Ep.57 檻
――死ぬ。
アルは自身に迫る大斧を捉えながら、呆然と考える。
一瞬の気絶と、その後の力み。それは明確な隙として、アルを殺さんと意気込む兵士に突かれる。
「(――避けられない)」
致命的な隙を晒したアルに避ける余裕はなく、呆然と見送るしかない。
あまりに巨大な斧が故に、迫りくる速度はやけに遅く感じた。とはいえ、避けられるほどではない。せいぜいが剣を滑り込ませる程度の時間だが……、
「(あんな大斧を剣で防いだところでどうなるってんだ……吹っ飛ばされて終わりだろ)」
攻撃を防ぐことはおろか、拮抗することもできないだろう。
いとも簡単に押しのけられ、吹き飛ばされるだけだ。多少はダメージを軽減できるかもしれないが、その程度だ。あまり意味はない――、
「(――いや、違う)」
瞬間、アルは気づく。
「(それでいい、吹っ飛ばされていいんだ)」
自身の位置と、敵の兵士の位置。そして――インフェル・ノクターンの位置。
今のアルは、インフェル・ノクターンを背にするように立っていた。そんなアルを正面から吹き飛ばそうとする敵の兵士。
位置の関係上、アルが吹き飛ばされればインフェル・ノクターンの方へ飛んでいく。
それはすなわち――上へ続く階段の方へ吹き飛ばされるということだ。
恐らくだがインフェル・ノクターンが飛んでくるアルを受け止めることはない。今の血だらけのアルに触りたいとは、神経質なインフェル・ノクターンは思わないだろう。十中八九避けるはず。それはつまり、吹き飛ばされるアルがインフェル・ノクターンによる追撃を受けることもないということ。
「(これしかない! これが最初で最後のチャンス……!)」
アルは素早く剣を構えると、迫りくる斧刃を迎えるように滑り込ませた。
瞬間、アルを襲う衝撃。
途轍もなく重い一撃はアルに一瞬の拮抗すら許さず、勢いそのまま後方に吹き飛ばされてしまう。
しかしそれは想定内。
体格の違い、武器の違い、怪我の有無。あらゆる観点から見てアルが大斧の一撃を抑えられる道理はなく、その衝撃を減衰させることは叶うはずもなかった。
それを瞬時に悟ったアルは斧を受け止めるふりをし、自ら後方へ跳んだ。勢いは殺せずとも、威力は殺せる。最小限のダメージで後方へ飛ばされるための最適解を、アルは霞む脳裏ではじき出した。
「――ぐぁッ!」
しかし、いくら威力を最小限に抑えたとはいえ、勢いは止まらない。
弾丸のように弾き飛ばされたアルは、気づけば石壁に叩きつけられていた。その衝撃は凄まじく、アルの体は石壁を砕いてめり込む。
砕け散った瓦礫が散乱し、土埃が舞う。
アルは背中を襲う痛みに耐えながら、どうにか瞼を持ち上げた。
「(痛い……でも、意識はある…。エルトは無事。インフェル・ノクターンにも接触はしてない。階段は……)」
アルは抱きかかえるように庇ったエルトの無事を確認すると、自身が吹き飛ばされた場所を確認した。アルが叩きつけられた石壁のすぐ傍には、上階へ続く階段がある。それに――、
「(土埃か……都合がいい)」
アルが石壁に叩きつけられたことで上がった土埃は、周囲を覆っている。すぐそばの階段も隠されており、今ならば上がっても見つかることはない。
アルは土埃が晴れないうちに即座に行動に移した。
体を動かそうとすると、尋常ならざる痛みがアルを襲う。手足を動かすたびに骨が軋むように鋭い痛みが走り、額から流れる血液がアルの視界を赤く染める。打ちつけられた背中はジンジンと痛みを主張してくるし、気を抜けば足腰から力が抜けそうだ。
それでもアルは気力でどうにか動き、全身に力を込める。
今倒れるわけにはいかないと。
もはや駆け上がる体力も残っていないアルは、せめて慎重にと重い足取りで階段を昇った。
一段上がるたびに脚が軋む。
一段上がるごとに脚が震える。
一段上がるだけで脚がもつれる。
全身を襲う痛みと気怠さを感じながら、アルは一歩ずつ上って行った。
やがて光が射し込み、アルの足元が照らされた。
「……やっと、やっと逃げられるぞ……エルト」
そして、階段を昇り切ったアルの視界に映ったものは――アルたちを取り囲む檻だった。
階段を昇った先にあったのはそこそこの広さの部屋。
階段の長さからして一階だろう。それは部屋に設けられた窓から、外の景色を見れば簡単にわかることではあったが……今のアルには、”ソレ”以外に視線を向ける余裕はなかった。
階段を上りきった先、見える位置に備えつけられた窓。
自然とアルの視界は館の外の景色を捉えるが、そこには夜の闇も、木々の緑も存在しなかった。
――あるのはただの、”炎の壁”。
館と森を乖離するように聳え立つ、業火の障壁だった。
「――まさか」
アルの中で最悪の予想が走る。
それを確かめるべく、アルは駆けた。今ばかりは全身を襲う一切合切の不調を押しのけ、脳裏を占める予想を振り払うように。
部屋を出て、廊下が続く方へ。
そのまま長い廊下を駆けていくと、やがて見覚えのある空間に出る。あまりにも広いその空間は、”賢王の館”の玄関口。
アルは脇目も降らず、見るからに立派な大扉を開いた。
「――」
それは、アルたちを取り囲む檻だった。
”賢王の館”を囲うようにぐるりと張られた炎の城壁。
轟轟と音をたてながら揺らめくその壁に終わりはない。見上げると、”賢王の館”よりも高い位置まで続いていた。
――逃げられない。
アルの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
アルたちを逃がさんと聳え立つその炎壁には、一切の隙間も穴もない。
確実にアルたちを逃がさないための保険。
この館に閉じ込めるための檻。
「……無理やり突き破って……」
呟きながらも、それがどれだけ無謀なことなのかは理解していた。
今ならば分かる。
なぜインフェル・ノクターンがあれほどまでに余裕綽々だったのか。
例えあの地下室から逃げられようと、この館からは逃げられないと分かっていたのだ。
それほどまでに狡猾な男が、強引に突破できる壁を用意しているわけがない。
薄い壁ならばいざ知らず、突破に数秒かかるほどに分厚い炎壁だった場合、火炙りになるだけだ。そのような蛮勇を振るう気にはなれない。
「……上から」
それでも諦めきれないアルは、どうにか突破口を開こうと周囲を見回す。
唯一炎壁が途切れているのは上部。上から飛び越えられれば、炎壁を突破することはできる。
しかし、壁は館よりも高い。例え最上階からでも飛び越えることはできない。
「……どうにか屋根の上まで昇れば、壁の厚さ次第では跳躍できるかもしれない」
館よりも高いとはいえ、そこまでの差があるわけではない。
僅かに館を越える程度の高さの壁だ。館の屋根の上まで昇ることができれば、跳躍することができるかもしれない……もっとも、今のアルにエルトを抱えながら飛び越えられるほどの体力があればの話だが。
「……それに、今から四階まで行くってなると……」
確実にノクターン軍と鉢合わせる。
今頃アルたちが逃げたことに気づいた兵士たちが追ってきているだろうし、まだ館内を徘徊している見張りはいるはず。
アルは八方塞がりな現状を理解し、苦々しげに上部を睨んだ。
「……?」
その時、アルの視界にチラリと映る輝き。
小さくて細い何らかの物体が、炎壁を越えるように外側から飛来する。まるでこの中に投げ入れられたように。
その物体はくるくると回転しながら、アルのすぐそばに落ちた。
「これは……鍵?」
地面に落ちたそれを拾って見ると、何らかの鍵だった。
しかし、何の鍵なのかまでは分からない。
それ以前に、なぜ鍵が外から……?
アルは脳内に疑問符を浮かべながら、その鍵を見つめた。
やや黒ずんだ鈍色の鍵。無骨なそれはどこかで見覚えがあって……、
「……まさか」
アルは小脇に抱えたエルト、その首元につけられた首輪を見た。
「やっぱり」
色、デザイン、そして素材。
手元の鍵とその首輪は、それらがすべて一致していた。
アルは急いで首輪の鍵穴に鍵を差し込む。
予想は正しかったようで、鍵はぴったり鍵穴に入った。そのままガチャリと回すと、エルトの首輪が外れた。重々しいそれが音を立てながら地面に落下する。
アルは安堵の息を漏らしながら、エルトの首元を見る。
長いこと首輪がつけられていたからだろう。そこには痛々しい跡があり、アルは優しくなぞるようにさすった。
「……ん」
心なしか、エルトの表情が穏やかになったような気がした。
そのことに笑みを浮かべながら、アルは当然の疑問を浮かべた。
「――でも、何で」
あまりにも都合が良すぎる。
常識的に考えて、自然に鍵が飛んでくるわけがない。それも外から、ピンポイントにアルの下へ。十中八九、何者かが仕組んだことだろう。
「でも、誰が……」
”賢王の館”はインフェル・ノクターンの居城だ。
アルの味方などいない。全員が敵なのだ。
それでもアルたちの味方をし、エルトの鍵を与えてくれた誰かがいる。
鍵は厳重に管理されていただろうし、盗み出さなければならないはずだ。それほどの能力を持った人物など、心当たりは――、
「――シュシュ?」
アルは共にこの館に侵入し、別れたばかりの協力者を思い浮かべる。
エルトのことで頭がいっぱいになってしまい、すっかり忘れていたアルだが、シュシュもこの館にいたはずだ。それも宝物庫に侵入するための鍵を探すとも言っていた。
もしも宝物庫の鍵もエルトの首輪の鍵も一元管理されていたのであれば、シュシュがこの鍵を持っていても不思議ではない。それに、彼女ほどの実力があれば既に目的を達成して館を脱出していてもおかしくはない。
この鍵をアルに与えてくれた人物がシュシュだと考えれば、辻褄が合う。
「……ありがとう、シュシュ」
どうして首輪の鍵が分かったのか。
どうして炎壁越しでアルが来たことを察知できたのか。
理解できない点はいくつかあるが、それでもアルはシュシュに感謝した。
未だ八方塞がりの状況であることに変わりはないが、エルトが物理的に自由になったのは大きい。目を覚ました時に再び苦痛を味わうことがなくなる。それはエルトにとって肉体的にも、精神的にも安定させる要因になるだろう。
それに、最悪エルトだけ――、
「――やっと観念したのかね?」
アルの思考を遮るように、嫌味ったらしい声が届いた。
アルは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながら振り返る。
そこには予想通りの羊頭と、それを取り囲む兵士たちが。
「頭の悪い貴様やっと理解しただろう? この館からはどう足掻いても逃げることはできないと」
大仰に両手を広げながら言い放つインフェル・ノクターン。その様はまるで炎壁を見せびらかしているようだった。
「君が来るのを待っていたと言ったろう? 罠を仕掛けるのに、事前準備をしない馬鹿がいるかね?」
「……くそ」
「分かったらとっとと諦めたまえ。兄だの妹だのと、随分とくだらない茶番を見せられたが、結果的に何の意味もなかったようだな。私が生み出した壁を、貴様らは越えることはできないのだ。地下室から出た時、逃げられたと思ったか? 私を出し抜けたと思ったか? クククク、ハハハハハハ! 馬鹿め! 全部私の掌の上だったのだよ。」
歯嚙みするアルを小馬鹿にするように嗤うインフェル・ノクターン。
炎の燃え盛る音だけが聞こえる、静謐な夜の空間に響いた魔王の哄笑は、ひどく耳障りだった。
「……おや? それは……」
するとインフェル・ノクターンは疑問の声を上げる。
視線の先には、地面に転がる首輪があった。
「……何故、君がその鍵を持っていたのかな。その鍵を保管していたのは四階だ。そこまで行く時間はなかったと思うが?」
「……さぁな、泥棒でも入ったんじゃないか?」
「まともに答える気はないか」
シュシュに貰ったとも言えず、アルは誤魔化すように言った。その物言いにインフェル・ノクターンもまともに答える気がないと理解したのだろう。
先ほどまでの小馬鹿にするような態度はなりを潜め、不愉快そうな眼差しでアルを射抜いた。
「よかろう。”L”は後でどうとでもなる。まずは貴様を処すとしよう」
インフェル・ノクターンがそう宣言すると同時、周囲の兵士たちが武器を構える。
しかし、
「いや、良い。貴様には散々舐めた態度を取られたからな……私自ら相手をしてやろう」
部下たちを制したインフェル・ノクターンは、厭らしい笑みを浮かべながら告げた。
その言葉に、兵士たちの間にどよめきが走った。アルのような雑魚一人に、魔王自ら手を下すという決定に驚いたのだろう。
「ソイツを中に入れろ。玄関で相手をしてやる」
外では狭いと思ったのか、インフェル・ノクターンは館の中に入る。
玄関はもはやロビーと言っていいほどの大きさを誇っており、戦闘を行うのに十分な広さがある。
兵士たちはアルの腕や肩を掴むと、無理やり館の中へと押し込めた。
アルがほとんど抵抗せず玄関を通ると、兵士たちは離れて行く。そしてアルとインフェル・ノクターンの戦いを観戦するように散らばった。
「……」
アルは自身の体に緊張が走るのを感じながら、エルトを地面に横たえた。
相手は第五魔王だ。万全の状態ですら勝ち目などないというのに、エルトを抱えながらでは戦いにもならない。幸い兵士たちは手を出すつもりはないようだ。
アルはエルトを庇うように前に出た。
そして、鞘に納めていた剣を抜く。
赤いカーペットを踏みしめながら、インフェル・ノクターンの前に立つ。切っ先は当然、インフェル・ノクターンへ向けて。
アルが戦う準備を整えたことを見たインフェル・ノクターンは愉快げに嗤い、そっと手を差し出した。上に向けられた掌には、ボッと火の玉が浮かぶ。
「さぁ、始めようか――蹂躙を」
そしてアルは思い知ることになる。
今世で初めて戦う――魔王の強さを。
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嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




