Ep.65 メアの憂鬱②
長くなったので二話に分けます。
ちなみに、②なのは26話が同タイトルだからです。
今回から、第三章 七色の誓い編の始まりです。
「――はぁ」
メアは気だるげに頬杖をつきながら、重々しくため息をついた。
視線の先は窓の向こう……どこまでも続く無窮の夜空と、そこに浮かぶ万天の星。決して手の届かないそれを見ながら、メアは嘆息する。
今のメアの心は、まるで闇色の夜空のように、暗くどんよりと沈んでいた。けれども、星々のように煌めく光はない。ただひたすらに黒いだけの闇夜が広がっていた。
「(ここ最近、ずっとこうだな……)」
アルが目覚めてから、早くも一週間ほどが経過した。
アンリが全力を尽くしていることもあり、アルの容態は迅速に回復していった。今では軽い運動くらいなら大丈夫なようで、『輝剣』のトレーニングに少しだけ混ざっていた。
エルトも以前のように――いや、以前よりも微かに感情を表に出すことが多くなり、幸せそうに過ごしているのが見て取れる。未だに無表情気味ではあるが、ふとした瞬間に感情の起伏が分かりやすくなっているのだ。以前の機械のように冷淡な様子と比べれば、大分よくなったと言えるだろう。
そのうえ、今まで以上にアルにべったりになった。今までもアルの傍にいることが多かったが、現在は離れている時間がないのではないかと思えるほどだ。
ちなみに、エルトも自身の戦闘力を隠す必要がなくなったためか、アルに合わせて『輝剣』のトレーニングに参加している。
――《影世の処刑人》。
クロロから与えられた情報の一つに、そのような呼び名があった。
それは裏社会においてエルトを指す異名であり、エルトの能力の高さを表しているものでもあった。
現に、エルトは『輝剣』のトレーニングにおいてかなりの戦闘能力の高さを見せていた。純粋な剣士ではないため単純な比較にはならないが、それでもエルトに勝てる『輝剣』の隊士は片手で数えられる程度だろう。クロロもエルトの能力の高さを褒めていた。
それによって『輝剣』の隊士たちの士気も上がっているので、良い傾向だ。
自分たちが可愛がっていた女の子が、自分たちより強いという事実にショックを受けたのだろう。感情を表に出すことが多くなってなおのこと、気に入られているエルトのことだ。エルトに良い恰好を見せようと、練習に熱が入っているのが見て取れる。もっとも、エルトはアルしか見ていないようだが。
結局のところ、大魔総会からのお咎めもなし。
セラの奔走もありクローリー軍には被害がないどころか、今回の件の賠償としてノクターン軍の所有していた財産の一部を支払われるなど、利益の方が大きい結果となった。
すべてが丸く収まった、大団円。
そんな結末において、如何にメアの心は晴れないのか。
それを辿るには、時を少し戻す必要があった。
具体的には、アル救出に向かう少し前。アルの処遇について、リーシャとセラと三人で話し合っていた頃――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――アルを探しましょう。私はアルを信じます」
執務室に響いた声は、平坦ながら凛とした美しさと、強い意志が込められていた。
その場の三人――メアとリーシャ、セラの視線が一点に集まる。
開かれた扉には、アイスブルーの長髪を靡かせる美しい少女がいた。その腰にはレイピアのように細い直剣が携えられ、その身は必要最低限の軽装を纏っている。
ミルフレティア・クーハ。
騎士大隊『輝剣』の隊長である彼女は、堂々とした足取りで執務室に入った。
「……探す、とは?」
いかに隊長であろうと、メアの執務室に無断で入ることは許されない。常ならばマナーを説き注意をするところであるが……今は他に優先することがあると考え、リーシャは眉根を寄せながら問うた。
一般隊士であれば萎縮してしまうようなリーシャの態度に、しかしミルフレティアは一切の動揺を見せず、淡々と返した。
「言葉の通り。処遇を決めるのはアルを探して、直接話を聞いてからにするべき」
「……当然、アル様の足取りは追っています。しかし、正式な馬車に乗った記録もなく、周辺では発見できませんでした。これ以上手をこまねいていては、クローリー軍全体に影響が及びます。早急に対応するべきかと」
「……」
「無視、ですか。……いい度胸してますね」
ミルフレティアは自分の言いたいことを言ったきり、リーシャの言葉にはなんの反応も見せなかった。そのアクアマリンの瞳は既にメアに向けられている。
そのあまりの態度にリーシャの額に青筋が浮かぶが、彼女がマイペースなのはいつものことだ。私情で話を遮るべきではないとグッと怒りを堪え、メアの返答を待った。
「……探す? 一体、何のために……?」
その返しに、リーシャはもちろんセラも僅かな衝撃を受けた。
メアらしくない、突き放すような冷たい言葉。てっきりメアのことだ、ミルフレティアの提案に肯定的な態度は見せると思ったのだが……事実、ミルフレティアもメアの返答が予想外だったのか、ほんの一瞬息を呑んだ。
しかし、引くつもりは一切ないようで。
ミルフレティアはメアの紅瞳を見据えながら続けた。
「さっきも言った通りです。直接話を聞くために」
「聞いてどうするのさ? アルくんがクローリー軍を辞めたのは事実でしょ? ……ボクたちに黙って出ていったんだから」
「……メア様……。いいえ、何か事情があるはずです。私はそれを――」
「事情って何さ。じゃあ何で……何も言わず、ボクの前から消えたんだよ」
気のせいではない。
メアは明確に、アルを拒絶している――正確には、拒絶しようとしている。
メアらしからぬ態度に困惑を隠せないセラとミルフレティアだったが、リーシャだけは気づいた。メアの内心を、アルがいなくなったことで揺れ動き不安定になった内面を。それはかつて、”彼”を失った時に近しい不安定ぶりで――リーシャはすぐにでもメアを休ませるべきか逡巡した。
しかし、リーシャがアクションを取るよりも先に、ミルフレティアが告げた。
「……私は、アルを信じます」
「……ボクは、信じられないけど」
「それでも、信じます」
「信じた結果が、今じゃないの?」
「いいえ、何か事情があるはずです。私はアルを信じてますから」
「……何で、そこまで」
信じる信じないと、己の気持ちを交わす両者。
それは互いの気持ちの問題であり、本来であれば意味のない平行線になるはずだった……しかし、ミルフレティアが確固たる意志をもってアルを信じているのに対して、メアは信じてないという気持ちの中に、ほんの僅かに信じたいという気持ちが残っていた。
故に、何故そこまでアルを信じるのか。
信じられるに足る要因が、信じられる根拠があるのか。
それを知りたいと、そう思ってしまったメアは、その血瞳を僅かに揺らがせながら、ミルフレティアに問うた。
そしてミルフレティアは、一度睫毛を伏せた。
自分の想いを言葉にするように。
これまでの”軌跡”を思い返すように。
「……私は、ずっと見てきました。アルが、何を思って、何を言って、何を行って、何を成し遂げてきたのか」
「……」
「何度も無理だと思った。何度も諦めると思った。何度も逃げると思った。何度も何度も何度も何度も……それでもアルは、自分の意志を貫き通した。どれだけ傷つけられようと、どれだけ打ちのめされようと、どれだけ己の弱さを突きつけられても」
「……」
ミルフレティアの脳裏には、これまでのアルの姿が浮かんでいた。
自分を筆頭に、『輝剣』の隊士たちに打ちのめされるアル。
その身に傷を刻まない日はなかった。何度も何度も死にかけた。
それでも彼は、立ち上がり続けた。
強くなる――それだけのために。
肉体的にはもちろん、精神的にも辛かったはずだ。
当時の『輝剣』の隊士のほとんどは、アルに対する悪感情を抱いていた。針の筵のような状態で、ミルフレティアの剣技を何度も喰らって、隊士たちに負け、実力の違いを知らしめられた。
常人であれば、すぐにでも折れてしまうような状況でも――アルは決して逃げなかった。
己の意志を貫くために。
強くなると、そう言った言葉を実現するために。
「そんなアルを、私はずっと見てきました。私は知ってます。アルの強さを。それは剣でも肉体でもない、己が意志を貫き通す心の強さ――。私はアルのそんなところを認め、尊敬しているのです」
「……」
「だから、信じる。道半ばの、こんな中途半端な状態で、何もかも投げ捨てて逃げるような男じゃないことを……私はよく知っています」
「――」
一片の曇りもなく、溢れんばかりの熱意を持って、ミルフレティアは告げた。
――アルを信じている、と。
そのあまりにも真っ直ぐな感情を込めるアクアマリンの瞳を見て、メアは動揺を隠せなかった。
肩を跳ねさせ、瞳を揺らがせる。まるでミルフレティアから逃げるように……その意志から逃げるように、一歩、後ろに下がった。
「……きっと、何か事情があるはずです。クローリー軍を辞めなければならないほどの、何かが。そしてそれはきっと、アルにとって曲げられない”信念”に基づくものだったのだと、私は信じています」
「……それ、は」
「だから、探しましょう。探して事情を聞きましょう」
それは、あるいはミルフレティアの願望にすぎないのかもしれない。
具体的な根拠はないし、信じる要因もミルフレティアが見てきたアルの姿でしかない。
それでも、冷徹なミルフレティアが、自分の研鑽のことしか興味のない氷のような少女が、ここまでの熱量で、熱意を込めて、”アルを信じる”と告げたのだ。
その熱意に気押されたメアはもちろん、普段のミルフレティアを知っているセラも、信じるに値すると思ってしまった。
そして――リーシャだけは、小さく笑みを溢しながらミルフレティアを見つめていた。
ミルフレティアほどではないが、リーシャもまたアルの努力を知って、信じていたのだ。何か事情があるのではないか、と。
それをミルフレティアに先に言葉にされたのは些か業腹ではあるものの、自身に彼女ほどの熱量がなかったのも事実。ここは素直に、ミルフレティアにあそこまで言わせるほどに努力を重ねてきたアルを称賛しようと、リーシャは笑みを溢すだけにとどめた。
「……ボク、は……」
ミルフレティアの言葉を受けて、メアの意志が揺らぐ。
アルを諦め、クローリー軍を辞めたと通達するつもりだった。しかし、ミルフレティアによって、沈みかけたメアの心が引き起こされた。裏切られたと、もう信じないと、殻にこもったはずの心に、僅かな光が差した。
――信じて、いいのか。
けれど、もしももう一度信じて、それが裏切られた時のことを考えると、メアは容易に頷けなかった。
信じたい。
でも信じられない。
結局は先ほどと同じ、二律背反する想いがメアの胸中に渦巻いて――、
「――オ話シ中失礼シマス。至急、オ伝エシタイコトガ」
意識に沈むメアの心を、不意に響いた声が引き戻す。
声のした方を見れば、そこは虚空。
何もないはずの空中が、ぐにゃりと歪んだ。その歪みは真っ黒な穴となり、ボトボトと液体のように零れていった。
「エルトノ件ニツイテ、判明シタコトガアリマス」
漆黒の液体は集合していき、次第に形を帯びていく。
それは、漆黒の外套を纏った人型の異形――隠密部隊『朧』の隊長、クロロであった。
「……何?」
メアはミルフレティアとの問答を思考の隅に追いやり、クロロの話を優先した。
クロロは言った。”エルト”の件についてだと。であれば、今の話し合いに無関係ではあるまい。クロロが至急とまで言うのであれば、そちらを優先するのは自然なことであった。
それはミルフレティアも理解しているようで、仕方なくクロロに視線を向けた。
「エルトデスガ……第五魔王、インフェル・ノクターンニヨル密偵デアルコトガ分カリマシタ。証拠モイクツカアリマス」
「……第五魔王、ですか……」
「密偵……やはり……」
クロロの報告に、リーシャとセラは得心するような表情を覗かせる。
元より間者であることは疑っていたが、その裏にいるのが第五魔王だとは。面倒な相手だとは思いつつも、二人としては納得感の方が強かった。
インフェル・ノクターンは何かとメアを目の敵にしており、執拗な嫌がらせを続けてきた相手だ。今まで直接的な手段こそ取ってこなかったものの……エルトを密偵としてクローリー軍に送り込むくらいはやりかねないだろう。
「大方、クローリー軍の情報を盗むため、といったところでしょう」
「これまでは間接的にしか関わってこなかったのですが……業を煮やしたということですかね。直接密偵を送り込むとは」
「更ニ、彼女ハ裏社会デハ《影世の処刑人》ト呼バレルホドノ使イ手ノヨウデ……尻尾ヲ掴ムノニ苦労シマシタ」
クロロから齎された追加の情報に、セラはピクリと眉を動かした。
「知っているのですか?」
「えぇ、ほんの少し、ですが。詳細な姿形までは不明ですが、《影世の処刑人》は影を操る特徴から……影棲族である可能性が高い、と」
「影棲族? かなり昔に殺し屋一族として繁栄したあの?」
「えぇ。ですがそれによって風当りが強くなり、近年では逃げるように隠れ住んでいるとのことですが……」
セラは自身が聞いたことのある《影世の処刑人》に関する情報を伝えた。セラは裏社会の人間ではないし、そこまで事情に詳しいわけではないのだが、情報収集は仕事の一環だ。参謀として潜在脅威を調査している中で、《影世の処刑人》について知る機会があった。
そしてエルトが影棲族だと仮定することで、セラの中で一つの疑問が晴れることになった。
「道理で、アルメアを出入りした形跡がないわけです」
「どういうこと?」
「影棲族は影を操り、影に潜む一族です。他人の影に隠れることで、関所や門の類は素通りできます」
「なるほど……」
影棲族について詳しく知らないメアが尋ねると、セラは簡潔に解説する。
「現在ハ分身体ヲ”賢王の館”周辺ニ待機サセテオリマス。何カアレバスグ分カルカト」
「うん、分かった。ありがとう」
「ソレト、モウ一ツ」
エルトに関する報告を終えたクロロは、もう一つ報告があると続けた。
「アルファストガ、”クロム大森林”デ目撃デキマシタ」
「っ!?」
「本当……!?」
「……クロム大森林、ですか」
クロロの言葉に、メアたちは驚きを見せる。
ここ数日の捜索ではまったく見つからなかったアルの行方が見つかったのだ、無理もない。しかもそれがクロム大森林――ノクターン領であるとは。
そして、リーシャとセラは薄々感づき始めた。
第五魔王インフェル・ノクターンの配下であった、エルト。
ノクターン領であり、”賢王の館”があるクロム大森林にいるアル。
理由は分からない。
けれど、アルがエルトを追ってノクターン領に向かったということはまず間違いないだろう。
そして、二人に遅れてそのことに思い至ったミルフレティアは、メアに向かって言った。
「行きましょう。アルはエルトを追ってノクターン領に行ったんです。すぐに向かわなければ、最悪インフェル・ノクターンに……」
「……でも、おかしいでしょ。エルトちゃんはスパイだったんだよ? それを追いかけるなんて、何で……」
「それは……分かりません。でも、何か事情があるはず」
「――アルはエルトを助けに行ったんだよ」
すぐにでも助けに行くべきと言うミルフレティアと、理由が分からず躊躇するメア。そんな二人を見つめるリーシャとセラは、今からノクターン領に乗り込む場合のリスクを考えていた。それに、メアの言うようにアルがエルトを追う理由が分からない。
そうしてどうするべきか決まらない状況で、一つの声が響いた。
それは執務室の扉から聞こえたもので――。
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感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




