第二部⑨『完全変態』
他人と関わるとロクなことが起きない。
なのでクルミは他者と正面から向き合うことをやめた。
どうせ傷が増えるだけなのだから初めからシャットアウトするのが一番だとすら思っている。『出会いは人生の宝箱』などとポエミーなことを主張する輩には心の中で中指を立てているのだ。
そんなクルミは世捨て人だろうか?否、ちょっとの温かみで頑なに閉ざしたはずの胸はトロッと溶かされてしまう。
そして気付くのだ。安倉ユウナと過ごした放課後、その帰り道の一人反省会でも気付いたのだ。(あたし、ずっと寂しかったんだなぁ)と。
僅かな熱量がクルミの行動を変化させた。
正面衝突。胸に飛び込んできたのは怪人。
だが———これはクルミ自身が望んだ展開であった。
「———逃げ回るあたしがずっと待ってたのはね、これっ」
ポジルンは、パラパラとコンクリ片が降り注ぐ音の中に、魔法少女の声を聞いた。一瞬で廃屋と化したグラウンドゼロ地点。大破した民家の中に輝く虹色の光球。
埃の中に浮かび上がったものは、上に覆いかぶさった怪人の、その両腕を、下からガッチリと両脚でホールドするクルミの姿。
上下関係だけならば組み伏せられているようにしか見えない。だが、怪人の脳天に深々と突き刺さっているのは魔法少女のマジカルな矢。
「これがトムとジェリーならあたしは噛むの。追い詰められれば獰猛なあんたを、ね」
タックルの衝撃を正面から受け止めたクルミが懐に忍ばせるように握りこんでいたものは矢である。弓矢並みの速力で突進する怪人なのだ。その勢いを利用し、放つのではなく、突き刺したのだった。
「全力で突っ込んできたね。そうだろうね。逃げ回るだけのあたしだったもんね。いつだって勝てるだろうって見縊ってたでしょ。そんなわけないの。あたしだって本気で生きてるんだ。これでも一応。行き止まりに自分から向かうようなマヌケじゃないの」
袋の鼠が、一転、窮鼠猫を噛む。
一の矢をキャッチしてからは怪人は余裕綽々の態度を取ってきた。クルミにもそれくらいのことは分かる。
いつでも仕留められるという意識。尻もちついたクルミへわざわざ追撃を仕掛けなかったのもそのためである。
ところがポジルンのサポートが加わったために思うように捕まえるのが難しくなってきた。怪人のイラつきもクルミには分かる。
だが、『分かる』から一歩発展させて『利用する』と考え、自分の望む結末からの逆算という器用なマネを試みたのは、安倉ユウナの影響があってこそだろう。
「あんたが最後にやることも、あたしには分かってるの」
下から抱き着くようにロックした両脚は怪人の両腕をも巻き込んでいる。拘束するように締め付けているクルミの脚は、暴れ狂う怪人の最期の足掻きを封殺した。
「フシュル…シュ…!」
「なーんて、ペラペラ喋っちゃったけど」
「……フ…シュル………!」
「本当のほんとうは誤解で、あなたのことちっとも理解できてないかもしれない」
「…シュ……ュ」
「あんただって、そんな単純にできてないよね。あたしだってそうだ。みんな複雑なの」
「……………シュ」
「だからあんまり見縊っちゃだめ。お互い反省だね」
ふっと力が抜けた怪人は、そのまま光のシャボンに包まれてヌイグルミ化して、クルミの胸元へポトリと落ちた。
満身創痍の末に掴んだ勝利に快哉を叫ぶことができなかったのは、あまりに消耗してしまったからか、それとも。
「ポジルン、ひょっとして今のあたしクソ格好いい?」
「あーあ、そのセリフで台無し」
「友情があった。努力があった。勝利があった。言うなればあたしは少年漫画のヒーローみたいなの」
「友……情……?」
「そこ疑問符いらないから」
瓦礫瓦礫の中にボロボロの魔法少女。しかし、仰ぐ異次元の夜空はクルミの心同様に晴れている。
あんなふうに相手を手玉に取ってみたい。安倉ユウナへの憧れが今回の勝利に結びついたとクルミは思っている。
悪夢を見せられた今回の怪人。不足した想像力をフルパワーで回転させたからこその勝ちを拾えたのだろう。少なくともクルミはそう解釈しているのだ。
「……ぼくは間違っていたのかもしれないな。魔法少女に選ばれたからといってすぐに立派に振る舞えるわけがないんだ。さっきは魔法少女失格なんて言ったけれど取り消すよぅ。きみはこうやって少しずつ成長を続けることで真の魔法少女に近付いてゆくんだ」
「謝らなくていいの。あたしたちの間にそういうの、もういらない。その代わりに、褒めて褒めて」
「どうしよう。そう求められすぎると褒める気がどんどん失せてゆくよぅ」
「なーんてね。あたしはもう充分に得たよ、自信ってやつをさ。何やっても負ける気なんてしないんだ」
天に伸ばした手をぐっと握って異世界の星を掴む。勇者。まさに勇者である。イモムシのような人生を送ってきたクルミは、蛹を経て、蝶へ至り、この空高く羽ばたいてゆくのだ。まさに完全変態で ある。
「でも、前回も同じようなこと言ってたよぅ」
「いやいや、今回はあたし人間的に強くなってるから。そこんとこの違い、分かる?」
「……ふぅん」
「いつまでもウジ虫じゃいられないってことなの。あたしは羽を得て明るい世界に飛び立つんだ」
「ウジ虫が成長するとハエになるけれど、それでもクルミはいいのかい?」
「いちいち茶々入れんじゃねぇ」
「ごめんよ。……本当のことを言うとクルミは今回、ぼくなんかの想像をはるかに超えた活躍をしてくれたと思ってるよぅ。どれだけ褒めても足りないくらいに」
「えへへ〜♪」
勇者は赤面した。他人から評価されることが極端に少ないクルミにとっては、ポジルンからの称賛は甘露そのもの。
褒め言葉は自信を支えるための栄養素になる。骨粗鬆症のようなスカスカな心へジューシーに染み渡るではないか。もっとも、これで物語が閉じられればめでたしめでたしなのだが、そうはいかないのである。
「それにしてもコイツ強かったの。一直線で正々堂々バッチバチに殴り込んでくるタイプ。凄まじかったよね、あのタックル」
「あっ、そうやって相手を持ち上げて自分の株を自動的に上げようとしてる」
「最近、国語の授業で習った平家物語のスタイルなの」
「分からないけど」
「そんな素晴らしい敵に打ち勝ったあたしはなんて素晴らしいんだろう!そう!!あたし、もう何も怖くないの!!!」
死臭漂うそのセリフ。
聞いていたのはポジルンだけではなかった。
魔法少女を見下ろすビルの上。誰もいるはずのない異次元に佇む黒い『人影』にも、しっかりと届いていたのだった。




