Ep.63 これまでとこれから①
ということで後日談。
短めです。
――意識が覚醒する。
それまで休養していた脳が徐々に働きを再開し、ぼんやりとだが意識が浮き上がる。
感じたのは痛み。全身を蝕むヒリヒリとした痛みと、脳を突きさすような痛み。靄がかかったような思考が、痛みによって半ば無理やり起こされる。
「――」
ゆっくりと、目を開ける。
始めはぼやけて明滅する視界だったが、次第に外の景色を映し出し、輪郭を帯びていく。
そうして――アルの視界に入ったのは、見慣れた自分の部屋だった。
「……知ってる天井」
どこで聞いたわけでもないが、何となくその言葉を呟きたくなってしまった。
アルはボーッと天井を見ながら、自分が仰向けに寝ていたことを理解する。
「……エルト」
不意に、自身の掌を生暖かい感触が包んでいることに気づく。
どうにか頭だけを動かして視線をやると、そこにはアルの右手を握るエルトの姿があった。
一体いつからいたのか。
どれくらいの時間、アルの手を握っていたのか。
エルトは大切そうにアルの手を握りながら、小さく寝息を立てていた。ベッドの端にちょこんと腰を掛け、コクコクと頭を揺らしながら。
「……」
その姿を見たアルは、どうしてだろうか。
無性にエルトの頭を撫でたくなってしまった。
自分が置かれた状況も、どうしめこうなっているのかも、何もかも分からない現状。けれどもアルにとっては、それが今、最もしたいことだった。
「いっ……」
上体を起こそうとすると、鋭い痛みが走る。
そこでようやく自分の体を見れば、体のいたるところに包帯が巻かれていた。僅かに露出した肌にも、無数の傷跡と火傷の跡が見て取れた。
自分がどれだけの間寝ていたのかは分からないが、少なくとも傷が完治するほど長くは気絶していなかったらしい。あるいは、容易には治らないほどの重傷を負っていたのかもしれないが。
正直なところ、アルは自分がどれだけの傷を負っていたのか自覚していなかった。
あの時はエルトを守るということばかりに気を取られていたし、最後の方は気力で立っていたようなものなので、ほとんど覚えていない。
それでも自分が相当無茶をした自覚だけはあるので、アルは今後を思い少しばかり辟易した。主にアンリあたりが相当言ってくるだろう。小言と心配を。
「(まぁ自業自得だけど……それに心配してくれること自体は嬉しいしな)」
そう思いつつ、アルは痛みを我慢しながら上体を起こした。
ゆっくりと腕を伸ばし、エルトの頭上に掌を乗せる。起こさないように、優しく、ゆっくりと。その白い髪を慈しむように、撫でていった。
「……ん」
エルトの表情が、僅かに安らかなものに変わる。
「(ホントに良かった……)」
アルはエルトを撫でながら、もう一度こうして穏やかな日常を迎えられることができて良かったと、目の前にある幸せを噛みしめていた。
しかし、エルトの眠りは思った以上に浅かったようで。
小さな眉がピクリと動き、「……んぅ」と僅かな声が漏れた。
「……」
ゆっくりと開かれた瞳が捉えたのは、自分の頭上に置かれた手。恐らく違和感を探るように、無意識のうちに視線を向けたのだろう。そしてその手を伝うように、視線を動かしていき……、
「……おにぃ」
空色の瞳が、アルを捉えた。
「おにぃ……!」
瞬間、エルトの全体重がのしかかる。
力強く衝突し、ぎゅっと両手を背中に回される。急なことに反応できなかったアルは、エルトの抱擁により襲い掛かった痛みに悶えそうになったが……兄の矜持でどうにか耐えた。
「おにぃ……! よかった……ホントに、よかった……」
「エルト、その……心配かけてごめん」
アルの胸に顔をうずめ、涙交じりにアルの無事を喜ぶエルト。
アルとしてはどのくらい重症立ったのか、どれくらい寝ていたのかも分からないので実感がなかったが……エルトの様子から、相当酷かったのだろう。少なくとも、これほどまでにエルトに心配をかけるくらいには。
アルは小さな肩を震わせるエルトを安心させるように、再び頭を撫でながら言葉を返した。
しかし、アルの言葉を聞いたエルトは更に声を震わせて、
「……死んじゃったら、どうしようかって思った……ようやく、自分の気持ちに向き合えたのに……初めて、自分の想いを口にできたのに……」
「……エルト」
「……もう一度、おにぃと一緒にいられるって、そう、思ったのに……もしかしたら、無理なんじゃないかって……。おにぃが目を覚まさなくて、わたし、ずっと怖くて……」
「……そっか」
エルトは自身の胸中に渦巻く不安をぶちまけるように、くぐもった声を上げた。
鼻を啜る音や、自身の胸元に感じる湿り気には気づかないふりをして、アルはエルトの華奢な体を抱きしめ返した。
「……ぁ」
「大丈夫、俺はどこにも行かないよ。死にもしない。言ったろ? 俺はもっとエルトと一緒にいたいって……それに、死んでもエルトを守るって。だから死なないよ」
「……それ、死ぬのか死なないのか分からない」
「はは、死んでも死なないってこと」
「なにそれ……うん、でも……よかった」
アルの冗談交じりの言葉に、エルトも落ち着きを取り戻したようだ。
アルから少し離れ、目元に浮かんだ涙を拭った。その口元には、僅かに笑みが浮かんでいる。
「……それにしても、そんなに重症だったのか? 俺」
「……うん。全身切傷と打撲と火傷で酷かった。生きてるのが不思議なくらいだって……実際、二週間も起きなかった」
「そっか……」
どうやら想像以上に重症だったようだ。
「(……ってか、俺生きてるのが不思議な状態になりすぎじゃないか……?)」
マガチカに殺されかけ、ミルフレティアに殺されかけ、インフェル・ノクターンに殺されかけ。
たった一年足らずでここまで死にかけるのも珍しい。というよりあり得ない。
「(呪われてるんじゃないか俺……いや、まぁ、今回は俺が自分で首を突っ込んだみたいなとこあるけど)」
それに後悔は微塵もしていない。
アルが死にかける程度でエルトが救われるというのなら、安い物だと本気で思っていた。もしもやり直せたとしても、もう一度同じ行動を取るだろう。それは間違いなかった。
「……できればずっとこうしてたいけど……残念ながら、メア様から言伝がある」
「メアから……?」
エルトは名残惜しそうな表情を浮かべながら、ベッドの上から降りた。
「うん。おにぃが起きたら、二人で執務室まで来てって」
「……何言われるんだろ」
「多分、今後のこと、だと思う。わたしもまだ、詳しいことは聞いてないから」
「……そう、か。そういえばエルトは今どういう状態なんだ?」
「とりあえずは、おにぃが起きるまで保留ってことになってる」
「なるほど」
今後のこと……恐らくは今後の処遇についてだろう。
アルと、エルトの。
アルは一度、勝手にクローリー軍を辞めたのだ。
いくらメアが助けてくれたと言っても、そう簡単に出戻りするわけにはいかないだろう。クローリー軍に復帰できるのか、できるにしても何かしらのけじめはつけなければならないはずだ。
そして、エルトは言わずもがな。
インフェル・ノクターンの配下であり、クローリー軍にはスパイとして潜入していたのだ。明確に”敵”として裏切ったエルトには、どんな処分が下されてもおかしくはない。もちろん、アルは全力で庇うつもりではあるが、肝心のアルの発言力は皆無なのだ。
「(万が一、重い処分が下された時は――)」
アルは脳裏を過る嫌な予想を振り払うように、小さく被りを振った。
「とにかく、行ってみるか。クローリー軍とノクターン軍のいざこざもどうなったのか知りたいし」
「うん。でも、大丈夫? 起きたばっかりだし、まだ辛いようだったら後にしてもらっても……」
「大丈夫。ちょっと痛いけど、我慢できる範囲だし」
心配そうにこちらを見つめるエルトを尻目に、アルもベッドから降りる。
体を動かすたびに僅かな痛みが襲ってくるが、耐えられないほどではない。それよりもアルは、今回の顛末について気になっていた。
「じゃあ、行くか」
言いながら、アルはエルトに手を差し伸ばした。
自身に向けられた掌を見て、エルトは一瞬目を見開き――、
「うんっ」
小さな手を差し出し、ぎゅっと握った。
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