであるのだが、そんなカスが行ったカスのようなイタズラであっても、相手の心には深刻なケロイドのようなトラウマを残すことだって、ある。そんな笑えない経緯を、あの場面で正直に話せるわけもない。


かと言ってテキトーな話でヘラヘラと上手に回避するような器用さを、クルミは持ち合わせていない。泣いている場面では同調して泣け、とツグミから教えられたのだ。楽しい場面では同調し楽しい話題を提示するのが空気の読み方ってやつだろうか。そうした制約や制限を強く意識すればするほど、クルミは言葉に詰まってしまい、アワアワとしてしまう自縄自縛の悪循環。


「……『絶対に許さない』なんて、ツグミちゃんの口から聞きたくなかったの」


ハムスターの件以来、ことあるごとにツグミは『絶対に許さない』と言い続けた。


そういえば、幼いころに憧れた魔法少女たちは邪悪な『敵』に対して「絶対に許さない」と凛々しい顔をしてそう宣言していたではないか。まさか自分が言われる立場になるとは思わなかった。クルミはみるみるうちにクラスの中の敵となり、敵を厳しく糾弾するツグミは反比例してみんなのヒーローになっていった。

悪。大勢の前でツグミの口からそう断じられるたびにクルミの中のキラキラ輝く未来は歪んでいった。気付けば友達はいなくなり孤独だけが残された。

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