Ep.5 終わりを告げる凶刃
その日はごく普通の日だった。
日の出過ぎに起床し、顔を洗い、木剣を持ち、森に向かった。
朝の修練を終えたら、母親の作った朝食を食べ、父の仕事を手伝う。
日も高く上り、父親とともに昼食を食べる。
仕事が再開するまでに少し時間があるため、腹ごなしも兼ねていつもの森に向かい、また修練。
そんな、ありふれた一日。
この世で二度目の生を受けて以来、何年も続いた当たり前の日々。
分かっていたはずだった。
この世に当たり前のものなんてなくて。
些細なきっかけ一つで、すべてが無意味に崩れ去る。
分かっていたはずだった。
友情を分かち合った友も。
可愛がっていた後輩も。
酒を酌み交わした先達も。
そして――愛し合った少女さえも。
薄氷の上に積まれたすべての宝物は、あっさりと、唐突に、無慈悲に、無常に。
砕け散り、沈み、溶け行くことなど。
分かっていた、つもりだった――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
きっかけは、炎だった。
一通りの修練をこなし、一息ついたアルの視界の端に、赤色が映りこんだ。
「火……? タタラのおっちゃんが炭焼きでもしてるのか? それとも、ケン坊が腹を空かして肉でも焼いてる?」
村で火を使うことはよくあることだ。
職人のタタラはよく炭焼きをしているし、食いしん坊のケン坊は一時間ごとに腹を空かして肉を焼いている。
他の村人も、火を使うことは珍しくない。
しかし、それにしては――、
「火が大きい……それに、何かが聞こえる。微かに……これは」
この広間は周囲が木々に囲われていることから、村の喧騒は聞こえづらく、静謐な領域を生み出している。
普段はその性質を利用し、鍛錬に集中できるのだが……手を当て耳を澄ますと、微かに聞こえてくる叫び声。子供のはしゃぐ声でも、大人たちの怒声でもない。それらよりも大きく、周囲を一切顧みないこの大声は……。
「悲鳴ッ!? 何があった!?」
アルの耳が拾ったその声は、悲痛に喘ぐ絶叫だった。
アルは急いで木剣を腰に携帯し、村へ駆ける。
「(村に魔物でも出たか!? でも、それにしては火が人為的すぎる……! 盗賊の類!? いや、この村の戦士はそこらの兵士よりよっぽど強い! よほど名の知れた賊でもない限りは……!」
必死に走る最中、頭を回転させるも正解を導くことは叶わない。
村に近づくにつれて、アルの耳をつんざく叫びは大きくなる。
絶叫、悲鳴、怒号。
少年、少女、男、女、爺さん、婆さん。
それらが混ざりあう悲痛な叫びの合唱は、アルに焦燥感を募らせる。
「(森を抜ける!)」
ようやく森の出口が見え、勢いそのままに飛び出る。
密集する木々のカーテンが消え、開けたアルの視界に映ったのは――。
「――ぁ」
巨大な太刀に胴体を貫かれた――父親だった。
「――あああああああああああああぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁ!!!!!!!!」
叫び、駆ける。
父親を殺した根源は、異様に刀身の長い太刀を引き抜くと、こちらに体を向ける。
その様相は、異様だった。
第一に、人間ではない。
その顔には目も、口も、鼻も、そして毛も皮膚もない。
あるのはただただ漆黒の闇を映す空洞と、二つの仄暗い火玉のみ。
骸骨――つまりはアンデッド。
アンデッドにしては豪奢な武者鎧に身を包んでいることや、一般的なスケルトンよりも背丈が大きく、ゆうに2mはあること。
そんなことは、アルにはどうでもよかった。
沸騰する意識の中、かろうじて標的がアンデッド――魔物であることを認識したアルは、元々持ち合わせていなかった容赦や躊躇の類をかなぐり捨て、全力で木剣を振るう。
「――ヌルい」
その言葉が、風に乗ってアルの耳に届くより先に。
死を誘う終焉の太刀が、アルの眼前に瞬いた。
「――ッ!!!」
それは、奇跡と呼ぶにふさわしい反応だった。
本来、剣士としての才をすべて投げ捨てたアルに、死の凶刃を防ぐ手立てはなかった。
以前ならば持ちえた超反応も、第六感も、勘もなければ、凶刃を捉える視野すらもない。
自身に迫る凶刃――死というすべての生物が、すべからく恐れるその現象を感じ取る”防衛本能”。それが、唯一アルが持ち帰った”経験”と混ざりあうことで、奇跡的に成立した防御。
「ム……」
無造作な一挙手で容易に踏み潰せると思った弱者。
その弱者の予想外の抵抗に、骸骨は二つの空洞に収まる火玉をわずかに揺らめかせた。
「が……はっ……く、ぁ…………」
しかし、奇跡は二度は起こりえない。
勢いよく大木に打ち付けられたアルは、指先一つ動かせず、浅い呼吸を繰り返す人形になっていた。
口からは大量の血反吐を吐き出し、両腕はあらぬ方向にひしゃげ使い物にならない。
叩きつけられた衝撃で骨も内臓もぐちゃぐちゃに混ざり、わずかな酸素を取り込むのがやっとだ。
血と木片の上に蹲るアルのもとに、骸骨は悠然と歩み寄る。
アルがどうにか気力で眼球を上部に向けると、自身を見下ろす冷徹な二つの炎が揺らめいた。
「ぐぁぁっ……」
骸骨はアルの首元を掴むと、自身の目線と同じ高さまで持ち上げる。
抵抗する力もないアルはされるがままで、まるでボロ雑巾の様にプラプラと吊るされる。
「オドロイたな。イマのでシナナイとは」
それは、紛れもない言葉だった。
さしものアルも一瞬言葉を失い、驚愕する。
それも無理からぬこと。
本来アンデッドは魔物と魔族の中間のような存在で、理性を持つ種と持たない種が存在する。
しかし骸骨の様相を呈しているアンデッドは、スケルトンかリッチしかおらず、そのいずれも人と同じ知性は有していない。スケルトンは言わずもがな本能のまま動く屍人形であるし、リッチは高位種ゆえにある程度の知能はあるが、知性はない。当然言葉など話せない、人とは相容れぬ魔物なのだ。
しかし、この骸骨の武者は発音こそ独特なものの、紛れもなく言葉を紡いだ。
明確な意志を持って、知性のもとに発言したのだ。
そんなアルの驚愕も他所に、骸骨はもう一方の手に持つ太刀を掲げ、アルの首元に添える。
「ダガ、ツギハナい。カクジツにキサマのクビヲハねる」
「……な、で……」
万力によって締め付けられる喉から、どうにか声にもならない声を絞り出す。
「な……ん、で……」
「ナンデ? ナゼ、コノムラをオソッタノカ、トイウイミか?」
なぜ、この村を襲ったのか。
アルの拙い疑問を骸骨は正確に反芻する。
骸骨を見たとき、アルはそのような疑問は抱かなかった。
なぜなら、相手はただの魔物……知性なき化け物であると思ったからだ。
猛獣や魔物が人を襲っていたとして、なぜ襲ったのか疑問に思う者がいるだろうか。それが食欲であれ、縄張り意識であれ、気まぐれであれ、魔物が人を襲うことは”常識”であり、なんら疑問に感じることのない事柄だ。それは獣の本能なのだから。
しかし、眼前の怪物は知性なき獣ではない。
確固たる理性を持って言葉を操る存在だ。
なぜ魔物が理性を持っているのか、そもそも本当に魔物の類なのか……?
それらの疑問は当然のように浮かぶが、それ以上に強烈に浮かび上がる疑問。
すなわち、村を襲う動機。
「ジキニシぬキサマがキニスルコトではナイ……ガ、マァ、イイダロう。メイドのミヤゲにオシエテやる。キサマはコノムラ……トイウヨりココニスむセイブツにツイテドコマデしってイル?」
ここに住む生物……?
村人たちのことだろうか。
どこまでも何も、アルが知っていることは多くない。
辺境の田舎村に住むごく普通の人たち。それ以上でも以下でもないだろう。
「ギモンにオモッタコトはナイか? ムラビトゼンイン、スベカラクジュンパクのカミとチイロのヒトミをモッテイルことヲ」
骸骨の言葉に、アルは今までの記憶を思い起こす。
父も、母も、タタラも、ケンも、もちろんアルも。
この村に住むすべての人は、みな一様に”ある特徴”を備えている。
それは、純白の髪と血色の瞳。
だが、それが何だというのだろうか。
確かに遺伝にしては例外なく引き継がれているとは思っていたが、そういった特徴の種族や部族だって存在するだろう。
「アァ。ナラバシヌマエにソノタマシイにヨクキザミコンデおけ。キサマらハ”白華の末裔”。イマイマシキ”魔神”のチをツグマゾクだ。ソノシロいカミも、アカいヒトミも、キョウダいナマリョクも、ズベテ”白華の末裔”デアルアカシ」
「びゃ……っ、か……?」
「ソウダ。コノヨにソンザイシテハナラぬ、イマワシアクマだ……!」
二つの火玉が一層大きく揺らめき、アルを握る手に力が入る。
骸骨の言っている言葉が理解できない。
”白華の末裔”。
”魔神”の血を継ぐ魔族。
この世に存在してはならぬ忌まわしき悪魔。
唐突に並べられた言葉に脳の処理が追い付かず、締め付けられる喉から苦痛の声を漏らすことしかできない。
「ユエニ、イマ、ココデキサマをホウムる。アクマのシソンをコンゼツし、コノヨにハビコルホロビのメをツブス。カクゴはイイナ? キョヒケンはナイ」
骸骨は首元に添えた刀身をわずかに揺らす。
刀身と首との間にあったわずかな猶予がなくなり、鋭利な刃が首の皮膚を貫く。
「――ッ」
浅く傷つけられた首からは血が流れ、骸骨の白い指の上を走る。
「……サイゴダ。イイノコスことハアルカ?」
それは骸骨の慈悲だったのか、ただの気まぐれだったのか。
「…………ぃ」
血の味が広がる口から空気が漏れる。
「……な……ぃ」
更に深く刀身を押し付けられ、骸骨の腕が赤く染まる。
「……には……なぃ」
「ナンダ、キコエンな。ハッキリとシャベれ」
内臓はぐちゃぐちゃに乱れ、喉は万力で締め付けられている以上、アルの口から漏れるのは言葉ともいえないただの音。
それでも、アルは懸命に言葉を紡ぐ。
――どうして俺が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだろうな。ホント、ふざけんなって感じだろ?
ふと、声が聞こえた気がした。
それは何度も聞いたことがあるようで、一度も聞いたことがない声だった。
気づけば眼前には、手入れもしていない黒髪を乱雑にまとめた一人の男がいた。
名をアルフレッド。
首を締められ、刃を突きつけられ。全身傷だらけで浅い呼吸を繰り返すことしかできない。言葉も満足に発せない。
今にも死にそうなアルファストを見て。アルフレッドは嘲笑を浮かべた。
――小さい頃は酷かったよなぁ。食うもんもまともになくて、今を生きるのに必死で。
――殺らなきゃ、殺られてた。たまたま手に取った剣で、たくさん斬って殺した。
――剣術なんて立派なもんじゃねぇ。我流も我流。生きるのにすべてを賭けた剣だ。
――ただひとつ幸いだったのは、俺に剣の才能があったことだな。じゃなきゃとっくにくたばってた。
――斬って斬って殺して殺して。いつのまにか『剣鬼』だなんて呼ばれるようになって。
――あの頃の俺にとって、間違いなく剣の才能がすべてだった。
脳裏に浮かぶのは、幾多の戦場。
死体の山と、血と鉄の匂いが充満する地獄の景色。
己の才能に導かれるように、斬って斬って、殺して殺し続けた。
信頼できるのは、己の剣才のみ。
技術も知恵も、仲間も切り捨ててただひたすらに駆けていた。
でも。
――あの日、あの場所で。すべてが変わった。
蹲る少女と、剣しか知らない男。
少女の手を引いたのは少年だった。
しかし、本当に手を引かれていたのは、少年の方だった。
――魔神を目指す少女と、剣の腕が立つだけの男。最初は何もかも上手くいかなかったな。死にかけたこともしょっちゅうだ。
――でも、楽しかった。全部が全部、初めて見る光景だった。
――色褪せた戦場しか知らなかった男が、初めて少女の笑顔を見た時、なんて思ったと思う?
――って、アルファストはアルフレッドなんだから知ってるか。
あぁ、そうだ。
忘れるはずもない。
脳裏に浮かぶ光景が、一人の少女で埋め尽くされる。
下ばかり見て、妄執にとらわれて、幻影を追いかけていた一人の少女が初めて見せた、心からの笑顔。
長い黒髪は風になびいて。
深紅の瞳はわずかに細まり。
白い肌には朱色が刺して。
鋭い八重歯が見えるくらいに口を開いて。
――――あぁ、好きだなって。
そう、思ったんだ。
それまで自分のすべてだった、剣の才能すらも投げ捨てるほどに。
もう一度会えるなら、自分のすべてを捨ててもいいと思えるほどに。
そうだ。
もう一度、会うのだ。
彼女に――メアに、会うんだ。
会わないといけない。
会って、伝えないといけない。
俺の、想いを。
例え何千年経とうと、色褪せない、俺の気持ちを。
――そうだよな、俺。だったらよ――。
あぁ、そうだ。
だったら、俺は。
「――俺は、こんっ、な……とこ、ろで、死ぬわけには、いかないんだよ……!」
アルはそれを、どうしても骸骨に聞かせたかったわけではない。
むしろアルは、その言葉を自分自身に聞かせたかったのだ。
意志を繋ぐために。
意味を成すために。
体の状態など知ったことか。
声を出そうとするたびに襲い掛かる激痛など無視して、己のすべてを使い絞り出す。
そんなアルの啖呵を聞いて――初めて骸骨が、アルを認識した気がした。
「……シニタクナイ、ではナク、シネナイ、か」
今までにないくらい、骸骨の火玉が揺れ動く。
「ナゼだ? そんなカラダで、ナゼホエる? ムラビトはゼンインわたしがコロシタ。キサマのチジンも、トモも、オヤもだ。そしてキサマはモハヤシタイもどうぜん。こんなゼツボウしかないフジョウリのなか、なぜホエル?」
その言葉には、初めて感情らしきものが込められている気がした。
「いいか、ヨクきけ。よのナカにはな、あきらめなケレバいけないことなどザラにある。どうしようもナイリフジンにミマワレルことなどしょっちゅうダ。どんなキガイをもっていようともな」
「……」
「ソレでもアキラメナいと、シネナイとほざくのか?」
「……あぁ、俺は、死ねない……!」
眼前に迫る火玉に、アルの双眸が照らされる。
揺らめく炎はやはり本物の火ではないようで、一切の熱を持っていなかった。
「ナラバ、キカセテもらおうか。キサマがあきらめないリユウを。ナゼ、ナゼ、キサマはシネナイ?」
「愛する女に、好きだと言うためだ……!」
「――――」
骸骨の火玉を真っすぐ見つめ、答える。
愛する女に好きだと言うため。
そのためにアルは己のすべてを投げ捨て、再び生を受けたのだ。
こんなところで死ねない。
まだメアに会ってすらいない。
白華の末裔? 忌まわしき悪魔?
そんなの知ったことか。
アルファストはアルファストで、アルフレッドだ。
ただ一人の少女を愛し、自身の想いを伝えるために転生した、ただの男だ。
今は、それだけでいい。
「アイ、あい、愛……愛か」
確かにアルを捉えていた火玉が、不意に瞬く。
「ワタシは……おれは……」
骸骨の口から吐息のような声が漏れ、空を仰ぐ。
昼下がりの空はどこまでも澄み渡り、ただひたすらに蒼く、雄大に続いていた。
「……えを……れ、ば……うか」
そう独り言ちる骸骨の言葉はアルには届かず、ただ何かに想いを馳せるように、呆然と青空を眺める骸骨を見ることしかできなかった。
「もういい」
そう呟くと同時、骸骨はアルの首を離し、地面に放り投げる。
「ぐっ……」
死に体のアルが受け身など取れるはずもなく、情けなく地面に叩きつけられ悶絶する。
更に長い間締められていた首が解放されたことにより、酸素を補給しようと息を吸い込むが、喉にへばりついた血が絡み、盛大に咽る。
「ぐはっ、がはっ!」
「シンデハいないようだな」
苦悶の声を漏らすアルに大きな影が差さる。
骸骨はアルを見下ろしながら、身の丈以上の太刀を鞘に収めた。
「キサマのゆくすえがミタクなった。ソノせんたくのサキにナニガあるのか。わたシがえらべなかったソノミチが、どこにツナガっているのか」
「な……にを……?」
骸骨の言葉を理解できず、アルはただ睨みつけることしかできなかった。
「ソレでいい。リカいするひつようはない。そしてワタシをうらめ。キサマのミチがつづくかぎり、イズレワタシとアイタイスルこととなるだろう」
そう言うと、骸骨はアルに背を向け、歩き出す。
悠然と歩くその姿をアルは見つめ、一拍遅れて追いかける。
しかし、当然ながら脚に力は入らず、再び地面に伏す。
「キサマとふたたびアウときをタノシミにしている。ワタシは”第七魔神”マガチカ。オボエておけ。キサマのドウホウをころし、こきょうをやいたモノのナだ」
第七魔神マガチカ。
倒れ伏す中、アルはその名を心に刻んだ。
今の自分では勝てない。
情けなくも見逃されただけの矮小な存在だ。
それでもいつか、必ず倒すと心に誓って。
アルの意識は沈んでいった。
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嘘です、シテクダサイ。




