Ep.60 無才のいない城
――時は少し遡り、アルがメアのもとを去った翌日。
アルメア城は、少しばかり騒がしかった。
発端はアルが残した手紙。
毎朝アルの自主トレーニングに協力していたミルフレティアが、いつまで経っても練兵場に現れないアルに業を煮やして部屋に突撃した結果、発見されたのは机の上に置かれた置手紙だった。
そこには、
『どうしてもやらなければいけないことができた。これまで良くしてくれたみんなには申し訳ないけれど、俺はクローリー軍を辞めることにする。何もかも中途半端な状態で去ることになったこと、ホントにごめん。最後に、メアへ――俺がキミに言ったことは、必ずやり遂げる。たとえ離れていても、あの言葉は絶対に嘘にしない』
と書かれていた。
部屋にはアルの姿はもちろん、エルトの姿も見えない。それどころか、明らかに”何か”があったであろうことが一目で分かるほどに荒れ果てていた。家具は雑多に転がり、そこかしこに裂傷と血痕が散見される。
即座に状況を把握したミルフレティアは急ぎメアに報告に行き、アルがクローリー軍を辞めたという事実が伝播したのだ。
それは当初メアとリーシャ、セラの三人にのみ共有された情報であったが、人の口に戸は立てられない。『輝剣』の訓練が始まれば、嫌でもアルがいないことは知れ渡り、アルメア城は”アルが失踪した”という話題で持ちきりになった。
タイミングも悪かったのだろう。
歓迎会で大々的に”魔神を越える”と大見得切った矢先の出来事だ。
アルの噂をする者の中には『アルが逃げた』と侮蔑する声もちらほらとあった。それはアルと接したことのない者たちであったが、大所帯のクローリー軍ではまともに接したことのない者の方が多いのだ。その悪評が広まるのにそこまで時間はかからなかった。
そうしてアルメア城にざわめきが広がってしまえば、長としてメアが何も公表しないわけにもいかず。
時は深夜、メアの執務室で緊急の会議が行われていた。
「ここは素直に公表するべきかと。下手に誤魔化しても、勘ぐる者たちは一定数います。”アルファストはクローリー軍を辞した”と、全隊士たちに通達するべきです」
至って冷静にそう告げるのは、クローリー軍のメイド長兼メアの専属メイド、リーシャ・セーロス。
リーシャはアルがクローリー軍を辞めた事実を正直に公表するのが一番であると語った。
置手紙でしか本人の意志を確認できていない以上、アルの本心を推し量ることはできない。しかし、アルがいなくなったのは事実。下手に誤魔化して真実がバレれば、メアに対する不信感が募りかねない。
それを危惧したリーシャは、まずはいち早く事実を公表し、隊士たちの混乱を鎮めるのが得策であると考えた。
しかし、それに対し苦々しい表情を浮かべる少女が一人。
「……でも、アルくんに直接聞いたわけじゃないし、事情だって……」
置手紙を読んでなお、アルの離反という事実を受け入れられないのはメア・クローリー。クローリー軍のトップにして、魔帝の称号を持つ傑物だった。
しかし、今のメアには傑物としての威厳はなかった。ひたすらに困惑の表情を浮かべるだけの、一人の少女だった。
メアはアルがいなくなったと知らされた日から、クローリー軍を辞めたのはアルの意志だと確信するまでは認められないと、頑なに拒否していた。リーシャが何度、公表するべきだと進言しても。
しかし、ことはそう楽観できないところまで来ている。
クローリー軍の長として、これ以上隊士たちの動揺を放置しておくわけにはいかない。それはメア自身理解していた。それでも――、
「……ミーシャさんは、何とも?」
「えぇ。あの阿呆には何度も聞いていますが『知らない、自分はその日は自室に籠っていた』の一点張りで、何の事情も聞けません」
「それが本当なのかどうかは……分かりませんね」
唯一詳しい事情を知っていそうな人物は、ミーシャ・セーロス。彼女に何度も事情を聞きに行っている姉に疑問を投げたのは、セラ・アスタロト。
本来であればアル、およびエルトの監視としてアルの専属メイドにしていた彼女だったが、その日は一緒におらず事情は分からないと告げているのだ。
その言葉を素直に受け入れることは、リーシャもセラもできなかった。何せ、彼女はほぼ毎日と言っていいほどにアルの部屋に入り浸っていたのだ。それがたまたま、アルが去った日に限っていなかったとは、あまりにも都合がよすぎる。
もしや、ミーシャは何らかの事情を知っていて隠しているのではないか。
そんな考えが浮かぶリーシャたちだったが、同時にそんなことをする理由も思い浮かばない。良くも悪くも、彼女はマイペースな性格だ。たとえアルがクローリー軍を去った理由を知っていたとして、それを隠すとは思えない。少なくともリーシャの知るミーシャ・セーロスという少女は、そんな情は抱かない。
あるいはただ、面倒なだけかもしれないが――。
いずれにせよ、長年共にいるリーシャですら、ミーシャの考えを完全には理解できないのだ。本人に語るつもりがない以上、追及しても無駄だろう。
それよりも建設的な議論をするべきだ、と気を取り直す。
とはいえ、三人には各々の思惑があり、すぐには言葉にできなかった。
それぞれが思案するように、物思いに耽る。それにより執務室には沈黙が降りた。
「(……何があったというのですか、アル様。突然いなくなるなど、貴方らしくない……)」
リーシャは僅かに目を伏せながら、アルを思い浮かべた。
それは朝も早く、練兵場に向かうアルの姿。毎朝会うわけではなかったが、それでもかなりの頻度で、アルとリーシャは廊下で出会っていた。
初めは地道に訓練を続けるアルに感心していたリーシャだったが、日に日に成長している彼を見て、いつからかリーシャまでもが誇らしい気持ちになっていたのだ。
「(彼は知らないでしょうね。たまにですが、私が『輝剣』のトレーニングを覗いていたことは)」
気配を消していたため、恐らく気づいていたのはミルフレティアくらいのものだろう。
毎日少しずつではあるが、確かに成長していく彼の姿を見て、早朝に出会うたびに誇らしい気持ちになっていた。彼の努力を知っていることが。毎朝のように、彼が強くなるために努力する姿を見られることが。
だからこそ、リーシャには分からなかった。
何故、クローリー軍を去ったのか。
何も言わず、リーシャたちの前から姿を消したのか。
「(まだ道の途中でしょう……なのに)」
魔神を越えると告げたアルを見て、リーシャは彼ならばできるかもしれないと、本気で思ったのだ。毎日努力を続ける彼ならば、本気で強くなるとその姿勢で示してきた彼ならば、いつかは――。
リーシャらしくもない。普段ならば、即座に無理だと切り捨てていたであろう妄言を、本気で信じたのだ。他でもないリーシャにそう思わせるだけのことを、アルはしてきた。
故に、リーシャの胸中は疑問で満たされていた。
今更アルの言葉が嘘だったとは思わない。ほとんど毎朝彼の努力を見てきたリーシャには、途中で諦めたとはどうしても思えなかった。
「(ならば、どうしてもクローリー軍を去らなければならない理由があったと。考えられるのは――)」
脳裏にアルが妹として溺愛していた少女の姿を浮かべ、リーシャは思案した。
一方で、リーシャよりも一歩速く、セラはその思考へ至っていた。
「(やはり、エルトさん絡みで何かあったのでしょうか。見た限りでは、アルさんの部屋は争ったような形跡がありましたし……当初の想像通り、エルトさんは内通者であった、ということでしょうかね……)」
良くも悪くも、セラはアルとそこまで関わりがない。
初対面のいざこざ以降、両者の間にはどことなく気まずい空気が流れており、面と向かって親交を深めることは叶っていない。せいぜいが、偶然会った際に少しだけ言葉を交わす程度。
アルの様子は聞き及んでいるし、努力家であることは知っている。
しかし、それだけ。セラにとってアルは”尊敬できる知人”という認識しかなかった。
だからこそ、セラはこの一件に対して必要以上にアルに入れ込むことがなく、三人の中で一番冷静に現状を分析できていた。
まず真っ先に疑うべきなのは、エルトだろう。
何度かエルトと接する中で絆されかけたセラではあったものの、クローリー軍の参謀として常に疑いの思考は抱いていた。見ている限りでは本心からアルに懐いているようだったが……部屋の惨状を見るに、よくない予想が当たってしまったということだろう。
「(しかし、分かりませんね……エルトさんが内通者で、アルさんを襲った……ここまでは想像できます。ですが、そこからなぜアルさんがクローリー軍を去ることになるのか。それも事情も告げず、急に)」
セラにはそこが分からなかった。
手紙を書いている以上、アルは無事なのだろう。
ならばエルトが内通者だと知ったアルが取れる選択肢など、急いでメアたちに報告するくらいのものだろう。仮に逃亡を図ったエルトを追いかけたのだとしてもクローリー軍を辞める理由にはならないし、手紙など書いている余裕はないはず。
「(まさか、手紙は偽装……? 本当はアルさんはエルトさんに殺されていて、それを隠すためにアルさんを装って手紙を書いた……?)」
あり得ない話ではない。
それならばクローリー軍を去る理由のないアルが唐突に”辞める”などと手紙を残したことにも納得がいく。
「(なら、ミーシャさんが知らないと言っていたのも事実、ということになりますね……さすがのミーシャさんもアルさんが殺されるのをみすみす見逃すとは思えませんし……)」
しかし、それはそれで疑問はある。
なにせ、アルが殺されるほどの諍いがあったにしては、部屋が綺麗すぎるのだ。多少は家具が散乱していたようだが、それだけだ。アルが本気で剣を振るえば、もう少し部屋が傷ついてもおかしくない。何より、血痕が少なすぎる。
ならばアルの隙をついてエルトが仕留めた……と考えるも、それはそれでなぜ血痕と争った痕跡があるのかが疑問だ。一撃で仕留められず戦闘になったのだとすれば、前述のように部屋が綺麗すぎた。
「(……現状では情報が少なすぎて、詳細までは推測できませんね)」
アルがクローリー軍を辞めたのは事実なのか否か。
そもそもアルは生きているのか死んでいるのか。
それすらまともに分からない現状では、迂闊にアルの離反を公表するのは悪手なのではないかと考えてしまうセラ。
辞めたのに辞めていないと公表することが問題であるように、辞めていないのに辞めたと公表するのも、それはそれで問題だ。事実と異なると後で発覚した場合、メアたちに懐疑的な視線を向けられるだろう。もちろん表立って批判する者はいないだろうが、内内に溜め込まれても隊士たちの士気に響く。
結局、事実の裏どりをとってから公表するのが一番なのだが、そう悠長にしていられない現状。
想像以上に難しい状況に立たされていることを今一度理解し、セラは薄く息を吐いた。
「……」
そんなセラの様子にはまったく気づかず、窓の外に視線を向けているのはメアだった。
窓からは闇色の空と、そこに浮かぶ無数の星々が見て取れた。
「(何で――)」
メアには理解できなかった。
「(何で、何も言ってくれなかったの……何で、黙って消えちゃったの……何で、ボクの前からいなくなるの……)」
何故アルはクローリー軍を辞めたのか、その理由が理解できなかったメアは、心の中でひたすらに疑問を反芻した。
メアの脳裏には、アルの言葉が何度も浮かんで、消えていった。
――俺、強くなるよ。メアの夢の手伝いができるように……その《剣鬼》と同じくらい、いいや、それ以上に
――俺はいつか、魔神にも負けないくらい強くなる。今は弱くて、ダメダメだけど……それでもいつか、必ず
――俺の意志は、何一つ変わらないよ。あの日、あの場所で言った通り……そして、さっき宣言したように。俺は剣鬼を越えて、魔神にも負けないくらい強くなって――キミの隣で、君の夢を支える。それが、俺が努力し続ける理由だから
――だから、キミは待っててくれ。今すぐに理解してほしいとも、受け入れてほしいとも思ってない。これは間違いなく、俺の我儘だから。キミは悩まず、そのまま走り続けてくれればいい
初めは期待していなかった――いや、期待しないようにしていた。
できるわけがないと。どうせ口だけだと。すぐに諦めると。そう、思うように努めていた。
けれど、アルはメアの予想など軽々と凌駕していった。
リーシャや『輝剣』の隊士たちを筆頭に、クローリー軍のみんなとすぐに打ち解けた。
酷く打ちのめされたというのに、毎日努力を続けた。
何度も何度も敗北を重ねた相手に、勝利をもぎ取って見せた。
そして、ミルフレティアすらも認めさせるまでに至った。
――分かっている。彼は彼ではない。
剣の才能は欠片もなくて。
毎日傷だらけになるほど弱くて。
余裕の笑みなんて浮かべられないほど毎日必死で。
いくら人柄や雰囲気が似ているといっても、アルフレッドにとって根幹となっていた”剣”の部分で、アルファストは決定的に違っていた。似ても似つかないほどに、アルファストには才能がなかった。
なのに、それなのに。
――いつの日か、彼のように、ボクの隣に立ってくれるんじゃないかって。
ほんの少し、期待してしまっていた。
それがメアにとっても、アルフレッドにとっても、アルファストにとっても。
誰にとっても酷く身勝手な感情だと理解していながら、メアの心は無意識のうちに期待を抱いてしまっていたのだ。
――故に。
メアの心には、影が差していた。
期待してしまった分だけ、大きな影が。
分かっていたことだった。
一度期待してしまえば、裏切られた時の失意は大きくなることなど。だからこそ期待しないように、必死に気持ちを押し殺していたというのに。
身勝手にも抱いてしまった期待の代償のように、メアの心に暗くてどんよりとした影が差していた。
――痛い。
自分に向けられた、彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。
――痛い。
愛していると、心地よい温もりをくれた彼の姿が脳裏に浮かぶ。
――痛い。
最愛の彼を失ったあの日の景色が脳裏に浮かぶ。
――痛い。
まるで彼のような笑顔を浮かべる彼の姿が脳裏に浮かぶ。
――痛い。
まるで彼のような真っ直ぐな瞳を向ける彼の姿が脳裏に浮かぶ。
アルファストを信じたいと思う気持ちはもちろんある。
きっと事情があるはずだ。やむを得ない理由があったはずだ。
そう思う心とは裏腹に、暗く淀んだもう一つの心が冷たく告げる。
「(あんなこと言って、何もかも放り投げて逃げたんだ……期待させるだけさせて、結局無責任にも投げ捨てて……)」
それは身勝手な八つ当たりだと叫ぶ心を受け入れられるほど、メアは前向きにはなれなかった。
信じた分だけ、気持ちは良くない方向へ進んでいく。
「(ちょっとだけ、期待、したのにな。――――――嘘つき)」
そうして、最愛の人を想うメア・クローリーは消え、第七魔帝メア・クローリーとしての顔を覗かせる――その瞬間。
「――アルを探しましょう。私は、アルを信じます」
執務室の扉が開かれ、平坦ながらも熱意の込められた言葉が告げられた。
メアはいつも明るい溌剌系ボクっ娘だよ!
ただちょっと激重な愛情を抱いてるだけだよ!メンヘラじゃないよ!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




