第一部⑪『ままならない日常』
たとえば、クルミの放った一発目の矢の外れを『確認』してから二発目をリロードしていたならば、二の矢は怪人に防がれていた。そういう未来もあっただろう。
そうすれば混戦に持ち込まれて、掴まり、腹を殴られ、ゲロの飛び散る五臓六腑すり潰し大会が開かれていたかもしれない。目まぐるしく変化する戦局で対応できるだけの判断力はクルミにはないからだ。
だが、防御の時間を与えなかったのはコンマ一秒の差。外れを『確認』ではなく『確信』していたから、結果を見るより先に次の矢を装填できていたのだ。
これは判断力というよりも本人が固有で持っている性格と性質である。ネガティブで、よかったのである。
「これってなあに?」
「これは…たぶん元怪人だよぅ。きみの弓でトドメを刺すとヌイグルミへと変化するみたいだ」
「キーホルダーみたいにして学校に持っていったら自慢できるかな?」
「それはどうだろう」
「うふふふ」
「急に笑わないでよ。不気味だよぅ」
「この場に 流れる空気、読んだよ」
「うわっ、二度言わないでよ。ダサくなるよぅ」
「ざまぁみやがれってんだ。あたしだってやりゃできるんだ。だからあんまり見縊るんじゃねぇ見下すんじゃねぇ」
「誰に向けて言ってるの?」
「あいつらさ。救ってやったぞあたしがこの街を。この街が大嫌いなあたしが救ってやったんだぞ。分からせてやる。伝えてやる」
「誰かに向けてそれを言うつもりなの?」
「ドヤ顔で言うよ。だってあたしは魔法少女だ。ひれ伏せモブ共め。誰もが手の届かない権力と地位を一夜にして手に入れてやったんだ。うふふふ。あとは金だ。換金するんだ。そうだな、ポジルンみたいな未知の生命体を発見し、異次元が存在することを学会的な何かで発表すれば、その、なんか金になる、たぶん」
「雑な妄想だなぁ」
幼児レベルの稚拙な万能感がニョキニョキとクルミの中で増長してゆく。貧乏人ほど金に汚い執着を見せるのと同様、底辺を這いつくばっていた彼女の描く妄想は実に汚い。世界を護ることよりも自分の実利を優先する魔法少女なんて、いないものだ。
「でも残念ながら、正体を明かすことはダメだよぅ」
「なんで!?」
「敵の組織がどの規模のものか分からないけれど、それと対立する魔法少女の正体がクルミだとバレたらどうなると思う?君の自宅に悪人がドッと押しかけてきて平穏は二度と戻ってこない。悪くすればさっきみたいな怪人が大量に家の前で出待ちすることになる」
「…………」
「ある日、玄関を出たきみは熱烈なパンチを生身の身体に受けてバラバラに砕け散る。そういうこともある」
「…………」
「正体は黙っていたほうがオススメだとぼくは思う」
変身系ヒーローは一般的に正体を明かさない。それが古今東西の習わしとなっている理由をクルミは察した。
そう、あのムキムキの黒い怪人が自宅前にモリモリと現れたのではたまらないではないか。そうでなくても、24時間誰かから狙われる状況では精神が発狂する。悪くすれば謎の組織に生け捕りにされ、捕縛、誘拐、監禁、拷問、拷問、拷問という事態もあり得るのだ。
「てへっ、冗談なの☆」
「ふぅん」
「そっか、秘密主義が魔法少女の基本かぁ」
「そこまで残念そうじゃないね」
「あのさ、ちょっとだけキラキラしたこと言っていい?あたしが得たのは権力や地位なんかじゃない。『自信』なの。今になって成功の喜びが胸の中にポカポカと温かくなってるの。だってダメダメなあたしから脱却して逆転して勝利を掴んだもの!きっとこれは誰かと比べるものじゃなくて、今は、あたしであたしを褒めてあげたくて仕方がないの!」
「そうだよクルミ。きみの完全勝利だった。誇るだけ誇っていいよぅ」
「あのさ、正直言ってもらっていい?あたし、カッコよかったでしょ!?」
「ちょっとだけ惚れそうになった!」
「正体を明かせないのは残念だけど、きっと今のあたしだったら何だってできる!」
「ほーう!?」
「だって、不可能を可能へ変えるミラクルがあたしの身に漲ってるんだもの!」
「よく言ったよぅ! 」
「明るく楽しい中学校生活だって手に入れることができる!クラスメイトの輪にだって入れる!友達だって……たぶんできる!」
「その調子だよぅ!」
「羅刹の怖さに比べればツグミなんてへっちゃらなの!輝く未来に向かって進め!あたし!」
「サイコー!サイコーだよぅクルミ!」
クルミは人生で初めて胸の中に『熱』を感じた。ポカポカと温かさを覚えるその熱の名前は『自信』というやつだろう。
地に足がついていないかのように不安定にユラユラと揺れ動いていた彼女の精神を支えるための、鉄骨のような自信。
(そうか、これがあるからみんなは顔を上げて堂々としていられるんだ。きっとそうだ。そうに違いない)
自信は確信へ。クルミの暗く淀んだ瞳に一個の光が一等星のようにキラキラと輝いているではないか。なんとも感動的な光景ではないか。
「もう、あたしってば何も怖くないんだから!」
夜空へ伸ばした二つの小さな拳。それはキラキラと明るい未来を手にするための突破口。
だが、魔法少女にとって『何も怖くない』という言葉は、拭い難いほどの死臭がこびりついていることにクルミは気付いていない。
そう、クルミの前に待ち構えている『日常』という名の現実は、怪人なんかより余程手強いのだ。
目が覚め翌日。
色々あった昨日の夜が真実であったことは通学バッグにぶら下がる怪人キーホルダーを見れば分かる。
クルミは魔法少女になった。それは現実。夢のような現実。されど低血圧。されど不機嫌。されど不安。されど憂鬱。いつも通りの火曜日。クローゼットの中に眠るポジルンをつま先で突いて起こし、吐いた言葉。
「ちっとも学校行きたくない」
「………………………」
昨晩の熱量はどこへやら。自信のカケラも見えない暗い顔。いまいち折り合いの悪い母親が作る朝食。昆布煮。この日の弁当にもきっと同じ昆布煮。昆布煮とご飯。特に会話も無く観るテレビ。不愉快なほどハイテンションな女子アナ。そのくせ魔法少女の降臨などいっさい伝えやしない退屈なニュース。今日も今日とてどうせロクなことなど起きないであろう予感。何もしてないのにすでに徒労感。猶予時間の終了を針で示す時計。袖を通さねばならない制服。少しでも着ている時間を短くしたい不愉快な制服 。履きたくもない靴。サイズのイマイチ合わない靴。学校に行かねばならない自分。ドアノブに手をかける自分。重い重いそのドア。開けば嫌気がさすような外界の光。始まる一日。始めたくないのに始まる一日。重い足取り。胸苦しさ。ため息。胸苦しさ。(どうしてあたしはこんな苦役を課せられているのだろう?)という自問。どうしようもない自問。合わせたくも無い他人との視線。うつむき加減。灼けるうなじ。照り付ける太陽。通学路。同じ学校の制服を見る嫌悪感。このまま道を逸れてでもどこかに行きたくなる衝動。それができない不自由。
誰かの楽しそうな声。誰からも声をかけられない自分。
嫌いな自分。嫌いな他人。
立ち止まる校門前。超えたくはない境界線。それ でも入る敷地内。心の底から届く声。(早く帰りたい)オハヨー。オハヨー。オハヨー。オハヨー。自分にかけられた言葉ではないので素通り。くっさい下駄箱前。廊下を反響して耳障りな女子のはしゃぎ声。薄暗い階段の閉塞感。教室前。閉まっている扉。開いていれば音も無く入れるというのに、閉まっている扉。
(あっ誰かな?なーんだ、あの子か)というクラスメイトの失望。(あたしでごめんなさいなの)がっかりさせる自分へのがっかり。
接近するだけで睨むツグミ。
永遠に勝てないであろうツグミ。
自分の席に菊の花が置かれていないか確認。自分の椅子に画鋲が置かれていないか確認。そして黙って突っ伏して待つ授業。誰とも繋がっていない孤独な自分を痛感するためにだけ来るような学校。
「起立!!!」
魔法少女クルミの日常はいつも通り変わりない。
世界は彼女を無視して回ってゆくのだから。
ただ、遠回りした帰り道、破壊されて使えなくなっていたペシャンコの自販機だけが少しだけ愉快だった。




