第二部⑥『これって詰んだの?』
陸上選手がスタートするとき後方に蹴った砂が巻き上げられるのと同様、砕けたコンクリ片が舞った。
それほどの加速。十数メートルの距離が詰められるのは一瞬であった。くの字に折れ曲がったクルミの身体は完全に地面から離れた。
怪人に突き飛ばされるがまま横断歩道の無い道路をそのまま横断。激突したガードレールは衝撃を受け止めるには足りず、ゴールテープの如く脆く弾けて切れた。
そして突っ込んだコンビニの自動ドアのガラスが弾けるように細かく砕け散った。店内の陳列棚をひっ くり返した。そしてドリンクコーナーの冷蔵室にクルミをブチ込みようやく止まったのだった。
「フシュ…フシュル…シュ…」
「………かっ……は」
破裂した各種清涼飲料に濡れた魔法少女の胸倉を、怪人は未だ掴んで放していなかった。だらんと脱力したクルミの手が、ぴくりと動き、そして自身を縛めている怪人の手を振りほどこうとした。
「……や…めてよ…放し……て…」
クルミに息があるのを確認するなり、さらなる追い打ち。ひしゃげた陳列ラックにめり込んだクルミの身体を引っ張り起こすと、もう一度、今度はぶん投げるかのように全力でラックに叩きつけた。
距離を置かねば本領の発揮できぬ弓使いにとっては最悪の展開といって間違いない。
「…放し…て…放して…放して放して放して放してえぇ!!!」
いじめられっ子のような弱々しい気勢を吐いて抵抗するも、悪辣極まるいじめっ子は動じず。容赦なく攻める敵の表情はまさに悪鬼羅刹。
振りほどくことがどうしてもできずに、手足をバタバタし、身をよじり、それでもなおもギチッと握られた胸倉から手が離れることはない。
助けを求めようにも、パートナーのポジルンはクルミが羅刹からの突進を受けた時点で弾き飛ばされている。
あわやハメ殺しか。ところが、怪人が掴んでいたのはリボンの部分であり、クルミがその身をねじった際にブチリと切れて離れたのだった。
「ひィッ!」
戦闘開始前に見せていた余裕なんぞ完全に消し飛んだ挙句に漏れたのは情けない悲鳴。
回避。退避。避難。撤退。恐慌状態のメンタルは頬を叩いただけで回復するようなものではない。クルミは突発的な事態への対応能力というものがひどく弱くできている。
たとえばクルミに対して一声かけてから消しゴムを投げてパスしてみよう。
すると彼女は突如迫りくる消しゴムに対してアワアワしてしまうのだ。そして挙動不審になった挙句に消しゴムが顔面を跳ねるのだ。
ひとたびパニックに陥ると全ステータスが低下する。だからこそ教室の片隅でおとなしく千羽鶴でも折っているのが性に合っていると彼女は自覚している。
前回のように、観察し、予測し、覚悟ができた筋肉達磨怪人戦とは違うのだ。今回仕掛けられたのは不意打ちに近い電撃戦。
兎にも角にもひとまず落ち着ける時間と充分な間合いが取れる空間が欲しいのだ。しかし、それを怪人は拒んだ。
「なんで、通してっ、通してよっ」
一目見て武器が弓矢だと分かれば狭いところへ押し込み戦うのが有利。通して通してと言っても罷り通らぬ道理というものもある。
怪人は店の外へクルミを出すつもりは無く、長い腕を広げて通せんぼ。傍から見ればいじめられっ子といじめっ子の構図。
しかし、曲がりなりにもこの街で生活しているクルミは、ここが二階建ての店舗であることを知っている。
どうにか窓を突き破り外に出ようと、狭い階段を上へ向かって駆け抜けたのだった。
「クルミ!!!」
一方、ポジルンはやっと店の前まで辿り着く。それほどまでに弾き飛ばされた距離は長く、 店内での攻防は短かった。
だが、破壊されつくされた一階部分には怪人の姿もクルミの姿もすでに無く、移動する破壊音から両者が上へ向かっていることを知る。
そして見上げれば丁度、パリーン、と窓を突き破って二階から脱出する魔法少女クルミ。粉砕されたガラスと共にポジルンのもとへ降り立った。
引きずられ叩きつけられボロボロになった身体。ぶっちぎれたリボンのせいでパックリと開いた胸元。短時間で相当削られてしまったようにポジルンには映った。
「無事かい!?とりあえず距離を置くんだ!!」
「……畜生!畜生!畜生!ああいう奴、あたし大っ嫌いだ!!」
まるで成り立たない会話。クルミはさんざいじめられた怒りで過剰なまでのヒートアップ。恐怖で慄いて いるのはむしろポジルンの方か。だが、過度に興奮していても、前回のように闘志が消え失せてしまうよりは確実にマシな状態といえるだろう。
たしかに、ポジルンの言う通り冷静な意見で選ぶならば一時退避ということになるのかもしれない。しかしクルミはここで弓矢を手に取ったのだった。
勝負を決めにかかったのだ。身体をバッと一瞬にして反転し、弦を振り絞り、構えた先は仰角30度の二階部分。
「漫画で何百回も見たことあるんだわ、このシチュエーションはよぉ!」
クルミを追って飛び出してきた軌道は、怪人が勢いよく踏み切ってジャンプした分だけ大きな放物線を描いていた。
地面に着地するまでの自由落下運動は、先ほどのタックルと比べれば圧倒的に遅く見えた 。
あれほど素早く動いていた羅刹もこの瞬間ばかりは、まるでクレー射撃の的。
「どうした空中でも素早く動いてみろ!てめぇは死ねッ!!!」
ひょうふっと音を立てて放たれた矢が、宙を舞う羅刹へと的確に飛んで行ったのは偶然と言わざるを得ない。
半ば錯乱状態のクルミなのだ。また、動く獲物を狙い撃ちできるほどのスキルを体得できているわけでもない。
まさに幸運と言えるほどの綺麗な直線に、ネガティブなクルミですらも『行った!』と必中の確信を得た。
その弾道予測に間違いはない。計算違いがあるとすれば怪人の驚異的な反射神経である。
———ぱしっ。
パスされた鉛筆をキャッチするくらい軽々と、羅刹は矢を掴み取り着地してのけたのだ。
そして見せ付けるように矢をベキッと音立て圧し折るまでの所作をクルミが棒立ちで見ていたのは、唖然という言葉が相応しい。
「シュル…シュ…」
怪人は、ペシッと叩き捨てた矢を指差し『これくらい簡単に』
指先を魔法少女に向けて『お前のこともバキバキにするから』
そして首を勝っ切るポーズで『覚悟しとけクソ女』
「あは…は…パフォーマーなんだね……」
絶好のタイミングで放った唯一の武器が、むなしく敗れ去る。
一枚しか持ち得ない切り札が通用しないことを理解すると、苦笑いを浮かべたまま助けを請うような目でポジルンのほうを見たが、ちょうど互いが互いの顔を見合わせるような格好になってしまった。
対決する両者、持ちうる戦闘能力の相性は最悪と呼ぶ他ないだろう。
「———これって詰んだの?」
この場合、返答がないことが返答。
もちろんポジルンからの返答はなかった。




