第三部①『狂気のクッキング』
クルミ、キッチンに立つ。
これでも家事はそれなりにできるという自負がある。
というのも、父親が蒸発してからというもの、なんだかんだで必要に迫られ母を手伝ったりもしているためである。
もっとも、家事全般ができるわけではない。片付けなどはクルミの性格にまるで向いていない。脳が上手く情報を処理できないのだ。
しかし、他の単純作業は好きなのだ。中でもお料理。これは一等一番で大好きなのである。母親が用事で家を空けるときなどは勝手に自炊して食べるくらいのバイタリティはある。もともとが食い意地の張った性格であるため美味しさを目指すための作業を惜しまないのだ。
だが、多少ズレている。
たとえばタマネギを手渡してみよう。するとクルミは不気味なまでに無心と化してそれをひたすらミジン切りにするのだ。スイッチがオンとオフの二種類しかなくて中庸が無い。
効率や能率を度外視して徹底的に切り刻み続けるその姿は偏執病の片鱗が窺える。黒板清掃に謎の情熱を捧げるのと同様の奇行である。
料理は好きなのだ。だが、いつまで経っても出来上がらないという悲しいコックなのだ。『好き』と『できる』は似ているようでだいぶ違う。
「ふぅ…」
ようやく満足したクルミの手元の俎上には過剰なまでにミジンにされたタマネギ。そしてニンジン。これで何か味が上がるかといったらそうではない。目的を忘れ去り、手段に没頭する典型的な例と言えるだろう。
「レッツ・La・クッキングなの〜♪」
ともあれ、上機嫌であることはいいことである。サラダ油を薄くひいて熱したフライパンに微塵となったミジン切りの食材たちを投入。
こうなるとご想像の通り、今度は飴色になるまで弱火でひたすらじっくりと炒め続ける。炒めたり煮込んだりする時間は不思議と心が落ち着くものである。ストレスフルな毎日を送るクルミにとって数少ない心休まる時間であもある。クルミは、料理が大好きなのだ。
一方、クルミの部屋で待機するポジルンは、待てども待てども夕飯が完成しないという飢餓地獄に苦しんでいるのだが……。
どうしてこんなことになったのか、それはポジルンの言葉がきっかけであった。
「オムライスがいいよぅ!」
これ にはクルミも目を丸くした。連日に及ぶ缶詰攻撃についに音を上げたポジルンがリクエストしたものは、オムライスだったのだ。
(そんなばかな。どれだけあたしの生活をファンシーにすれば気が済むのかコイツは)と思わざるを得ない。
「居候の分際で文句なんて本当は言いたくないけれど、クルミの家には缶詰しか無いのかい!?魔法少女失格だよぅ!」
「あっ!てめぇ反省しねぇでまた言いやがったな畜生め!鯖缶と鮭缶で交互になって変化つけてやってるだろうが!」
「鯖も鮭も似たようなものだよぅ!」
「全っ然っ違うだろうが!食生活ナメんな!」
二人の徐々に関係は変化しつつあった。先日の怪人戦により良くも悪くもお互いに言いたい放題言えるような仲になったのだ。反面、不毛な言い争いは増えたものの、こうしてぶつかり合える相手はクルミの人生にはあまりいない。
もっとも、それを有難いと自覚できるかどうかは別である。兄弟や姉妹。鬱陶しいと思う感情は誰にだってあるものなのだから。
「———も、もう、やめよぅ!ぼくの余計な一言で怒らせてしまったことは謝るよぅ!でもぼくの苦痛もできるだけ理解した上で要求を聞いておくれ!」
「謝りながら一歩踏み込んで要求するなんてサイコパスかてめぇ!?……で、なんでオムライスなんだっけ?」
「缶詰生活に飽きたからだよぅ」
「今日の鯖缶は水煮缶じゃなくて味噌煮缶なのに?」
「それは変化というより、誤差だね」
「えっと、そうじゃなくって、どうしてよりによってオムライスなの?」
「調べてみるとぼくの世界の郷土料理に一番近いのがオムライスなんだ」
ふぅむ。とクルミは顎に指当てて考える。珍獣の郷土料理などという珍妙なものはさておき、考えてみれば人生でオムライスなどというガーリッシュな一品など作った例がない。
基本的に彼女の料理は全体的に茶色で占められている。『茶色いものは大抵美味い』という分かるような分からないような独特の理屈ゆえである。
だが、考えてみればメニューにだって本来は種類が多種多様。ある一定のゾーンに固執するよりも新天地を開拓するのが吉か。そう思い至るとクルミの薄っぺらな胸にふつふつと創作意欲がわいてきた。
「いいよ。親もいないしあたしが作ってみるよ」
「ええっ!?」
「ふふふ〜ん、あたしこう見えてもある程度、お料理できるの♪ 女子力高めでしょ?でしょ?でもあたし『女子力』って言葉、ウルトラ嫌いだけどね!バーカ!」
「……やっぱりクルミは精神的に不安定なの?」
心が屈折しているクルミがハイテンションになると、周囲から見ているとやや不気味に映る。しかし、なんだか知らんがウキウキしている上に、わざわざ自分のために作ってくれるというのだから、ポジルンとしてはそれを敢えて止める理由は無い。
エプロンなどと洒落たアイテムを身に着けてクルミはパタパタとキッチンへ向かった。とうに空腹の限界に近いポジルンは、しばらくすれば夕飯にありつけると信じていたのだが………。
要領が悪い。
効率が悪い。
というか、そもそもクルミは料理にそういうものを求めない 。
何かのパラノイアのようにタマネギを徹底的にみじん切りにして、執念じみた表情で飴色になるまで炒め、そんなことを繰り返していた。黒板を過剰に清掃するのと同様、加減というものがイマイチ分からないクルミは、オムライスの完成までに1時間もかけてしまったのだった。
「ポ、ポジルン!?」
「ぁぅぁぅ」
「いやあぁあぁあぁ!ポジルンがしぼんじゃった!ごめんなの!あたしつい夢中になってた!ごめんなのポジルンごめんなの!!」
「ぁぅぁ」
あわれポジルンここで枯死!
その死に様はケージの中で放ったらかしにされたハムスターの如し。こんな形で幕が閉じる物語か。いや、そうはいかない。クルミ特製のオムライスは完成していて手の上に乗っているのだ 。そしてチキンライスの上には紡錘形の卵が乗っているのだ。
「でも、見て見て!ここをつつーって裂くとね!ほらぁ!くぱぁ!って黄色いトロトロ卵が開くの!テレビでよく見るアレなの!」
「ぅゎぁ」
楽し気に解説する横で、ポジルンがブチ切れそうになっていることにクルミは気付いているだろうか?
クルミはいまいち他人のニーズというものが理解できない。今、ポジルンが求めているのは一刻も早い栄養補給なのだ。なので、無駄な器用さを発揮してもそれは壮大な自己満足でしかないのだ。
「召し上がれっ☆」
「ぉぅぃぇ」
さて、このときクルミが欲しがっていた言葉は何か。
言うまでもなく『褒め言葉』である。
そう、自分の料理を他人に振る舞うのが好 きな人間は共通して『あたしのセンスはイケてるに違いない』と思っているのだ。決してダメ出しのアドバイスなど求めていない。料理人というのは『もうちょっとこうしたほうがいいんじゃない?』などと言われれば十中八九ヘソを曲げるナルシストである。
「うふふっ♪ どう?おいしーい?」
『おいしい』と言って欲しいのだ。丹念に丹念にタマネギを炒めたのもそのためだ。歪みに歪みきった承認欲求の塊であるクルミは『おいしい』言葉が早く欲しくてたまらない。
そう、先日、ポジルンから貰った称賛という甘露が忘れられないのだ。その言葉こそがクルミの干乾びたナルシズムをなみなみと満たすのだ。むしろその情熱がクルミを動かしたのだ。
「げぷっ」
「どうだった?ポジルン?おいしかったでしょ?」
「……うーん、やっぱり卵はトロトロよりもフワフワが好みだよぅ。っていうかフツーはそうじゃない?」
上機嫌。一転。反転。不機嫌。
素直な感想を思ったまま言ってしまった後でポジルンは自分のミスに気付く。
ハッと思ったものの時すでに遅し。トロトロとフワフワのスタイルウォーズ。一度ヒビの入ってしまった卵の殻の如く、割れてしまえば取り返しはつかないのだ。
「ハッ、てめぇのフツーなんて知らねぇよ」
「ご、ごめんよぅ!まずはごちそうさま!そしておいしかった!クルミの手料理とてもおいしかった!」
「……………知るか馬鹿」
クルミは硬い硬い殻に閉じこもってしまった。両者の関係にヒビは入ったが、卵と違い、こちらの殻は簡単にはヒビは入らない。
これは、普段のようにキレて感情を露骨にぶつけてしまうのとは異なるパターン。怒ったまま沈黙してしまうという険悪なムードへ突入である。
心底面倒くさいスネ方である。正直、ポジルンとしては『ここまで怒るなんてどれだけ人間ができていないんだい?』と言いたくなった。
だが、そっぽ向いてベッドに転がる間際、クルミが涙目になっていたことにポジルンは気付き、さすがにちょっと悪いことをしたと思ったのだった。
クルミはまだまだコドモなのだ。




