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第三部⑥『呪詛』

「遅いよぅ」


とうに日は沈んだというのに、クルミが帰ってくる気配はない。帰宅部のエースである彼女は基本的に直帰。下校途中に遊ぶ友達もいないため帰宅時間にほぼブレは無い。あるとするならば、そう、精神状況の悪化により不審者の如く市街地をほっつき歩いている場合に限るのだ。


「連絡してるんだから出てくれよぅ」


前足で操作するポジルンの携帯端末は、クルミのスマホに繋がる。まさか次元の向こうから持ち込まれた器機と通信できるとは、やはりアップルはアッパレである。


さておき、クルミが一向に出る気配が無いのは、人外からの着信だからではない。先述の通り精神状況が優れないからである。


そんなこんなで夕飯の時間が過ぎた。本来心配すべき母親は基本的に相互不干渉主義なので、娘に対して特にあーだこーだも言ったりせずに一人で食べる。きゅるきゅると鳴る腹に餓死の危機を感じるポジルンは通話ボタンを連打。一向に無い音沙汰。そして、突拍子もなく開く部屋のドア。


「…ただいま」


「ひゃあ」


「……どうしたの」


「お、おかえりクルミ。玄関開けたの気付かなくってビックリしたんだ」


「………ごめんなのポジルン。電話出なくて」


「お、遅いから心配、したんだ。な、何かあったのかい?」


「……………」


「うん、何かあったんだね」


確かめるまでも無かった。


あきらかに、あからさまに、クルミは全身で苛立っていた。制服。それを脱ぎ捨てるとベシッと乱暴に床に叩き付けたではないか。学校への憎悪や嫌悪をぶつけるかのように。忌々しげに。


そして棒が倒れるようにベッドに突っ伏すと、そのまま五体投地。低脂肪のクルミの身体はそのまま棒のようである。


「それはクルミ流の自己表現かい?」


「………………」


「茶化してごめんよぅ」


「あたしなんて放っておいて」


「分かった。放っておくことにする」


「そこは違うでしょ。『放っておけないよ』って言う場面でしょ」


「…………………」


「分かってるの。あたしのこと『面倒くさい奴め』って思ってるでしょ。そうなの。あたしは面倒くさい奴。だからこそ誰にも迷惑かけないように忍んでるの」


「うん!ぼくにも分かったことがある!このやり取りはものすご〜〜〜く長くなる!そうでしょ!?でも、その前にぼくに夕飯を持ってきてくれないか!?話はそれから聞くよぅ!」


このときクルミ、意外にも素直。そう、ポジルンと一戦やりあう気力が無いほどに消耗しているのだ。


消化不良のドロドロを小さな胸一杯に詰め込んだクルミはユラユラと自律人形のようにキッチンへ向かっていった。「頭上に爆弾でも直撃したような顔してるよぅ」と呟くポジルンの声すらも聞こえていないかのように。


「また鯖だ!!缶詰でなくても鯖が出てくるなんて素晴らしいね!!どうしてクルミの家はそんなに青魚が好きなんだい!?」


「……味噌煮じゃん」


「だから!それは誤差だよぅ!」


「…………………」


「クルミ?本当にどうしたんだい?いつもなら足りない語彙力を振り絞って罵詈雑言を返してくるはずなのに」


「……………うるさいの」


「ぼくのこんな挑発にも乗ってこない。クルミはどうしかしたのかい?」


いよいよポジルンは本当のほんとうに心配になってきた。発火点の低いクルミにとって、こんな、性根の腐ったような不貞腐れ方は、おかしいのだ。


自室に運んできたお盆を挟んで二人は座っていても、楽しい食卓なんぞありえるわけもなく、立ち込めるムードは重い。そしてクルミは本題をぶつけるため口を開いたのだった。


「ねえポジルン」


「はい」


「あたし魔法少女やめるから」


「ひゃあ!」


「やめるから」


魔法少女、完。

理由は精神的事情により 。

かくして世界は暗黒に包まれたのだった。


そのような展開、ポジルンからしてみればたまったものではない。それを見守る我々としてもたまったものではないのだ。


「どうして!?どうしてクルミはそんなに突拍子も無いんだい!?何があったのかは知らないけれど冷静になっておくれよ!」


「冷静なの。心の底から冷え切ってるの。あのね、言うね、この世界はあたしを必要としていないの。なのにあたしが世界を救う?ハッ、それこそ『どうして?』と言いたいの」


「クルミが必要とされてないだなんて、そ、そんなことないよぅ!」


「分かった分かった。ポジルンが言いたいことが分かったの。『この世界に誰からも必要とされていない人間なんていない』そんなようなことでしょう?薄っぺらい言葉だよね。あたしから言わせれば綺麗事なの。いるの。そういう人間は。あたしが輪の中に入らない方が、輪は上手く回るんだ。きっとそうなの」


まるで酒をあおるようにして味噌汁を飲み干し、カッと音を立てて椀を置いた。そんな、ネガティブな言葉ばかり吐き捨てて自分勝手に役割を降りるクルミの姿に、ポジルンは黙っていられようか?


「あのさ!悲観的な気分に浸りたいだけならやめておくれよ!いいかい!?ぼくからしてみれば今のクルミはいじけてるだけにしか見えないんだ!いっそストレートに言おうか!そういうのすごく格好悪いと思うよ!見ててすごく不愉快なんだ!」


「ポジルンまでそんなこと言うんだね」


「ごめん!でも本心!」


「……ざけんじゃねぇよ。何が不愉快だ。あたしはてめぇを愉快にさせるために振る舞うピエロになりゃいいとでも言うつもりか?」


「おうおう、待ってたよぅ!その悪態!来てよ来てよ!もっとぶつけてごらんよ!」


「何が悪態だよこの変態が!」


異世界からやってきたポジルンは、決して平均的とはいえないクルミという少女に出会った。


自分の国を護るため、それもあるだろうが、このとき、ポジルンはそうした計算を度外視したところでクルミと接していた。いや、二人の関係は徐々にそうなりつつあったのだ。クルミに対する心配は本当にほんとうなのだ。食事こそ喉を通っているが、喉のさらに奥のほうに何かつっかえているのではないかと思うくらいに、苦しそうに見えたのだ。


「魔法少女やめるってのは、いじけてるからじゃねぇ!たしかにあたしがいない方が輪は上手く回るだろうよ!だからといって、あたしがいなくてクルクル上手く回ってる輪を眺めてるのは無性に腹が立つんだわ!なんだろうなこの気持ち!?素直に言えば、滅んじまえ!あたしが魔法少女やめてそれが実現するんだとしたら、正直、痛快だわ!大嫌いな連中がヘラヘラしたまま世の中が回るくらいならブチ壊してやるよ!」


「いいよクルミ!その発想、完全に悪役側だよぅ!」


「悪役!?あたしから言わせれば、ああいう連中のほうが性悪だわ!まずはあの数学教師め!こっちの立場が弱けりゃとことん居丈高に出てきやがって!たしかにあたしはマヌケだ!だがてめぇは心底悪趣味だ!ハラスメントだなんて新しい言葉を使うまでも無く、断言するなら人間性がクソなんだ!そのくせ、よくまあ人前に立って堂々と話せるなぁオイ!?あたしだったら自分を恥じてそんなこと出来もしねぇんだわ!死ねとは言わんが苦しめ!」


「よし、次じゃんじゃん行こうか!」


「取り巻きの女どもに至ってはあたしとベクトルが違うだけで精神的最底辺だ!強い者に従って弱い者イジメをするって、下劣のモデルケースじゃねぇか!揃いも揃って休み時間になりゃ便所の鏡で髪をいじってる、そんな便所虫のクセしやがって、鏡使っても自分の醜悪な本性は見えねぇのか!?どうしてそんなに無神経でいられる!?どうしてそんなに厚顔でいられる!?てめぇらに取り柄が100個あろうともあたし はてめぇらを認めねぇぞ!」


「ちょ、ちょっと待ってクルミ!」


「何だよぉ!?」


「ぼく、たぶんこういう合いの手とか入れるの苦手だよぅ」


「安心しろ!フツーは罵言に合いの手入れる機会もねぇから!」


「それはそうだね」


「んでもって里奈ツグミ!あたしはてめぇのカラーに染まってるあのクラスが嫌いだ!なぜならあたしはてめぇが深刻なくらい嫌いなんだ!高圧的!あたしとの相性は最悪だ!あたしだって大概腐った目ぇしてるが、お前があたしに向ける威圧的な眼はどうかしてるぜ!?ダメな人間が憎いか!?不器用な人間が憎いか!?その憎しみの根源があたしにはちっとも理解できねぇ!あたしが脛にどれだけアザ作ってると思ってんだよ!?」


ヒートアップしきったクルミは四方八方に呪いの言葉をぶちまけ、コップ一杯の水道水をゴクリ。


帰路の脳内会議では自分を責めていたばかりのクルミだったが、当然ながら他人を責めたくて仕方がない、そんな気持ちもあったのだ。


そして、ハァ、と短いため息ひとつをついた後の声のトーンは少し落ちた。


「安倉さんも安倉さんだよ〜。あたしはベタベタする関係が好きってわけじゃないんだけど、本当に自分が気が向いたときにしか話しかけてくれないの。どうしてそんなに自由気ままでいられるんだろう。あたし、安倉さんのことは別の意味で理解できないの。友達だと思ってるのはあたしだけ?分かるよ。きっと安倉さんなら『閑奈さんの言う友達ってどういうこと?』とかとぼけたこと言い出すんでしょ。なんなんだろう。あの人の腹の底が読めないの」


「その子も嫌いなの?」


「ううん」


「よく分からない子なのに?」


「あたし、チラッと見たの。あたしが炎上してるときに、クスリとも笑わないで興味なさげな顔してたの、安倉さんだけだよ。いつもそう。同調圧力的な場面を余裕でスルーできるナチュラルに挑発的なスキル持ってる安倉さんのことが、えへへ、好き♪好き?あたし、分かんない。そうなりたいな、っていう憧れ?」


「…へ、へえ」


「それにね!それにね!聞いてよポジルン!この前、安倉さんに言われたんだ!『好きだよ』って!あたし人生の中でそんなこと言われたの初めて!なんだか思い返して今更ジワジワと嬉しくなってきたね!ねっ!?嬉しい ねぇポジルン!?」


「……キッモ」


「あはは〜!なんだとてめぇポジルン!このっ!このっ!このっ!」


「痛い痛い痛い。笑ってるのか怒ってるのかどっちかにしてよ」


ペシペシと叩くクルミは一言でいえば情緒不安定。テンションが上がるとこのように感情の各種各様が入り混じって混沌に陥る。


この陰キャのどこにここまでのエネルギーが蓄えられていたのか、というくらいに爆発しきったクルミの表情は先ほどまでの重いものとは変わっていた。自分自身で「汚らしい」と形容していた胸の中の汚物を吐き出したことによるデトックスだろうか。


「スッキリしたっ!そんでもって、ごちそうさま!」

「ぼくは心労で飯の味が分からなかったよぅ」

「まぁまぁ、また今後クルミ特製オムライス作ったげるからさ」


「ありがと」


「……ひょっとしてポジルン、あたしに気を使ってくれたの?」


クルミがそれに気付いたのは、少しばかり視野が自分以外へ広がったせいだろうか。ポジルンや安倉ユウナ。出会って、交流し、わずかではあるが、彼女の世界は広がりつつある。


「まぁ、ね。ちょっとくらいキレてるほうがクルミは普段通りだし」


「そんなにあたしヘコんでるように見えたの?」


「うん。なんだか苦しそうだった。つっかえてるものが上手く吐き出せないなら、ぼくが手伝おうと思ったけど、ぼくはぼくで不器用なんだ」


「…………ありがとね」


「ひゃあ」


「なにその反応」


「そうやって心が込められた『ありがとう』って、初めてクルミ から聞いた気がして驚いた」


「ハッ!じゃあもう言わねぇよ!」


「な、なんでさっ!?」


「普段から『ありがと』『ありがと』言って『ありがと』の大量生産すると価値がデフレするだろ!?二度と無いプレミア物だぞ今のは!」


「よく分からない!クルミの言ってること、よく分からないよ!」


可愛くない照れ隠し。気恥ずかしさの誤魔化し。そっぽ向いて食器の片付けのために出て行った。冷酷なことをする奴もいれば、温かい気遣いをしてくれる奴もいる。色んな奴がいるもんだ。自室に籠る母親をスルーして食器を洗いながら、クルミはぼんやりと考えた。


ひょっとしたら、色んな奴がいるのではなく、色んな面があって、冷たい人もどこかで優しい言葉をかけているんじゃないのか?優しい人もどこかで冷たい言葉を吐いているんじゃないのか?


そこまで考えたあたりで、クルミは考えるのをやめた。そうだとすれば人はあまりに複雑怪奇だからだ。


とりあえず今は、ポジルンから貰った優しさが乾いた心にしみて、ちょっとだけ泣きそうになるのをこらえることにした。


キッチン。水音と、汚れを落とすスポンジのキュッキュとした音が響く。





「起きてる?ポジルン?」


「うん」


「あたし、魔法少女やめないから」


「……うん」


「やめないから。大丈夫だよポジルン」


脳内で何度も練習した「大丈夫だよ」はしっかり言えた。やっぱり顔を合わせて言うのはちょっと照れる。

だから、ベッドの中から、それとなく伝えるに留めて、その言葉は夜の闇に温かく溶けていった。


「……!!」


だが、このときPM11:25。


悪いことが重なる日というのは、ひたすら重なるものである。これも必然なのだろうか?それとも偶然なのだろうか?ともあれ、まだ一日は終わってはいなかったのだ。


ポジルンが警戒態勢に入った。それを受けてクルミも跳ね起きた。心が温まっているのだ。迎撃へのモチベーションは高かった。魔法少女とパートナーは今、同じ方向を向いているのだから、以前までとは決定的に違って安定感がある。


しかし、悪いことが重なる日というのは———この日、魔法少女クルミは初めて敗北することになるのだ。

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