第三部②『屁をこく』
「………………………………………」
部屋に立ち込める重い重い沈黙。
如何ともしがたい雰囲気。
ポジルンにとってはまさに針の筵。居心地はすこぶる悪い。こんな場面では屁の一つも放てない。しかし、ポジルンとて食後には体内にガスが溜まるものである。
「………………………………………ブリッ」
屁の一つも放てない、という状況にあっても、出るものは出るのだから仕方がない。部屋に立ち込める臭い臭いガス。
これはもう『なめとんのかボケ』と殴られてもおかしくない状況。気まずさのボルテージは限界を迎えている。
いつ爆発するのか分からないほどに張りつめた風船をキュキュキューとなぞるが如き空気。なんだかポジルンとしては生殺与奪を握られているような気さえする。
これはアレである。
説教を喰らってたと思ったら教師が呆れたように『はぁ〜』などとため息をついてダンマリを決め込んでしまい、叱られている側がひたすらバツの悪い思いで直立不動を強いられている図である。
叱られている身としては正直言ってだんだんとその状況に飽きてくる。やがて罪悪感は時間と共に薄れ、『はよ終わらせろや』という憤りに変わってゆく。
とはいえそれを表に出すわけにもいかないので、とりあえずは相手が口を開くまでひたすら神妙な表情を保っていなくてはいけないという、反省する気すらも失せてゆく不毛な心境へと至る。
その心境を経験によってよ〜く知っているクルミのほうから、口を開いた。
「ポジルン」
「は、はいっ!?」
「あたしは別に沈黙で反省を促したり自分の望む謝罪の言葉を引き出そうとするサディスティックなクソゴミ教師じゃないの」
「そ、そうですか」
「褒め言葉を期待して張り切っちゃったアホが一人で落ち込んでいるだけ。それだけなの」
「そんなこと言わないでくれよぅ。ごめんよぅ。本当にごめんよぅ」
「……うふふ」
「!?」
「なーんてね!ヒロインはそんなことで落ち込まないの〜〜〜!いつも笑顔♪いつも元気♪この身に漲る自信 で起こすミラクル♪あたしが魔法少女ミラクル・クルミンなのっ!」
ポジルンは絶句した。
あまりに極端に反転したテンションは理解不能。ぺろりと舌を出したクルミのその姿をおそらく本人はカワイイと思っているのだろうが、他人からしてみればブキミにしか映らない。
「そっかそっかぁ〜!ポジルンはフワフワ卵派だったんだぁ〜!じゃあ今度はポジルン好みのオムライスを作ったげるからね〜!」
「キ〇ガイだ!クルミはやっぱりキチ〇イだ!」
「この野郎!『やっぱり』ってどういうことだ!今まであたしをどういう目で見てやがったんだてめぇはよぉ!?」
「それ!それだよ!そっちのほうがぼくの知るクルミだよぅ!」
「……てへっ♪」
「やめて!怒りたかったらストレートに怒ったほうがマシじゃない!?」
「ノンノン。あたしはもう、チンピラみたいな口調で恫喝するようなあたしじゃないの。心のきれいサッパリとしたキラキラな魔法少女なの〜〜〜!!」
ああ。
ポジルンはなんとなく納得した。そういえば先日、怪人戦の際に『恫喝みたい』とか言ったような記憶がある。
その言葉がクルミの心の泥濘にグサッと刺さったまま抜けないでいたのだろう。だが、クルミの反動は明らかに過剰であった。
「無理しなくていいよぅ。そうやって無理をするからクルミは歪むんだよぅ」
「あたしもうアホほど歪んでるし!」
「そうじゃなくって……」
「そうじゃなくて、何!?あたしがず〜〜〜〜っとウジウジとスネてネチネチとポジルンのことイジ めてればよかった!?違うでしょ?魔法少女って違うでしょ!?クソみたいな人間性なら捨ててしまえばいいの!あたしは『普通』を目指すんじゃないの。あたしはあたしの『理想』を目指すの!!!」
「でも本性は変わらない」
「大丈夫大丈夫!あたしがさっきやって見せたでしょう!?黄色い卵をつつーって裂けば、血みどろのケチャップライスを包み隠せるトロトロのオムライスなの!!」
クルミの言う『大丈夫』ほど信頼性に欠けるものも滅多にないだろう。ともあれ魔法少女は理想を掲げた。変身願望とは自己否定の裏返しである。
今よりマシな自分になりたいという思いは誰にでもあるものの、ポジルンを餓死させそうになるほどスイッチのONとOFFが極端なクルミはどう転ぶのだろうか。
「アンタどうしちゃったの?」
「へあ?」
「その顔、変だよ。アンタどうしちゃたの?」
まずはニコニコすることから始めた。
そうしたら早速、里奈ツグミの冷たい目の餌食になった。『いつも笑顔でいれば気持ちも前向きになるに違いない』などという拙いクルミ理論を実践した結果である。
これも、内面どうあれ外面を良くすればなんとかなる、というオムライス理論から導き出されたものなのだ。なので、クルミは通学途中からずっと口角をバカみたいに30度に上げて保っていたのだが。
「こ、これって、へ、変かな?ツグミちゃん?」
「変。それは私が指摘したでしょ?そうじゃなくて『アンタはどうしてそんな顔してるの?』って聞いてるんだけど?なんで質問と回答が噛み合わないわけ?」
どうしてなどと言われても、魔法少女のようにキラキラした自分になりたいから、と答えたならば正気を疑われてしまうだろう。
舌鋒鋭く抉るツグミを前にすると委縮してしまい、上手く返すこともできない。あっという間に詰んでしまう悲しい悲しいクルミであった。
「えへへっ〜♪」
「……………ハァ?」
答えに窮した挙句、白痴の如き笑みを浮かべるクルミの脛に飛ぶ、蹴り。笑顔でいようとも蹴られるものは蹴られるのだ。
「やっぱり絡むんじゃなかった」と忌々しく呟いて立ち去るツグミ。理想への一歩目は、あわれ、挫かれてしまったのだった。
クルミはアホになる。
会話がまったく成り立たない人間でない ことは、ポジルンとのやりとりから分かると思うが、学校だと急激にアホになる。
全身の筋肉が緊張している状態でキャッチボールができないのと同じく、ガチガチに緊張していては会話が成立しない。物事には適度なリラックスが必要。
しかし、負のスパイラルと言うべきか、苦手意識が緊張を生み、緊張が苦手を生む。そんなクルミが現状を打開するのは至極困難。
(なんであたしはこんな嫌いな奴らのためにニコニコしてるんだろうか?)
自身の掲げた理想にこんなにもあっさりと疑問符を打つくらいならば、初めからしなければいい。
朝からテンションの下がりきったクルミは通常営業、つまり授業以外を机に突っ伏して瞑想しながら過ごすことに決めた。
(いちいち蹴ることねぇじゃねぇかクソ女め。何が質問と回答が噛み合わないだ。面接官か。てめぇの蹴りのほうが余程法外じゃねぇかよ)
その胸裏はドス黒い気持ちで満ち満ちている。
外に溢れ出ないのが不思議なくらいに。
それでも、あーだこーだ言っても自分が負け犬ポジションに収まっている現状は変わらず、今日も鈍色吐息を漏らすばかりである。
相変わらずクラスの大半の顔をまともに見ることができずに、ほとんどがクルミの中でモブとして埋もれている。
(ここから這い上がることはできないの?もうすでにクラス内の格付けランキングが終わってしまったから?だとしたらこの暗黒生活をずっと続けなきゃいけないの?それとも転校?やり直すには転校しかないの?でも、また失敗したら?あたしはそうやってリセットを繰り返すの?いつまで?リセットのボタンは何度まで有効なの?)
校庭に広がる空はこんなにも青いのに、それにも気付かずに悶々とした自問に埋もれて一日が過ぎてゆく。
ところが、クルミのオムライス作戦は本人には思いもよらない結果を生むのであった。それは一日の終わりの出来事である。




