Ep.6 約束は夢の彼方
――歩く。
あてもなく、ただ歩き続ける。
村を出て、森を抜け、草原を経て、荒野を跨いで。
歩みはゆっくり、おぼつかない足取りで。
あの村がどこにあったのか、具体的なことは何も知らない。
昔、両親に尋ねたことがあった。ここはどこなのか、近くに人里はないのか。
ついぞ両親は、その答えを教えてはくれなかった。
決まって「知る必要はない。私たちはこの村を出てはいけないのだから」と。そう悲しそうに笑うだけだった。
今なら分かる。
あの骸骨……マガチカの言葉が脳裏をよぎる。
”白華の末裔”。
”忌まわしき魔神の子孫”。
あの時は怒りと驚愕でその言葉を理解することはできなかったが、今なら分かる。
恐らくマガチカの言葉は事実だ。
村を出ることができず、村の場所も伝えることができない。
秘匿された村の、呪われた一族。
表立って忌み嫌われている……というわけではないだろう。
曲がりなりにも十数年生きた前世がある。
まともな生い立ちではなかったが、それでも”白華”なんて言葉も、”魔神の子孫”なんて言葉も聞いたことがない。
「(称号としての魔神って意味じゃ、ないだろうな……意味が広すぎるし、そもそもアイツ自身魔神だって名乗ってた。……そうなると、俺の知らない”魔神”が存在するってのか……?)」
更に言えば、アルが知らない……というよりも、世間一般には秘匿されていることなのだろう。世界でも一握りの人物しか知らない真実……その真実を知る者から身を隠すため、白華族は誰にも知られずひっそりと生きてきたと考えるのが自然だろう。
現に白華村は魔神の子孫だという理由だけで、アル以外の全員が殺され、村を燃やされているのだ。マガチカのような者たちに見つからぬよう隠れて過ごすという理由は納得がいく。
「(――――あぁ……まただ。また……意識が薄れてきた)」
乱雑に巻いた包帯が解け、地面に落ちる。
マガチカが去った後、意識を取り戻したアルは最低限の応急処置だけして、村を後にした。
村にはまともな医療設備なんてないし、あったとしてもアルに扱えるものではない。
本来なら村人たちを弔いたかったが、両腕が使い物にならないアルにそれは叶わなかった。
全身から血を流し、両腕がひしゃげ、歩くたびに激痛が走る。
生きているのが奇跡と言えるほどの重症。一刻も早く医者に診てもらわなければ、いつ死んでもおかしくない状態だ。
そのためアルは偶然転がっていた、ところどころ焼き焦げた包帯を雑に巻いて村を出た。
村の炎は消えていた。
マガチカが消したのか、そもそも普通の炎とは違うのか。マガチカの火玉を思い出し、アルは寒気が走るのを感じた。
「ぁ……」
不意に力が抜け、その場に倒れる。
もう何日経ったのかも、どれだけ歩いたのかも分からない。
地図なんてものはなかったし、周辺の地理も知らなかったアルは、あてもなくただ歩き続けた。
人里を求めて、いつまでも、いつまでも。
体はとうに限界を迎え、動くたびに激痛が走った。にもかかわらず、意識は朦朧とし、定期的に薄れゆく。
ここで意識を失えば死ぬ……そう恐怖し、抗えず、意識が沈み……しぶとく目を覚ました回数は、片手じゃ足りないくらいだった。
曲がりなりにも”魔神の子孫”。
肉体だけは丈夫なようだ。
「うぅ……」
立ち上がろうと藻掻くも、体に力は入らず、返ってくるのは激痛のみ。
腕を伸ばす。激痛。
脚を動かす。激痛。
頭を揺らす。激痛。
体を横にずらす。激痛。
絶え間なく襲ってくる激痛も、次第に感覚が麻痺し、遂には何も感じなくなる。
脳裏にぼんやりとした靄がかかり、思考をすることも叶わなくなる。
「(――あぁ……また、だ。この、感覚――お、ち……る……)」
この数日で何度も感じた死の感覚。
抵抗するための思考すらままならなくなり、次第に微睡に落ちていく。
視界がぼやけ、白く染まり、何も映さなくなる。
耳鳴りが消え、何の音も拾わなくなる。
手足の感覚が消え、浮遊感が体を満たす。
「(ま、だ……しぬ、わ、けには――)」
「――――大丈夫、死なせない」
薄れゆく意識の中、アルの脳裏に黒い少女がよぎった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『――ボクたちって死んだらさ、どうなると思う?』
膝の上にちょこんと座る少女は、唐突に問う。
『メアが突拍子もないことを言い出すのはいつものことだけど……今回は一段と急だな』
『んー、そうかも? でもふと思ったんだもん。死んだらどうなるんだろうなーって』
少女は軽く体を揺らすと、不思議そうな顔を男に向ける。
『善光教の教えだと、善人は死後天に召されるっていうけど』
『それって、天界のこと? 天使になるの?』
『いや、実在する天界のことじゃないと思うけど……もっとこう、概念的な天国っていうか、あの世って言った方がいいのか?』
『うーん、よくわかんないっ』
低く唸り声を漏らす少女は、コテンと男に体重を預ける。
『なんで急にそんなことを?』
もたれかかる少女のお腹に左腕を回し、ぎゅっと引き寄せる男。
右手は少女の頭に乗せ、優しく撫でつける。
『ん~、こうしてアルと過ごしてるとね、たまに思うんだよ。いくらボクたちが魔族で寿命が長いって言っても、いつかは死んじゃうでしょ? 死んじゃったら、もうこうやって触れ合えないのかなって』
そう言うと、少女は男の右手を優しく掴み、自身の頬に持っていく。
その意図を察した男は、まるで硝子細工に触れるかの如く優しく、丁寧な手つきで少女の頬を撫でる。
『ん~~』
少女自身も自分の頬を男の掌にこすり付け、心地よさそうに目を細める。
『善光教の教えに従うならあの世で再会できる……とは、言えないかな』
男の呟きを捉えた少女は、男の手をぎゅっと、より強く握る。
それなりに長い付き合いだし、深い付き合いをしてきた二人だ。
男の考えが手に取るように分かった少女は、何も言わず、ただ頬に添えられた男の手を握り続けた。
『人を殺し続けた俺に、天国に行く権利なんて――』
『なら、こういう考えはどう?』
男の言葉を遮るように、少女は朗らかな声で言う。
『死んだらまた別の命として、生を受けるんだよ』
『……転生ってやつか?』
『そうそう! 詳しいことは忘れちゃったけど、どこかの宗教の教えにあったんだよ。死んだ魂は輪廻の環? みたいなやつに乗せられて、別の命として転生するって。りんなてんせいってやつ?』
『それを言うなら輪廻転生だな』
あはは、そう、それ! と明るくおどけて見せる少女の姿に、男は軽く息を吐く。
いつもそうだ。
暗く沈む男の心を引っ張り上げてくれるのは、いつだって少女の笑顔だった。
『(適わないな)』
男は気を取り直すように、少女に意地の悪い笑みを浮かべる。
『でも、転生したら記憶を失うらしいぞ? お互い記憶を失ったら、こうしていちゃいちゃできないんじゃないか~?』
両腕を使い更に少女を抱き寄せると、男自身も少女に体重を乗せ、少女の頬に自身の頬を擦りつける。
『うひゃ~~! 急になんだよ~~!!』
嫌がるようにジタバタ体を暴れさせる少女だったが、その声は喜色に溢れている。
実際少女の方もあからさまに頬を押し付けており、心底喜んでいるのが一目でわかる。
それから数分、いや数十分。
一通り騒いで満足したのか、少女は男から離れると立ち上がり、男を見下ろすように仁王立ちする。
その顔は何やら自慢気だった。
『記憶なんて関係ないよ! ボクがアルのこと分からないわけないじゃん! 例え記憶を無くしても見つけ出すね、絶対!』
『いや、そういう根性論で何とかなるものか?』
『うるさいなぁ。そんなこと言うならアルはどうなのさー』
『うーん、俺は……どうにかして記憶を持ったまま転生する、かな』
『え~! 何それずっこい! じゃあボクもそうする~!』
ずるいずるいと騒ぐ少女を、男は笑いながら見上げる。
『――――』
不意に、男の髪を微風が揺らす。
いつもの景色。ありふれた光景だ。
どこまでも続く青空も、優しく撫でつける微風も、豊かな木々のざわめきも、芝生の青臭さも――コロコロと表情を変える、愛おしい少女の姿も。
少女がもしも死んだら、なんて話をしたからだろうか。
男はいつも通りの光景に、一抹の哀愁を感じてしまった。
『じゃあ、俺が見つけるよ』
男もまた立ち上がり、少女を真っすぐ見つめる。
『俺はズルいからな。どうにかして記憶を持ったまま転生して、メアを見つけるよ』
『アル……』
『絶対にメアを見つけて……もう一度、好きって伝えるから』
一歩、二歩。
男は少女に歩み寄り、優しく抱き寄せる。
何の変哲もない日常の一幕。
けれど、とても大切な気がして。
男は少女の存在を噛みしめるように、ぎゅっと抱きしめる。
少女もまた男の腰に腕を回し、答える。
『だからメアは待っててくれていいよ。記憶があろうとなかろうと、俺が伝えるから。それでもう一回……いや、何回でも。またこうやって触れ合おう』
アルのお腹に顔をうずめるメアは、肯定するように腕に力を込める。
『好きだよ、メア』
少女の耳元で囁き、抱いていた手を頬に添える。
少し身を離した少女は、アルを見上げる。
その瞳はわずかに潤んでいた。
『アル……ボクも、好き。大好き。何度生まれ変わっても、何度でも愛し合いたい。何度でも好きって言いたい』
『うん』
『だから……約束だよ、アル。生まれ変わったら、ボクを見つけてね。そして……好きって言ってね?
ボク、待ってるから』
薄く細められたガーネットの瞳に、男は息を呑んだ。
――忘れられるわけがない。
たとえどれだけの時が経とうと、悠久の時を過ごそうと、生を越えたとしても。
男は一生……いや、何生でも、彼女を愛するだろう。
たとえすべてを投げ捨てても、すべてを投げうっても、少女に愛を囁き続けるだろう。
『――――』
少女が瞳を閉じ、わずかに顔を寄せる。
引き寄せられるように、男もまた顔を近づける。
瞬間――二人の唇が重なる。
決して忘れないように。
お互いの存在を確かめ合うように。
深く、深く、どこまでも繋がっていった。
――アルフレッドが死んだのは、それから一ヶ月後のことだった。
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嘘です、シテクダサイ。




